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背中を預ける者たち

 矢が放たれた。


「伏せろ!」


 シラスの声に合わせ、三人はそれぞれ身を低くした。


 矢が頭上を通過し、背後の木々に突き刺さる。


 間髪を入れず、二本目、三本目が飛んできた。


 敵は距離を保ちながら、こちらの動きを制限しようとしている。


「このままじゃ、身動きが取れないぞ!」


 ダリウスが叫んだ。


「分かっている!」


 シラスは左腕を押さえながら、周囲を確認した。


 煙はまだ完全には晴れていない。倒木が道を塞ぎ、左右は木々と岩場に囲まれている。正面には弓兵、背後には先ほどの襲撃者たち。


 まともに戦えば、こちらが不利だった。


 しかも、左腕の傷が思ったより深い。


 剣を握ることはできるが、強く振るたびに痛みが走る。


「シラス、腕を見せて!」


「後だ」


「でも、血が出てる!」


「今は敵を見ろ!」


 スズは悔しそうに唇を噛んだ。


 彼女の視線が、シラスの左腕と敵の間を何度も往復する。


 そのとき、ダリウスが声を上げた。


「右側に隙間がある!」


 倒木の端と岩場の間。


 人一人が通れる程度の狭い場所があった。


「ただし、弓兵の射線に入る」


「なら、射線を塞げばいい」


 シラスは足元に落ちていた木片を拾った。


「ダリウス、合図したら右へ走れ。俺が正面を引きつける」


「お前の腕でできるのか?」


「できるかどうかじゃない。やるしかない」


 ダリウスは一瞬だけシラスを見つめ、それから頷いた。


「分かった」


 シラスはスズへ視線を向ける。


「お前はダリウスの後を追え。絶対に離れるな」


「シラスは?」


「すぐに行く」


「本当に?」


「約束する」


 スズは彼の目を見つめた。


 その赤い瞳に、迷いはなかった。


「……分かった。待ってるから」


「いい返事だ」


 シラスは木片を敵の弓兵へ向けて投げつけた。


 木片は弓兵の目の前を横切る。


 ほんの一瞬、敵の視線が逸れた。


「今だ!」


 シラスが前へ飛び出す。


 槍を構えた男が迎え撃つが、シラスは正面から受け止めなかった。


 剣を斜めに滑らせ、槍の穂先を外側へ弾く。続けて相手の足元へ踏み込み、肩をぶつけるようにして体勢を崩した。


 その隙に、ダリウスが右側へ走る。


「行け!」


 ダリウスの後ろを、スズが追いかけた。


 弓兵が二人を狙おうとする。


 だが、その前にシラスが立ちはだかった。


「よそ見するなよ」


 弓兵の一人が矢を放つ。


 シラスは身体を捻って避けたが、左腕に痛みが走った。


「くっ……!」


 剣先がわずかにぶれる。


 その隙を見逃さず、槍使いが突進してきた。


 シラスは後ろへ跳んだ。


 しかし、足元に転がっていた石に靴が引っかかる。


 身体が傾いた。


「シラス!」


 スズが振り返る。


 彼女の足が止まりかけた。


「振り返るな!」


 シラスの声が森に響いた。


「先へ行け!」


 スズは歯を食いしばり、再び走り出した。


 彼を信じる。


 今はそれが、自分にできることだった。


     ◇


 倒木の脇を抜けたダリウスたちは、岩場の裏側へ回り込んだ。


 そこには、敵の弓兵が一人待ち構えていた。


「邪魔だ!」


 ダリウスが剣を抜く。


 弓兵は矢を放つより先に弓を捨て、腰の短剣を引き抜いた。


 予想よりも動きが速い。


 ダリウスは最初の一撃を受け流したが、相手はそのまま身体を低くして懐へ潜り込もうとする。


「甘い!」


 ダリウスは半歩下がり、剣の柄で敵の肩を打った。


 男がよろめいたところへ、足を払う。


 地面に倒れた敵の短剣を蹴り飛ばし、首元に剣先を向けた。


「動くな」


 男は答えなかった。


 ただ、ダリウスの背後を見ていた。


「……何だ?」


 ダリウスが振り返る。


 木々の向こうで、スズが立ち止まっていた。


「スズ!」


 彼女の前方に、別の男が姿を現していた。


 男は短い剣を持っている。


 その視線は、スズだけに向けられていた。


「見つけたぞ」


 男が一歩踏み出す。


 スズは後ろへ下がった。


「来ないで!」


「抵抗するな。お前を傷つけるつもりはない」


「そんな言葉、信じられるわけないでしょう!」


「命令だ。お前には手を出すなと言われている」


 その言葉に、スズの表情が強張った。


 やはり、相手の目的は自分なのだ。


 男がさらに近づく。


 スズは手を前に出した。


 青白い光が指先に集まる。


 だが、以前のように大きな力を引き出そうとはしなかった。


 地面に落ちた小石が、わずかに浮かび上がる。


 男の足元へ向かって、いくつもの石が飛んだ。


「っ!」


 男は顔を庇いながら後退する。


 スズはその隙に横へ移動した。


 追いかけようとした男の足元で、土が小さく弾ける。


 彼の身体が傾いた。


「今よ!」


 スズは走り出した。


 だが、すぐに別の男が木の陰から現れた。


 今度は二人。


「くっ……!」


 逃げ道を塞がれる。


 スズは周囲を見回した。


 ダリウスはまだ少し離れている。


 シラスも見えない。


 怖かった。


 それでも、彼女は両手を下ろさなかった。


「私は……連れていかれない」


 小さく呟く。


「シラスと一緒に行くって決めたんだから!」


 青い光が再び彼女の周囲に広がった。


 今度は、地面の落ち葉が舞い上がる程度の小さな風だった。


 しかし、二人の男は同時に目を細めた。


 スズはその一瞬を逃さなかった。


 近くにあった太い木の根元へ駆け寄り、身を隠す。


「スズ!」


 ダリウスが駆けつけた。


 男たちが振り返る。


「邪魔をするな!」


「それはこちらの台詞だ」


 ダリウスは剣を構え、スズの前に立った。


「怪我はないか?」


「う、うん。でも、シラスが……」


「今は自分の身を守れ。あいつなら簡単には倒れない」


「でも……!」


「信じて待つんだ」


 ダリウスの声は落ち着いていた。


 スズは何度も息を吸い、ゆっくりと頷いた。


     ◇


 一方、シラスは二人の敵を相手にしていた。


 槍使いと短剣使い。


 どちらも腕は悪くない。だが、互いの連携に頼りすぎている。


 シラスはそこに勝機を見出していた。


 槍使いが正面から突き、短剣使いが横から回り込む。


 その動きを何度も繰り返している。


 ならば、片方の動きを止めればいい。


 シラスは槍の攻撃を剣で受け流した。


 痛みが左腕を走る。


 それでも、槍の柄を剣で押さえ込んだ。


 短剣使いが横から迫る。


 シラスは身体を低くし、相手の攻撃を紙一重で避けた。


 そして、足元の土を蹴り上げる。


「なっ!」


 短剣使いの目に砂が入った。


 シラスはそのまま肩をぶつけ、男を地面へ押し倒した。


 続けて槍使いの膝を蹴る。


 男が体勢を崩したところで、剣の柄を顎に叩き込んだ。


 二人が地面に倒れる。


 だが、シラスにも余裕はなかった。


 呼吸が荒くなっている。


 左腕の傷から血が流れ続け、握力も少しずつ落ちていた。


「……これ以上は面倒だな」


 シラスは剣を握り直した。


 そのとき、森の奥から声が響いた。


「対象を確保できていない。予定を変更する」


 別の男が、仲間へ指示を出している。


「剣士を足止めしろ。少女を優先するな。退路を塞げ!」


 シラスの目が細くなった。


 やはり、奴らは自分を倒すことが目的ではない。


 スズを連れ去ることが目的なのか。


 いや、先ほどの命令には違和感があった。


 少女を傷つけるな。


 確保できていない。


 その言葉から考えれば、相手は彼女を生きたまま連れていこうとしている。


「……ふざけるな」


 シラスは地面を蹴った。


 敵の一人が立ちはだかる。


 シラスは正面から斬りかからず、剣の腹で相手の武器を弾き、身体をすり抜ける。


 追いすがろうとする敵の足元へ、靴先で石を蹴り飛ばした。


 わずかな隙。


 それだけで十分だった。


 シラスは木々の間を駆け抜ける。


 左腕が痛む。


 息が乱れる。


 それでも、足を止めなかった。


     ◇


「シラス!」


 森の中で、スズの声が聞こえた。


 彼女はダリウスの背後にいた。


 目立った怪我はない。


 それを確認した瞬間、シラスの肩からわずかに力が抜けた。


「無事か」


「シラスこそ! 腕が……!」


「後で手当てする」


 ダリウスが周囲を警戒しながら口を開いた。


「ここから先は、道が二手に分かれている。左は崖沿い、右は森の奥だ」


「敵は?」


「数人が後ろに残っている。全員を倒したわけじゃない」


「なら、長居はできないな」


 シラスは周囲を見渡した。


 森の奥には、古い石造りの柱が見える。


 その柱の根元に、金属製の板が埋め込まれていた。


 表面には、見覚えのある円と交差する二本の線。


 そして、その下には三本の刻みがある。


「またか……」


 シラスは近づき、刻まれた文字を確認した。


『北東中継所 第三誘導地点』


 その下に、小さな文字が続いている。


『対象反応、確認済み』


 スズが息を呑んだ。


「対象って……私のこと?」


「そう考えるのが自然だな」


 ダリウスは石柱の周囲を調べた。


「ここが、連中の用意した場所か」


「どうやらな。俺たちが通る道を決め、ここまで誘導していたらしい」


「でも、どうして私なの?」


「それはまだ分からない」


 シラスは金属板を外そうとしたが、石柱に深く固定されていた。


 そのとき、遠くから再び足音が聞こえてきた。


「話は後だ。移動するぞ」


 シラスは金属板の一部を剣の柄で叩き、薄い破片を一つだけ剥がした。


 それを懐にしまう。


「ダリウス、左の崖沿いを進めるか?」


「狭いが、通れないことはない。森の中より見通しが利く」


「よし。そこから離脱する」


「分かった」


 スズがシラスの左腕を見つめた。


「せめて、少しだけでも手当てを……」


「歩きながら頼む」


「そんなの無理よ!」


「なら、ダリウスに頼むか」


「……分かった。私がやる」


 彼女は小さな布を取り出した。


 シラスが差し出した腕に、慎重に布を巻いていく。


 傷口に触れるたび、彼の指がわずかに動いた。


「痛い?」


「少しな」


「少しじゃないでしょう」


「大げさだ」


「大げさじゃないわ!」


 スズは布を結び終えると、彼の顔を見上げた。


「もう、勝手に無茶しないで」


「努力する」


「努力じゃなくて、約束して!」


 シラスは一瞬だけ彼女を見た。


 それから、静かに頷いた。


「分かった。無茶はしない」


「……本当?」


「できる限りな」


「そこは絶対って言ってほしかったのに」


 スズは不満そうに頬を膨らませた。


 それでも、彼の腕をそっと離すと、すぐ隣に並んだ。


     ◇


 日が傾き始めた頃。


 三人は崖沿いの細い道を進んでいた。


 追っ手の気配は、まだ消えていない。


 それでも、ひとまず包囲からは抜け出せたようだった。


「今回の襲撃、妙だな」


 ダリウスが口を開く。


「妙なのは最初からだ」


「敵は俺たちを倒す機会が何度もあった。それなのに、攻撃を途中で切り上げていた」


「スズを捕まえるためだろう」


「それだけではない気がする」


 ダリウスは森の奥を振り返った。


「連中は、こちらの動きを観察していた。特に少女が魔法を使ったときの反応を見ていたように思える」


 スズが不安そうに俯いた。


「私の魔法を……?」


「そうだ。だが、今は推測にすぎない」


 シラスは懐にしまった金属片を指で確かめた。


『第三誘導地点』


 つまり、まだ第一や第二の地点がある可能性がある。


 そして、北東中継所へ続く道そのものが、何者かによって管理されているのかもしれない。


「中継所へ向かう理由が、ますます増えたな」


「危険だぞ」


「分かっている」


「それでも行くのか?」


「ここまで来て引き返す理由がない」


 シラスは前を向いた。


「それに、俺たちを誘導している連中が何を望んでいるのか、確かめる必要がある」


 スズは彼の隣で頷いた。


「私も行くわ」


「お前を連れていくのは危険だ」


「分かってる。でも、私のことが理由で起きているなら、私も知りたい」


「……そうか」


 シラスはそれ以上、反対しなかった。


 彼女には彼女の意思がある。


 それを尊重することも、共に旅をするうえで必要なことだった。


 しばらく歩いたところで、ダリウスが立ち止まった。


「待て」


 崖沿いの道の先に、何かが落ちている。


 近づいて確認すると、それは黒い革袋だった。


 中には、小さな金属製の札が一枚。


 表面には三本の刻みと、北東中継所の文字が刻まれていた。


 裏側には、短い文がある。


『次段階、開始準備』


 シラスは札を握りしめた。


「……まだ終わっていないらしい」


 森の向こうでは、夕暮れの影がゆっくりと伸びていた。


 彼らが抜け出したはずの道。


 そこには、まだ何人もの人影が残っていた。


 そして、その一人が静かに報告する。


「第三誘導地点での反応を確認。対象は魔法を制御したまま離脱しました」


「そうか」


 黒い外套の男は、報告を聞いても表情を変えなかった。


「剣士の負傷は?」


「左腕に傷を負っています。戦闘能力は低下したと思われます」


「追撃は?」


「実行しますか?」


 男はしばらく沈黙した。


「いや。ここで仕掛ける必要はない」


「ですが、対象を確保する機会を逃しました」


「構わない。次の地点へ進ませろ」


 男は手元の記録板に、新しい一文を書き加えた。


『対象、自発的に魔法を使用。制御状態を維持』


 その下に、別の指示が続く。


『第四誘導地点への移行を許可』


「次は、彼らが避けられない場所を用意しろ」


 男は記録板を閉じた。


「今度こそ、選択の余地をなくす」


 森の中に、夜の気配が満ち始めていた。

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