閉ざされた森の道
森沿いの道へ入ってから、どれほど歩いただろうか。
木々の間から差し込む午後の日差しは、少しずつ弱くなっていた。
シラスは前方を警戒しながら、一定の速度で歩き続けていた。背後にはダリウス、二人の間にはスズがいる。
誰も無駄な会話をしなくなっていた。
道端に残された金属片を見つけてから、周囲の空気が変わった気がする。
鳥の声が少ない。
風が吹いているにもかかわらず、枝葉の揺れる音が妙に遠く感じられた。
「……静かすぎない?」
スズが小声で尋ねた。
「俺もそう思っている」
「さっきから、誰かに見られている気がするわ」
「気のせいではないかもしれないな」
シラスは歩みを止めずに答えた。
ダリウスが後ろから口を開く。
「足跡が増えている。俺たちのものではない」
「何人だ?」
「少なくとも四人。だが、途中から痕跡が消えている」
「森の中に入ったか」
「あるいは、最初から足跡を残さないようにしている」
シラスは周囲の木々に目を向けた。
相手は自分たちを追っている。
それだけではない。こちらの進む速度や、警戒する場所まで把握している可能性があった。
「少し先に開けた場所がある。そこで一度、周囲を確認する」
「分かった」
スズが頷いた。
◇
道の先には、古い石造りの水路があった。
かつては近くの集落へ水を運んでいたのだろう。今では水路の大部分が崩れ、乾いた溝だけが森の中を横切っている。
シラスは水路の手前で立ち止まった。
「ここを渡る」
「何かあるのか?」
ダリウスが尋ねる。
「いや。だからこそ確認する」
シラスは足元の土を調べた。
水路の向こう側には、複数の足跡が残っていた。
靴底の形はばらばらだが、いずれも新しい。しかも、道の両側から集まるように続いている。
「……待ち伏せか」
ダリウスが呟いた。
「そう考えるのが自然だな」
「戻るべきか?」
「戻るにしても、後ろが安全とは限らない」
シラスは腰の剣に手を添えた。
「スズ、俺の近くにいろ。何があっても、勝手に前へ出るな」
「分かった」
「ダリウスは後方を警戒してくれ」
「任せろ」
三人が水路の手前で身構えた、そのときだった。
カンッ。
乾いた金属音が森に響いた。
「伏せろ!」
シラスが叫んだ瞬間、矢が頭上を通過した。
一本、二本、三本。
矢は水路の石に突き刺さり、続けて道の両側から複数の人影が現れた。
「来たか!」
シラスはスズの腕を引き、崩れた水路の陰へ飛び込んだ。
直後、矢が石壁に当たって砕け散る。
「シラス!」
「頭を下げていろ!」
ダリウスは反対側へ移動し、木の陰から姿を現した弓兵へ向かって走った。
敵は五人。
弓兵が二人、短剣を持った男が一人。そして、槍を構えた男が二人。
全員が顔を布で覆っている。
装備に統一感はない。だが、互いの動きには無駄がなかった。
「やはり、ただの山賊ではないな」
シラスは剣を抜いた。
槍を持った男が一人、正面から迫ってくる。
シラスは一歩だけ横へ移動し、突きを紙一重でかわした。槍の柄を剣の腹で弾き、相手の懐へ踏み込む。
だが、もう一人の槍使いが横から攻撃してきた。
「ちっ!」
シラスは無理に攻めず、後方へ跳んだ。
槍の穂先がコートの裾を裂く。
二人を同時に相手にするのは危険だった。
しかも、弓兵はまだこちらを狙っている。
「スズ、石壁から離れるな!」
「でも、シラスが!」
「今は動くな!」
彼女が返事をする前に、短剣を持った男が水路の反対側から回り込んできた。
狙いはシラスではない。
スズだった。
「見つけたぞ!」
「っ!」
男が腕を伸ばす。
スズは反射的に後ろへ下がったが、背中が石壁にぶつかった。
逃げ場がない。
男の手が彼女の肩に届こうとした瞬間、青白い光が足元で弾けた。
地面の土が舞い上がり、男の視界を覆う。
「ぐっ、何だ!」
スズは魔法で相手を吹き飛ばすことはしなかった。
ただ、目の前の地面を一瞬だけ崩し、男の足元を不安定にしたのだ。
男が体勢を崩した隙に、スズは横へ逃げた。
「シラス!」
「よくやった! そのまま離れろ!」
シラスは槍の攻撃を受け流し、短剣の男へ向かおうとした。
しかし、敵の一人が地面に何かを投げつけた。
パァンッ!
乾いた破裂音とともに、白い煙が広がった。
「煙幕か!」
視界が遮られる。
シラスは反射的に後ろへ下がった。
その直後、煙の中から槍が突き出された。
「っ!」
刃が左腕をかすめる。
熱い痛みが走り、黒い袖に赤い染みが広がった。
シラスは歯を食いしばり、槍の柄を掴んだ。相手が引き戻そうとする力を利用して、身体を引き寄せる。
剣の柄で男の顎を打ち上げた。
男がよろめいたところへ、シラスは足払いをかける。
敵の身体が地面に倒れた。
「シラス!」
煙の向こうから、スズの声が聞こえた。
「無事だ!」
答えた直後、別の方向から金属音が響いた。
ダリウスだ。
彼は弓兵の一人を追い詰めていたが、もう一人が木の陰から矢を放とうとしている。
「後ろだ!」
シラスの声に、ダリウスは身をひねった。
矢が肩の横を通り抜ける。
そのまま踏み込み、弓兵の手首を剣の柄で打った。弓が地面に落ちる。
「一人確保した!」
ダリウスが叫んだ。
だが、残った敵は煙の中で距離を取っていた。
シラスは左腕を押さえながら、周囲の気配を探る。
敵の数が減ったはずなのに、攻撃が止まらない。
むしろ、こちらを囲むように位置を変えている。
「……おかしいな」
「何がだ?」
ダリウスが合流する。
「俺たちを倒すつもりなら、もっと強引に攻めてくるはずだ」
「確かに」
「だが、奴らは俺たちを分断しようとしている」
そのとき、森の奥から別の音が聞こえた。
ゴゴゴ……。
地面がわずかに揺れる。
「まさか!」
シラスが振り返った。
水路の向こう側で、倒木が斜面から転がり落ちてくる。
一本ではない。
複数の木材が、あらかじめ固定されていたかのように連続して道を塞いだ。
逃げ道が消えていく。
「道を塞ぐのが目的か!」
ダリウスが声を上げた。
「違う。最初から俺たちをここへ誘導したんだ!」
シラスは煙の向こうを睨んだ。
敵の狙いは、単なる襲撃ではない。
この場所で彼らを足止めし、何かを確かめること。
そして、まだ本命の攻撃が残っている。
「スズ! 俺の後ろへ!」
シラスが叫ぶ。
スズはすぐに彼の背後へ移動した。
その瞬間、森の奥から低い声が響いた。
「対象の位置を確認。予定どおり、進路を封鎖しろ」
煙の向こうに、さらに複数の影が現れた。
先ほどまでの五人とは違う。
数は少なくとも六人。
そのうちの一人が、長い弓を構えている。
「まだいるのかよ……!」
シラスは剣を握り直した。
左腕から血が流れ落ちる。
スズが彼の袖を見て、息を呑んだ。
「シラス、腕が……!」
「かすっただけだ。気にするな」
「でも!」
「今は前を見ろ」
彼女は唇を噛み、震える手を握りしめた。
怖い。
それでも、逃げたくない。
自分だけが守られるのではなく、今度こそ隣に立ちたい。
そう思った。
だが、彼女が魔法を使おうとしたとき、シラスがわずかに振り返った。
「無理をするな。お前の力は、必要なときに使えばいい」
「……分かってる」
スズは頷いた。
その目から、迷いが少しだけ消えた。
ダリウスが剣を構える。
「どうする、シラス?」
「まずはここを抜ける。全員を相手にする必要はない」
「同感だ」
「俺が正面を引きつける。ダリウスは右側から突破口を作れ。スズは合図があるまで動くな」
「分かった」
三人は互いの位置を確かめた。
煙が少しずつ晴れていく。
その向こうで、敵の一人が手を上げた。
「始めろ」
次の瞬間、弓が一斉に引き絞られた。
そして、森に再び矢の雨が降り注いだ。




