選ばされた道と、隣にいたい理由
翌朝、シラスたちは輸送村を出発した。
北東中継所までは、順調に進めば二日ほど。だが、街道で起きた襲撃と、荷車を調べていた連中の存在を考えれば、予定どおりに到着できる保証はなかった。
「それで、今日はどの道を進むんだ?」
シラスが地図を広げると、ダリウスが横から覗き込んだ。
「街道を北東に進めば、夕方までには分岐点に着く。そこから先は二つの道がある」
「一つは?」
「古い石橋を渡る街道。もう一つは、森沿いの迂回路だ」
シラスは地図上の二本の線を交互に見た。
石橋の道は距離が短い。対して迂回路は、森を大きく回り込むため半日近く余計にかかる。
「普通なら石橋だな」
「だが、普通に考えさせるために用意された選択肢かもしれない」
ダリウスの指が、地図の分岐点を軽く叩いた。
シラスも同じことを考えていた。
これまでの襲撃は、荷物を奪うことが目的ではなかった。連中は街道を調べ、荷車の進行方向を確認し、彼らが魔法を使うかどうかまで観察していた。
つまり、相手は自分たちの行動を見ている。
そして、行動を見ているのなら――次に進む道も、ある程度は予測しているはずだ。
「どっちを選んでも、待ち伏せされる可能性があるってこと?」
スズが二人の顔を見比べた。
「そういうことだ」
「じゃあ、道を選ぶ意味がないじゃない」
「いや。相手がどちらを選ばせたいのかを考える意味はある」
シラスは地図を畳んだ。
「問題は、俺たちがその意図を読み違えた場合だな」
「……なんだか、嫌な旅になってきたわね」
「最初から楽しい旅だった覚えはないが」
「私は、もう少し楽しい旅を想像してたの!」
スズが頬を膨らませる。
「例えば?」
「美味しいものを食べたり、綺麗な景色を見たり……あと、シラスがもう少し私を褒めたり!」
「最後だけ急に難易度が上がったな」
「どうしてよ!」
ダリウスが小さく息を吐いた。
「朝から元気だな、お前たちは」
「元気じゃないわよ!」
「俺は元気だが」
「シラスは黙ってて!」
シラスは肩をすくめた。
いつものやり取りだった。
だが、こうしてスズが不満を口にできることに、彼は少しだけ安堵していた。
昨日の襲撃で魔法を使った彼女は、以前よりも慎重になっている。力を抑えることを覚え始めた一方で、自分の判断が正しかったのか、何度も気にしているようだった。
だからこそ、彼女が普段どおりに怒り、笑い、文句を言える時間は大切だった。
もっとも、それを本人に伝えたところで、素直に受け取るとは思えないが。
◇
昼前、三人は街道脇の小さな休憩所に立ち寄った。
屋根のある木造の建物と、馬に水を与えるための桶が一つ。旅人向けの簡素な場所で、店らしい店はなかった。
シラスが水筒を満たしていると、スズが隣から声をかけてきた。
「ねえ、シラス」
「なんだ?」
「さっきの話だけど……私が魔法を使ったこと、後悔してる?」
彼の手が止まった。
スズは水桶を見つめたまま、こちらを見ようとしなかった。
「昨日の襲撃のことか」
「うん。勝手に魔法を使ったでしょう。もし、あのせいで相手に何か気づかれていたら……」
「実際、気づかれている可能性は高い」
「……そうよね」
「だが、それと後悔するかどうかは別の話だ」
シラスは水筒の蓋を閉めた。
「お前が何もしなければ、あの男に捕まっていた可能性がある。俺が助けに入るまで、必ず無事でいられた保証もない」
「でも……」
「魔法を使った判断は間違っていなかった。少なくとも、昨日の状況ではな」
スズがゆっくりと顔を上げる。
「本当に?」
「ああ。ただし、使えば何が起きるか分からない力だ。無理に使い続ける必要はない。危ないと思ったら、まず距離を取れ。俺たちで対処できるなら、それでいい」
「……私も、シラスを助けたいのに」
「分かっている」
「シラスばっかり危ない目に遭うのは嫌なの」
その声は、いつもより小さかった。
シラスは一瞬だけ言葉を探した。
守られるだけの立場でいたくない。彼女はそう考えているのだろう。
だが、無理をしてほしいわけではなかった。
「なら、少しずつ覚えていけばいい。焦る必要はない」
「少しずつ……」
「ああ。俺も、お前の力については分からないことだらけだ。最初から上手くいくとは思っていない」
スズはしばらく彼を見つめたあと、こくりと頷いた。
「分かった。ちゃんと練習する」
「まずは、危険のない場所でな」
「うん!」
返事だけは、ずいぶんと元気だった。
そこへ、少し離れた場所で周囲を警戒していたダリウスが戻ってきた。
「話の途中ですまない。街道に妙なものがあった」
「妙なもの?」
「ああ。こっちだ」
◇
休憩所から少し戻った場所に、街道を横切る細い溝が掘られていた。
深さは靴底が隠れる程度。馬車の車輪が引っかかるほどではないが、雨が降れば泥が溜まりそうだった。
その脇には、折れた枝が三本、一定の間隔で置かれている。
「自然にできた溝じゃないな」
シラスがしゃがみ込んだ。
「枝の向きも揃っている。誰かが置いたものだ」
「目印かしら?」
スズが尋ねる。
「その可能性はある。だが、何の目印かは分からない」
ダリウスは溝の先を見た。
街道の向こうには、低い丘が連なっている。その先で道は緩やかに曲がり、さらに北東へ続いていた。
「車輪を誘導するための印かもしれないな」
「誘導?」
「荷車が通る位置を決めている。あるいは、どこを通ったか確認するための印か」
シラスは枝を一本持ち上げた。
切り口は新しい。だが、枝の先には土が擦りつけられている。遠くから見れば、ただの折れ枝にしか見えないだろう。
「……昨日の記録と繋がっているのか?」
「まだ断定できない。だが、同じ連中が街道を調べているなら、無関係とは考えにくい」
シラスは枝を元の位置に戻した。
「ここを通る旅人の動きを記録しているのか。それとも、特定の荷車だけを調べているのか」
「私たちも見られてるのかな」
「その可能性はある」
スズの表情が曇る。
シラスは彼女の頭に手を伸ばしかけ、途中で止めた。
以前なら、何も考えずに頭を撫でていたかもしれない。だが、最近の彼女は、そうした些細な行動にも妙に敏感だった。
案の定、スズがこちらを見た。
「……何?」
「いや、何でもない」
「今、何かしようとしたでしょう?」
「気のせいだ」
「気のせいじゃないわ!」
彼女は一歩近づき、じっとシラスの顔を覗き込んだ。
「何をしようとしたの?」
「……頭を撫でようとしただけだ」
「えっ」
スズの頬が、みるみる赤くなる。
「な、何よ、急に!」
「お前が不安そうだったからな」
「だからって、いつでも撫でていいわけじゃないでしょう!」
「嫌だったか?」
「そ、それは……!」
スズは口を開きかけて、閉じた。
そして、目を逸らしながら小さく呟いた。
「……嫌とは、言ってないけど」
「そうか」
シラスは今度こそ、軽く彼女の頭を撫でた。
スズの白い髪が、指先の下でふわりと揺れる。
「……ばか」
小さな声だった。
しかし、その表情は先ほどよりもずっと明るかった。
「おい」
ダリウスの冷静な声が割り込んだ。
「敵の目印を調べている最中だということを、二人とも忘れていないか?」
「忘れてないわよ!」
「俺も忘れていない」
「なら、そろそろ行くぞ」
ダリウスは先に歩き出した。
スズはシラスの背中を軽く叩いた。
「……あとで、もう一回」
「何がだ?」
「何でもない!」
彼女は早足でダリウスの後を追った。
シラスは少しだけ首を傾げたあと、何も聞かなかったことにした。
今の言葉の意味を問い詰めるのは、どうやら得策ではなさそうだった。
◇
午後、三人は問題の分岐点に到着した。
石橋へ向かう道は、低い丘の間を抜けている。道幅は狭く、左右には背の低い岩場が続いていた。
一方、森沿いの迂回路は見通しが悪いものの、道幅は比較的広い。
どちらも不自然なほど静かだった。
「さて」
シラスは周囲を見回した。
「どちらへ行く?」
「石橋の道は、待ち伏せするには都合がいい。岩場から矢を射かけられれば厄介だ」
ダリウスは岩場を見上げた。
「森の道も安全とは言えない。隠れる場所が多すぎる」
「つまり、どっちも嫌ってことね」
「簡潔に言えばそうだ」
スズは二つの道を見比べ、やがて森の道を指さした。
「私は、こっちがいいと思う」
「理由は?」
「石橋の道は、誰かが私たちに選ばせたがっている気がするから」
シラスの目が細くなった。
「どうしてそう思う?」
「昨日の人たち、荷物を奪わなかったでしょう? それに、私たちが魔法を使ったかどうかまで気にしていた。だったら、道を塞いでいるのも、ただ襲うためじゃないんじゃないかな」
スズは少し考えながら続けた。
「石橋の道に進んでほしいのか、森の道に進んでほしいのかは分からない。でも、相手が私たちの行動を見ているなら、わざと分かりやすい道を用意している可能性もあると思う」
シラスは黙って彼女を見つめた。
ダリウスも、わずかに眉を上げた。
「……悪くない考えだ」
「ほ、本当?」
「少なくとも、何も考えずに選ぶよりはいい」
シラスは地図を取り出し、周囲の地形を確認した。
「森の道を進もう。ただし、道の真ん中は歩かない。周囲に不自然な痕跡があれば、すぐに引き返す」
「分かった」
「俺が先頭、スズは中央。ダリウスは後方を頼む」
「了解した」
三人は森沿いの道へ足を踏み入れた。
その選択が正しかったのかどうかは、まだ分からない。
だが、しばらく進んだところで、シラスは一つの違和感に気づいた。
道端の草が、不自然な幅で踏み倒されている。
それも、一か所ではない。
数十歩先、さらにその先にも、同じ痕跡が続いていた。
まるで、誰かが彼らに道を示しているかのように。
「……止まれ」
シラスが低く告げる。
スズとダリウスが、すぐに足を止めた。
「どうした?」
「見ろ。草の倒れ方が同じだ」
シラスは腰を落とし、地面を確認した。
草の根元には、細い金属片が埋め込まれていた。表面には、見覚えのある三本の刻みがある。
そして、その脇には小さな文字が刻まれていた。
『経路確認、継続』
スズの顔から笑みが消えた。
「……私たちを、ここへ誘導しているの?」
「おそらくな」
シラスは金属片を抜き取り、掌の上で転がした。
森の奥から、鳥の羽ばたく音がした。
それ以外には、何も聞こえない。
静かすぎる。
「戻る?」
スズが尋ねた。
「いや。今さら引き返しても、相手の思いどおりに動いている可能性は変わらない」
シラスは金属片を懐にしまった。
「ここから先は、いつでも戦えるようにしておけ」
「……うん」
スズは小さく頷き、銀の飾りに触れた。
その手は、わずかに震えていた。
シラスは気づいていたが、無理に励ますことはしなかった。
恐怖を感じないことが強さなのではない。
恐怖を感じながら、それでも自分の足で進めることが大切なのだ。
彼女は今、それを学んでいる途中だった。
◇
同じ頃。
北東中継所へ続く街道を見下ろす、岩場の陰。
黒い外套をまとった男が、部下から報告を受けていた。
「三人は森沿いの道へ入りました。予定していた石橋の道は避けたようです」
「そうか」
男は驚かなかった。
「少女の判断か?」
「おそらく。剣士と追跡者も、彼女の意見を受け入れたようです」
「……なるほど」
男は、手元の薄い記録板に目を落とした。
そこには、いくつかの経路と時刻が記されている。だが、普通の輸送記録とは違い、荷物の種類も数量も書かれていなかった。
代わりに、同じ記号が何度も繰り返されている。
円と、交差する二本の線。
その下には、短い一文があった。
『対象の自発的な経路選択を記録せよ』
「このまま進ませますか?」
部下が尋ねる。
「まだだ。次の地点で進路を限定しろ。ただし、少女には手を出すな」
「承知しました」
「それから、剣士のほうは?」
「警戒を強めています。こちらの仕掛けにも、いくつか気づいているようです」
男は記録板を閉じた。
「ならば、彼がどう動くかも記録しておけ」
「剣士の行動まで、ですか?」
「そうだ。少女だけを見ていても、意味はない」
男は森の向こうへ視線を向けた。
その先には、北東中継所へ続く道がある。
「次の段階へ進める。今度は、彼ら自身に選ばせろ」
男の背後で、部下が静かに頭を下げた。
風が吹き、記録板に描かれた円と二本の線を、木漏れ日が一瞬だけ照らした。
その記号が何を意味するのか。
なぜ少女の行動が記録されているのか。
そして、彼らが選ぶ道の先に何が待っているのか。
まだ、誰にも分からなかった。




