試される旅人たち
荷車が次の集落へたどり着いた頃には、空はすっかり夕暮れの色に染まっていた。
街道沿いにあるその集落は、昨日の場所よりも少し大きかった。石造りの倉庫が何棟も並び、荷馬車が出入りする広場には、商人や護衛らしき人々の姿が見える。
北東へ向かう輸送路の中継地点として、今も使われているらしい。
シラスは荷車から降りると、まず周囲を見回した。
荷物を積み替える商人。
馬の世話をする厩務員。
倉庫の前で帳簿を確認する係員。
特に不自然な様子はない。
だが、先ほどの襲撃を考えれば、油断する気にはなれなかった。
「ここで一泊するのか?」
ダリウスが尋ねた。
「ああ。馬も休ませたいし、情報も集めたい」
「宿を探す前に、倉庫の管理人に話を聞くべきだろう」
「そのつもりだ」
鈴は二人の会話を聞きながら、荷車から降りた。
「私も一緒に行くわ」
「倉庫は人が多い。まずは周囲を確認する」
「それなら、私だって周囲を確認できるわよ」
「お前が気になるものを見つけて、勝手に近づかなければな」
「もう! 私はそんなに無鉄砲じゃないわ!」
シラスは何も言わずに彼女を見た。
鈴は数秒だけ睨み返した後、視線を逸らした。
「……最近のことは、ちょっとだけ反省してるわ」
「それなら十分だ」
「でも、今日はちゃんと役に立つんだから」
彼女はそう言って、荷車から自分の荷物を取り出した。
シラスは、その様子を見て小さく頷いた。
昨日の戦闘以来、鈴は自分にできることを探そうとしている。
その意欲を否定するつもりはない。
ただし、危険な状況で無理をさせるつもりもなかった。
◇
集落の中心にある倉庫管理所は、広場に面した二階建ての建物だった。
入口の横には、輸送記録を扱う窓口が設けられている。
シラスが窓口へ近づくと、眼鏡をかけた若い女性が顔を上げた。
「ご用件は?」
「北東中継所へ向かう途中で、街道の襲撃について聞きたい」
女性の表情がわずかに変わった。
「……襲撃?」
「昨日、橋の近くで荷馬車が襲われていた。今朝も俺たちが襲われた」
女性は周囲を一度見回し、それから声を落とした。
「こちらへ」
彼女は三人を窓口の奥にある小部屋へ案内した。
「私は、この管理所で輸送記録を担当しているミレーヌです。襲撃について、もう少し詳しく教えていただけますか?」
シラスは、昨日見つけた金属片の紋章と、今朝の襲撃者が残した言葉を説明した。
ただし、鈴の魔力や古い施設の話は伏せておいた。
ミレーヌは真剣な表情で話を聞き、机の引き出しから一冊の帳簿を取り出した。
「実は、ここ数日、似たような報告が届いているんです」
「似たような報告?」
「荷物が奪われたわけではないのに、輸送中の馬車が止められる。御者や護衛が襲われる。けれど、積み荷にはほとんど手をつけない」
ダリウスが腕を組んだ。
「何度あった?」
「確認できているだけで三件です。場所も時間も異なりますが、いずれも北東へ向かう輸送路でした」
「被害者は何か共通点を話していなかったか?」
ミレーヌは帳簿をめくった。
「襲撃者たちは、荷物を奪う代わりに、馬車の行き先や輸送記録について尋ねていたそうです」
シラスの目が細くなった。
「記録を?」
「はい。どの倉庫から出発したのか、次にどこへ向かう予定だったのか。そうした情報を確認してから立ち去った、と」
「……やはり、道を調べているのか」
ダリウスが呟いた。
ミレーヌは頷いた。
「私たちも、そう考えています。ですが、誰が何のために調べているのかはわかりません」
シラスは、今朝拾った金属片を思い出した。
北東中継所――経路確認。
襲撃者たちは、ただ旅人を襲っているのではない。
輸送路そのものを調べている。
そして、その道の先には、彼らが探している古い施設に関係する場所がある。
「ひとつ聞きたい」
シラスは机の帳簿を指した。
「最近、北東中継所へ向かう荷物の中に、送り主や受取人が記されていないものはあったか?」
ミレーヌは困ったように眉を寄せた。
「正式な記録では、そうした荷物は受け付けられません。ただ……」
「ただ?」
「数日前、別の管理所から、古い輸送記録の照合依頼が届きました。通常の貨物番号とは違う番号が記されていたので、確認を保留しています」
彼女は机の下から一枚の紙を取り出した。
紙には、古い貨物番号と、輸送先の略号が書かれていた。
その横には、小さな紋章がある。
円と交差する二本の線。
そして、三つの刻み目。
「……これだ」
シラスは紙を見つめた。
ミレーヌは彼の反応を見て、慎重に尋ねた。
「この印をご存じなのですか?」
「見たことがあるだけだ。意味までは知らない」
「そうですか……」
彼女は少し迷った後、紙をシラスへ差し出した。
「この記録は、正式な帳簿には登録されていません。照合を依頼してきた管理所も、すでに閉鎖されていました」
「閉鎖?」
「建物は残っていますが、職員は全員いなくなったそうです。理由はわかりません」
シラスは紙を受け取り、丁寧に折り畳んだ。
「助かった。これで調べるべき場所が増えた」
「お役に立てたならよかったです。ただ、気をつけてください。襲撃者たちが記録を調べているのなら、あなた方が何を知っているのかも、いずれ知られるかもしれません」
「そのつもりで動く」
シラスは短く答えた。
◇
管理所を出た後、三人は広場の端にある食堂へ向かった。
鈴は道中、ずっと考え込んでいた。
「襲撃者たちは、輸送路を調べているのよね」
「ああ」
「それなら、私たちを襲ったのも、北東中継所へ向かっているから?」
「その可能性が高い」
シラスは答えた。
「ただ、今朝の男はお前に手を伸ばしていた。輸送路だけが目的なら、あそこまで直接的な行動を取る必要はない」
「……私も、何か関係しているのかな」
「まだわからない。だが、金属片が反応することを知っている連中がいるのは確かだ」
鈴は胸元の銀飾りに触れた。
自分が何者なのか、まだ何も思い出せない。
けれど、彼女の存在が誰かの目的に関わっていることだけは、少しずつ明らかになってきていた。
「シラス」
「何だ?」
「私、もう少し自分のことを知りたい」
「……ああ」
「怖いけど、何も知らないまま逃げ続けるのも嫌なの」
シラスは歩きながら彼女を見た。
「なら、調べよう。ただし、何かを思い出したからといって、無理に全部を理解しようとするな」
「うん」
「お前が覚えていることも、覚えていないことも、少しずつ整理すればいい」
鈴は小さく笑った。
「シラスって、こういうときはちゃんと優しいのね」
「普段は優しくないみたいな言い方だな」
「普段は……ちょっと意地悪」
「そうか」
「でも、嫌いじゃないわよ」
言った直後、鈴は自分の言葉に気づいた。
頬が一気に赤くなる。
「い、今のは、そういう意味じゃなくて!」
「どういう意味だ?」
「だから……その……!」
シラスは彼女の顔を見つめた。
そして、いつもの調子で言った。
「わかった。嫌いではないんだな」
「シラス!」
鈴は彼の腕を軽く叩いた。
ダリウスは二人の少し後ろを歩きながら、深いため息をついた。
「……本当に、よくやる」
「何が?」
シラスが振り返る。
「いや。何でもない」
ダリウスは前を向いた。
鈴はまだ赤い顔をしていたが、口元には小さな笑みが残っていた。
◇
食堂は、昼食を取る商人たちで賑わっていた。
三人が席を探していると、奥のテーブルに座っていた女性が手を振った。
「あれ? シラスさんたちじゃありませんか?」
そこにいたのは、昨日の荷馬車に乗っていたリネットだった。
彼女は父親らしい男性と一緒に食事をしていた。テーブルにはパンと煮込み料理が並び、隣には運び終えた荷物の伝票が置かれている。
「また会ったな」
シラスが声をかけると、リネットは嬉しそうに笑った。
「この集落に泊まると聞いていたので、もしかしたらと思っていたんです」
「昨日は助かった。休憩所を教えてくれてありがとう」
「そんな、たいしたことじゃありませんよ」
リネットは鈴へ視線を向けた。
「鈴さんも、こちらへどうぞ。よかったら一緒に食べませんか?」
「えっ、いいの?」
「もちろんです」
鈴は少しだけシラスを見た。
彼が頷いたので、三人はリネットたちのテーブルに加わった。
食事をしながら、リネットは北東の道について話してくれた。
「この先は、昔から輸送関係の仕事をしている人が多いんです。でも、最近は道が荒れていて、仕事を断る人も増えました」
「襲撃が原因か?」
ダリウスが尋ねる。
「それもあります。ですが、襲われた人の中には、荷物を取られなかった人もいるんです。何をされたのか、よくわからないまま逃げ帰った人もいて……」
「輸送路の調査をしている連中がいるらしい」
シラスが言うと、リネットの父親が顔を上げた。
「やはり、そうなのか」
「何か知っているのか?」
「先週、うちの荷馬車も北東へ向かう途中で止められた。男が二人、道の真ん中に立っていてな。荷物を見せろと言うから断ったら、行き先だけ聞いて去っていった」
「どんな男だった?」
「顔は布で隠していた。だが、一人は右腕に傷があったと思う」
シラスとダリウスは視線を交わした。
今朝の襲撃者の一人も、右腕を負傷していた。
「そいつらが、何か言っていなかったか?」
シラスが尋ねる。
「『道が正しいか確認する』とか、そんなことを言っていたな。意味はわからなかったが」
「……やはり、経路確認か」
ダリウスが低く呟いた。
リネットは不安そうに父親を見た。
「お父さん、そんなことがあったの?」
「お前には心配させたくなかったんだ」
「もう……」
リネットは少し怒ったように頬を膨らませた。
その様子を見ていた鈴が、ふとシラスへ目を向けた。
彼はリネットの父親に、襲撃者の人数や道の状態について尋ねている。
話は真剣で、特に親しげな様子があるわけではない。
それでも、鈴はなんとなく落ち着かなかった。
リネットがシラスへ笑いかける。
「シラスさんは、やっぱり頼りになりますね。話を聞くだけで、いろいろわかるんですから」
「いや、まだ何もわかっていない」
「それでも、私たちだけでは気づけなかったことです」
リネットはにこりと笑った。
「また何かあったら、相談してもいいですか?」
「ああ。できる範囲なら」
「ありがとうございます!」
鈴は手元のパンを見つめた。
そして、小さく呟いた。
「……できる範囲なら、ね」
「鈴?」
シラスが気づく。
「何でもないわ!」
鈴は顔を上げ、にっこりと笑った。
ただし、その笑顔は少しだけ不自然だった。
食事が終わり、店を出ると、シラスは鈴の様子を窺った。
「さっきから、妙に静かだな」
「そう?」
「何か気になることでもあるのか?」
「別に」
「そうか」
シラスは歩き続けた。
鈴は数歩遅れてから、彼の隣に並んだ。
「……シラス」
「何だ?」
「リネットさんに、ずいぶん親切にしていたわね」
「情報を教えてくれたんだから、礼を言うのは普通だろ」
「そうだけど……」
鈴は言葉を濁した。
シラスは少し考えた後、彼女の顔を覗き込んだ。
「もしかして、また妬いているのか?」
「ち、違うって言ってるでしょう!」
「昨日も同じことを言っていたな」
「忘れてって言ったのに!」
「無理だと言ったはずだ」
「もうっ!」
鈴は彼の袖を掴み、ぐいっと引っ張った。
「だったら、私にも親切にしてよ!」
言い終えてから、鈴は固まった。
シラスも、珍しく一瞬だけ言葉を失った。
ダリウスが後ろで咳払いをした。
「……俺は先に宿へ戻る」
「待って、ダリウス! 今のは違うの!」
鈴が慌てて叫ぶ。
「何が違うのかは知らんが、説明を聞くつもりもない」
ダリウスは手を振り、そのまま歩いていった。
鈴は真っ赤な顔で立ち尽くした。
シラスは彼女を見つめていたが、やがて静かに言った。
「……わかった。もう少し気をつける」
「え?」
「お前が不安にならないように、できることは考えてみる」
鈴は目を見開いた。
からかわれると思っていた。
笑われると思っていた。
なのに、シラスは真面目に答えていた。
「……本当に?」
「ああ。ただし、何をすればいいのかは教えてくれ」
鈴の頬が、さらに赤くなった。
「そ、そういうのは、自分で考えてよ!」
「難しい注文だな」
「シラス!」
彼は小さく笑い、再び歩き始めた。
鈴は慌てて追いかける。
その表情には、先ほどまでの不安に代わって、隠しきれない喜びが浮かんでいた。
◇
夜。
宿の一室で、シラスとダリウスは昼間に得た情報を整理していた。
テーブルの上には、古い輸送記録の写しと、襲撃者から回収した金属片が並んでいる。
「これで三件だな」
ダリウスが言った。
「ああ。荷物を奪わず、輸送経路を確認する。襲撃の方法も似ている」
「偶然ではない」
「だが、まだ目的がわからない。北東中継所へ向かう荷物を調べているのか、それとも、そこへ向かう人間を調べているのか」
ダリウスは金属片を手に取った。
「この紋章が鍵なのは間違いないだろう。だが、刻み目の数が何を意味するのかは不明だ」
「昨日の管理所の記録にも、同じ三つの刻み目があった。輸送経路を確認するための識別記号なのかもしれない」
「それなら、刻み目が一つや二つのものも存在するはずだ」
「今まで見つけたものには、あったな」
シラスは、これまでの出来事を思い返した。
一つの刻み目がある箱。
二つの刻み目がある金属片。
三つの刻み目がある記録板。
それらが同じ仕組みの中で使われているのか、それとも別々の用途を持っているのか。
まだ判断できない。
「明日は北東へ進む。途中で、もう一度襲われる可能性もある」
「なら、こちらも準備しておく」
ダリウスは金属片を布で包み直した。
「ひとつ、気になることがある」
「何だ?」
「今朝の襲撃者たちは、俺たちを倒しきる前に撤退した。昼間に聞いた報告でも、襲撃者は必要以上に戦っていない」
「目的が殺害ではない、ということか」
「あるいは、戦うことそのものが目的ではない」
シラスは窓の外を見た。
暗い街道の先に、北東中継所がある。
その道を、誰かが調べている。
彼らが向かうことも、すでに知られているかもしれない。
「……明日は、今まで以上に警戒する必要があるな」
シラスは呟いた。
◇
同じ頃、集落から離れた森の中。
黒い外套を着た男が、焚き火のそばに立っていた。
彼の前には、今朝の襲撃から逃げ延びた男が片膝をついている。
「報告しろ」
黒衣の男が言った。
「対象の少女は、確かに魔力を使用しました。出力は小さいものの、以前の反応とは異なり、本人の意思で制御しているように見えました」
「制御……か」
黒衣の男は、手の中の金属片を見つめた。
三つの刻み目。
その表面には、かすかな傷が増えていた。
「予定より早いな」
「次はどうしますか?」
黒衣の男は、しばらく沈黙した。
「北東中継所への道を封鎖しろ。ただし、少女を傷つけるな」
「ですが、同行者の剣士はかなりの腕前です。もう一人の男も手強い」
「だからこそ、正面から戦うな。道を選ばせろ」
男は顔を上げた。
焚き火の向こうに、森の奥へ続く細い道が見える。
「彼らが中継所へたどり着く前に、こちらの準備を整える必要がある」
「承知しました」
襲撃者は立ち上がり、闇の中へ消えた。
黒衣の男は一人残り、金属片を布で包んだ。
「……まだ、間に合うはずだ」
その呟きは、夜の森に吸い込まれていった。




