↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/69

笑えない決闘

翌朝、鈴が目を覚ましたとき、シラスはすでに身支度を終えていた。


 窓から差し込む朝日が、部屋の床を明るく照らしている。机の上には昨夜のうちに整理した道具が並び、道具袋もいつでも持ち出せるようにまとめられていた。


「……おはよう、シラス」


「起きたか。具合はどうだ?」


「うん。昨日よりずっといいよ。頭も痛くないし、ちゃんと眠れた」


 鈴はベッドから起き上がり、両腕を伸ばした。


 昨日、金属板に触れたときに見た光景は、まだ頭の片隅に残っている。


 石造りの部屋。


 壁に刻まれた印。


 そして、聞き取れなかった名前と、あの声。


 思い出そうとすると、胸の奥が落ち着かなくなる。


 けれど、今は無理に考えないことにした。


「今日は何をするの?」


「まずは薬を買う。それから、昨日の武器屋で見た印について、もう少し調べたい」


「分かった。私も一緒に行くね」


「ああ。ただし、昨日のように気分が悪くなったら、すぐに言え」


「大丈夫だよ。もう平気だから」


「その言葉を信じるかどうかは、実際に歩いてみてからだな」


「もう! シラスって、どうしてそういう言い方をするの?」


「経験上、お前の『大丈夫』は信用しすぎないほうがいいと分かった」


「ひどい!」


 鈴は頬を膨らませた。


 その様子を見て、シラスは小さく笑った。


 彼女がいつもの調子を取り戻していることに、少しだけ安心していた。


     ◇


 朝食を終えた二人が宿屋を出ると、通りにはすでに多くの人が行き交っていた。


 荷車を引く商人、武器を携えた傭兵、依頼書を手にした冒険者。グラヴェスでは、朝から人々が忙しそうに動き回っている。


 シラスはまず薬を扱う店へ向かい、手首に使う軟膏を購入した。


 鈴は店主に使い方を尋ね、薬の包みを大切そうに鞄へしまった。


「これで安心だね」


「大した怪我じゃないんだが」


「大した怪我じゃなくても、手当ては必要なの!」


「分かった。使わせてもらう」


「よろしい」


 鈴は満足そうに頷いた。


 その後、二人は昨日の武器屋へ向かうつもりだった。


 しかし、大通りを歩いていたシラスの耳に、聞き覚えのある声が飛び込んできた。


「おい、そこの黒髪!」


 足を止める。


 振り返ると、昨日の大男が立っていた。


 隣には細身の男もいる。二人とも武器を携えていたが、昨日のように抜き身の剣を手にしてはいなかった。


 大男はシラスを指さした。


「やっぱりお前だ! 昨日はよくも恥をかかせてくれたな!」


「……まだ何か用か?」


「決まってるだろう。昨日の借りを返しに来たんだ」


「衛兵から事情を聞かれていたはずだが?」


「町の中で武器を抜かなければいいんだろう? なら、問題ない」


 男は口元を歪めた。


「町の外で勝負しろ。お前が本当に手配書どおりの男なら、俺が直接確かめてやる」


 鈴がシラスの袖をつかんだ。


「……シラス、行かないよね?」


 シラスは答える前に、男たちを観察した。


 昨日の戦いで、大男は力任せの攻撃を得意としていることが分かった。細身の男は短剣を使い、隙を狙う戦い方をする。


 二人とも、単純な相手ではない。


 だが、今ここで挑発に乗る必要はなかった。


「断る。俺には用事がある」


「逃げるのか?」


「そう思いたければ、好きに思え」


「賞金首のくせに、ずいぶん偉そうだな!」


 周囲の人々が、少しずつ足を止め始めた。


 シラスは舌打ちをこらえた。


 このままでは、また余計な噂が広がる。


 それでも、戦う理由にはならない。


「お前たちの相手をするつもりはない。これ以上つきまとうなら、衛兵に報告する」


 シラスが歩き出そうとした、そのときだった。


「待て!」


 大男が声を張り上げた。


「昨日の勝負は終わっていない! 俺はお前に負けたわけじゃない!」


「……そうか」


 シラスは振り返った。


「なら、もう一度言っておく。俺はお前と戦うつもりはない」


 その言葉が、男の怒りに火をつけた。


「この野郎……!」


 大男が一歩踏み出す。


 細身の男がその腕をつかんだ。


「待て。ここで騒ぐな」


「放せ!」


「周りを見ろ。衛兵が来たら面倒になる」


 細身の男は大男を引き止めながら、シラスを睨んだ。


「……分かった。なら、町の外で勝負をしろ。逃げも隠れもしないなら、受けられるはずだ」


「何度言わせる。俺には用事がある」


 シラスは今度こそ背を向けた。


 だが、背後から大男の声が響いた。


「明日の昼、北門の外にある訓練場で待っている! 来なければ、お前は逃げた臆病者だと町中に言いふらしてやる!」


 シラスは足を止めなかった。


 鈴も黙って彼についていく。


 二人の姿が人混みに消えると、大男は悔しそうに地面を蹴った。


「くそっ……!」


「落ち着け。あいつは逃げたわけじゃない。今は相手にする価値がないと思っているんだ」


「それが一番腹立たしいんだよ!」


 細身の男は、去っていくシラスの背中を見つめた。


「……だが、確かめる価値はある」


     ◇


 大通りを離れたところで、鈴がようやく口を開いた。


「……ねえ、シラス」


「何だ?」


「明日の勝負、受けるの?」


「受けるつもりはない」


「でも、あの人たち、また何かしてくるんじゃないかな」


「その可能性はある」


「だったら……」


 鈴は言葉を切った。


 シラスがどんな判断をするのか、気になっているのだろう。


 彼は少し考えてから答えた。


「相手の挑発に乗って、こちらの予定を変える必要はない。俺たちは別の目的でこの町に来たんだ」


「……うん」


「それに、決闘という形にしたところで、相手が約束を守る保証もない」


「そうだよね。二人がかりで襲ってくるかもしれないし」


「その可能性もある」


 鈴は少し安心したように頷いた。


 しかし、シラスはその表情を見て、付け加えた。


「ただ、向こうがこちらの行動を妨害するなら、話は別だ」


「……つまり?」


「必要なら、戦う」


 鈴の顔が曇った。


「怪我をしないでね」


「できる限りな」


「そこは『しない』って言ってほしいんだけど……」


「約束できないことを、軽々しく言うつもりはない」


 鈴はしばらく黙っていた。


 やがて、彼女は小さく息を吐いた。


「……そういうところは、シラスらしいね」


「褒めているのか?」


「半分くらいは」


「残りの半分は?」


「内緒!」


 鈴は少しだけ笑った。


 シラスも、口元をわずかに緩めた。


     ◇


 その日の午後、二人は武器屋へ向かった。


 店主は昨日と同じ場所で刃を研いでいた。


「おや、昨日の旅人か。連れの子は大丈夫だったか?」


「ああ。もう問題ない」


「それはよかった。あの金属片について、何か分かったか?」


「まだだ。もう少し詳しく調べたい」


 店主は手を止め、店の奥から小さな木箱を持ってきた。


「実は、あれを持ち込んだ男が、もう一つ似たようなものを持っていたんだ」


 シラスの目が細くなる。


「もう一つ?」


「ああ。そっちは金属板じゃなく、薄い円盤だった。傷だらけで、使い道も分からなかったから、別の店に持っていくと言っていた」


「どこの店か分かるか?」


「町の北側にある古物商だ。名前は……確か、ローヴェン商会だったかな」


 シラスはその名前を記憶した。


「助かる。場所を教えてくれ」


 店主が簡単な地図を描いてくれた。


 シラスは礼を言い、鈴とともに店を出た。


「ねえ、シラス。円盤って、あの箱と関係あるのかな?」


「分からない。だが、同じ印が刻まれているなら、調べる価値はある」


「じゃあ、次はそこへ行くんだね」


「ああ。今日は場所を確認するだけにして、明日改めて訪ねよう」


「どうして今日行かないの?」


「すでに午後だ。相手が店を閉めていたら無駄足になる。それに、今日はお前もまだ本調子とは言えない」


「……もう平気なのに」


「なら、今夜は早く寝て、明日も元気でいられることを証明してくれ」


 鈴は少し考え、それから頷いた。


「分かった。明日はちゃんと元気だからね!」


「期待しておく」


     ◇


 ローヴェン商会は、町の北側にある細い通りに面していた。


 建物は古く、入口の看板には、壺や装飾品、古い道具を描いた絵が並んでいる。


 扉は閉まっていたが、窓越しに店内を見ると、棚には古い金属製品や壊れた時計のような道具が並んでいた。


 シラスは看板と建物の位置を確認し、周囲を見渡した。


 通りには人が少ない。


 そのせいか、少し離れた角に立っている男の姿が目についた。


 黒い外套を着た男だった。


 顔はよく見えないが、こちらを見ているように感じられる。


 シラスは目を細めた。


「……鈴、行くぞ」


「え? もう帰るの?」


「ああ。店は閉まっているし、今日は確認できた」


 鈴は不思議そうに首を傾げたが、何も言わずに彼についていった。


 二人が通りを曲がる直前、シラスはもう一度だけ振り返った。


 黒い外套の男は、まだ同じ場所に立っていた。


 目が合ったような気がした。


 だが、男はすぐに顔を背け、建物の陰へ消えていった。


     ◇


 宿屋へ戻った二人は、夕食を済ませてから部屋で休んでいた。


 シラスは机の上に地図を広げ、ローヴェン商会の位置と、明日の予定を書き込んでいる。


 鈴はベッドの上で膝を抱え、窓の外を眺めていた。


「……ねえ、シラス」


「今度は何だ?」


「明日、あの人たちと戦うことになったら、私も役に立てるかな」


 シラスは筆記具を置いた。


「どうしてそう思う?」


「だって、いつもシラスが私を守ってくれるから。私も何かできるようになりたいんだ」


 鈴は自分の手を見つめた。


「昨日、あの印に触れたときもそうだった。何かを思い出しかけたのに、何もできなかった。魔法だって、自分で使おうと思って使えるわけじゃないし……」


「鈴」


 シラスは静かに呼びかけた。


「お前が無理に戦う必要はない」


「でも……」


「役に立つというのは、敵を倒すことだけじゃない。危険に気づいて知らせることも、退路を確保することも、十分に意味がある」


 鈴は顔を上げた。


「……本当に?」


「ああ。お前が何かを思い出したなら、それも重要な手掛かりになる」


「……そっか」


 鈴は少しだけ笑った。


「じゃあ、私にできることを探してみる」


「そうしてくれ。ただし、無理はするな」


「うん!」


 シラスは地図を畳み、机の引き出しを開けた。


 金属箱は、昨日と同じ場所にある。


 円と二本の交差した線。


 この町には、同じ印に関係する品物がほかにも存在しているらしい。


 そして、鈴の記憶も、その印をきっかけに動き始めた。


 明日は古物商を訪ね、円盤について調べる。


 同時に、賞金稼ぎたちの動きにも注意しなければならない。


 シラスは引き出しを閉じ、窓の外を見た。


 夜のグラヴェスは、昼間よりも静かだった。


 しかし、その静けさの向こう側で、誰かが彼らの行動を見守っている。


 その人物が何を求めているのか。


 そして、明日の決闘が本当に避けられるのか。


 まだ、何も分からなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。