賞金首の正体
グラヴェスの夜は、遅くまで騒がしかった。
宿屋の食堂からは酒を飲む傭兵たちの笑い声が聞こえ、通りでは荷車が石畳を走る音が響いている。窓の外に目を向ければ、武器屋の看板や酒場の灯りが、夜の町をぼんやりと照らしていた。
シラスは窓際に立ち、通りの様子を観察していた。
夕食の際に手配書を広げていた男たち。
あのうちの一人は、シラスの顔に見覚えがあるようだった。
確信を持たれているかどうかは分からない。
しかし、賞金首の情報を持つ者がこの町にいる以上、油断するわけにはいかなかった。
「……シラス」
背後から鈴の声がした。
「まだ起きてるの?」
「ああ。少し外の様子を見ている」
「もう遅いよ。明日も歩くんでしょ?」
「明日は町の中を調べるつもりだ。長距離を歩く予定はない」
「それでも、ちゃんと寝ないと駄目だよ」
鈴は腕を組み、真剣な顔でこちらを見ていた。
その顔には、先ほどまでの不安に加えて、少しばかりの怒りも混じっている。
「……お前は、俺の保護者か?」
「シラスが自分の体を大事にしないからでしょ!」
「大事にはしている」
「じゃあ、どうしてずっと窓のところに立ってるの?」
「見張りだ」
「それをずっと続けるつもり?」
「状況次第だな」
鈴は深く息を吐いた。
「……もういい。交代!」
「何?」
「私も起きてるから、少し休んで。何かあったら起こすよ」
「お前に見張りが務まるとは思えないが」
「ひどい!」
鈴は頬を膨らませた。
「私だって、ちゃんと周りを見られるもん!」
「そうか。なら、まず窓の外にいる男が何をしているか答えてみろ」
「えっ?」
鈴は慌てて窓へ近づき、外を覗いた。
通りの向こう側に、一人の男が立っている。
壁に寄りかかりながら、時折こちらの宿屋へ視線を向けていた。
「……誰だろう?」
「分からない。だが、夕方から何度か同じ場所にいる」
「じゃあ、やっぱり見張ってるんじゃ……」
「可能性はある」
シラスは窓から離れた。
「だから、今夜は不用意に外へ出ない。明日の朝、宿の主人に聞いてみる」
「分かった……」
鈴は窓の外をもう一度見てから、ゆっくりとベッドに腰を下ろした。
「ねえ、シラス」
「何だ?」
「もし、あの人たちが本当にシラスを捕まえに来たら……」
「そのときは、捕まらないようにする」
「……それだけ?」
「それ以外に何がある?」
鈴は言葉に詰まった。
シラスはいつもと同じ調子だった。
恐怖を感じていないわけではない。賞金稼ぎの中には、腕の立つ者もいる。複数に囲まれれば、自分一人で切り抜けられる保証もなかった。
それでも、できることを考えるしかない。
シラスはベッドの一つへ腰を下ろした。
「心配するな。俺は、簡単に捕まるつもりはない」
鈴は少しだけ表情を和らげた。
「……うん」
その夜、シラスは窓から見える男の姿が消えたのを確認してから、ようやく眠りについた。
◇
翌朝。
宿屋の食堂は、朝から多くの人で賑わっていた。
傭兵たちは食事をしながら依頼の話を交わし、商人たちは荷物の積み込みについて相談している。
シラスと鈴は、壁際のテーブルに座っていた。
「今日は何をするの?」
鈴がパンをちぎりながら尋ねた。
「まずは町の情報を集める。賞金稼ぎがどこに集まるのか、それから、ここ数日の出入りについても調べたい」
「金属の箱は?」
「その後だ。安全な場所で記録を整理する必要がある」
「そっか。じゃあ、調べ物が終わったら買い物に行ってもいい?」
「何を買うつもりだ?」
「食料とか、日用品とか……」
鈴はそこで少し間を置いた。
「あと、甘いもの」
「最後が本音だろう」
「違うよ! 全部必要なの!」
シラスは返事をせず、スープを飲んだ。
そのとき、食堂の入口から二人の男が入ってきた。
昨日、手配書を広げていた者たちだった。
一人は背が高く、肩幅が広い。短く刈った髪に、顎には無精髭がある。腰には幅広の剣を下げていた。
もう一人は細身で、革の胸当てを身につけている。腰には短剣が二本あり、視線が落ち着きなく店内を動いていた。
二人は受付の男性と短く言葉を交わしたあと、食堂を見回した。
そして、シラスの姿を見つけた。
細身の男が、隣の大男へ耳打ちする。
大男の表情が変わった。
「……いたぞ」
シラスはパンを皿に置いた。
鈴も二人の視線に気づき、動きを止める。
「シラス……」
「騒ぐな。まだ何もしてこない」
シラスは静かに告げた。
大男が近づいてくる。
「おい、あんた」
「何だ?」
「シラス・ナハトだな?」
食堂の喧騒が、少しだけ遠くなったように感じられた。
シラスは相手の目を見た。
「人違いだ」
「そうか? 手配書の顔と、ずいぶん似ているがな」
男は懐から折り畳まれた紙を取り出した。
そこには、シラスの顔と名前が記されていた。
「王都近郊の集落を襲撃し、住民を皆殺しにした男。生死を問わず、報酬は金貨三百枚」
大男は紙を見せながら、低い声で続けた。
「この顔を間違えるほど、俺の目は悪くない」
周囲の客たちが、少しずつ会話をやめていく。
シラスは静かに息を吐いた。
「……それで?」
「大人しく来てもらおう。抵抗しなければ、怪我をさせるつもりはない」
「断る」
即答だった。
男の眉が動いた。
「……聞こえなかったか?」
「聞こえている。断ると言った」
「お前、自分の立場が分かっているのか?」
「少なくとも、今ここでお前たちに従う理由はない」
大男は剣の柄に手をかけた。
「なら、力ずくで連れていくまでだ」
シラスは椅子から立ち上がった。
鈴も慌てて立ち上がる。
「待ってよ! ここで戦うの!?」
「できれば避けたいが、相手次第だ」
「そ、そんな……」
シラスは彼女を背後へ下がらせた。
「鈴、俺の後ろにいろ。何があっても、勝手に飛び出すな」
「でも……!」
「約束しただろう」
鈴は唇を噛んだ。
そして、小さく頷く。
「……分かった」
◇
「食堂で騒ぎを起こすのは本意じゃないんだがな」
大男は剣を抜かずに言った。
「だったら、道を空けろ」
「それはできない相談だ」
男が一歩踏み込んだ。
シラスは相手の足元を見た。
重心は前寄り。剣を抜く動作に迷いがない。肩の動きから見て、力任せに振り下ろす一撃を得意としているのだろう。
対して、細身の男は少し離れた位置に立っていた。
こちらが動けば、横から仕掛けてくるつもりらしい。
二対一。
しかも、食堂には逃げ遅れた客がいる。
広い場所へ誘い出したいところだが、相手がそれを許すとは限らない。
「最後に聞く。大人しく来るか?」
「断ると言ったはずだ」
「……そうかよ」
大男が動いた。
剣を抜くより先に、左手でテーブルを押しのける。
椅子が床を滑り、木製の脚が大きな音を立てた。
同時に、細身の男が横へ回り込む。
連携は悪くない。
だが、シラスは最初から大男の動きだけを見ていたわけではなかった。
テーブルが動いた瞬間、細身の男の視線が一度だけ鈴へ向いた。
狙いはシラスだけではない。
彼女を人質に取るつもりかもしれなかった。
「鈴、下がれ!」
シラスは床を蹴った。
大男が剣を抜き放つ。
鋭い金属音が食堂に響いた。
刃が振り下ろされる直前、シラスは相手の懐へ踏み込んだ。
大男の剣は、シラスの肩をかすめてテーブルへ叩きつけられた。
木材が砕ける。
その勢いで男の上体が前へ傾いた。
シラスは相手の手首を打ち、剣の軌道をずらす。続けて膝の外側へ蹴りを入れた。
「ぐっ……!」
大男が体勢を崩す。
シラスはその隙に距離を取り、倒れた椅子を蹴り飛ばした。
椅子が細身の男の進路を塞ぐ。
相手が足を止めた一瞬、シラスはテーブルの端を支えにして横へ移動した。
力で押し切るのではない。
敵が動こうとした場所を塞ぎ、相手の選択肢を減らす。
それが、シラスの戦い方だった。
「この野郎!」
細身の男が短剣を抜く。
今度は迷いなく、シラスの脇腹を狙ってきた。
シラスは半歩下がり、刃先を見極める。
短剣が外套をかすめた。
すぐに反撃することもできたが、男の反対側の手にはもう一本の短剣が握られている。
誘いか。
シラスは追撃せず、相手の腕を押さえて距離を作った。
そこへ、大男が体勢を立て直す。
二人が再び左右に分かれた。
シラスは舌打ちした。
やはり、簡単には終わらない。
◇
「シラス!」
鈴の声が響いた。
大男の剣が、今度は横薙ぎに振るわれる。
シラスは身を屈めて避けたが、刃が背後の柱にぶつかり、木片が飛び散った。
細身の男が、その隙を逃さず距離を詰めてくる。
左右からの挟撃。
逃げ場が狭い。
シラスは一歩後退し、足元の床板を踏み鳴らした。
わずかに魔力を流す。
床の隙間にたまっていた埃が、風に押し出されたように舞い上がった。
「なっ……!」
細身の男が目を細める。
ほんの一瞬の視界の乱れ。
それだけで十分だった。
シラスは男の手首を打ち、短剣を床へ落とさせる。さらに肩を押して進路をずらし、大男の前へ押し出した。
「どけ!」
大男は慌てて剣を止める。
その瞬間、シラスは男の懐へ踏み込んだ。
拳を腹へ叩き込み、剣を持つ腕を外側へ押し流す。
大男が息を詰まらせ、片膝をついた。
シラスは剣を抜かなかった。
必要がないからだ。
敵を殺すことが目的ではない。ここを無事に切り抜け、鈴を守ることが最優先だった。
しかし、細身の男はまだ諦めていなかった。
床に落ちた短剣を拾い、鈴へ向かって走り出す。
「お前さえ押さえれば……!」
「鈴!」
シラスが振り返る。
鈴は怯えながらも、男から目を逸らさなかった。
彼女はとっさに横へ動き、テーブルの陰へ身を隠した。
男の手が空を切る。
その瞬間、シラスが追いついた。
短剣を持つ腕をつかみ、肘を外側へ捻る。
男は苦痛に顔を歪め、短剣を落とした。
「ぐあっ!」
シラスはそのまま相手を床へ押さえつけた。
「……二度と、彼女に手を出すな」
低い声だった。
細身の男は歯を食いしばりながら、シラスを睨みつけた。
「くそ……! 賞金首のくせに、偉そうに……!」
「賞金首かどうかと、今の行動に何の関係がある?」
シラスは手を離し、男を突き放した。
「お前たちが俺を捕まえたいのは分かった。だが、無関係な人間を巻き込むなら、容赦はしない」
男は返事をしなかった。
大男も、ようやく立ち上がりながら、悔しそうにシラスを見ていた。
食堂は静まり返っている。
周囲の客たちは、誰も口を開かなかった。
◇
「そこまでだ!」
入口から、鋭い声が響いた。
武装した衛兵が数人、食堂へ駆け込んでくる。
その先頭に立つ男は、二人の賞金稼ぎと、壊れたテーブルを見比べた。
「何があった?」
「こいつが賞金首だ! 捕まえようとしただけだ!」
大男がすぐに叫んだ。
「そいつが抵抗したんだ!」
「ほう」
衛兵の男は、シラスへ視線を向けた。
「お前がシラス・ナハトか?」
「……そうだ」
隠しても意味はない。
すでに複数の人間が顔を見ている。ここで嘘をつけば、かえって立場が悪くなるだけだ。
衛兵は眉をひそめた。
「手配書にある男だな。だが、町の中で騒ぎを起こした以上、事情を聞く必要がある」
「構わない。ただし、先にこいつらの行動も確認してくれ。俺を捕まえるために、食堂の客まで巻き込もうとした」
「何だと!?」
細身の男が声を荒らげる。
「俺たちは正当な賞金稼ぎだ! 賞金首を捕まえるのに、何の問題がある!」
「賞金の有無と、町中での武器の使用は別の話だ」
衛兵は冷たく言い放った。
「武器を抜いたのは誰だ? 目撃者もいる。全員、話を聞かせてもらう」
大男は舌打ちした。
シラスは抵抗せず、両手を見える位置に置いた。
鈴が不安そうに近づいてくる。
「シラス……」
「大丈夫だ。少し事情を聞かれるだけだ」
「でも……」
「心配するな」
シラスは彼女を見て、静かに告げた。
「お前は何も悪いことをしていない。見たことをそのまま話せばいい」
鈴はしばらく彼を見つめていたが、やがて頷いた。
「……うん」
◇
衛兵の詰所で事情を聞かれたあと、シラスはひとまず解放された。
賞金稼ぎの二人は、町中での武器使用と、周囲の客を巻き込もうとした行為について調査を受けることになった。
ただし、シラス自身の手配が取り消されたわけではない。
衛兵は、手配書に記された容疑については自分たちの判断だけでは変更できないと説明した。
当然だろう。
シラスの無実を証明するものは、まだ何もない。
それでも、少なくとも今回は、町の衛兵に即座に引き渡されることはなかった。
詰所を出たとき、太陽はすでに高く昇っていた。
「……疲れた」
鈴が肩を落とした。
「戦ったのは俺だぞ」
「私だって、すごく緊張したんだから!」
「それは分かっている」
「本当に?」
「ああ」
シラスは歩きながら、右手を軽く握った。
短剣を受け止めた際に、手首へ少し負担がかかっていた。大きな怪我ではないが、しばらくは強く握り込まないほうがよさそうだ。
鈴はその動きに気づいた。
「手、痛いの?」
「少しだけだ。問題ない」
「見せて」
「大したことはない」
「いいから!」
鈴は立ち止まり、彼の手首をそっと取った。
赤くなっている部分を見つけると、眉を寄せる。
「……やっぱり、痛いんじゃない」
「この程度なら、すぐに治る」
「そういう問題じゃないよ」
鈴は不満そうに言った。
「あとで薬を買おう。ちゃんと手当てするからね」
「分かった」
シラスは素直に頷いた。
彼女がここまで心配するとは思っていなかった。
いや、これまでの旅でも何度か同じようなことはあった。
ただ、今回は少し違う。
彼女は自分が守られるだけの存在だとは思っていないのだろう。シラスが傷つくことを、自分自身の問題として受け止めている。
その気持ちは、決して悪いものではなかった。
◇
宿屋へ戻る途中、鈴は何度もシラスの顔を見上げていた。
「ねえ、シラス」
「今度は何だ?」
「さっきの戦い……すごかったね」
「そうか?」
「うん。二人を相手にしていたのに、全然負けてなかった」
「勝ったと言えるほどでもない。衛兵が来なければ、もう少し時間がかかっていたかもしれない」
「でも、ちゃんと守ってくれた」
鈴はそう言って、少しだけ笑った。
「ありがとう」
シラスは返事をしなかった。
代わりに、彼女の頭へ軽く手を置いた。
「……お前が無事なら、それでいい」
鈴は一瞬、目を丸くした。
そして、頬を赤くして視線をそらす。
「そ、そういうこと、急に言わないでよ……」
「何か問題があるのか?」
「問題とかじゃなくて……!」
鈴は言葉に詰まり、結局、ぷいと顔を背けた。
シラスは不思議そうに首を傾げた。
「……よく分からんな」
「シラスのせいだからね!」
彼女の声が、通りに響いた。
シラスは小さく笑った。
しかし、すぐに表情を引き締める。
今回の騒ぎで、彼の顔は何人もの人間に知られた。
賞金稼ぎたちが諦めたとも限らない。町の中に、彼の情報を欲しがる者がほかにもいるかもしれなかった。
そして、手配書の存在は、単に金を狙う者がいるというだけではない。
彼が何者なのかを知ろうとする人間が現れれば、過去の事件についても、少しずつ話が動き始める可能性がある。
シラスは空を見上げた。
グラヴェスの空は、青く澄んでいた。
だが、この町での滞在が穏やかなものになるとは思えなかった。
賞金首としての自分。
そして、まだ何も思い出せない鈴。
二人が抱える問題は違う。
それでも、これから先、互いに無関係ではいられないのだろう。
「……鈴」
「何?」
「今日は、俺のそばを離れるな」
鈴は真剣な顔で頷いた。
「うん。約束する」
二人は再び歩き始めた。
グラヴェスでの騒動は、まだ始まったばかりだった。




