↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/64

水門の向こう側

石造りの通路に、複数の足音が響いていた。


 シラスは剣を握り、前方を警戒しながら進んでいた。すぐ後ろには鈴、そのさらに後ろにはローデンが続いている。


 蝋燭の火は小さく揺れ、壁に三人の影を映し出していた。


「あとどれくらいだ?」


 シラスが低い声で尋ねる。


「もう少しだ。水門の向こう側に出られれば、川沿いの道を離れられる」


「その道にも追手がいる可能性は?」


「ないとは言えない」


「便利な案内人だな」


「俺は道を知っているだけで、未来までは知らないんだ」


「それはさっき聞いた」


「なら、何度も聞くな」


 ローデンが不機嫌そうに答えた。


 鈴は二人の間で、困ったように首を傾げている。


「……二人って、本当に仲がいいの?」


「よくない」


 シラスとローデンの声が重なった。


 鈴は思わず吹き出した。


 その笑い声は、すぐに通路の奥へ消えていった。


 シラスは一瞬だけ彼女を見た。追われ続けているせいで、鈴の顔から笑顔が消えていた時間も長かった。こうして少しでもいつもの調子を取り戻してくれるなら、それは悪いことではない。


 だが、今はまだ安心できなかった。


 背後から聞こえる足音は、確実に近づいていた。


「急ぐぞ。追いつかれる」


 シラスが告げると、ローデンはうなずき、通路の先を指さした。


「あそこだ」


 蝋燭の光の先に、石造りの階段が見えた。


 階段を上った先には、錆びた鉄格子が設置されている。格子の向こう側からは、薄い朝の光が差し込んでいた。


 出口だ。


 しかし、鉄格子は閉じられていた。


「……おい」


 シラスがローデンを見た。


「開くんだろうな?」


「昔は開いた」


「過去形なのが気になるんだが」


「俺だって、何十年もここを使っていたわけじゃない」


 ローデンは鉄格子の前にしゃがみ込み、錆びた留め金を調べ始めた。


 鈴も隣からのぞき込む。


「鍵がかかってるの?」


「いや、鍵穴はない。向こう側から固定されているらしい」


「じゃあ、壊せばいいんじゃない?」


「大きな音を立てれば、追手に居場所を教えることになる」


 シラスは格子を押してみた。


 わずかに揺れたが、それ以上は動かない。鉄は古くなっているものの、簡単に折れるほど脆くはなかった。


「何か方法はないのか?」


「待て。下の留め金が外れれば、持ち上げられるかもしれない」


 ローデンは腰の袋から小さな金属片を取り出し、格子の隙間へ差し込んだ。


 そのとき、背後から怒鳴り声が響いた。


「いたぞ! 奥だ!」


 鈴の顔が青ざめた。


「シラス……!」


「分かっている」


 シラスは通路を振り返った。


 暗闇の向こうに、揺れる明かりが見え始めている。追手はもうすぐそこまで来ていた。


「ローデン、急げ」


「急いでいる!」


「なら、もっと急げ!」


「無茶を言うな!」


 金属片が留め金に引っかかり、嫌な音を立てた。


 ローデンが舌打ちする。


「くそっ、錆びついている!」


 シラスは周囲を見渡した。


 鉄格子を壊す時間はない。通路を戻れば追手と正面からぶつかる。ほかに道があるかどうかも分からない。


 そのとき、鈴が格子の脇にある石壁を指さした。


「ねえ、あそこ!」


 壁の下部に、小さな四角いくぼみがあった。周囲の石とは色が違い、何かを取り外した跡のようにも見える。


「昔の操作装置かな?」


 ローデンが振り返った。


「……いや。水門の補助機構かもしれない」


「動かせるのか?」


「分からない。だが、調べる価値はある」


 シラスは短くうなずいた。


「鈴、ローデンと一緒にそこを調べろ。俺が時間を稼ぐ」


「えっ、でも……!」


「大丈夫だ。倒す必要はない。通路を塞げばいい」


 シラスは剣を構え、階段の下へ移動した。


 すぐに、最初の追手が姿を現した。


 革鎧を身につけた男だった。片手には剣、もう片方の手には小型の金属製器具を持っている。


 シラスの姿を見ると、男は足を止めた。


「やはりここにいたか。記録を渡せ」


「そればかりだな。ほかに話すことはないのか?」


「抵抗しても無駄だ」


「そう言われて、おとなしく従う人間ばかりなら苦労しない」


 男の表情が険しくなった。


 彼が器具を構えるより早く、シラスは床に転がっていた石片を蹴り飛ばした。


 石片は男の足元へ跳ね、相手の踏み込みを一瞬だけ鈍らせる。


 シラスはその隙に距離を詰めた。


 剣を振り下ろすのではなく、相手の腕を横から打つ。金属製の器具が手から離れ、石床を滑って壁際へ転がった。


 男が舌打ちし、剣を振るう。


 シラスは後退しながら受け流した。


 狭い通路では、大きく動くことができない。だからこそ、相手の足場と間合いを崩す必要があった。


 背後から、さらに二人の足音が近づいてくる。


 シラスは階段の幅を利用し、先頭の男を押し戻した。


「どけ!」


 男が怒鳴る。


「断る」


 シラスは短く返した。


 剣と剣がぶつかり、火花が散った。


 しかし、長くは持たない。相手が増えれば、こちらが不利になる。


「シラス!」


 鈴の声が響いた。


「このくぼみ、押せそうな部分があるよ!」


「やってみろ!」


「分かった!」


 鈴が両手で石壁の一部を押した。


 何も起きない。


「……動かない!」


「引いてみろ!」


 ローデンが声を上げた。


「引くの?」


「いや、待て。横に動く仕組みかもしれない!」


「どっちなの!」


「俺に聞くな!」


 シラスは思わず顔をしかめた。


 この二人に任せて、本当に大丈夫なのだろうか。


 いや、今は信じるしかない。


 シラスは迫ってきた男の剣を弾き、相手の肩を蹴って距離を取った。


「鈴、壁の端を探せ! 何か引っかかる場所があるはずだ!」


「分かった!」


 少女は壁を手で探り始めた。


 指先が、石の隙間に触れる。


「あった! ここ、少しだけ出っ張ってる!」


「引いてみろ!」


 今度はローデンも迷わず叫んだ。


 鈴が出っ張りを引く。


 かちり、と小さな音がした。


 直後、壁の内部から重い機械音が響き始めた。


 鉄格子がわずかに揺れた。


「動いた!」


 ローデンが留め金を持ち上げる。


 格子が、ゆっくりと上へ動き始めた。


「よし、開いたぞ!」


 ローデンが叫ぶ。


「鈴、先に行け!」


 シラスは敵の剣を受け止めながら指示した。


「でも、シラスがまだ……!」


「先に行け! ローデン、鈴を頼む!」


「分かった!」


 ローデンは鈴の腕を引き、鉄格子の向こうへ通した。


 少女は何度も振り返ったが、ローデンに促されて先へ進む。


 シラスは最後の一人を押し返し、階段を駆け上がった。


 鉄格子の下をくぐり抜けた瞬間、ローデンが留め金を外した。


 重い格子が落ち、鈍い音とともに通路を塞ぐ。


 直後、向こう側から怒号が響いた。


「開けろ!」


 鉄格子が激しく揺れた。


 だが、すぐには開きそうになかった。


「こっちだ!」


 ローデンが走り出す。


 三人は出口から離れ、川沿いの岩場へ出た。


 朝の光が広がり始めていた。水面には薄い霧が漂い、遠くの山々が青く霞んでいる。


 シラスは周囲を確認し、追手が見えないことを確かめてから、ようやく足を止めた。


「……何とか抜けられたな」


「本当にね……」


 鈴は膝に手をつき、息を整えていた。


「私、もう走れないかと思った」


「なら、もう少し体力をつけることだな」


「今それを言う!?」


「次に逃げるときのためだ」


「次がある前提なの、やめてよ!」


 シラスは答えず、わずかに笑った。


 ローデンは二人のやり取りを眺めたあと、真剣な顔で水門の方を振り返った。


「……あいつら、あの記録を本気で取り戻すつもりらしい」


「どういうことだ?」


「ただの古い帳簿なら、あそこまで追いかけてくる必要はない。少なくとも、連中は記録に何か価値があると考えている」


「それは俺たちも同じだ」


「違う。お前たちは何が書かれているか知りたい。だが、あいつらは……」


 ローデンは言葉を切った。


「いや、今はまだ分からない。俺の推測だけで決めつけるべきじゃないな」


 シラスは彼を見つめた。


「さっきから、何かを言いかけてはやめているな」


「確証がないからだ」


「確証がなくても、手掛かりはあるんだろう?」


 ローデンは少し考え、やがてうなずいた。


「ある。だが、それを話すには、まずお前たちが持っている記録を確認したい」


「交換条件か?」


「そう考えてくれて構わない。俺が知っていることを話す代わりに、お前たちも記録を見せてくれ。少なくとも、互いに何を追っているのかは確かめたい」


 シラスはすぐには答えなかった。


 この男が何を隠しているのかは分からない。だが、追手から逃げるために道を案内し、水門の出口を開くために動いたことも事実だった。


 完全に信用することはできない。


 しかし、話を聞く価値はある。


「……分かった。安全な場所へ移動してからだ」


「それでいい」


 ローデンはうなずいた。


 鈴が二人を見上げた。


「じゃあ、これからどうするの?」


「まずは休む。それから、記録を調べる」


 シラスは東の空を見た。


 夜は明けた。


 だが、追手が諦めたとは思えない。水門の向こう側に閉じ込めた時間も、長くは続かないだろう。


 それでも、手掛かりは手に入った。


 古い帳簿と、同じ印。そして、記録の食い違いを知る男。


 ばらばらだった情報が、少しずつ形を持ち始めている。


 シラスは外套の内側に手を当て、冊子が無事であることを確かめた。


「行くぞ。ここから先は、慎重に進む」


 鈴は力強くうなずいた。


「うん。今度は私も、ちゃんと周りを見るから」


「期待している」


「……本当に?」


「半分くらいはな」


「もう!」


 鈴の抗議を背に、三人は朝の川辺を歩き始めた。


 水門の向こうからは、まだ人の声が聞こえていた。


 追跡は終わっていない。


 そして、彼らが手にした古い記録の意味も、まだ明らかになってはいなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。