旧街道の襲撃者
男たちの足音が、荒れた石畳を踏み鳴らした。
シラスは岩陰に身を潜め、剣を握る手に力を込めた。
斜面を下りてくるのは二人。残る一人は丘の上にとどまり、こちらを見下ろしている。
少なくとも、今見えている敵は三人。
だが、先ほどの攻撃がどこから放たれたのか、まだ確信は持てなかった。
「シラス……!」
岩の向こうから、鈴が小さく呼びかける。
「声を抑えろ。向こうに聞こえる」
「ご、ごめんなさい」
彼女は慌てて口を閉じた。
シラスは岩の端からわずかに顔を出し、斜面を下りてくる男たちを観察した。
先頭の男は短剣を持ち、もう一人は刃の欠けた片手剣を構えている。どちらも装備は使い込まれていたが、動きにはある程度の慣れがあった。
ただの通りすがりを脅しているだけの素人ではなさそうだ。
「逃げ場はねえぞ!」
短剣の男が叫んだ。
シラスは返事をしなかった。
相手の目的が荷物なら、戦わずに済ませる方法もある。
しかし、最初の攻撃は明らかに二人の近くを狙っていた。警告だったとしても、こちらが怪我をする可能性を考慮していない。
交渉するにしても、まずは相手の出方を見極める必要があった。
「鈴、俺が出たら、反対側へ移動しろ。あの低い岩の陰だ」
「でも、そこへ行く途中で狙われたら……」
「相手の視線が俺に向いている間なら動ける。無理だと思ったら、その場から動くな」
鈴は不安そうに彼を見つめた。
「あなたは?」
「こいつらを止める」
シラスは短く答えた。
鈴は何か言いかけたが、結局、唇を引き結んで頷いた。
「……分かったわ」
二人の男が、岩を回り込むように左右へ分かれた。
正面から来るのではなく、逃げ道を塞ぐつもりらしい。
シラスはその動きを確認すると、岩陰から飛び出した。
「なっ!」
短剣の男が反応するより早く、シラスは相手の懐へ踏み込んだ。
狙ったのは身体ではない。
短剣を握る手首を剣の腹で弾き、武器の向きを逸らす。
金属音が響いた。
男が体勢を崩した瞬間、シラスは肩をぶつけるようにして相手を押し退けた。
「ぐっ!」
短剣が地面に落ちる。
シラスは追撃せず、すぐに距離を取った。
もう一人の男が横から剣を振り下ろしてくる。
シラスは半歩下がり、刃を紙一重でかわした。
そのまま相手の剣を受け流し、足元へ視線を落とす。
崩れた石畳。
男の右足は、ちょうど石の欠けた部分に乗っていた。
シラスは剣を押し返すと同時に、相手の足元を蹴った。
「うおっ!」
男の身体が傾いた。
シラスはその隙を逃さず、剣の柄で相手の腕を打つ。
男は呻き声を上げ、剣を取り落とした。
二人を無力化するまで、ほんの数瞬だった。
だが、シラスは勝利を確信しなかった。
丘の上に残っていた男が、こちらへ手を向けていたからだ。
「伏せろ!」
シラスが叫ぶ。
直後、空気が震えた。
乾いた衝撃音とともに、地面の土が弾け飛ぶ。
シラスは横へ転がり、飛び散った石片を避けた。
ただの投石ではない。
男の手元には、小さな金属製の筒が握られていた。
筒の先端から煙が立ち上っている。
「魔道具か……!」
シラスは歯を食いしばった。
魔法そのものを操っているのか、それとも魔力を利用した道具なのか。詳しい仕組みまでは分からない。
だが、正面から受けるべき攻撃ではなかった。
「おい! そいつを押さえろ!」
丘の上の男が叫んだ。
地面に倒れていた二人が、痛みに顔を歪めながらも立ち上がろうとする。
シラスは舌打ちした。
思ったより厄介だ。
そのとき、岩陰から鈴が飛び出しかけた。
「シラス!」
「来るな!」
彼の声が鋭く響いた。
鈴は足を止めた。
助けたい。
何かできることがあるはずだ。
そう思っても、自分の魔法をどう使えばいいのか分からない。下手に力を放てば、シラスまで巻き込んでしまうかもしれない。
鈴は両手を握りしめた。
その指先が、淡い光を帯び始める。
「……お願い。止まって……!」
彼女自身にも、何が起きているのか分からなかった。
ただ、目の前の危険を遠ざけたいという思いだけがあった。
次の瞬間、鈴の周囲で空気が揺らいだ。
丘の上の男が、突然顔をしかめた。
「何だ……?」
男の持つ金属筒が、かすかな音を立てた。
筒の先端に集まりかけていた光が乱れ、狙いが大きく逸れる。
放たれた衝撃は、二人から離れた岩壁にぶつかった。
轟音が響き、古い石が崩れ落ちた。
シラスは一瞬だけ鈴を振り返った。
彼女の手は震えていた。
本人も、自分が何をしたのか分かっていない。
だが、今は考えている余裕がなかった。
シラスは地面を蹴り、斜面へ向かって走った。
男が慌てて金属筒を構え直す。
しかし、その前にシラスが距離を詰めた。
「くそっ!」
男は筒を振り回すようにして攻撃を試みた。
シラスは身体を低くしてかわし、相手の腕を剣の柄で打ち据えた。
金属筒が地面へ落ちる。
男は後退しようとしたが、足元の石に躓き、尻もちをついた。
シラスは剣先を相手へ向けた。
「動くな」
男は息を荒くしながら、彼を睨みつけた。
「てめえ……何者だ」
「それはこっちの台詞だ」
シラスは剣を下ろさなかった。
「なぜ俺たちを襲った?」
男は答えない。
その視線が、一瞬だけ鈴へ向いた。
シラスは見逃さなかった。
「……荷物が目的じゃないのか?」
男の表情がわずかに変わった。
その反応だけで、十分だった。
少なくとも、金品を奪うことだけが目的ではない。
「お前たち、誰かに頼まれたのか?」
「知らねえよ」
「なら、どうしてここで待ち伏せしていた?」
「通行人を襲うのに理由がいるか?」
男は吐き捨てるように答えた。
シラスはしばらく相手を見つめていた。
嘘かどうかは、まだ判断できない。
だが、これ以上問い詰めても、すぐに答えが得られるとは思えなかった。
そのとき、倒れていた短剣の男が、仲間へ向かって叫んだ。
「おい、もういい! 引くぞ!」
シラスが視線を向けた瞬間、丘の上の男が素早く立ち上がった。
地面に落ちていた金属筒には手を伸ばさず、斜面の反対側へ走り出す。
「待て!」
シラスは追おうとした。
しかし、鈴のいる場所が視界に入った。
彼女はまだ岩の陰に立ち尽くし、青ざめた顔でこちらを見ている。
追跡するか。
それとも、鈴の安全を確保するか。
迷いは一瞬だった。
シラスは剣を構えたまま、逃げる男たちを見送った。
三人は斜面の向こうへ消えていった。
周囲に静けさが戻る。
聞こえるのは、風が草を揺らす音と、二人の荒い呼吸だけだった。
「……シラス」
鈴がゆっくり近づいてきた。
「怪我はない?」
「ああ。お前は?」
「私は大丈夫。でも……」
彼女は自分の手を見つめた。
先ほどまで震えていた指先には、もう光は残っていない。
「私、何かしたのよね?」
シラスはすぐには答えなかった。
彼女の魔法が男の武器に影響を与えた可能性は高い。
だが、どのような仕組みで起きたのか、本人が意図して発動させたのかさえ分からない。
「おそらくな。ただ、今は無理に考えなくていい」
「でも……」
「後で落ち着いてから考えよう。今は、この場所を離れるほうが先だ」
鈴は不安そうに頷いた。
シラスは地面に落ちた短剣と金属筒を確認した。
どちらも、彼らが使うには危険がある。特に金属筒は、仕組みが分からない以上、むやみに触れるべきではなかった。
彼は落ちていた武器を道の端へ押しやり、周囲を警戒した。
「……本当に、もう誰もいないの?」
鈴が小声で尋ねた。
「今のところ、姿は見えない」
「追いかけなくてよかったの?」
シラスは少しだけ黙った。
「追いかけて、何が起きるか分からなかった。お前を一人にするわけにはいかない」
鈴は目を見開いた。
それから、ほんの少しだけ頬を赤くした。
「……そ、そう」
「何だ?」
「何でもないわ!」
鈴は慌てて顔を背けた。
シラスは首を傾げたが、深く追及しなかった。
今は、それどころではない。
彼は崩れた建物へ目を向けた。
先ほどの襲撃者たちは、あの建物の近くで待ち伏せしていた。
偶然とは考えにくい。
古い街道を通る旅人を狙っていた可能性はある。しかし、彼らは荷物を奪うことよりも、二人をその場に留めようとしていたようにも見えた。
そして、丘の上の男が鈴を見たときの反応。
あれは何だったのか。
シラスは眉を寄せた。
「……鈴」
「何?」
「さっきのことだが、あの男の武器が乱れたのは、お前が光らせた手と同じタイミングだった」
鈴は不安そうに自分の手を握った。
「私にも分からないの。シラスが危なかったから、止まってほしいと思っただけで……」
「そうか」
「私、また変なことをしてしまった?」
「いや。少なくとも、あれで助かった」
シラスは静かに答えた。
「ただし、次も同じことができるとは限らない。自分の力が分からないうちは、無理に使おうとするな」
鈴はしばらく考えてから、頷いた。
「……分かったわ」
シラスは剣を鞘に収めた。
「行こう。ここに長居する理由はない」
二人は荷物を確認し、再び街道を東へ進み始めた。
歩きながら、鈴は何度も後ろを振り返った。
襲撃者たちは、もう見えない。
それでも、不安は完全には消えていなかった。
「ねえ、シラス」
「何だ?」
「さっきの人たち、また襲ってくると思う?」
「可能性はある」
「……そう」
「だが、次はもっと早く気づけるようにする」
鈴は彼の横顔を見た。
「あなた、怖くないの?」
シラスは少し考えた。
「怖くないわけじゃない」
意外な返事だったのか、鈴は目を丸くした。
「そうなの?」
「ああ。危険を怖がらなくなったら、判断を間違える」
シラスは前を向いたまま続けた。
「大事なのは、怖くないふりをすることじゃない。何が危険なのかを見極めて、できるだけ生き残ることだ」
鈴は静かに耳を傾けていた。
やがて、彼女は小さく頷いた。
「……私も、ちゃんと覚えておくわ」
「そうしてくれ」
二人の前には、まだ長い街道が続いていた。
ドルンウィックまでの道のりは、決して安全ではないらしい。
そして、今回の襲撃によって、新たな疑問が生まれた。
あの男たちは、本当にただの盗賊だったのか。
なぜ、旧街道の途中で待ち伏せしていたのか。
そして、鈴の魔法は、なぜあの武器に影響を与えたのか。
答えはまだ見つからない。
シラスは地図を確かめ、鈴とともに歩き続けた。
今度は、周囲の草むらや崩れた建物にも注意を払いながら。




