受領記録の手掛かり
商業組合へ向かう道すがら、鈴は何度もシラスの顔を覗き込んでいた。
「……何だ?」
三度目に気づいたシラスが、とうとう足を止めた。
「別に?」
「用があるなら言え」
「あなた、さっきから難しい顔をしているから」
「いつものことだ」
「それはそうだけど」
鈴はあっさり頷いた。
「でも、昨日より少し怖い顔よ」
「記録が見つからないからな」
「見つかるかどうか、まだ分からないでしょう?」
「見つからない可能性も考えている」
「じゃあ、見つかった場合のことも考えればいいじゃない」
シラスは返事をしなかった。
確かに、彼女の言うことにも一理ある。
だが、期待して裏切られることには慣れていた。希望を持つことより、最悪の結果を想定しておくほうが、これまでの人生では役に立った。
鈴はそんな彼の横顔を見つめてから、歩き出した。
「……まあ、あなたがそういう人だっていうのは、少し分かってきたけど」
「どういう意味だ?」
「秘密」
「言い出したのはお前だろう」
「だから、秘密なの」
鈴は小さく笑い、先へ進んだ。
シラスはため息をつきながら、その後を追った。
商業組合の建物は、朝から人の出入りが絶えなかった。
荷物の運搬を手配する商人、倉庫の利用を申請する職人、取引の記録を確認する事務員。入口付近には順番を待つ者たちが並び、受付の奥では何人もの職員が書類を整理している。
シラスは昨日教えられた窓口へ向かった。
「東部保管区の記録について、追加の閲覧申請をしたい」
対応した職員は、二人を見比べてから机の上の書類を取り出した。
「昨日、旧保管資料の調査許可を受けた方ですね」
「そうだ。調査中に、資料の移管記録を確認する必要が出てきた」
シラスは、昨日の管理人から聞いた内容を簡潔に説明した。
職員は話を遮ることなく聞き、必要な項目を記入していく。
「確認したいのは、旧保管所から東部保管区へ資料が移された際の受領記録、ということでよろしいですか?」
「ああ。特定の記録番号に関連する資料が、どのように分類され、どこへ移されたのかを調べたい」
「分かりました。ただし、受領記録には複数の商人や組合員の情報が含まれている場合があります。閲覧できる範囲は、申請内容と資料の状態によって制限されます」
「構わない。必要な部分だけ確認できればいい」
職員は申請書を読み直し、最後に組合の印を押した。
「確認には少し時間がかかります。本日中に許可が下りるとは限りませんので、ご了承ください」
「分かった」
手続きを終えた二人は、受付から離れた。
鈴は書類の提出先を振り返り、感心したように呟いた。
「思ったより、すんなり受け付けてもらえたわね」
「必要なことを具体的に説明したからだろう」
「昨日も同じことを言っていたわね」
「実際、そのとおりだからな」
「じゃあ、私も何か聞くときは、ちゃんと具体的に質問するわ」
「まずは、聞きたいことを整理するところからだな」
「……それ、少し失礼じゃない?」
「気のせいだ」
鈴は頬を膨らませた。
シラスは気づかないふりをして、建物の出口へ向かった。
そのまま宿へ戻るには、まだ少し早い時間だった。
「鈴。昨日の資料にあった印を覚えているか?」
「円の中に、線が二本交差しているもの?」
「ああ」
「覚えているわ。どうして?」
「受領記録にも同じ印があれば、資料の移動を追う手掛かりになるかもしれない」
鈴は考え込むように視線を上げた。
「でも、管理人さんは古い分類に使われていた印だと言っていたわよね」
「そうだ。だから、それだけで同じ資料だと判断することはできない」
「似た印がたくさん使われていた可能性もある、ということ?」
「その可能性もある」
シラスは歩きながら答えた。
「印だけに頼るつもりはない。記録番号、日付、移管先。その三つを照らし合わせる必要がある」
「うわあ……」
鈴は露骨に顔をしかめた。
「急に難しくなったわ」
「難しいから調べるんだ」
「もっと簡単な方法はないの?」
「今のところ、ない」
「そう……」
彼女はしばらく考えたあと、ぱっと顔を上げた。
「じゃあ、私が印を見つける係になるわ!」
シラスは横目で彼女を見た。
「勝手に触るなよ」
「触らないわよ。見るだけ!」
「許可された資料の範囲でな」
「分かっているわ!」
鈴は胸を張った。
その勢いがいつまで続くのか、シラスには少し疑問だった。
だが、彼女が自分から調査に加わろうとしていることは悪くなかった。
誰かに守られるだけではなく、自分にできることを探そうとしている。
その姿勢は、旅を続けるうえでも大切なものだった。
二人は昼食を取るため、商業組合の近くにある小さな食堂へ入った。
店内には荷運びの男たちや商人らしい客が集まり、木の皿が触れ合う音と話し声が絶え間なく響いている。
注文を済ませると、鈴は卓上に置かれた水差しから自分の杯へ水を注いだ。
「ところで、シラス」
「何だ?」
「もし記録が見つかったら、その次はどうするの?」
「記録の内容による」
「旧保管所の場所が分かったら?」
「そこへ行く」
「遠かったら?」
「歩くしかない」
鈴は杯を置いた。
「……あなたって、本当に迷いがないのね」
「迷っても道は短くならない」
「そういうところよ」
彼女は呆れたように首を振ったが、すぐに小さく笑った。
「でも、私は行ってみたいわ。古い保管所にも、まだ知らない場所にも」
「危険があるかもしれないぞ」
「分かっているわ。でも、何も知らないまま立ち止まっているのは嫌なの」
その言葉には、いつもの好奇心だけではない響きがあった。
自分が何者なのか。
なぜ、あれほど強い魔法を使えるのか。
どうして記憶を失っているのか。
鈴自身も答えを求めているのだろう。
シラスは彼女を見つめ、やがて静かに頷いた。
「……なら、危険を見極めながら進む。無茶はするな」
「あなたもね」
「俺は無茶などしない」
「昨日、倉庫でずっと立ったまま記録を読んでいた人が何を言っているの?」
「必要な確認だった」
「足が痛くなったって言っていたじゃない」
「……言っていない」
「顔に書いてあったわ」
シラスは反論しかけて、やめた。
この少女は、ときどき妙なところをよく見ている。
やがて運ばれてきた食事を前に、鈴の注意はそちらへ移った。
彼女は嬉しそうに手を合わせ、すぐに料理へ手を伸ばす。
シラスはその様子を眺めながら、ほんの少しだけ表情を和らげた。
昼食を終えた頃、商業組合からの使いが宿屋へ来た。
追加申請について、確認事項があるという。
二人は食堂の席を立ち、再び組合へ向かった。
受付で待っていた職員は、申請書を手に説明を始めた。
「受領記録そのものは、現在も組合の管理下に残っている可能性が高いことが分かりました。ただし、古い帳簿の一部は別の書庫へ移されているようです」
「別の書庫?」
シラスが尋ねる。
「はい。以前、保管場所の整理を行った際、長期保存が必要と判断された帳簿をまとめて移した記録があります。今回の資料がその中に含まれているかどうかは、まだ確認できていません」
「その書庫を調べることはできるか?」
「まずは、受領記録の所在を確認する必要があります。閲覧許可が下りれば、該当する帳簿を調べられるでしょう」
「いつ頃になる?」
「明日までには、何らかの回答ができると思います」
シラスは頷いた。
一度にすべてが分かるわけではない。
それでも、受領記録が完全に失われたわけではない可能性が出てきた。
二人は必要な確認事項を聞き終え、組合を後にした。
夕方の光が街並みを照らし始めていた。
鈴は隣を歩きながら、ふと空を見上げた。
「明日には、少し先へ進めるかもしれないわね」
「そうだな」
「ねえ。もし明日も、まだ見つからなかったら?」
「別の手掛かりを探す」
「もし、その次も?」
「さらに探す」
鈴は呆れたように笑った。
「本当に諦めが悪いのね」
「諦めたところで、何も解決しない」
シラスの声は静かだった。
それは、彼自身に言い聞かせている言葉でもあった。
失われた記録を追う理由は、単なる好奇心ではない。
自分が罪人と呼ばれるようになった事件には、説明のつかない矛盾がある。
その矛盾を解かない限り、彼は過去から逃れることができない。
鈴は彼の横顔を見つめていたが、やがて何も聞かずに歩調を合わせた。
今はまだ、彼が何を背負っているのか、すべてを知っているわけではない。
それでも、隣を歩くことはできる。
二人は宿屋へ戻り、翌日の回答を待つことにした。
受領記録の所在は、まだ確定していない。
古い書庫に何が残されているのかも分からない。
だが、失われた資料へつながる道は、完全には閉ざされていなかった。
明日、その扉が少しでも開くことを願いながら、シラスは窓の外に広がる夕暮れの街を見つめていた。




