移管記録の手掛かり
翌朝、ラヴェンヌの空には薄い雲が広がっていた。
宿屋の食堂で朝食を済ませたシラス・ナハトは、卓上に置いた紙片をじっと見つめていた。
昨日、東部保管区で見つけた古い書類。
そこには、以前調べた帳簿と一致する記録番号が記されていた。しかし、肝心の内容は途中で途切れ、続きの資料がどこにあるのかは分かっていない。
「……その紙、さっきからずっと見ているわね」
向かいに座る鈴が、焼きたてのパンをちぎりながら言った。
「番号を覚えておくためだ」
「もう覚えたんじゃないの?」
「念のためだ」
「あなたって、本当に心配性ね」
「確認を怠るよりはましだ」
シラスは紙片を丁寧に畳み、外套の内側へしまった。
鈴はパンを口に運び、少し考えてから尋ねた。
「今日は、またあの倉庫へ行くの?」
「ああ。昨日の管理人が、移管記録を確認してくれることになっている」
「それで、続きの書類が見つかるかもしれないのね」
「見つかる可能性がある、というだけだ。期待しすぎるな」
「はいはい。期待しすぎないようにするわ」
そう言いながらも、鈴の表情はどこか明るかった。
シラスはそれを見て、小さく息を吐いた。
期待するなと言ったところで、何かを見つけたいという気持ちは止められないのだろう。
自分も同じだった。
あの村で何が起きたのか。
なぜ自分の剣が、説明のつかない形で事件の証拠として扱われたのか。
まだ答えはない。
だからこそ、わずかな手掛かりでも追う必要があった。
二人は宿屋を出て、東部保管区へ向かった。
昨日と同じ道を進み、古びた倉庫群の間を抜ける。
朝の時間帯ということもあり、周囲には荷物を運ぶ人間の姿が少しずつ増えていた。それでも、使われなくなった建物の並ぶ一角には、相変わらず静けさが残っている。
管理小屋の前では、昨日の管理人が帳簿を開いていた。
二人に気づくと、男は手を止めた。
「来たか。昨日の記録について、少し分かったことがある」
シラスの表情が引き締まった。
「移管記録が見つかったのか?」
「一部だけな。完全な記録ではないが、あの書類がどこから運ばれてきたのかは確認できた」
管理人は帳簿を閉じ、二人を建物の中へ案内した。
昨日と同じ指定区画へ向かう途中、鈴は周囲の棚を見回していた。
「ここには、まだ整理されていない書類がたくさんあるのね」
「そうだ。元の保管場所が分からないものもある。分類の途中で別の箱に移された資料も少なくない」
「じゃあ、探すのは大変そうね」
「だからこそ、番号が重要になる」
シラスは短く答えた。
「書類そのものを見つけられなくても、どこへ移されたかが分かれば次につながる」
管理人はその言葉に頷き、机の上に一冊の帳簿を置いた。
表紙には、古い文字で移管記録と記されている。
「昨日の番号を手掛かりに、ここを調べた。該当する資料は、以前、別の保管施設からまとめて運ばれてきたものらしい」
シラスは帳簿を覗き込んだ。
「その施設はどこにある?」
「現在の記録では、旧東方街道の沿線にあった保管所とされている。ただし、施設の名称は途中で変わっている。今の地図だけでは、正確な場所を特定するのは難しいだろう」
「場所が分からないのか……」
「少なくとも、この帳簿だけではな」
管理人は該当するページを指で示した。
そこには、移管された書類の分類と番号、運搬された時期が記録されていた。
だが、記載は簡潔で、すべての資料が個別に列挙されているわけではない。
「この番号の資料は、複数の帳簿と添付書類をまとめた一群の中に含まれていた。運搬後、さらに分類し直された可能性がある」
「つまり、ここへ運ばれた時点では、一緒に保管されていたということか?」
「そう考えるのが自然だ。ただし、その後どの箱に分けられたかまでは、記録が残っていない」
シラスは黙ってページを見つめた。
一歩前進したようで、同時に新しい問題が増えた。
資料の出所は分かった。
しかし、探している別紙が現在もこの保管棟にあるのか、それとも別の施設へ移されたのかは不明なままだった。
「ほかに手掛かりはないのか?」
管理人は帳簿をめくった。
「運搬時の受領記録が残っている可能性はある。資料を受け取った側が、別に帳簿を作成していたならな。ただ、ここに保管されているとは限らない」
「その受領記録を調べることはできるか?」
「この施設の記録なら確認できる。だが、閲覧には別の申請が必要だ」
シラスはわずかに眉を寄せた。
また手続きか。
そう思ったが、口には出さなかった。
許可されていない資料を勝手に調べるわけにはいかない。ここで規則を破れば、今後の調査そのものが難しくなる。
「申請の方法を教えてくれ」
「商業組合へ追加の申請を出す必要がある。今回の許可は、指定区画にある資料の閲覧までだからな。別の帳簿を調べるなら、その範囲を明確にしなければならない」
「分かった」
シラスは必要な手続きを確認した。
その間、鈴は帳簿の隅に書かれた文字を注意深く見ていた。
「ねえ、シラス。ここにある印、昨日の書類にもなかった?」
彼女が指したのは、記録番号の横に小さく添えられた印だった。
シラスは顔を近づけた。
円形の枠の中に、交差する二本の線。
昨日、古い書類の端にも似た印があった。
「……確かに、よく似ている」
「同じものなのかしら?」
「まだ分からない。記録を管理するための印かもしれないし、別の意味があるのかもしれない」
管理人も帳簿を確認した。
「この印は、古い資料の分類に使われていたものだと聞いている。ただし、すべての意味が分かっているわけではない」
「どんな資料に使われていたんですか?」
鈴が尋ねた。
「それについては、私も詳しく知らない。古い分類法の一つだということしかな」
管理人はそれ以上、推測を口にしなかった。
シラスも、印について深く尋ねるのはやめた。
今の段階で重要なのは、印の正体を決めつけることではない。
探している記録との関係があるのかどうか、確かめられる資料を集めることだった。
「ありがとう。まずは受領記録の申請をする」
シラスは管理人に礼を述べた。
「許可が下りたら、また来る」
「ああ。必要な手続きを済ませてから来てくれ」
二人は保管棟を出た。
外へ出ると、鈴が大きく息を吐いた。
「少しずつ分かってきたわね」
「分かったこともあるが、分からないことも増えた」
「でも、最初は何も知らなかったでしょう?」
シラスは彼女を見た。
鈴は真剣な顔をしていた。
「どこに記録があるのかも、何を探せばいいのかも、分からなかった。でも今は、次に何を調べればいいのか分かっているわ」
「……そうだな」
シラスはゆっくりと頷いた。
彼女の言うとおりだった。
手掛かりはまだ断片的で、真実に届くには遠い。
それでも、進む方向は少しずつ明確になっている。
「まずは商業組合へ戻る。追加の申請を出すぞ」
「また書類なのね」
鈴は肩を落とした。
「剣で戦うほうが簡単だわ」
「書類と戦っても勝てないぞ」
「どうして?」
「相手が逃げないからだ」
鈴は一瞬きょとんとしたあと、吹き出すように笑った。
「何それ。書類が逃げるわけないでしょう?」
「だから厄介なんだ」
シラスは真顔で答えた。
鈴はしばらく笑っていたが、やがて目元を拭きながら彼の隣へ並んだ。
「……あなた、時々変なことを言うわね」
「事実を言っただけだ」
「はいはい」
二人は商業組合へ向かって歩き始めた。
古い保管所の正確な場所は、まだ分からない。
探している別紙がどこにあるのかも、明らかになっていない。
それでも、記録が一度まとめて運ばれた場所と、その後の移管手続きに関する手掛かりは得られた。
次に調べるべきものは、受領記録。
それを見つければ、資料がどこへ運ばれ、どのように分類されたのかを追えるかもしれない。
シラスは歩きながら、外套の内側にしまった紙片を確かめた。
あの村で起きたことと、古い交易路の記録。
二つの間に本当に関係があるのかは、まだ分からない。
だが、彼はもう、最初の疑問から目を逸らすつもりはなかった。
「シラス!」
隣から鈴の声がした。
「今度は何だ?」
「申請が終わったら、お昼を食べましょうね」
「……それが一番の目的じゃないだろうな?」
「もちろん、調査も大事よ!」
彼女は少し慌てて付け加えた。
シラスは小さく息を吐いた。
「分かった。昼食も考えておく」
「約束よ!」
鈴は嬉しそうに笑った。
二人の足音が、ラヴェンヌの石畳に重なっていく。
失われた記録を追う旅は、まだ始まったばかりだった。
そして、その記録の奥に何が眠っているのかを知るには、もう少し時間が必要だった。




