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東部保管区の古い倉庫

ラヴェンヌの東側には、かつて商業都市の繁栄を支えていた大きな倉庫群が残っていた。


現在の街の中心部から離れたその一帯は、以前ほど人の往来が多くない。使われなくなった建物の壁には雨染みが広がり、荷物を運ぶために敷かれた石畳にも、ところどころ雑草が生えていた。


シラス・ナハトは、手元の許可証を確かめながら歩いていた。


隣では、鈴が周囲を興味深そうに眺めている。


「ここが東部保管区なの?」


「ああ。昨日、記録庫で見つけた資料に書かれていた場所だ」


「ずいぶん静かなところね」


「使われなくなった倉庫が多いからな。今も管理されている建物は限られているんだろう」


「昔は、ここにもたくさんの商人が来ていたのかしら」


「可能性はある。だが、今はそれを考えに来たわけじゃない」


「分かっているわ。古い書類を探すんでしょう?」


鈴は少しだけ頬を膨らませた。


「でも、どんな場所なのか気になるのは仕方ないじゃない」


「気になるのは構わない。勝手に建物へ入らなければな」


「……私、そんなに信用されていないの?」


「自分の行動を振り返ってみろ」


「むう……」


少女は反論しようとしたが、結局、何も言わなかった。


やがて二人は、周囲の倉庫よりも古びた建物の前にたどり着いた。


入口の上には、かすれた文字で施設の名称が記されている。扉の金具には錆が浮き、壁の一部には修繕された跡があった。


入口の脇には小さな管理小屋があり、その前に一人の男が立っていた。


男は二人の姿を認めると、手にしていた帳簿を閉じた。


「何の用だ?」


シラスは許可証を取り出した。


「商業組合から許可を受けて、旧保管棟の資料を調べに来た」


男は差し出された書類を受け取り、最初から最後まで慎重に目を通した。


「……旧保管棟の指定区画か」


「そうだ」


「許可証は確認した。ただし、入れる場所は書類に記載された範囲だけだ。それ以外の区画には近づくな」


「分かっている」


男は許可証を返した。


「中の棚や帳簿は古い。触れる前に、必ず俺に確認しろ。紙が脆くなっているものもある。破損させれば、調査を中止してもらうことになる」


「承知した」


男はシラスと鈴を交互に見た。


「調べるのは二人だけか?」


「ああ」


「なら、こちらへ来い。先に記録を残しておく」


男は管理小屋へ戻り、机の上に帳簿を広げた。


名前と入場時刻、調査の目的、許可された区画。必要な事項が順番に記録されていく。


シラスは求められた情報を簡潔に答えた。


鈴も自分の呼び名を伝え、帳簿に記入してもらった。


手続きを終えると、男は鍵束を取り出した。


「俺はここの管理を任されている。必要なときは声をかけろ。勝手に動き回られると困るからな」


「分かった」


男は古い扉の鍵を開けた。


軋んだ音とともに扉が動く。


中から、長い間閉め切られていた建物特有の乾いた埃の匂いが流れてきた。


鈴は思わず鼻を押さえた。


「……すごい匂いね」


「古い紙と埃だろう」


「分かっているけれど、思ったよりすごいわ」


「嫌なら外で待っていてもいいぞ」


「嫌とは言っていないでしょう!」


声を上げかけた鈴は、管理人の視線に気づき、慌てて口を閉じた。


シラスは小さく息を吐いた。


「静かにしろ。ここでは声も響く」


「……分かっているわ」


鈴は今度こそ声を抑えた。


二人は管理人の後について、保管棟の内部へ入った。


廊下の両側には木製の棚が並んでいた。棚には番号札が取り付けられ、帳簿や書類の束が箱に収められている。


しかし、すべてが整然と並んでいるわけではなかった。


空になった棚もあれば、別の箱に移されたらしい記録もある。壁際には、分類を終えていない書類が積まれていた。


「ここにあるのは、どんな資料なの?」


鈴が小声で尋ねた。


管理人が答えた。


「古い商業帳簿、荷物の受け渡し記録、通行に関する書類などだ。別の施設から移されてきたものもある。すべてが同じ時期の記録というわけじゃない」


「整理は終わっていないの?」


「移管された資料が多すぎるんだ。中には、元の分類が分からなくなったものもある」


男は廊下の奥を指した。


「今回、許可されているのはあの区画だ。棚の番号は入口にある一覧表で確認しろ。必要な資料が見つかったら、俺に知らせてくれ」


シラスは指定された場所を確認した。


そこには、古い帳簿がいくつも並んでいた。


東方街道に関する記録。


商人たちの通行記録。


そして、ほかの施設から移されたと見られる資料の箱。


求めていた別紙がここにあるという保証はない。


それでも、探す価値は十分にあった。


「まずは記録の番号を確認する」


シラスが言うと、鈴は頷いた。


「昨日の帳簿に書かれていた番号ね?」


「ああ。別紙がどの箱に移されたのか、そこから調べる」


「分かったわ。私は一覧表を確認する」


「勝手に箱を開けるなよ」


「分かっているってば」


鈴は少し不満そうに答えたが、今度は慎重に一覧表へ目を通し始めた。


シラスも棚の番号と手元の記録を照らし合わせた。


しばらくして、鈴が小さく声を上げた。


「シラス、これを見て」


「何かあったのか?」


「この番号、一覧表の中にあるわ。でも、記録の種類が少し違うみたい」


彼女が指さしたのは、古い帳簿の移管先を示す欄だった。


そこには、街道の通行記録とは別に、添付書類をまとめた箱の番号が記されていた。


シラスは一覧表を覗き込んだ。


「……確かに、別の分類になっているな」


「ここを調べれば、何か分かるかもしれないわね」


「ああ。ただし、まだ同じ資料だとは限らない」


シラスは管理人を呼び、該当する箱の閲覧を申請した。


男は番号を確認し、少し考えてから頷いた。


「その箱なら、指定区画にある。だが、かなり古い資料だ。俺が取り出すから、そこで待っていろ」


管理人は奥の棚へ向かい、しばらくして一つの木箱を抱えて戻ってきた。


箱の蓋には、薄れた文字で番号が記されていた。


管理人は机の上に箱を置き、慎重に蓋を開けた。


中には、紐でまとめられた書類がいくつも収められていた。


紙の色は黄ばんでいるが、すべてが読めなくなっているわけではない。


シラスは管理人の許可を得て、最初の束を手に取った。


鈴も隣から覗き込む。


一枚ずつ確認していくと、商人の名前や荷物の種類、通行した日付などが記された書類が見つかった。


しかし、探している注記に直接つながるものは、まだ見当たらない。


「……すぐには見つからないわね」


鈴が小さく呟いた。


「予想どおりだ」


「もう少し、何か手掛かりがあると思ったのに」


「まだ箱の中身を全部確認したわけじゃない」


シラスは次の書類へ目を移した。


焦っても仕方がない。


古い記録を調べるには時間がかかる。番号が正しくても、目的の資料が別の束に紛れている可能性もある。


やがて、束の下のほうから、ほかの書類とは違う形式の紙が現れた。


通常の帳簿よりも小さく、端には別の資料と一緒にまとめられていた跡が残っている。


シラスは紙を傷めないよう、ゆっくりと広げた。


そこには、古い街道の名称と、いくつかの記録番号が記されていた。


しかし、肝心の内容は途中で途切れていた。


紙の下部には、別の資料を参照するようにとの短い注記が残されている。


「……これか」


シラスの声が低くなった。


鈴も顔を近づけた。


「昨日の帳簿にあった注記と関係があるの?」


「まだ断定はできない。だが、同じ記録番号がある」


シラスは紙に書かれた番号を、昨日の帳簿の記録と照らし合わせた。


一致していた。


少なくとも、無関係な資料ではなさそうだった。


「管理人さん、この書類の続きが別に保管されていないか、確認できるか?」


管理人は紙を直接手に取らず、机の上から記載内容を確認した。


「この番号なら、移管前の記録が残っている可能性はある。ただし、今ここにある資料だけでは分からない。別の箱に入っているかもしれないし、移管の際に分かれてしまった可能性もある」


「その移管記録は確認できるか?」


「調べてみよう。だが、すぐに見つかるとは限らないぞ」


「構わない。手掛かりがあるだけでも助かる」


管理人は頷き、書類の番号を控えた。


「今日はこの箱の確認までにしておけ。続きが見つかったら知らせる。ほかの資料を調べたい場合も、改めて確認が必要だ」


シラスは了承した。


二人は、閲覧した書類を元の順番に戻す作業を手伝い、管理人が確認するのを待った。


やがて箱の蓋が閉じられ、資料は再び保管場所へ運ばれていった。


建物を出る頃には、外の光が少し傾き始めていた。


鈴は大きく息を吸い込んだ。


「外の空気って、こんなに気持ちよかったのね」


「埃を吸いすぎたんだろう」


「あなたは平気そうだったじゃない」


「慣れているだけだ」


「何にでも慣れているのね」


「慣れたくないこともある」


その言葉に、鈴は一瞬だけ黙った。


シラスが何を思い浮かべたのか、彼女には分からない。


けれど、それ以上は尋ねなかった。


代わりに、彼の隣へ並ぶ。


「でも、今日は何も見つからなかったわけじゃないわね」


「ああ。記録番号が一致した」


「続きが見つかれば、もっと分かるかもしれない」


「そうだな」


シラスは東部保管区の建物を振り返った。


今回見つかったのは、まだ断片的な記録にすぎない。


それが何を示しているのかも、どこまで信頼できるのかも分からない。


それでも、確かな手掛かりが一つ増えた。


次に必要なのは、移管前の記録を探すことだ。


「明日、管理人に確認しよう」


シラスが言った。


鈴は満足そうに頷いた。


「うん。今度こそ、続きが見つかるといいわね」


「期待しすぎるな」


「またそれ?」


「何度でも言う」


「……少しくらい期待してもいいでしょう?」


シラスは答えず、歩き始めた。


鈴は小さく笑い、すぐに彼の後を追った。


夕暮れのラヴェンヌでは、商人たちが店じまいを始めていた。


街の喧騒は少しずつ落ち着き、遠くから荷馬車の音が聞こえてくる。


失われた記録の先に、何が待っているのか。


二人はまだ知らない。


ただ、途切れた記録の向こうに、もう一つの手掛かりが眠っている可能性が見えてきた。


その続きを見つけるため、二人は再び歩き出すのだった。

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