曖昧な質問では見つからない
東方街道文書庫で調査を始めてから、半日が過ぎようとしていた。
閲覧室の窓から差し込む午後の光は、机の上に広げられた目録と申請用紙を照らしている。
シラス・ナハトは椅子に座ったまま、何度目か分からないため息をついた。
「……思った以上に多いな」
目の前には、古い街道の変遷を記した資料の一覧が並んでいた。
年代、管理機関、保存状態、記録の種類。
どれも細かく分類されているが、対象となる時期を絞らなければ、必要な資料を見つけることは難しい。
隣では、スズが目録の一部を指で追っていた。
「ねえ、シラス。ここに書いてある『通行管理記録』って、何?」
「街道を通った人間や荷物について記したものだろう。通行許可や、荷物の確認に関する記録も含まれているはずだ」
「じゃあ、商人がどこを通ったのかも分かるの?」
「記録が残っていればな」
スズは目録を見つめた。
「それなら、これを全部調べればいいんじゃない?」
「全部?」
「そうよ。全部調べれば、必要なものも見つかるでしょう?」
シラスは彼女を見た。
「……君は、この目録が何冊あると思っているんだ?」
「えっと……たくさん?」
「正解だ」
「何よ、その言い方!」
スズは頬を膨らませた。
シラスは目録を閉じ、机の上に置いた。
「手当たり次第に調べても、時間がかかるだけだ。必要な情報を絞り込む必要がある」
「でも、何を手掛かりにすればいいの?」
「それを考えているところだ」
彼は腕を組み、しばらく黙り込んだ。
今回の目的は、古い街道の位置や、その変遷を知ることだった。
しかし、単に道の名前を調べるだけでは不十分かもしれない。
いつ、どの道が使われていたのか。
どの時期に通行量が減り、別の道へ移ったのか。
そして、その変化が記録上ではどのように扱われているのか。
そこまで調べることができれば、今後の移動にも役立つだろう。
それに、記録を扱う仕事の仕組みを理解しておけば、必要な資料を探す際にも無駄が減る。
「……よし」
シラスは新しい申請用紙を引き寄せた。
「まずは、現在の南側の道が整備される以前の記録を調べる。対象地域はラヴェンヌ周辺から東へ続く街道。資料は街道の変遷と、商人の通行記録だ」
「それなら、さっきより具体的ね」
「ああ。これで必要な資料を絞れるはずだ」
スズは頷いた。
「私も手伝うわ」
「頼む。目録の中から、対象地域の地名を探してくれ」
「分かった!」
彼女は勢いよく返事をした。
そして、すぐに目録へ顔を近づけた。
「ええと……ラヴェンヌ、ラヴェンヌ……」
しばらくして、彼女の手が止まった。
「シラス」
「何だ?」
「この地名、今と違う名前が書いてあるわ」
シラスは隣へ移動し、彼女の指さす箇所を確認した。
確かに、現在の地名とは異なる名前が記されている。
「昔の呼び方かもしれないな。地名が変わることはある」
「じゃあ、同じ場所かどうか、確認しなきゃいけないのね」
「ああ。名前だけで判断すると、別の場所を調べてしまう可能性がある」
スズは真剣な表情で頷いた。
「分かったわ。地名が違っても、すぐに別の場所だと決めつけないようにする」
「そうしてくれ」
二人は再び目録の確認を始めた。
スズは古い地名を紙に書き留め、シラスは街道の変遷に関する資料の分類を調べる。
時間はかかったが、少しずつ必要な情報が整理されていった。
◇
やがて、シラスは申請用紙を持って受付へ向かった。
エドムント・ヴァイスは、机の上に積まれた書類を確認していた。
「調査の範囲を絞れましたか?」
「ああ。現在の南側の街道が整備される以前の資料を調べたい。対象はラヴェンヌ周辺から東へ続く地域だ。街道の変遷を記した資料と、商人の通行記録を確認したい」
エドムントは申請用紙を受け取り、内容を丁寧に確認した。
「前より具体的になりましたね」
「必要な範囲を絞り込んだつもりだ」
「ええ。これなら、対象となる資料を探しやすくなります」
エドムントは別の帳簿を開き、いくつかの項目を確認した。
「ただし、街道の変遷に関する資料と、個々の商人の通行記録では管理番号が異なります。まずは目録を確認し、その後、必要な資料を個別に申請していただくことになります」
「分かった」
「それと、古い地名については注意してください。地域によっては、行政上の名称が変わっているものもあります。同じ場所を指しているとは限りませんので、地図と照らし合わせて確認することをおすすめします」
「ちょうど、その点で迷っていたところだ」
シラスはスズが見つけた古い地名について説明した。
エドムントは該当する箇所を確認したが、すぐに断定することはなかった。
「この名称だけでは判断できません。地図資料を確認しましょう」
彼は別の目録を取り出し、いくつかの項目を指さした。
「こちらに、旧街道の位置を記した地図があります。年代は完全には一致しませんが、地名の変化を確認する助けにはなるでしょう」
「助かる」
「資料の閲覧を許可します。ただし、原本の取り扱いには十分注意してください」
エドムントは申請を処理し、必要な閲覧票を渡した。
「こちらを持って、担当職員にお見せください」
シラスはそれを受け取った。
手続きは面倒だったが、理由のない制限ではない。
記録が失われたり、破損したりすれば、二度と確認できなくなるものもある。
エドムントが慎重になるのも理解できた。
「一つ聞いてもいいか?」
シラスが尋ねると、エドムントは顔を上げた。
「どうぞ」
「古い通行記録は、どの程度まで保存されているんだ?」
「時期や管理機関によって異なります。すべての記録が残っているわけではありません。帳簿が失われたものもあれば、別の機関へ移されたものもあります」
「別の機関?」
「ええ。商人の通行記録は、必ずしも一か所で管理されていたわけではありません。街道を管理する役所、通行を許可する施設、商業組合。それぞれが独自の記録を作成していた時代もあります」
シラスは、その説明を頭の中で整理した。
つまり、ここにある記録がすべてではない。
必要な資料が見つからなければ、別の場所を探す必要があるかもしれない。
「分かった。まずは、ここに残っている資料から調べる」
「そのほうがよいでしょう」
エドムントは静かに頷いた。
「記録を調べる際には、書かれていることだけでなく、何が記録されていないのかにも注意してください。ただし、記載がないからといって、必ずしも何かが隠されているとは限りません」
シラスはその言葉に目を細めた。
「……覚えておく」
エドムントはそれ以上、何も付け加えなかった。
◇
閲覧室へ戻ると、スズが地図を広げて待っていた。
「シラス、これを見て!」
彼女は地図の一部を指さした。
そこには、現在の地図とは少し異なる街道の線が描かれていた。丘陵地帯を抜ける道や、古い橋の位置も記されている。
「昔の道は、今より北側を通っていたみたい」
「そうらしいな」
「それに、ここ。昔の地名がいくつか載っているわ」
シラスは地図を確認した。
目録に記された名称の一つが、地図上にも見つかった。
同じ地域を指している可能性は高そうだったが、まだ確定はできない。
「いい発見だ」
シラスが言うと、スズは嬉しそうに笑った。
「でしょう?」
「ただし、ほかの資料とも照らし合わせる必要がある」
「……せっかく褒めてくれたと思ったのに」
「褒めたことは取り消していない」
「なら、もっと素直に褒めてくれてもいいじゃない」
シラスは少し考えた。
「よく見つけたな。助かった」
スズは目を瞬かせた。
そして、顔を少し赤くした。
「……そ、そういうふうに言われると、調子が狂うじゃない」
「褒めてほしかったんじゃないのか?」
「そうだけど!」
彼女は慌てて地図へ視線を戻した。
シラスは首を傾げたが、追及することはなかった。
しばらくして、二人は必要な地図と目録を並べ、資料の閲覧に取りかかった。
すぐに大きな発見があったわけではない。
古い道の名前を確認し、地図と照らし合わせ、記録が残っている年代を整理する。
地道な作業だった。
それでも、少なくとも調べるべき範囲は見えてきた。
夕方が近づく頃、シラスは今日の調査結果を紙にまとめた。
「今日はここまでだな」
「もう終わり?」
「ああ。これ以上続けても、確認が雑になる」
「……まだ気になるところがあるのに」
「明日も調べられる」
スズは少し考えたあと、頷いた。
「そうね。焦っても仕方ないものね」
シラスはその言葉を聞き、わずかに口元を緩めた。
彼女も、少しずつ学んでいるらしい。
ただし、食事に関しては別のようだった。
「ねえ、シラス。宿に戻ったら、何を食べる?」
「……それは調査と関係があるのか?」
「大いにあるわ!」
「どこがだ」
「お腹が空いていたら、明日の調査に集中できないでしょう?」
シラスはしばらく彼女を見つめた。
そして、静かに立ち上がった。
「……分かった。食事にしよう」
「やった!」
スズは嬉しそうに笑った。
二人は閲覧票を返却し、机の上を片づけた。
東方街道文書庫を出る頃には、街の空は夕暮れに染まっていた。
今日得られたのは、古い街道の地図と、記録を調べるための手順。
事件に関係する情報は、まだ見つかっていない。
それでも、シラスは焦らなかった。
必要な情報を一つずつ集め、確かめ、次へ進む。
それが、今の彼にできることだった。
そして、明日もまた、記録を調べるためにここへ戻ってくるつもりだった。




