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童貞にして最強 ―穢れなき力を手にした男の黙示録―  作者: 忠犬むつ公
第一部

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第九十四話 冬の日々


 夜のうちに新しく積もった雪が、村の屋根も道も白く覆っている。


 昨夜あれだけ騒いでいた村は、朝になればいつも通りだった。


 家畜へ餌をやる者がいる。


 井戸へ水を汲みに来る者がいる。


 屋根へ積もった雪を下ろす者がいる。


 違うことがあるとすれば、村の外れに巨大なドラゴンの残骸が置かれていることくらいだった。


「……夢じゃなかったな」


 井戸へ来た男が、遠くに見える灰黒色の巨体を眺めながら呟いた。


「夢であんなに腹いっぱいになるか」


「それもそうか」


「肉、まだあるんだろ?」


「あるどころじゃないだろ。あの大きさだぞ」


「今日も食えるかな」


「朝飯食ったばかりだろ」


「ドラゴンは別だ」


 そんな話をしながら、二人は水桶を持って歩いていった。



 空き家の前では、礼が薪を割っていた。


 昨夜遅くまで起きていた童術師たちの大半は、まだ家の中にいる。


 礼も寝た時間は大して変わらない。


 それでも、目が覚めたから起きた。


 それだけだった。


 斧を振り下ろす。


 乾いた音とともに薪が割れる。


 もう一本。


 台へ置く。


 振り下ろす。


「童師様」


 声をかけられ、礼は振り返った。


 村の男が立っている。


「なんだ」


「朝から申し訳ありません。こちらもお願いしてよろしいでしょうか」


 男の後ろには、何本かの丸太が積まれていた。


「薪か?」


「はい。俺たちでやってもいいんですが、東の屋根が昨夜の雪で危なくて。先にそちらへ人を回したくてですね」


「分かった」


「ありがとうございます、童師様」


「そこに置いておけ」


「はい」


 男は丸太を運んでくると、何度も頭を下げて去っていった。


 礼はそれを見送り、斧を握り直した。


「…………」


 最初にこの村へ来た時とは、随分違う。


 あの時は、村の中へ入ることさえ拒まれた。


 今は朝から仕事を頼まれる。


 礼は丸太を一本、台へ置いた。


 斧を振り下ろす。


「礼!」


 遠くから声が飛んできた。


 ガルドだった。


「なんだ」


「そっち終わったら来てくれ! 柵がまた傾いてやがる!」


「昨日直しただろ」


「昨日直したのは南だ! 今度は東!」


「分かった」


「頼む!」


 ガルドはそのまま歩いていく。


 礼が薪割りへ戻ろうとすると、先ほどの男が少し離れたところでガルドを見ていた。


「どうした」


「い、いえ」


「なんだ」


「ガルドさんは……本当に童師様をお名前で呼ばれるんですね」


「ああ」


「昔からの知り合いだ」


「それは聞いておりますが……」


 男はガルドの背中を見る。


「なんというか、未だに慣れません」


「そうか」


「はい」


「俺は慣れてる」


「それはそうでしょうね」


 礼は薪を割った。



     ◇



 昼を過ぎる頃には、童術師たちも村のあちこちへ散っていた。


 屋根の雪を下ろす者。


 薪を運ぶ者。


 家畜小屋を直す者。


 凍りかけた井戸を確認する者。


 頼まれた仕事は、いつの間にか十四人でも足りないほどになっている。


「もう少し右です」


「こちらですか?」


「そこです。ああ、少し行き過ぎました」


「申し訳ありません」


「いやいや、謝るほどじゃないですよ」


 屋根の上で童術師が板を押さえ、下から村人が位置を確認する。


「ここでしょうか」


「はい。そこでお願いします」


「分かりました」


 金槌が振り下ろされた。


 別の場所では、第三童式《童衣》を使った童術師が、雪に埋まった丸太を持ち上げている。


「ここへ置けばよろしいですか?」


「お願いします」


「分かりました」


「便利なもんですねえ、童術ってのは」


「使い方次第だと思います」


「俺にも使えますかね?」


「それは……」


 童術師が困った。


「俺たちは教えない約束ですので」


「ああ、そうだった」


「申し訳ありません」


「いやいや。童師様との約束なら仕方ない」


 村人は笑って、運ばれた丸太へ縄を掛け始めた。



 その頃、礼はガルドと東側の柵を直していた。


「そっち押さえろ」


「ああ」


「もうちょい右」


「こうか」


「行き過ぎだ」


「どっちだ」


「左」


 礼が少し動かす。


「そこ」


「最初からそう言え」


「言っただろ」


「言ってない」


「言った」


「聞いてない」


「じゃあお前が悪い」


「なんでだ」


 ガルドが笑う。


「ドラゴン一人で狩れるくせに、柵直すのは下手だよな」


「関係ないだろ」


「《童眼》とかいうの使えばいいじゃねえか」


 礼の手が止まった。


「なんで知ってる」


「昨日、お前んとこの連中が話してた」


「…………」


「便利なんだろ?」


「柵を見るために作った術じゃない」


「じゃあ自力でやれ」


「やってる」


 礼は木槌を振り下ろした。


 釘が僅かに曲がる。


「…………」


「…………」


 ガルドが礼を見る。


「見るな」


「何も言ってねえよ」


「顔がうるさい」


「初めて言われたわ」


 礼は曲がった釘を抜いた。



 昼を過ぎた頃、ガルドの妻が二人分の食事を持ってきた。


 黒パンと温かいスープ。


 そして昨日のドラゴン肉だった。


「まだあるのか」


 礼が言う。


「当たり前でしょう。あれだけ大きかったんですから」


「そうか」


「童師様も、どうぞ」


「ああ。ありがとう」


 礼は器を受け取った。


 ガルドが隣から覗き込む。


「お前の方が肉多くねえか?」


「気のせいよ」


「いや、絶対多い」


「ドラゴンを倒した人と、見てただけの人が同じ量なわけないでしょう」


「俺だって解体したぞ!」


「はいはい」


 妻は笑って去っていった。


 ガルドが礼の器を見る。


「一個寄越せ」


「嫌だ」


「昨日はいらないって言ってただろ!」


「今日は食う」


「なんだよそれ!」


 礼は先に肉を口へ入れた。


「美味い」


「腹立つな、お前」



     ◇



 午後。


 一人の童術師が、村の端にある家へ向かっていた。


 腕には薪を抱えている。


 戸を叩く。


「お持ちしました」


「あっ……ありがとうございます」


 若い女が出てきた。


 礼たちより少し年下だろうか。


 彼女は薪を見ると、申し訳なさそうに眉を下げた。


「こんなにお願いしてしまって」


「お気になさらないでください」


「でも、昨日も運んでいただきましたよね」


「昨日の分では足りないと伺いましたので」


「母が頼んだんですか?」


「はい」


「もう……」


 女は家の奥を振り返った。


「自分で取りに行くって言ったのに」


「雪も深いですから」


「だからって、毎日お願いするのも」


「俺は構いません」


 男は薪を家の横へ置いた。


「他に何かありますか?」


「いえ。大丈夫です」


「そうですか」


「……あ」


 男が帰ろうとしたところで、女が呼び止めた。


「待ってください」


「はい?」


 女は家へ戻り、すぐに小さな包みを持ってきた。


「これ」


「なんでしょう」


「昨日焼いたものです。大したものじゃないですけど」


「いえ、そのようなものをいただくわけには」


「いつも手伝ってもらってますから」


「しかし――」


「余ったんです」


「…………」


 男は包みを見る。


 この村へ来てから何度も聞いた言葉だった。


 余った。


 多く作りすぎた。


 使わないから。


 そのたびに、食べ物や道具が空き家へ増えていった。


「……ありがとうございます」


 男は両手で受け取った。


「また何かありましたら、お声がけください」


「はい」


 女が笑う。


 男は軽く頭を下げて歩き出した。


 少し進んでから、一度だけ振り返る。


 女はもう家へ戻っていた。


「…………」


 男も再び歩き始めた。



     ◇



 数日が過ぎた。


 雪は一度、止んだ。


 朝から青空が広がり、久しぶりに山の稜線がはっきりと見えた。


 礼は村の入口に立っていた。


 道を見る。


 雪は深い。


 だが、《童駆》を使えば進めないほどではない。


「…………」


「どうした、礼」


 ガルドが後ろから来た。


「雪が止んだ」


「ああ」


「約束は、雪が止むまでだった」


「そうだな」


 ガルドも道を見る。


「出るのか?」


「…………」


 礼は答えなかった。


 出ようと思えば出られる。


 十四人なら、雪道でも進める。


 物資もある。


 ドラゴンの肉も保存できるだけ確保した。


 ここに留まらなければならない理由はない。


「童師様!」


 村の方から声がした。


 礼が振り返る。


 村人が走ってくる。


「すみません、少しよろしいでしょうか」


「なんだ」


「西の家の屋根なんですが、雪の重みで梁が少し曲がっているようで」


「今か?」


「いえ、今日はもう遅いので……明日お願いできればと」


「…………」


「難しいでしょうか?」


 礼は道を見る。


 もう一度、村人を見る。


「いや」


「では」


「明日見る」


 男の表情が明るくなった。


「ありがとうございます、童師様!」


 頭を下げ、村へ戻っていく。


 ガルドが何も言わず礼を見る。


「なんだ」


「いや?」


「言いたいことがあるなら言え」


「別にねえよ」


 笑っている。


「その顔をやめろ」


「どの顔だよ」


「今のだ」


「俺は普通だ」


「嘘をつけ」


 礼は村へ戻った。



 翌日、西の家の梁を直した。


 その翌日は家畜小屋だった。


 さらに次の日には、井戸の周囲に凍りついた雪を取り除いた。


 その間にも、また雪が降った。


 道は白く埋まった。


 誰も、雪が止むまでという話をしなかった。



     ◇



 空き家も、いつの間にか変わっていた。


 最初に入った時には、床と壁しかなかった。


 今は違う。


 十四人分の毛布。


 欠けた皿。


 小さくへこんだ鍋。


 野菜を入れる木箱。


 濡れた外套を掛けるための棒。


 入口には、靴についた雪を落とすための板まで置かれている。


 誰が置いたのか、礼は知らなかった。


 壁際には薪が積まれていた。


 数日分ではない。


 もっと先まで使える量だった。


「童師」


 声をかけられる。


「なんだ」


「明日は南側の雪下ろしを頼まれました」


「ああ」


「それから、村長から三日後に柵を確認してほしいとのことです」


「三日後?」


「はい。雪が緩むと傾く場所があるそうです」


「…………」


「童師?」


「いや」


 礼は壁際の薪を見る。


「分かった」


「承知しました」


 男は台所へ戻った。


 鍋から湯気が上がっている。


 夕食の準備が進んでいた。


 別の童術師が外から帰ってくる。


「ただいま戻りました」


「お帰りなさい」


「雪、また降ってきましたよ」


「本当ですか?」


「今夜は積もりそうです」


「では明日も雪かきですね」


 誰かが笑った。


「その前に南側でしょう」


「両方やればいいですよ」


「簡単に言いますね」


 会話が続いている。


 礼は窓へ近づいた。


 外を見る。


 細かな雪が、また村へ降り始めていた。


 道。


 屋根。


 古い井戸。


 葉を落とした大木。


 その向こうに、家々の明かりが見える。


「童師」


 後ろから声がした。


「夕食ができました」


「ああ」


 礼は答えた。


 もう一度だけ、外を見る。


 雪は静かに降っている。


 いつ止むのかは分からなかった。


 礼は窓を閉めた。


「今行く」


 皆のいる部屋へ戻った。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

少しでも「面白かった!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、ぜひ評価や感想をいただけると嬉しいです!

皆様からの評価や感想は、今後の執筆活動の大きな励みになります。

これからも『童貞にして最強』をよろしくお願いいたします!

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