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童貞にして最強 ―穢れなき力を手にした男の黙示録―  作者: 忠犬むつ公
第一部

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第九十二話 狩り


 翼の付け根を貫かれたドラゴンが、空から落ちてくる。


 片翼は力を失い、もう片方だけが激しく空気を掻いていた。巨体は大きく傾き、雪原へ向かって落下していく。


 礼は走った。


「落ち方が悪い」


 あのまま地面へ叩きつけられれば、骨が折れるだけでは済まない。自重で肉まで潰れる。


 せっかく《童貞破》を使わなかった意味がなくなる。


 礼の脚を覆う童力が、一段強くなる。


 第一童式《童駆》。


 雪を蹴るたび、白い地面が爆ぜた。


 落下地点へ先回りする。


 頭上を見上げれば、ドラゴンの腹が迫っていた。


「…………」


 さすがに重い。


 礼は両脚を開いた。


 全身へ童力を巡らせる。


 第三童式《童衣》。


 皮膚の表面だけではない。腕、肩、背、腰、脚。全身を一本の柱として繋ぐように、童力を巡らせた。


 両腕を上げる。


「来い」


 直後。


 ドラゴンの巨体が落ちてきた。



 ズン――!



 礼の足が雪へ沈んだ。


「ぐっ……!」


 両腕へ凄まじい重みがかかる。


 受け止めたわけではない。


 そんなことをすれば、礼自身が地面へ埋まる。


 落下する身体へ横から力を加え、勢いを逃がす。


 ドラゴンの巨体が斜めへ流れた。


 雪原を滑る。


 大量の雪を巻き上げながら、数十メートル先まで進んでいく。


 やがて止まった。


「…………」


 礼は雪の中から脚を抜いた。


 肩を回す。


「重いな」


 ドラゴンが顔を上げた。


 まだ生きている。


 むしろ、怒っていた。


 黄金色の瞳が礼を捉える。


 翼を傷つけられ、地面へ落とされた。それでも戦意は失われていない。


 口が開く。


 牙の奥で、赤い光が膨らんだ。


「またか」


 礼が走る。


 炎が吐き出された。


 白い雪原を赤が走った。


 雪が一瞬で溶け、蒸気となって噴き上がる。地面が露出し、さらにその下の土まで黒く焼けた。


 礼は炎の外へ抜ける。


 ドラゴンの頭が追う。


 炎も追ってくる。


「面倒だな」


 礼はさらに速度を上げた。


 炎が背後を通り過ぎる。


 熱が外套越しに肌を刺した。


 ドラゴンの口が閉じる。


 炎が止まった。


 その瞬間、礼は方向を変えた。


 一気に距離を詰める。


 ドラゴンが前脚を振り上げた。


 巨大な爪が迫る。


 礼は止まらない。


 身体を沈め、爪の下へ潜る。


 腹が見えた。


 比較的柔らかい鱗。


「…………」


 斬れる。


 だが、そこは肉が多い。


 礼は通り過ぎた。


 直後、背後から尾が迫る。


「っ」


 腕を上げる。


 第三《童衣》。


 尾が直撃した。


 鈍い衝撃が全身を抜ける。


 礼の身体が雪原を飛んだ。


 何度か雪の上を転がり、片膝をつく。


「……痛いな」


 右腕を動かす。


 折れてはいない。


 ドラゴンは礼へ向き直っていた。


 傷ついた翼を庇いながらも、残った三本の脚で立っている。


 礼は立ち上がった。


「やっぱり強いな」


 呟きながら、右手を開く。


 一本の剣が現れた。


 第七童式《万装顕現》。


 長大な剣ではない。


 普段使うものと大きく変わらない、片手で扱える剣だった。


 刃へ童力を流す。


 第四童式《童閃》。


 淡い光が刃を包む。


 ドラゴンが唸る。


 礼も構える。


「さて」


 どこを斬るか。


 首を落とせば早い。


 だが、首にも肉がある。


 胸を貫いてもいい。


 それも勿体ない。


 腹など論外だった。


「…………」


 礼は剣を下ろした。


「難しいな」


 命を懸けてドラゴンへ挑む冒険者が聞けば、怒ったかもしれない。


 礼が悩んでいるのは、倒せるかどうかではなかった。


 どこを傷つければ、最も食べられる部分を残せるのか。


 それだけだった。



 ドラゴンが動いた。


 地面を蹴る。


 巨体からは想像できない速さだった。


 口を開き、礼へ食らいつこうとする。


 礼は横へ跳んだ。


 牙が空を噛む。


 着地と同時に、礼の瞳がドラゴンを捉えた。


「……仕方ない」


 童力が変わる。


 ただ見るのではない。


 鱗。


 筋肉。


 骨格。


 魔力の流れ。


 呼吸。


 負傷した翼。


 熱を生み出す器官。


 血管。


 生命を維持しているもの。


 それらを、一つずつ捉えていく。



 第十一童式――《童眼》。



 礼の視界から、余計なものが消えた。


 雪も。


 木々も。


 舞い上がる蒸気も。


 目の前の生命だけを見る。


「…………」


 ドラゴンが再び口を開く。


 喉の奥へ魔力が集まる。


 礼には、その流れが見えていた。


 炎を生む場所。


 そこから全身へ伸びる魔力。


 鼓動。


 血流。


 骨と骨の僅かな隙間。


 厚い筋肉の奥。


「そこか」


 礼が動いた。



 第一童式《童駆》。



 姿が消える。


 ドラゴンが炎を吐いた。


 だが、そこに礼はいない。


 側面。


 ドラゴンの視界の外へ回り込む。


 前脚が動くより早く、その身体を駆け上がった。


 一歩。


 二歩。


 鱗を足場にして、さらに上へ。


 ドラゴンが身体を振る。


 礼は跳んだ。


 剣を逆手に持ち替える。


 狙うのは首ではない。


 頭でもない。


 首の付け根。


 硬い鱗が重なり、その下に僅かな隙間がある。


 肉を大きく断つ必要はない。


 必要な場所へ、必要な深さだけ届けばいい。


「第四童式――《童閃》」


 刃が光る。


 落下する勢いを乗せ、礼は剣を突き立てた。



 ――ギィィィィィィィィィッ!



 ドラゴンの絶叫が雪山へ響いた。


 巨体が激しく暴れる。


 礼は剣から手を離した。


 雪原へ飛び降りる。


 着地。


 すぐに振り返る。


 ドラゴンはまだ立っていた。


 尾が雪を薙ぎ、前脚が地面を抉る。


 傷ついた翼が何度も動く。


 口が開く。


 だが、炎は出なかった。


 礼は動かなかった。


「…………」


 一歩。


 ドラゴンが進む。


 二歩。


 巨体が揺れる。


 三歩目はなかった。


 前脚が折れる。


 頭が落ちた。


 雪原が大きく揺れる。


 ドラゴンの身体が横倒しになった。


 しばらく尾だけが動いていた。


 やがて、それも止まる。


 雪が降る。


 荒れ果てた雪原に、静けさが戻った。



 礼はすぐには近づかなかった。


 離れた場所から様子を見る。


 呼吸はない。


 魔力の流れも急速に消えていく。


 それを確認してから、歩き始めた。


 ドラゴンの頭の横まで来る。


 黄金色の瞳は、もう礼を見ていなかった。


「…………」


 礼はしゃがんだ。


 首の付け根を見る。


 傷口は小さい。


 必要以上に肉を裂いてはいない。


 翼の付け根は槍で貫いてしまったが、それ以外に大きな損傷はない。


 腹も無事。


 胸も無事。


 脚もほとんど傷ついていない。


 礼は立ち上がった。


「上出来だな」


 右手を伸ばす。


 刺さったままの剣が消えた。


 翼を貫いていた槍も消える。


 残ったのは二つの傷だけだった。


「さて」


 礼はドラゴンを見る。


 改めて見ると、大きい。


 非常に大きい。


「…………」


 村まで運ばなければならない。


 礼はしばらく考えた。


「面倒だな」


 戦っている時よりも、少しだけ困った顔をした。



     ◇



 村では、誰も北から目を離せずにいた。


 戦いの音は、途中から聞こえなくなっていた。


 それが良いことなのか、悪いことなのかも分からない。


「……静かになったな」


 村長が言った。


「ああ」


 ガルドも北を見る。


 童術師たちは村の各所に散り、万が一に備えていた。


 だが、誰も山へ向かおうとはしない。


 礼が村にいろと言った。


 そして自分たちは、ドラゴンを知らない。


 今できることは、待つことだけだった。


「どれくらい経った」


「分からん」


「一時間は経ってない」


「そうか」


 村長が落ち着かない様子で歩き回る。


「座ってろ」


「座ってられるか」


「歩いてても変わらねえよ」


「分かっとる」


「なら座れ」


「うるさい」


 ガルドはそれ以上言わなかった。


 自分も人のことを言えない。


 視線はずっと、北へ向いたままだった。



 やがて。


「……何か来ます」


 童術師の一人が言った。


 全員が北を見る。


 白い雪の向こう。


 何かが動いている。


「ドラゴンか!?」


 村長が身構える。


「違います」


「じゃあ何だ!」


「……分かりません」


 ゆっくりと近づいてくる。


 巨大な黒い塊。


 雪煙。


 その前に、小さな人影が見えた。


「…………」


 ガルドが目を細める。


「礼?」


 人影は歩いていた。


 その後ろで、巨大な何かが雪の上を滑っている。


 村へ近づくにつれ、その形が見えてきた。


 翼。


 尾。


 巨大な頭。


 灰黒色の鱗。


 村長の口が開いた。


「…………」


 誰も何も言わなかった。


 礼が戻ってくる。


 ドラゴンを引きずって。



 村の入口まで来ると、礼は足を止めた。


 ドラゴンの巨体も止まる。


 礼は身体へ巡らせていた《童衣》を解いた。


「ただいま」


「…………」


 返事がない。


 礼は周囲を見る。


 村人たちがいる。


 童術師たちもいる。


 ガルドもいる。


 全員、ドラゴンを見ていた。


「どうした」


 誰も答えない。


「礼」


 ようやくガルドが口を開いた。


「なんだ」


「……それ」


「ドラゴンだ」


「見りゃ分かる」


「なら聞くな」


「そういう意味じゃねえよ!」


 ガルドがドラゴンへ近づく。


 恐る恐るではあるが、その頭を確認する。


「死んでる……」


「ああ」


「本当に?」


「ああ」


「一人で?」


「ああ」


「…………」


 ガルドが礼を見る。


「お前、本当に何やってたんだ。この七年」


「色々だ」


「またそれかよ」


 村長も近づいてきた。


 顔にはまだ信じられないものを見るような色が残っている。


「……倒したのか」


「ああ」


「本当に?」


「だから死んでるだろ」


「いや……そうだが……」


 老人は巨大なドラゴンを見上げた。


「これを、一人で……」


「そうだ」


 童術師たちも集まってくる。


「童師」


「なんだ」


「お怪我は?」


「ない」


「本当にですか?」


「腕が少し痛い」


「診せてください」


「後でいい」


「ですが――」


「それより先にやることがある」


 礼はドラゴンを指した。


「日が落ちる」


 全員が礼を見る。


「…………?」


「解体するぞ」


 ガルドが瞬きをする。


「今から?」


「ああ」


「いや、待て。礼」


「なんだ」


「お前、これだけのドラゴン倒して帰ってきて、最初にそれか?」


「肉を取りに行ったんだぞ」


「そうだった!」


 ガルドは頭を抱えた。



 村長がドラゴンへ近づく。


「待て」


「なんだ」


「これを……食うのか?」


「ああ」


「ドラゴンだぞ」


「だからだ」


「食えるのか?」


 礼は村長を見る。


「美味いぞ」


「…………」


「かなり」


 礼は真顔だった。


 村長は何も言えなくなった。



「童師」


 童術師の一人が尋ねる。


「これほどの大きさですと、私たちだけでは食べ切れないのでは?」


「無理だな」


「では、どうなさいますか」


「村で分ける」


 礼は当然のように答えた。


 村人たちが顔を見合わせる。


「俺たちも?」


「ああ」


「だが……」


「十四人で食える量じゃない」


 礼はドラゴンの腹を軽く叩いた。


「冬なら多少は保存も利くだろ」


「いや、そういう話じゃ……」


「嫌なら食わなくていい」


 礼は村人たちを見た。


「食いたい奴だけ食え」


 それだけ言うと、再びドラゴンへ向き直る。


「ガルド」


「なんだよ」


「解体できるか」


「鹿ならな」


「ドラゴンは?」


「できるわけねえだろ!」


「元冒険者だろ」


「ドラゴンの解体が必修科目だと思うな!」


「使えないな」


「お前な!」


 礼は小さく息を吐いた。


「仕方ない」


「できるのか?」


「見たことはある」


「やったことは?」


「少し」


「最初からお前がやれ!」


「一人じゃ時間がかかる」


 礼はドラゴンを見る。


「手伝え」


「……分かったよ」


 ガルドが肩を落とした。


 それを見ていた童術師たちも近づいてくる。


「童師、私たちもお手伝いいたします」


「ああ」


「どこから始めますか?」


「まず血を抜く」


「承知しました」


「鱗は?」


「後だ。傷つけるな。売れる」


「牙や爪もでしょうか」


「多分な」


 ガルドが礼を見る。


「そこは知らねえのかよ」


「食えない部分に興味はない」


「徹底してんな、お前」


 礼は答えず、剣を一本顕現させた。



 村人たちは、まだ遠巻きに見ていた。


 先ほどまで、自分たちを震え上がらせていた存在だった。


 そのドラゴンが今は村の入口で横たわり、礼と童術師たちが解体の準備をしている。


「……本当に食うのか」


 誰かが呟いた。


「礼は美味いって言ってたぞ」


「礼って、あの男だろ?」


「ああ」


「信用していいのか?」


「ドラゴン倒して引きずって帰ってくる奴の味覚を信用していいのか、俺には分からん」


「それはそうだな」


 小さな笑いが起きた。


 恐怖で強張っていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。



 礼はそれを聞きながら、ドラゴンの鱗へ刃を入れる場所を探していた。


「童師」


「なんだ」


「今夜、食べられるでしょうか」


 礼は手を止める。


 空を見る。


 まだ日没までは少しある。


 もう一度、ドラゴンを見る。


「急げばな」


「では、急ぎます」


「ああ」


 礼は刃を構え直した。


「せっかく倒したんだ」


 雪の中、白い息を吐く。


「美味いうちに食うぞ」

ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

少しでも「面白かった!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、ぜひ評価や感想をいただけると嬉しいです!

皆様からの評価や感想は、今後の執筆活動の大きな励みになります。

これからも『童貞にして最強』をよろしくお願いいたします!

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