第八十七話 俺たちも童術師です
翌朝。
空は昨日までより明るかった。
雪は止んでいたが、夜の間に積もった新雪が村を覆い、家々の屋根も道も白く染まっている。吐く息は白く、空気は肌を刺すほど冷たい。
村の北側。
五人の童術師が、森へ入る準備をしていた。
武器を確認し、荷物を背負う。
昨日、魔物に襲われた猟師も厚手の外套を着込み、弓を肩へ掛けていた。
「童師」
一人の童術師が礼の前に立つ。
「準備が整いました」
「ああ」
礼は五人を見る。
「目的は討伐じゃない。まず数と巣の位置を確認しろ」
「はい」
「村へ向かっている形跡があるなら、その時だけ排除する」
「承知しました」
「深追いはするな」
「はい」
「猟師を守れ」
「もちろんです」
礼は最後に猟師を見る。
「昨日も言ったが、戦う必要はない」
「分かってる」
「危なくなったら下がれ」
「それも分かってる」
猟師は少し不満そうに答えた。
「俺だってこの森で二十年狩りをしてる。足手まといになるつもりはない」
「ならいい」
礼が頷く。
「行ってこい」
「はい」
五人が礼へ頭を下げた。
それから、猟師とともに森へ向かって歩き出す。
その姿を、何人もの村人が遠巻きに見ていた。
「……あんたは行かないのか」
声をかけられた。
礼が振り返る。
村長だった。
「あいつらで十分だ」
「だが、あんたが一番強いんだろう」
「だから俺が行く必要がない」
「…………」
「それに」
礼は村へ視線を向けた。
「昨日頼まれた仕事が残っている」
村長もつられて振り返る。
家畜小屋。
壊れた柵。
雪に埋もれた道。
「……魔物よりそっちを優先するのか」
「優先してない。分けただけだ」
「分けた?」
「あいつらは魔物を見に行く。残った俺たちは村の仕事をする」
礼は歩き出した。
「それで足りる」
村長はしばらくその背中を見ていた。
森へ入って一時間ほど。
村の姿はすでに見えなくなっていた。
先頭を歩く猟師が時折足を止め、雪の上を確認する。
「こっちだ」
五人が続く。
「昨日は、この辺りで襲われた」
「足跡がありますね」
童術師の一人がしゃがみ込む。
雪の上には、大きな獣の足跡が残されていた。
一つではない。
いくつもの足跡が重なり、森の奥へ続いている。
「……多いですね」
「ああ」
猟師が顔を険しくする。
「昨日見たのは一頭だった」
「少なくとも六頭」
別の童術師が周囲を見る。
「小さいものも混じっています」
「子供か?」
「おそらく」
五人は足跡を調べる。
そのうち一人が、村へ続く方向へ視線を向けた。
「こちらにもあります」
猟師が近づく。
表情が変わった。
「……まずいな」
「村の方向ですね」
「ああ」
足跡は途中で引き返している。
だが、確かに村へ向かっていた。
「童師の指示通りですね」
一人が立ち上がった。
「巣を確認しましょう」
「倒すのか?」
猟師が尋ねる。
「必要なら」
「五人で?」
「はい」
あまりに普通に答えられ、猟師は眉を寄せた。
「昨日の奴、でかかったぞ」
「どの程度ですか?」
「俺よりでかい」
「それでしたら問題ありません」
「……本気で言ってるのか?」
「はい」
男は首を傾げた。
「もっと大きなものとも戦ったことがありますので」
猟師は何か言おうとして、やめた。
六人はさらに森の奥へ進んだ。
やがて、獣の臭いが混じり始めた。
木々の幹には爪痕が残され、雪の上には血の跡もある。
獲物を引きずった痕だった。
猟師が弓を手に取る。
「近い」
童術師たちも武器へ手を伸ばした。
剣。
槍。
斧。
弓。
それぞれが違う武器を持っている。
「猟師さん」
「なんだ」
「ここからは私たちの後ろへ」
「俺も戦える」
「承知しています」
男は静かに答えた。
「ですが、あなたを無事に村へ帰すよう、童師から命じられています」
「…………」
「お願いいたします」
猟師は不満そうに口を曲げたが、やがて一歩下がった。
「分かった」
「ありがとうございます」
童術師たちが前へ出る。
それまで並んで歩いていた五人が、自然に散った。
誰かが細かく指示を出したわけではない。
一人が前へ。
二人が左右へ。
弓を持つ男が後方へ。
残る一人が猟師の近くへ残る。
猟師はその動きを見ていた。
「……慣れてるな」
「長いですから」
「何が」
「逃げるのも、戦うのもです」
男は前を見たまま答えた。
低い唸り声が聞こえた。
直後。
木々の間から、大きな影が飛び出した。
四足の魔物だった。
狼に似ている。
だが、身体は狼より一回りも二回りも大きく、背中には硬質化した黒い突起が並んでいる。口から覗く牙は長く、涎が雪へ落ちていた。
「昨日の奴だ!」
猟師が叫ぶ。
魔物が雪を蹴った。
速い。
真っ直ぐ先頭の童術師へ向かう。
「第一童式――《童駆》」
男の姿が消えた。
「なっ――」
猟師が声を漏らす。
次の瞬間には、男は魔物の側面へ回っていた。
魔物が急停止する。
首を振る。
狙いを変えようとした瞬間、別の童術師が前へ出た。
「第三童式――《童衣》」
牙が迫る。
男は避けなかった。
腕を上げる。
魔物の巨体がぶつかった。
雪が舞い上がる。
「おい!」
猟師が叫ぶ。
だが。
「大丈夫です」
雪の中から声がした。
男は立っていた。
外套の袖は裂けている。
その下の腕には傷がある。
しかし、骨までは届いていない。
「少し痛いですが」
「少しって……」
魔物が再び飛びかかる。
その前に。
「第四童式――《童閃》」
剣に童力が纏わりついた。
一閃。
魔物の肩から血が噴き出す。
巨体が雪の上を転がった。
「一頭!」
「まだ来ます!」
森の奥から唸り声。
一つ。
二つ。
三つ。
猟師の顔が強張った。
「囲まれるぞ!」
「分かっています!」
左右から魔物が飛び出す。
童術師たちは下がらない。
「右、二頭!」
「見えています!」
「左は私が!」
第一童式で距離を詰める。
第三童式で受ける。
第四童式で武器を強化する。
その間を、一筋の光が抜けた。
後方。
弓を持つ童術師が弦を引いていた。
矢には薄く童力が纏わりついている。
放たれる。
魔物の脚へ突き刺さった。
「今です!」
「第二童式――《童撃》!」
拳が魔物の横腹へ叩き込まれる。
鈍い音が森に響いた。
巨体が横へ吹き飛ぶ。
木の幹へ衝突し、雪が枝から落ちた。
猟師は言葉を失っていた。
強い。
それだけではない。
五人が互いの動きを知っている。
誰かが攻めれば、誰かが守る。
誰かが退けば、その穴へ別の者が入る。
同じ技を知っているからこそ、互いに何ができるのかを理解していた。
「後ろ!」
猟師が叫んだ。
一頭が木々の間を抜けていた。
戦っている童術師たちではない。
猟師へ向かっている。
「くそっ!」
弓を構える。
だが、近すぎる。
矢を放つより先に牙が届く。
その間へ一人が飛び込んだ。
「第三童式――《童衣》!」
魔物の爪が男の背中を裂いた。
「ぐっ……!」
血が散る。
それでも倒れない。
「お前!」
「下がってください!」
男が魔物を押し返す。
別の童術師が駆ける。
剣が閃いた。
魔物が倒れた。
「大丈夫か!」
「……はい」
男が膝をつく。
背中から血が流れている。
仲間がすぐに駆け寄った。
「動かないでください」
「浅いです」
「自分で決めないでください」
手が傷へ触れる。
「第六童式――《童癒》」
淡い童力が広がった。
出血が止まっていく。
猟師は、その光景をすぐ傍で見ていた。
「……お前ら」
「はい?」
「全員、それが使えるのか」
「第六ですか?」
「ああ」
男は少し困ったように笑った。
「得手不得手はあります。私はあまり上手くありません」
「それで?」
「はい」
猟師は何も言えなくなった。
戦いは、それほど長く続かなかった。
確認できた魔物は七頭。
うち四頭を倒し、三頭は森の奥へ逃げた。
「追いますか?」
一人が尋ねる。
五人の視線が集まる。
最年長の男が首を振った。
「追わない」
「ですが、戻ってくる可能性は」
「あります。だから巣を確認します。ただし深追いはしません」
剣についた血を雪で落とす。
「童師からの指示です」
誰も異論を挟まなかった。
逃げた魔物を追うことなく、痕跡を調べる。
巣はさらに奥にあった。
岩壁の窪み。
そこには獲物の骨と、家畜のものと思われる毛が残されていた。
「ここですね」
「村から近すぎるな」
猟師が呟く。
「移動してきた群れでしょう」
「分かるのか?」
「古い痕跡がありません」
男が岩肌を調べる。
「ここを使い始めたのは最近です」
「じゃあ、残った奴らは」
「しばらく様子を見ます。戻ってくるようなら、その時は対処します」
「全部殺さなくていいのか」
童術師が猟師を見る。
「村へ来ないなら、必要ありません」
「魔物だぞ」
「はい」
「また人を襲うかもしれん」
「その時は倒します」
男は淡々と答えた。
「ですが、今追えばこちらも危険になります」
少し間を置く。
「童師なら、そう判断されると思います」
猟師は五人を見る。
先ほどまで魔物と戦っていた男たち。
異端の術を使う者。
王国軍に追われている者。
昨日まで、そう聞いていた。
「……帰るか」
「はい」
六人は村へ戻った。
昼を過ぎた頃。
村の入口が騒がしくなった。
「帰ってきたぞ!」
声を聞き、村人たちが集まってくる。
礼も作業の手を止めた。
遠くから六人が歩いてくる。
全員いる。
礼はそれを確認すると、持っていた木材を置いた。
「童師」
五人の童術師が礼の前まで来る。
「報告します」
「ああ」
「魔物は七頭確認。四頭を排除、三頭は逃走しました。巣も確認しています」
「負傷者は」
「一名。治療済みです」
礼がその男を見る。
「見せろ」
「大丈夫です」
「見せろ」
「……はい」
外套をずらす。
傷は塞がり始めている。
礼が確認する。
「今日は休め」
「ですが――」
「休め」
「……承知しました」
礼は猟師を見る。
「村へ向かっていた痕跡は」
「あった」
猟師が答えた。
「こいつらがいなきゃ、近いうちに来てたかもしれん」
村人たちがざわめく。
村長が前へ出た。
「……そうか」
童術師たちを見る。
「助かった」
「いえ」
「村の問題ですから」
「それを、お前たちが片づけてくれた」
村長は一度言葉を切った。
「ありがとう」
五人は顔を見合わせた。
そのうち一人が少しだけ笑う。
「どういたしまして」
それだけだった。
「すげえな!」
声が飛んだ。
ガルドの息子だった。
母親の手を振り切って走ってくる。
「魔物倒したの!?」
「四頭だけですが」
「どうやって!?」
「剣とかです」
「童術!?」
「それも使いました」
「見せて!」
「ここでは使いません」
「なんで!」
「必要がありませんから」
礼が少し離れたところから、そのやり取りを見ていた。
ガルドが隣へ来る。
「人気者だな」
「ああ」
「悔しいか?」
「なぜ」
「童師様より人気あるぞ」
「どうでもいい」
「お前もなんか見せてやればいいだろ」
「必要がない」
「同じこと言ってやがる」
ガルドが笑った。
その日の夕食。
空き家の机には、昨日より多くの食べ物が並んでいた。
芋。
パン。
干し肉。
野菜。
小さな壺に入った煮込み料理。
「……買ったのか?」
礼が尋ねる。
「いえ」
「では、これは」
「いただきました」
「誰に」
「色々な方からです」
礼が机を見る。
「多すぎる」
「私もそう申し上げたのですが」
「返してこい」
「断られました」
「…………」
「魔物を倒したお礼だそうです」
別の男が干し肉を手に取る。
「ありがたくいただきましょう」
「食料は貴重だろ」
「だから断ったんです」
「なら」
「『うるさいから持っていけ』と」
「…………」
「童師と似ていますね」
「何がだ」
「いえ」
笑いが起きる。
礼も席についた。
食事が始まる。
十四人で食べるには狭い部屋。
肩がぶつかる。
誰かがパンを取り損ねる。
煮込みをよそう皿が足りない。
「俺の皿使います?」
「お前はどうするんですか」
「鍋から食います」
「やめてください」
「童師、こちらを」
「自分で取る」
「遠いでしょう」
「届く」
「袖が入ります」
礼が手を止めた。
「……取ってくれ」
「はい」
皿が渡される。
誰かが笑った。
礼は無視して食べ始めた。
食事が終わり、片づけをしている時だった。
一人が壁際に置かれた荷物を整理していた。
「明日で三日目ですね」
手が止まる。
部屋が少し静かになった。
「ああ」
礼が答えた。
「予定通り、明後日の朝には出発でしょうか」
「ああ」
「どちらへ向かわれますか?」
「さらに北だ」
「承知しました」
誰も反対しなかった。
三日だけ。
最初からそういう約束だった。
「では、明日のうちにいただいた物のお返しをしておきたいですね」
「柵も全部終わらせましょう」
「倉庫は?」
「今日直しました」
「井戸は?」
「終わっています」
「東側の雪も?」
「今日でほぼ終わりました」
「では――」
一人が考える。
「……やること、なくなってきましたね」
「いいことだろ」
礼が言った。
「そうですね」
男は笑った。
同じ頃。
村長の家では、数人の村人が集まっていた。
「魔物はあいつらが追い払った」
「ああ」
「西の道も通れるようになった」
「家畜小屋も直った」
「井戸もな」
「うちの薪まで掘り出してもらった」
「お前、それ村の仕事じゃないだろ」
「困ってたんだよ」
「だからって頼むな」
「お前だって柵直してもらってただろ」
言い合いが始まる。
村長は黙って聞いていた。
やがて、一人の男が尋ねた。
「……村長」
「なんだ」
「あいつら、いつまでいるんだ?」
「三日だ」
「じゃあ」
男は指を折る。
「明日までか」
「ああ」
「…………」
誰も何も言わなかった。
別の男が頭を掻く。
「まあ……約束だからな」
「ああ」
「最初から三日だった」
「そうだ」
「…………」
また沈黙が落ちる。
村長は炉の火を見た。
薪が崩れ、小さく火の粉が舞った。
「……西の柵」
一人が呟いた。
「なんだ」
「まだ少し傷んでなかったか?」
「直っただろ」
「いや……もっと西だ」
「もっと西?」
「ほら、あっただろ。古いところが」
「そんな場所あったか?」
「…………」
男たちは互いの顔を見た。
村長が深く息を吐いた。
「お前ら」
「なんだ」
「考えるなら、もう少しましな理由を考えろ」
誰も答えなかった。
外では、静かに雪が降り始めていた。
三日目は、もうすぐそこまで来ていた。
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