↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
童貞にして最強 ―穢れなき力を手にした男の黙示録―  作者: 忠犬むつ公
第一部

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

85/108

第八十四話 三日だけ

北へ向かってから、六日が過ぎた。


 山を越えるたびに雪は深くなり、街道と呼べるものも次第に細くなっていった。人の往来を示す轍はいつしか消え、十四人が歩く道には、獣の足跡ばかりが残されている。


 それでも、昼を過ぎた頃。


「童師」


 先頭近くを歩いていた童術師が足を止めた。


「あれを」


 礼も立ち止まり、男が指した先を見る。


 山の斜面を下った、その向こう。


 谷間に煙が上がっていた。


 一本ではない。いくつもの細い煙が、冬の白い空へゆっくりと昇っている。


「……村ですね」


「ああ」


 礼はしばらく眺めてから歩き出した。


「行くぞ」


「立ち寄られるのですか?」


「食料が減っている」


 その言葉に、誰かが背負った袋を確認する。


 保存食はまだ残っている。だが、十四人で北上を続けるには心許ない量になっていた。


「分けてもらえるでしょうか」


「分からない」


 礼は足を止めない。


「断られたら?」


「次を探す」


 それだけだった。



 村は、想像していたよりも小さかった。


 山と森に囲まれた土地に、三十軒ほどの家が寄り集まっている。


 家々は木と石で造られ、屋根には分厚く雪が積もっていた。村の中央には大きな葉を落とした樹が立ち、その傍らに石組みの古い井戸がある。少し離れた場所には家畜小屋が並び、さらに外側を簡素な木柵が囲っていた。


 道らしい道も、雪を踏み固めて作られたものしかない。


 王都はもちろん、ローデンと比べても小さい。


 十四人が村の入口へ近づくと、最初に気づいたのは薪を運んでいた男だった。


 男は足を止めた。


 礼たちを見る。


 次いで、その背後に続く十三人を見る。


 手にしていた薪を地面へ置いた。


「……何者だ?」


「旅の者だ」


 礼が答える。


 男の視線が、礼の腰へ向いた。


 剣はない。


 だが、後ろにいる者たちの多くは武器を携えている。


「旅の者が、十四人も連れ立ってこんな時期に北へ来るのか?」


「そういうことになる」


「…………」


 男は少し考えてから、村の方を振り返った。


「そこで待ってろ」


「ああ」


 男が村の中へ走っていく。


 童術師の一人が礼へ近づいた。


「童師。警戒されているようですが」


「当然だ」


「念のため、村の外で待機した方がよろしいでしょうか」


「その必要はない。ここで待つ」


「分かりました」


 それから十分も経たないうちに、村の中から数人の男がやってきた。


 先ほどの男もいる。


 その中央を歩いているのは、白髪の混じった初老の男だった。


 手には何も持っていない。


 だが、その後ろの村人たちは違う。


 古びた槍。


 斧。


 鉈。


 農具。


 戦うための装備とは言い難い。それでも、必要なら使うつもりなのだろう。


 初老の男が礼の前で止まった。


「この村の村長をしている」


「そうか」


「お前たちは?」


「北へ向かっている途中だ。食料を分けてもらいたい。金は払う」


 村長は礼の顔を見た。


「どこから来た」


「南だ」


「南のどこだ」


「色々だ」


「……色々?」


「ああ」


 村長の眉が寄る。


 後ろにいた童術師が小さく息を吐いた。


「童師、それでは余計に怪しまれるかと」


「そうか」


「はい」


「なら、お前が話せ」


「私がですか?」


「ああ」


 突然任された男が一瞬言葉を失う。


 村長が訝しげに二人を見る。


「……今、なんと呼んだ?」


 男の表情が固まった。


 礼は何も言わない。


「童師、と聞こえたが」


 村長の後ろにいた男たちの顔色が変わった。


「童師……?」


「まさか」


「童術師か……?」


 空気が変わった。


 それまでの警戒とは違う。


 恐れが混じった。


 一人の村人が後ずさる。


「聞いたことがある。南で軍とやり合ってる連中だ」


「異端の術を使うっていう……」


「王都からもお触れが来てたはずだ」


 礼の後ろで、童術師たちの身体にわずかな緊張が走る。


 誰も武器には触れなかった。


 礼も動かない。


 村長だけが、しばらく礼を見ていた。


「……本当か」


「ああ」


 礼は否定しなかった。


「俺たちは童術師だ」


 村人たちがざわめく。


 村長が片手を上げると、その声が少しずつ収まった。


「軍と戦っているというのも?」


「戦ったことはある」


「なぜだ」


「必要だったからだ」


「…………」


 村長の顔が険しくなる。


「悪いが」


 礼は黙って次の言葉を待った。


「食料は売れん。村にも入れられん」


「分かった」


 即答だった。


 逆に村長の方が一瞬言葉を失った。


 礼は振り返る。


「行くぞ」


「童師」


「ここに迷惑をかける理由はない」


「……分かりました」


 童術師たちが村から離れる準備を始める。


 誰も抗議しなかった。


 村人たちの緊張も、ほんの少しだけ緩んだ。


 だが、礼が数歩進んだところで、村長が口を開いた。


「待て」


 礼が振り返る。


「一つだけ聞かせろ」


「なんだ」


「追手はいるのか」


 礼は少し考えた。


「いる」


 村人たちの表情が再び強張る。


「軍か?」


「それもいる」


「……それも?」


「他にもいる」


 村長は深く息を吐いた。


「なら、なおさら入れるわけにはいかん」


「ああ」


「ここには戦える者もほとんどおらん。王国に目をつけられれば、それだけで終わる」


「分かっている」


「冬を越すだけでも精一杯なんだ。余計な争いを抱え込む余裕はない」


「それでいい」


 礼は村長を見る。


「俺たちのために危険を負う必要はない」


 村長は何も答えなかった。


 礼は再び背を向けた。


 雪を踏む。


 その後を童術師たちが続く。


 十四人の足音が、少しずつ村から離れていく。


 その時だった。



「――待てよ」



 礼の足が止まった。


 声は村の中から聞こえた。


 低く、太い声。


 礼はすぐには振り返らなかった。


 その声を知っている。


 けれど、最後に聞いてからあまりにも長い時間が経っていた。


「村長。ちょっと待ってくれ」


 雪を踏む音が近づいてくる。


 村人たちが振り返り、道を開けた。


「ガルド?」


「どうした」


 大柄な男が歩いてくる。


 年齢を重ね、顔には以前より深い皺が刻まれていた。身体も冒険者だった頃ほどの張りはない。それでも背は高く、厚い胸板にはかつて前衛として戦っていた男の名残がある。


 だが、礼が見たのはそこではなかった。


 左腕。


 肩から下が、なかった。


 空になった袖は短くまとめられ、身体の横で揺れている。


 男もまた、礼を見ていた。


 黒い外套。


 伸びた髪。


 無精髭。


 少年だった頃とは比べものにならないほど変わった姿。


 しばらく互いに言葉がなかった。


 やがて男が目を細めた。


「……礼?」


 礼の後ろにいた童術師たちが、一斉に男を見る。


 その呼び方に反応したのだ。


 礼は、ただ男を見ていた。


「…………ガルド」


 その名を口にする。


 ガルドの口元がゆっくりと緩んだ。


「やっぱりお前か」


「……ああ」


「随分変わったな」


「お前もな」


 礼の視線が左腕へ落ちる。


 ガルドもそれに気づいた。


「これか?」


「ああ」


「なくした」


「見れば分かる」


「相変わらずだな、お前」


「何がだ」


「いや」


 ガルドが笑った。


 礼は笑わなかった。


 だが、先ほどまで村長と話していた時とは、ほんの少しだけ目元から硬さが消えていた。



「ガルド」


 村長が二人の間へ声を挟んだ。


「知り合いなのか?」


「ああ」


「この男が?」


「昔、一緒に仕事をした」


 ガルドは礼の後ろを見る。


 十三人の童術師たち。


 そのうち何人かは、まだ信じられないようにガルドを見ていた。


「……童師、ねえ」


 ガルドが呟く。


「随分偉くなったじゃねえか、礼」


「俺が決めた呼び方じゃない」


「だろうな」


「ガルドさん」


 童術師の一人が思わず声をかけた。


「なんだ?」


「童師とは、どのようなご関係で……?」


「どんなって」


 ガルドは礼を見る。


 少し考える。


「昔の知り合いだ」


「知り合い……」


「なんだよ」


「いえ……」


 男はそれ以上聞けなかった。


 ガルドは村長へ向き直る。


「村長。この連中、少し置いてやれないか」


「ガルド」


「分かってる。童術師なんだろ」


「なら――」


「こいつは理由もなく人を斬るような奴じゃない」


 村長の表情は変わらない。


「昔は、だろう」


 ガルドが黙った。


 礼も何も言わない。


「お前が知っているのは何年前だ」


「……結構前だな」


「人間は変わる」


「ああ」


 ガルドはあっさり頷いた。


「変わるな」


 そして礼を見る。


「こいつも随分変わったみてえだ」


「なら――」


「だから見りゃいい」


 村長が眉を寄せた。


「何?」


「こいつらが今どういう連中なのか、何日か見ればいいだろ」


「そんな簡単な話ではない」


「追い出すのはその後でもできる」


「ガルド」


「俺が面倒を見る」


 村長の目が細くなる。


「十四人だぞ」


「見りゃ分かる」


「食料も必要になる」


「働かせりゃいい」


 童術師たちの視線がガルドへ集まった。


 ガルドは気にしない。


「薪割りでも雪かきでも、やることはいくらでもあるだろ」


「俺たちは構わない」


 礼が言った。


 ガルドが振り返る。


「働く。食料も必要な分だけでいい」


「童師」


 後ろから声がした。


 礼が見る。


「なんだ」


「私たちも異存ありません」


 他の童術師たちも頷いた。


「働けることがあるのでしたら、何でも仰ってください」


「私もです」


「戦うよりは、雪かきの方がありがたいですね」


 最後の一言に、数人が小さく笑った。


 村人たちは笑わなかった。


 まだ警戒は消えていない。


 村長は礼たちを一人ずつ見るように視線を動かした。


 やがてガルドへ戻る。


「……お前が責任を持つんだな」


「ああ」


「何かあったら?」


「俺が追い出す」


「片腕でか?」


「そこは村長も手伝え」


「馬鹿者」


 村長が大きく息を吐いた。


 白い息が冬の空気へ溶けていく。


 長い沈黙の後だった。


「三日だ」


 ガルドが眉を上げる。


「三日?」


「三日だけだ」


 村長は礼を見る。


「その間に何もなければ、食料は売る。必要なら多少の物資も分けよう」


「十分だ」


「だが、三日経ったら出ていってもらう」


「ああ」


「軍が来れば、その時点で出ていってもらう」


「分かった」


「村の者に勝手に術を教えるな」


「教えない」


「揉め事も起こすな」


「こちらから起こすことはない」


 村長は礼の目を見た。


 礼も逸らさなかった。


「……なら、入れ」


 村人たちの間にざわめきが広がる。


 歓迎の声はなかった。


 それでも、塞がれていた道が開いた。


 礼はその道を見た。


「童師」


 後ろの男が静かに尋ねる。


「よろしいのですか?」


「ああ」


 礼は歩き出した。


「三日だけだ」


 十四人の童術師が、その後へ続いた。



 村の中へ入っても、空気は変わらなかった。


 道を歩いていた者たちは足を止め、家の窓からいくつもの視線が向けられる。話し声が消え、礼たちが通り過ぎるのを黙って見送る者もいた。


 歓迎されていない。


 それは誰にでも分かった。


 礼は気にせず歩いた。


 中央に立つ大きな樹の前を通り、その隣にある古い井戸を横切る。


 ガルドが先を歩いていた。


「こっちだ。村外れに空いてる家がある」


「お前の家じゃないのか」


「十四人も入るか」


「入らないな」


「そういうことだ」


 少し歩いたところで、ガルドが振り返った。


「荷物置いたら、うちに来い」


「何かあるのか」


「ある」


「なんだ」


「飯だよ」


「さっき食った」


「知らねえよ」


「なら必要ない」


「俺があるんだよ」


 礼が眉を寄せる。


「何がだ」


「お前に聞きてえことが山ほどある」


「…………」


「七年分くらいな」


 礼は答えなかった。


 ガルドが笑う。


「それとな」


「なんだ」


「家族に紹介する」


 礼の目が、ほんのわずかに動いた。


「家族?」


「ああ」


 ガルドは当たり前のことのように言った。


「俺、もう冒険者じゃねえんだ」


 空になった左袖が、冬の風に揺れる。


「ここで暮らしてる」


 礼はしばらくガルドを見ていた。


「……そうか」


「そういうこった」


 ガルドは前を向く。


「とりあえず三日だ。ゆっくりしてけ」


「三日だけだ」


「はいはい」


 礼は何も言わなかった。


 ただ、ガルドの背中を追って歩いた。


 雪に覆われた、小さな北の村。


 礼たちに許された時間は、三日だけだった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

少しでも「面白かった!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、ぜひ評価や感想をいただけると嬉しいです!

皆様からの評価や感想は、今後の執筆活動の大きな励みになります。

これからも『童貞にして最強』をよろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。