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童貞にして最強 ―穢れなき力を手にした男の黙示録―  作者: 忠犬むつ公
第一部

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第八十一話 国境を越えたもの

三年後。


 王都の中心にそびえる王城、その最奥に設けられた大会議室には、朝から重苦しい空気が滞留していた。


 普段ならば王国の重臣、それも限られた者しか足を踏み入れない場所である。だが今日に限っては、長大な楕円形の卓を囲む椅子のほとんどが埋まっていた。


 王国軍の将官。王国魔術院の上級魔術師。中央ギルドの幹部。各地方の主要都市から招集されたギルド長。そして、王国魔術院特異術式調査室の者たち。


 その中には、三年前までローデンのギルド長を務めていたヴァルター・クロイツの姿もあった。


 卓上には大量の報告書が積まれている。


 その下には、王国全土を描いた大きな地図が広げられていた。


 地図には、赤い印がいくつも打たれている。


 北に五つ。


 西に九つ。


 東部には、それ以上。


 国境付近にも点在しており、中には王国領を示す線のすぐ外側に打たれたものまであった。


 誰も、その印について雑談を交わそうとはしなかった。


 紙をめくる音。


 羽根筆が机に触れる小さな音。


 時折聞こえる、押し殺した咳。


 それだけが、広い部屋の中に響いていた。


 やがて正面の大扉が開いた。


「国王陛下、ご入室」


 全員が一斉に立ち上がる。


 近衛兵を伴って入ってきた国王は、集まった者たちを一度見渡すと、最奥の席へ腰を下ろした。


「座れ」


 短い言葉の後、ようやく全員が着席する。


 だが空気は緩まなかった。


 国王は手元に置かれた一冊の報告書を開いた。


 数枚めくる。


 そして、眉を寄せた。


「……始めよう」


 中央ギルドの幹部が立ち上がった。


「では、まず国内における直近三か月の報告から申し上げます」


 男は一度、手元の資料へ目を落とした。


「王国西部、グラント街道付近において、第六街道警備隊と童術使用者と思われる集団が交戦。警備隊四十三名のうち、死者十二名、重傷者十七名。残る者は撤退しております」


 部屋のあちこちで、わずかに息を呑む音がした。


「相手の人数は」


 王国軍の将軍が尋ねる。


「確認された限りでは、八名です」


「八?」


 将軍が聞き返した。


「四十三名が、八名に敗れたと?」


「報告書には、そのように」


「警備隊は何をしていた」


「交戦に至った経緯については、双方の証言が一致しておりません」


「経緯を聞いているのではない」


 将軍の声が低くなる。


「四十三名だ。訓練を受けた王国兵四十三名が、八名を相手にして、なぜ十二人も死んでいる」


 報告をしていた男が言葉に詰まった。


 代わりに、魔術院の男が別の紙を手に取った。


「現場に残された痕跡を調査しております。少なくとも《童撃》と思われる近接攻撃、《童衣》と思われる身体強化、それから《童閃》に類似する武器強化が確認されています」


「既知の童式か」


「三つについては」


「三つ?」


 国王が顔を上げた。


 魔術師はわずかに口を閉じ、それから続けた。


「……説明のつかない痕跡が、一つあります」


 会議室が静かになった。


「説明のつかない、とは」


「地面に残された破壊痕から、何らかの童力による攻撃である可能性は高いと考えられます。しかし、我々が保有している第一から第六までの記録、そのいずれとも一致しません」


「第七ではないのか」


 別の者が口を挟んだ。


「三年前、如月礼が武器を形成したという報告があったはずだ」


「形状を持った武器が使用された形跡はありません」


「では何だ」


「分かりません」


 その答えに、数人が顔を見合わせた。


 将軍が椅子の背へ身体を預ける。


「……新しい童式か」


「断定はできません」


「如月礼が教えたのではないのか?」


 今度は別のギルド長が言った。


 その名が出た瞬間、ヴァルターの指がわずかに動いた。


 だが彼は何も言わない。


「如月礼の所在は、現在も確認できておりません」


「三年間もか」


「はい」


「ならば、どこかで新しい童術を教えている可能性はあるだろう」


「可能性はあります。しかし――」


 魔術師が地図へ目を向けた。


「彼一人が教えていると考えるには、発生地点が多すぎます」


 誰かが小さく息を吐いた。


 報告は続いた。


「続いて北部です。二か月前、北部第二魔導中隊が童術使用者六名と交戦。中隊側は死者七名、負傷者二十九名。指揮官の判断により撤退」


「六人……」


「南東部では、冒険者ギルド所属の討伐隊が十二名の童術使用者と遭遇しております。こちらは戦闘開始後、双方が撤退したため死者は出ておりません」


「十二?」


 先ほどとは違うギルド長が顔を上げた。


「その十二名は登録されていた者なのか」


「該当する記録はありません」


「では、どこで童術を習った」


「不明です」


「十二人全員が?」


「はい」


「そんな馬鹿な……」


 呟きは、誰に向けたものでもなかった。


 三年前なら、一人増えるだけで記録が更新された。


 二十一人。


 二十二人。


 訓練中の六人。


 誰が誰に教えたのか。どの童式を習得しているのか。どこで暮らしているのか。


 少なくとも、追おうと思えば追うことのできる数だった。


 今は違う。


「現在、国内に存在する童術使用者の総数は」


 国王が尋ねた。


 報告を続けていた男の声が止まった。


 視線が手元の紙へ落ちる。


「……把握できておりません」


 国王の眉間に皺が寄った。


「概数で構わん」


「陛下」


 男は困ったように周囲を見た。


 助けを求められた魔術院の者も、すぐには口を開かなかった。


「推定値そのものに、信頼性がありません」


 答えたのはエドガー・レーヴェンだった。


 三年前と変わらぬ静かな声だった。


 国王の視線が彼へ向けられる。


「百を超えているのか」


「否定できません」


「では、二百か」


「否定できません」


 国王は少し黙った。


「……千は」


 今度は、エドガーもすぐには答えなかった。


 何人かが彼を見る。


 やがてエドガーは、卓上で両手を組んだ。


「それも、否定できません」


 ざわめきが起こった。


「千だと?」


「そんな数がどこにいる!」


「三年前は二十二人だったのだぞ!」


「訓練中の者を含めれば二十八名です」


「同じようなものだ!」


 声が重なった。


 国王が片手を上げると、少しずつ静かになっていく。


「理由は」


「伝播経路を追跡できなくなりました」


 エドガーは地図を見ながら答えた。


「三年前の段階で、すでに如月礼以外の者が他者へ童術を教える事例が確認されていました。ローデンでの一件以降、当時確認されていた使用者の多くが各地へ散っています」


「それは知っている」


「問題は、その後です」


 エドガーは卓上の報告書を一冊開いた。


「一年前、東部で拘束された童術使用者は、師の名前を知りませんでした」


「どういう意味だ」


「旅の途中で出会った男から教わった、と」


「その男は」


「氏名不明。所在不明です。その男自身が誰から教わったのかも分かりません」


 別の資料が開かれる。


「西部で確認された使用者は、知人から習得。その知人は既に国外へ出たとされています」


 さらに一冊。


「南部では三名が同一人物から習得していますが、その人物は如月礼との面識がありません」


 国王軍の将軍が額を押さえた。


「待て。礼と会ったことすらない者が、他人に教えているのか」


「はい」


「……どこまで行っている」


 誰も答えなかった。


 答えられなかった。


 沈黙の中で、紙が擦れる音だけが妙に大きく聞こえた。


 やがて国王が言った。


「つまり、如月礼を捕らえたとしても止まらない、と?」


 エドガーは数秒黙った。


「……はい」


 その一言で、部屋の空気がさらに重くなった。


 これまで如月礼という名は、童術という問題の中心に置かれ続けてきた。


 創始者。


 最初の童術師。


 最大の研究者。


 ならば彼を押さえればいい。


 少なくとも、そう考える余地があった。


 だが、今語られているものは違った。


 中心がない。


 命令系統もない。


 誰かが誰かに教え、その誰かがまた別の誰かに教える。


 それぞれが勝手に生き、それぞれが勝手に童術を使う。


 王国が相手にしているものが、組織なのか技術なのか。それすら、すでに曖昧になっていた。


「陛下」


 それまで黙っていた外務官が立ち上がった。


「……まだ、ご報告がございます」


 国王が目を向ける。


「申せ」


 外務官は一瞬だけ躊躇した。


 その様子に、何人かが眉をひそめた。


「国内の報告ではありません」


 卓上の空気が変わった。


「帝国より、正式な照会が届いております」


「帝国?」


「はい」


 外務官は新たな地図を広げた。


 王国だけではない。


 周辺諸国を含む、大陸西部全域の地図だった。


 その帝国領内に、三つの黒い印が記されていた。


「帝国西部、我が国との国境からおよそ百八十キロ離れた地域において、帝国軍と童術使用者と思われる集団が交戦しました」


 会議室から音が消えた。


「……我が国との国境付近ではないのか」


「違います」


「王国人か?」


「確認されている者の大半は、帝国臣民です」


 誰かが椅子を鳴らした。


「帝国人が童術を使っている?」


「はい」


「なぜだ」


 外務官は答えなかった。


 答えられる者がいないことは、その場の全員が理解していた。


「被害は」


 国王が尋ねた。


「帝国軍第四遊撃大隊の一部隊が交戦。詳細な兵力は帝国側が公開しておりませんが――」


 外務官の声が一度止まった。


「事実上、壊滅したとのことです」


「…………」


 誰も声を上げなかった。


 先ほどまでなら、驚きの声くらいはあった。


 今は、それすらなかった。


 国王が地図を見つめる。


「帝国は何と言っている」


「童術が我が国から流出した技術であるとして、経緯の説明を求めています」


「……当然だろうな」


 軍の将官が吐き捨てるように言った。


 だが外務官は座らなかった。


「それから、もう一件」


「まだあるのか」


 誰かの声には、苛立ちよりも疲労が混じっていた。


「皇国でも確認されています」


 今度こそ、何人かが顔を上げた。


「皇国だと?」


「二か月前です。皇国北部において、現地軍と童術使用者が交戦。皇国側の魔導部隊が敗走しております」


「王国からどれほど離れている」


「直線距離でも、帝国の事例より遥かに遠方です」


「使用者は」


「皇国民と思われます」


 沈黙。


 一人のギルド長が椅子へ深く腰を沈めた。


 別の男は、目の前の地図を信じられないものを見るように眺めている。


「……三年だぞ」


 誰かが呟いた。


「たった三年で、どうして……」


 誰も笑わなかった。


 外務官がさらに数枚の資料を並べた。


「正式な確認には至っておりませんが、小国群からも類似する報告が入っています。身体を異常に強化する者。魔力をほとんど持たないにもかかわらず武器へ力を纏わせる者。負傷者を魔法とは異なる方法で治療した者――」


「待て」


 将軍が止めた。


「それらすべてが童術だと?」


「断定はできません」


「ならば――」


「ですが」


 外務官が言葉を重ねる。


「現地では既に、そう呼ばれています」


 会議室に、妙な静けさが落ちた。


「……なんと」


「童術です」


 外務官は答えた。


「あるいは――異端の術、と」


 ヴァルターが初めて目を伏せた。


 三年前。


 ローデンの訓練場で、くだらない名前だと笑う者がいた。


 童術。


 童式。


 童撃。


 童衣。


 それは少なくとも、あの頃までは二十数人の間で使われていた言葉だった。


 今、その名を帝国人が知っている。


 皇国人が知っている。


 会ったこともない者たちが恐れ、使い、戦い、殺し合っている。


 ヴァルターは卓の下で拳を握った。


「……三年前」


 軍の将官が口を開いた。


「やはり、ローデンで全員を確保しておくべきだった」


 ヴァルターが顔を上げた。


「確保しました」


 将官が彼を見る。


「何?」


「我々は、彼らを確保しました」


 ヴァルターの声は静かだった。


「一時的な身柄確保。安全性の確認。追加調査。それが必要だと判断し、二十二名と訓練中の六名を一か所へ集めた」


「ならば、なぜ逃がした」


 ヴァルターはすぐには答えなかった。


 脳裏に、三年前の訓練場が浮かぶ。


 床に落ちた剣。


 血。


 抱きかかえられた青年。


 そして、その青年の名を呼び続けていた少年。


「……一人、死んだからです」


 何人かが黙った。


 ローデン事件の詳細を知る者ばかりではなかった。


「混乱の中で聖騎士の剣が童術師一名を刺し、その者は死亡しました。その後、現場は制御不能となり、彼らは逃走した」


「だからと言って――」


「分かっています」


 ヴァルターが遮った。


 声を荒らげたわけではない。


 それでも将官は口を閉じた。


「私も、管理が不要だったとは考えていません」


 ヴァルターは地図へ視線を落とす。


「今でもです」


 赤い印。


 黒い印。


 三年前には存在しなかったものが、大陸のあちこちに散っている。


「ですが、我々は彼らを一か所へ集めました」


 誰も何も言わない。


「そして、一人を死なせた」


 ヴァルターはそこで言葉を切った。


「……その結果、彼らは散りました」


 長い沈黙が落ちた。


 国王はヴァルターを見た後、今度はエドガーへ視線を移した。


「エドガー・レーヴェン」


「はい」


「三年前、お前は童術の拡大を危険視していたと聞く」


「はい」


「この事態も予測していたのか」


 エドガーはしばらく答えなかった。


 目の前の地図を見る。


 王国。


 帝国。


 皇国。


 そして、名も小さく記された周辺諸国。


「いいえ」


 やがて、そう答えた。


「ここまでは」


 国王が目を細める。


「では、どこまで予測していた」


「童術が如月礼個人の管理を離れ、独立して伝播する可能性です。既存の魔法体系とは異なる新たな武力体系となる危険性については、当時から申し上げていました」


「それが現実になった」


「はい」


「そして止められなかった」


 エドガーは一度だけ目を閉じた。


「……はい」


「なぜだ」


 問われたエドガーは、ヴァルターを見なかった。


 ただ、三年前の報告書が置かれている場所へ視線を落とした。


「止めようとしたからこそ、広がった部分もあるでしょう」


 数人が顔を上げた。


 エドガーは続ける。


「彼らを追えば、彼らは移動します。集めれば警戒します。拘束すれば逃げます。そして逃亡先で、同じ境遇の者と接触する」


「では放置しろと?」


「そうは申し上げていません」


 即答だった。


「放置すれば広がる。強く締め付けても広がる」


 そこで初めて、エドガーの声にわずかな疲労が混じった。


「……我々は、そういうものを相手にしています」


 誰も反論しなかった。


 できなかった。


 国王は椅子に深く腰を預け、大陸地図を見下ろした。


「如月礼は」


「現在も所在不明です」


「生きているのか」


「死亡を示す証拠はありません」


「目撃情報は」


「多数あります」


「ならば居場所が分かるだろう」


「それが――」


 中央ギルドの男が困った顔をした。


「情報の大半が、確認できません」


「どういうことだ」


「黒髪の男だった。童術を使った。複数の武器を生み出した。異常な速度で移動した。重傷者を治療した。そうした証言は各地から上がっています」


「礼ではないのか」


「以前ならば、その可能性は高かったでしょう」


 男は卓上の資料を見た。


「ですが現在、それらの特徴だけでは本人と断定できません」


 国王が黙った。


 童術を使う。


 かつて、それだけで如月礼へ繋がった。


 今はもう、違う。


「……創始者を、その創始した術で見つけられなくなったか」


 国王の言葉に答える者はいなかった。


 窓の外では、王都の鐘が鳴っていた。


 いつもと変わらない昼を知らせる鐘だった。


 市場では商人が声を張り、街道を荷馬車が行き交い、子供たちは今日も走り回っている。


 だが王城の一室に広げられた地図には、その日常とは無関係に印が増え続けていた。


 国王は長い間、その地図を眺めていた。


 やがて、王国領の外側へ目を向ける。


 帝国。


 皇国。


 そして、そのさらに先。


「……もはや」


 誰も動かなかった。


「我が国だけの問題ではない、ということか」


 エドガーが答えた。


「はい、陛下」


 彼の指先が、大陸を横切る交易路の上を静かになぞった。


「童術は、すでに国境を越えています」


 その言葉の後も、会議は終わらなかった。


 終われなかった。


 王国が三年前に二十二人を数えていた間に、その数字は意味を失った。


 そして今、その名は王国の外でも知られている。


 異端の術。


 童術。


 地図の上に引かれた国境など知らないかのように、それは既に大陸の各地へ根を伸ばしていた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

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