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童貞にして最強 ―穢れなき力を手にした男の黙示録―  作者: 忠犬むつ公
第一部

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第八十話 白紙の向こう

「リオに返せ……!」


 声が、喉の奥で潰れた。


 返事はなかった。


 礼は冷たい床に膝をついたまま、腕の中のリオを抱きしめていた。


 まだ温かい。


 肩も、腕も、背中も、何も変わっていないように思えた。


 目を閉じているだけだ。


 少し前まで、隣に座ってパンを食べていた。


 食欲がないと言った礼に、食えと言った。


 こんな状況でも、まだ話せると言った。


 いつものように。


 何度もそうしてきたように。


 だから、起きるはずだった。


「……返せよ」


 礼はもう一度、リオの胸へ手を当てた。


 自分の中へ流れ込んだ童力を押し返す。


 循環を逆転させる。


 腕から掌へ。


 掌から、リオへ。


「お前のだろ……」


 流れない。


「俺のじゃないだろ……!」


 力を込める。


 童力は掌まで来る。そこまでは自分の意思に従う。


 だが、リオの身体へ入らない。


 拒まれているのではない。


 受け取るものが、もうそこにない。


 その事実を、礼は認めなかった。


「返せ……」


 もう一度。


「返せよ……」


 何度でも。


 何度やっても。


 リオの童力は礼の中に残った。


 それどころか、時間が経つほど境目が分からなくなっていく。


 どこまでが自分の童力で。


 どこからがリオのものなのか。


 混ざっていく。


 身体に馴染んでいく。


「やめろよ……」


 礼は首を振った。


「勝手に俺のものになるなよ……」


 こんなものは欲しくなかった。


 もっと強くなりたいと思った。


 守れる力が欲しいと願った。


 何度も。


 何度も。


 それでも、こんな形で欲しいと思ったことは一度もない。


「リオ……」


 名前を呼ぶ。


 返事はない。


 その静けさの向こうで、何かが倒れる音がした。


「下がれ!」


 怒鳴り声。


「剣を下ろせ!」


「童術を使うな!」


「使ってねえ!」


 金属がぶつかる。


 誰かが叫ぶ。


 誰かが泣いている。


 訓練場は、まだ終わっていなかった。


 リオが死んでも。


 礼の世界から一人がいなくなっても。


 周りの世界は、止まってくれなかった。



     ◇



「……リオ?」


 ハインが立っていた。


 顔から血の気が引いている。


 礼の腕の中。


 動かないリオ。


 床へ広がる血。


 それを順番に見て、ハインの唇が震えた。


「おい」


 返事はない。


「リオ」


 礼は顔を上げなかった。


「礼」


「…………」


「リオは」


 その先を言わせたくなかった。


「……言うな」


 礼の声は、自分でも驚くほど小さかった。


 ハインが黙る。


 けれど、理解してしまったのだろう。


 息を呑む音がした。


「……誰が」


 礼は答えなかった。


 答える必要もなかった。


 少し離れたところに、一人の聖騎士が座り込んでいた。


 若い男だった。


 兜は外れている。


 剣も持っていない。


 自分が落とした剣を見つめたまま、動けなくなっている。


「俺は……」


 男の唇が震えていた。


「俺は、止めようと……」


 ハインがそちらを見た。


 礼には見えなかった。


 けれど、分かった。


 空気が変わった。


 ハインの身体から、童力が立ち上がる。


「……お前か」


「ハイン」


「お前が」


 足音。


 礼は顔を上げた。


 ハインが歩いている。


 騎士へ向かって。


「ハイン」


 止まらない。


「お前がリオを……!」


 童力が右腕へ集まる。


 第二童式。


 《童撃》。


 礼は叫んだ。


「ハイン!!」


 ハインの足が止まった。


「やめろ」


「でも……!」


「やめろ」


「あいつが!」


「分かってる!」


 自分でも何を分かっているのか分からなかった。


 刺したのは、あの騎士だ。


 その剣がリオの身体を貫いた。


 その事実だけなら、間違いない。


 だったら。


 あいつを殺せばいいのか。


 同じように胸を貫けばいいのか。


 それで何が戻る。


「でもリオが……!」


「リオが止めようとしてたんだろ!」


 礼の声が訓練場へ響いた。


 ハインが息を呑む。


「ずっと……止めようとしてたんだろ……!」


 礼はリオを抱く腕に力を込めた。


「ここで殺したら……」


 声が震える。


「何のために……リオが……」


 最後まで言えなかった。


 ハインの拳から、童力が消えた。


「……くそっ」


 両膝を床につく。


「くそ……!」


 床を殴った。


 童力のない、ただの拳だった。


 若い騎士は逃げなかった。


 座り込んだまま、自分の手を見ている。


「俺は……殺すつもりじゃ……」


「黙ってろ!」


 ハインが叫んだ。


 騎士が肩を震わせる。


 礼は何も言えなかった。


 許せない。


 でも、殺せない。


 憎い。


 でも、あの男も泣いていた。


 どうすればいいのか分からなかった。



     ◇



「全員、剣を収めろ!」


 ヴァルターの声が飛ぶ。


「これ以上、誰にも触れるな!」


「負傷者を後方へ!」


「対象者を壁際へ移動させろ!」


「その命令は撤回した!」


 いくつもの声が重なっている。


 誰も全体を見られていなかった。


 リオが倒れたことを知っている者。


 まだ知らない者。


 誰が刺したのか知っている者。


 童術師が騎士を襲ったと思っている者。


 騎士が童術師を殺したと聞いた者。


 伝わるたびに、出来事の形が変わっていった。


「一人死んだ!」


「聖騎士が殺した!」


「対象者一名死亡!」


「暴動だ!」


「違う! 誰も暴れてない!」


「剣を抜くな!」


「童術を解除しろ!」


「使ってねえって言ってんだろ!」


 壁際で、エルンが立ち尽くしていた。


 顔が真っ青だった。


「リオさんが……?」


 誰も答えない。


「嘘だろ……」


 ディンはその腕を掴んでいた。


「見るな」


「でも」


「見るなって」


 言っているディン自身が、リオの方から目を離せていなかった。


 ノアは二人の前に立ち、盾を構えた聖騎士を見ている。


「俺たちは何もしない」


 両手を見せる。


「だから、そっちも来るな」


「その場にいてください!」


「いるよ。だから来るなって言ってる」


 マルクの近くでは、訓練中だった青年の一人が泣いていた。


「俺たち、何したんですか」


「落ち着け」


「何したんですか!」


「分かってる。分かってるから」


「何もできないのに……」


 マルクは答えられなかった。


 ニルは壁際に座り込んでいた。


 リオに突き飛ばされたときに肘を擦ったらしい。


 血が滲んでいる。


 だが、そんなものを気にする様子はなかった。


「俺のせいだ」


 呟いている。


「俺が走ったから……」


「違う」


 レントがしゃがみ込んだ。


「でも俺が」


「違う」


「だって」


「今それを決めるな」


 レントはニルの肩を掴んだ。


「何が起きたか、俺たちだって分かってない」


「でもリオさんが……」


「分かってる」


「俺を……」


 ニルの顔が歪む。


 そのとき、近くで悲鳴が上がった。


 聖騎士と童術師の一人が揉み合っていた。


「離せ!」


「童術を解除しろ!」


「使ってない!」


「身体強化を――」


「使ってねえって!」


 騎士が男の腕を掴む。


 男が振り払う。


 別の騎士が盾を前へ出す。


 押された男が後ろの仲間へぶつかった。


「やめろ!」


 誰かが騎士の盾を掴んだ。


「触るな!」


 騎士が盾を振る。


 その縁が、童術師の頬へ当たった。


 血が飛んだ。


「っ……!」


「おい!」


 別の童術師の身体に童力が走った。


「待て!」


 レントが叫ぶ。


 遅かった。


 《童衣》。


 身体を覆った童力を見て、騎士が剣を構える。


「童術!」


「防御だ!」


「構えろ!」


「構えるな!」


 ヴァルターの命令は届かなかった。


 盾がぶつかる。


 拳が鎧へ当たる。


 剣が振られる。


 誰かが悲鳴を上げた。


 ついに、止まっていたものが動き始めた。



     ◇



 礼はその音を聞いていた。


 それでも、リオから手を離せなかった。


「礼!」


 ハインが叫ぶ。


「礼、まずい!」


「…………」


「また誰かやられる!」


 その言葉で。


 礼の指が止まった。


 また。


 その一言だけが、頭の中に残った。


 また誰か。


 礼はゆっくり顔を上げた。


 視界に入ったのは、訓練場の混乱だった。


 白い鎧。


 揺れる童力。


 倒れた長椅子。


 床に散った食器。


 血。


 泣いている者。


 怒鳴っている者。


 誰が敵なのか、分からなかった。


 分かる必要もなかった。


 このままなら。


 また死ぬ。


 リオだけでは終わらない。


「……嫌だ」


 礼は呟いた。


「礼?」


「もう嫌だ」


 リオの身体を、ゆっくり床へ横たえる。


 頭が石床へ当たらないよう、自分の上着を丸めて下へ敷いた。


 乱れた髪を直す。


 閉じた目を見る。


「ちょっと待ってて」


 自分で言ってから、何を言っているんだと思った。


 待てるはずがない。


 もう。


 それでも礼は立ち上がった。


 足が震えた。


 身体の内側には、あり得ないほどの童力がある。


 自分のもの。


 そして。


 リオのもの。


「……使いたくない」


 小さく呟く。


 それでも。


 目の前で、一人の童術師が盾に押し倒された。


 騎士が剣を振り上げる。


「やめろ!」


 礼の身体を童力が覆った。


 第三童式。


 《童衣》。


 いつもなら、そこで終わる。


 童力を身体の表面へ循環させる。


 筋肉を支え、衝撃を受け、動きを補助する。


 自分を守るための衣。


 けれど今。


 礼の身体には、今までの自分では扱ったことのない量の童力があった。


 多すぎる。


 身体だけでは収まらない。


 溢れる。


 礼は無意識に、それを押し戻そうとした。


 違う。


 外へ。


 自分を覆っている童力を、身体から離す。


「……え」


 皮膚の表面にあった童力が浮いた。


 薄い膜が、礼の身体から剥がれる。


 形を保ったまま。


 礼はそれを見た。


 考えるより先に、手を伸ばした。


「行け」


 童力の膜が広がった。


 床すれすれを滑り。


 壁を這い。


 人と人の間を抜ける。


 そして。


「――っ!?」


 一人の聖騎士の身体へまとわりついた。


「何だ……!」


 騎士の動きが止まる。


 剣を持った腕が、途中で固まった。


「身体が……!」


 礼は息を呑んだ。


 できる。


 自分にまとわせる童力。


 なら。


 他人にも。


「礼……?」


 リオなら。


 そう思った。


 リオなら、何と言う。


 たぶん目を輝かせる。


 どうやった、と聞く。


 ノートを持ってくる。


 一緒に試そうと言う。


 その考えが浮かんだ瞬間、胸が潰れそうになった。


「……っ」


 礼は歯を食いしばった。


 今は考えるな。


 もう一人。


 さらに一人。


 自分を覆う童力を剥がし、伸ばす。


 聖騎士の身体へ。


「何だこれは!」


「動けない!」


「童術だ!」


「如月礼!」


 エドガーの声が聞こえた。


 礼は答えなかった。


 さらに広げる。


 童力の膜が、訓練場を走った。


 一人。


 二人。


 三人。


 盾を構えていた騎士の身体へまとわりつき、その動きを縛る。


 完全には止められない。


 力を込めれば動く。


 だが、重い。


 自分の身体の上から、もう一つ身体を着せられたように。


「くっ……!」


「剥がれない!」


「魔力ではない!」


「分かってる!」


 礼の額から汗が流れた。


 十人。


 それ以上。


 無理だ。


 頭が割れそうになる。


 それでも維持する。


「礼!」


 ハインが目を見開いていた。


「何だ、それ」


「知らない」


「知らないって」


「今できた!」


 礼は叫んだ。


「だから――」


 息を吸う。


「逃げろ!!」


 訓練場が静まった。


 一瞬だけ。


「全員逃げろ!」


「礼!?」


「ここにいたらまた誰か死ぬ!」


 誰も動かない。


「行け!!」


 礼の声が震えた。


「もう……」


 喉が詰まる。


「もう一人も死なせたくないんだよ!!」


 最初に動いたのはレントだった。


「聞いたな!」


 ニルの腕を掴む。


「立て!」


「でもリオさんが」


「立て!」


 ニルを引き起こす。


「マルク! 六人連れてけ!」


「はい!」


「西側! 裏の搬入口がある!」


 冒険者として何年もローデンを歩いてきたレントは、訓練場の構造も、その外の道も知っている。


「正面は騎士が多い! 裏から出る!」


「ノア!」


 ディンが叫ぶ。


「行くぞ!」


「分かってる!」


 エルンが動かない。


「エルン!」


「でも……」


 少年はリオを見ていた。


「リオさんが」


「エルン!」


 礼が叫んだ。


 エルンがこちらを見る。


「行け」


「礼さん」


「帰るんだろ」


「…………」


「父さんのところに」


 エルンの顔が歪んだ。


「……はい」


「なら行け!」


 ノアがエルンの背中を押した。


「走れ!」


 人が動き始める。


「待て!」


 拘束されていない騎士が追おうとする。


 礼が童力を伸ばす。


「行かせない」


 膜が騎士の足へ絡む。


「くっ!」


「礼!」


 ハインが叫んだ。


「お前は!」


「あとで行く!」


「でも――」


「ハイン」


 礼は床を見る。


 リオ。


 ハインも見た。


 二人の間で、言葉が消えた。


「……連れてって」


 礼は言った。


 ハインが目を見開く。


「リオを」


「礼」


「俺、今……」


 声が震える。


「抱いたままじゃ、みんな守れない」


 ハインは何も言わなかった。


「頼む」


「…………」


「お願いだから」


 ハインがリオのところへ行く。


 膝をつく。


 触れようとして、一度手が止まった。


 それから、ゆっくり身体を抱き起こした。


「……軽いな」


 掠れた声だった。


「こいつ、こんな軽かったっけ」


 礼は答えられなかった。


 ハインがリオを背負う。


 力の抜けた腕が肩から垂れた。


 それを見た瞬間、礼は吐きそうになった。


「礼」


「……何」


「絶対来い」


「うん」


「絶対だぞ」


「分かった」


 ハインが走り出す。


 礼はその背中を見た。


 リオが遠ざかっていく。


 追いかけたかった。


 今すぐ。


 でも。


「如月礼!」


 ヴァルターだった。


 礼は振り返る。


 ヴァルターは剣を抜いていなかった。


「待ってください!」


「無理です」


「このまま逃げれば――」


「じゃあどうすればいいんですか!」


 礼は叫んだ。


 ヴァルターが言葉を失う。


「リオが死んだ!」


「…………」


「それでもここにいろって言うんですか!」


「違います、私は――」


「次は誰ですか!」


 礼の声が裏返った。


「ハイン? バルト? エルン? ニル?」


「礼さん!」


「誰が死んだら帰してくれるんですか!」


「そんなことは――」


「じゃあ止めてくださいよ!」


 礼は周囲を指した。


「止められるなら!」


 ヴァルターは何も言えなかった。


 彼自身、何度も命令した。


 剣を収めろ。


 接触するな。


 距離を取れ。


 それでも、一人死んだ。


「……行きます」


 礼は言った。


「礼さん」


「俺たちは、もうここにはいられない」


 ヴァルターの横で、エドガーが立っていた。


 その顔にも、いつもの冷静さはなかった。


「如月礼」


 礼は彼を見る。


「今ここで逃亡すれば、状況はさらに悪化します」


「もう悪化してます」


「それでもです」


「じゃあ」


 礼はエドガーを見た。


「リオを戻してください」


 エドガーの表情が止まった。


「…………」


「戻せるんですか」


「……できません」


「俺もです」


 礼はそれだけ言った。


 背を向ける。


「待ってください!」


 ヴァルターの声を残し、礼は走った。



     ◇



「俺の石!」


「バルト、何やってんだ!」


「石!」


「置いてけそんなもん!」


「ふざけんな!」


 逃げかけていたバルトが、突然進路を変えた。


 壁際の保管机へ突っ込む。


「おい!」


 レントが叫ぶ。


「何してんだ!」


「俺の童石!」


「今それかよ!」


「今だからだよ!」


 保管用の袋を片っ端からひっくり返す。


 剣。


 短剣。


 硬貨。


 小物。


「どこだ!」


「バルト!」


「あった!」


 灰色の石を掴む。


 握った瞬間、バルトの呼吸が変わった。


「……よし」


「何がよしだ!」


「落ち着いた!」


「それで落ち着けるお前が一番怖えよ!」


「うるせえ!」


 バルトが走る。


「行くぞ!」


 ほんの一瞬。


 こんな状況なのに。


 ディンが笑った。


 すぐに笑いは消えた。


 それでも、その一瞬だけ。


 彼らはいつもの彼らだった。



     ◇



 裏口が開く。


 夜の空気が流れ込んだ。


「出ろ!」


 レントが先頭に立つ。


「一か所に固まるな! 狙われる!」


「どこ行く!」


「まず町の外だ!」


「門は!?」


「西は荷馬車が多い! 混乱に紛れる!」


「全員で行ったら目立つだろ!」


「分かれる!」


 ノアが叫ぶ。


「町の外で合流!」


「どこだよ!」


「北西の林! 昔使った休憩所がある!」


 冒険者たちは知っていた。


 依頼帰りに何度も通った場所。


 小さな林。


 街道から少し外れた、古い休憩所。


「そこだ!」


「六人は俺たちと!」


 マルクが訓練者たちをまとめる。


「エルン!」


「はい!」


「こっち!」


 人々が夜の町へ散っていく。


 だが、当然すぐに気づかれた。


「対象者が逃走!」


 背後から声。


「西へ向かった!」


「追え!」


「殺傷するな!」


 鐘が鳴った。


 夜のローデンに、警戒を告げる鐘が響く。


 窓が開く。


 通りの人々が振り返る。


「何だ?」


「聖騎士?」


「逃げろ!」


 礼は最後尾を走った。


 第一童式《童駆》。


 足へ童力を集中させる。


 石畳を蹴るたび、身体が前へ飛ぶ。


 追手が来る。


 三人。


 五人。


 白い鎧。


「止まれ!」


 止まらない。


「如月礼! 止まれ!」


 礼は振り返った。


 騎士の一人が追いつく。


 剣を抜く。


 振り下ろされる。


 礼は腕を上げた。


 第三童式《童衣》。


 刃が童力の膜へ当たる。


 衝撃。


 痛い。


 だが切れない。


 礼は踏み込んだ。


 拳へ童力。


 第二。


 ――駄目だ。


 人間だ。


 テオが腕を折ったときのことが頭をよぎる。


 出力を落とす。


 狙いを変える。


「っ!」


 拳は騎士の身体ではなく、盾へ入った。


 金属が大きく凹む。


 騎士が衝撃で後ろへ転がった。


「ごめん!」


 礼は走る。


 別の騎士。


 剣。


 避ける。


 礼は剣を形成した。


 童力を纏わせる。


 第四童式《童閃》。


 斬る。


 相手ではない。


 剣を。


 金属が弾ける。


「なっ……!」


 折れた剣を見て騎士が止まる。


 礼はその横を抜けた。


「殺すな!」


 後方から命令が飛ぶ。


「対象者の殺傷は禁止だ!」


 その声に、礼は少しだけ救われた。


 まだ。


 全員が敵になったわけではない。


 その考えが浮かんで。


 胸が痛んだ。


 リオが言っていた。


 全員が敵になったわけじゃない。


「……分かってるよ」


 誰に言ったのか、自分でも分からなかった。



     ◇



 西へ。


 町の外へ。


 だが、門が閉じ始めていた。


「まずい!」


 レントが叫ぶ。


 巨大な木の門が、ゆっくりと内側へ動いている。


「間に合うか!?」


「走れ!」


 先頭の者たちが抜ける。


 ノア。


 ディン。


 エルン。


 マルク。


 六人の訓練者。


 ハイン。


 その背中に、リオ。


「礼!」


 ハインが振り返る。


 礼はまだ遠い。


 追手を止めながら走っている。


「先行け!」


「でも!」


「行け!」


 門が閉じていく。


 ハインは歯を食いしばった。


 リオを背負ったまま、外へ走る。


 礼はそれを見届けた。


「止まれ!」


 背後。


 振り返る。


 十人以上。


 さらに増える。


 町の警備兵も合流していた。


 礼は門を見る。


 仲間が抜けていく。


 あと少し。


 時間を稼げ。


 礼は剣を構えた。


 一人が来る。


 受ける。


 弾く。


 二人目。


 避ける。


 三人目。


「くっ……!」


 数が多い。


 剣一本では捌ききれない。


 礼は距離を取った。


 手を伸ばす。


 頭の中に形を描く。


 刃、柄、鍔、重さ、重心。


 何度も研究した。


 リオと。


 童力が集まる。


 一本の剣が現れた。


 礼は掴む。


「また……!」


 騎士が驚く。


 礼は投げた。


 剣は騎士の足元へ突き刺さる。


 牽制。


 その隙にもう一本。


 形成。


 掴む。


 戦う。


 受ける。


 刃が欠ける。


「っ!」


 作った剣が砕けた。


 また作る。


 一秒。


 二秒。


 その時間すら惜しい。


 横から槍。


 避ける。


 頬が切れる。


 血が流れる。


「礼!」


 門の向こうから声。


「行け!」


 礼は叫び返す。


「俺はあとで行く!」


 さらに騎士が来る。


 一本作る。


 足りない。


 一本投げる。


 次を作る。


 遅い。


 足りない。


 右。


 左。


 前。


 弓兵が屋根へ上がっている。


 矢が飛ぶ。


 童衣で弾く。


「くそ……!」


 身体の中で、童力が渦巻いた。


 多すぎる力。


 自分のものではないもの。


 礼は分かっていた。


 使えばいい。


 この力を使えば。


「……嫌だ」


 口から漏れた。


 リオのものだ。


 自分のじゃない。


 使いたくない。


 でも。


 門の向こうで、ハインが走っている。


 リオを背負って。


 エルンがいる。


 ニルがいる。


 マルクがいる。


 みんながいる。


 追手が迫る。


「……ごめん」


 礼は目を閉じた。


 誰に謝ったのかは、自分でも分からなかった。


 童力を流す。


 自分のものと。


 もう一つ。


 境目の分からなくなった力を。


 全部。


 目を開く。


 一本の剣を思い描く。


 違う。


 一本では足りない。


 なら。


 二本。


 童力が集まる。


 礼の左右に、二本の剣が現れた。


「……え」


 今まで。


 一つを作るだけだった。


 一つを理解し。


 一つを形にし。


 一つを維持する。


 だが。


 今は二つある。


 礼は見た。


 できる。


 なら。


「もっと」


 三本。


 四本。


 剣だけではない。


 槍。


 短剣。


 盾。


 知っている。


 見たことがある。


 触ったことがある。


 構造を理解している。


 それなら。


 形にできる。


「何だ……」


 騎士たちが止まった。


 礼の周囲。


 何もなかった夜の空間に、武器が浮かんでいる。


 一つ。


 二つではない。


 十。


 さらに。


 童力の光をまといながら、次々と形を得ていく。


「そんな……」


「これも童術なのか……?」


 礼自身にも分からなかった。


 ただ。


 足りなかった。


 だから増やした。


「……行け」


 一振りの剣が飛ぶ。


「防げ!」


 盾へ突き刺さる。


 二本目。


 騎士の剣を弾く。


 三本目。


 地面へ。


 石畳が砕ける。


 槍が並ぶ。


 追手の前へ突き刺さり、道を塞ぐ。


「止まれ!」


「前へ出るな!」


 盾が飛ぶ。


 誰かを殴るためではない。


 路地へ入り込む。


 壁と壁の間へ挟まり、道を塞ぐ。


 剣が飛ぶ。


 弓兵の足元へ突き刺さる。


「うわっ!」


 弓兵が後ずさる。


 礼は見ていた。


 一人も殺さない。


 殺さない。


 絶対に。


 リオが止めようとして死んだのなら。


 ここで自分が殺してはいけない。


「退け!」


 礼は叫んだ。


 武器が宙に浮かぶ。


「俺たちは行く!」


 誰も前へ出られない。


「追わないでくれ!」


 返事はない。


 ただ、武器の群れを前に騎士たちが足を止めている。


 礼は一歩ずつ後ろへ下がる。


 門を見る。


 仲間たちはもう外だ。


「……リオ」


 小さく名前を呼ぶ。


 そして。


 礼は踵を返した。


 第一童式《童駆》。


 地面を蹴る。


 閉まりかけた門の隙間へ身体を滑り込ませた。


 背後で、重い音が響く。


 門が閉じた。



     ◇



 どれほど走ったのか、分からなかった。


 ローデンの明かりが遠くなる。


 街道を外れ。


 草地を抜け。


 林へ入る。


 木々の間に、小さな火が見えた。


「礼!」


 誰かが呼んだ。


 足が止まりそうになる。


 そこにいた。


 ノア。


 ディン。


 バルト。


 マルク。


 レント。


 エルン。


 ニル。


 他の童術師たち。


 全員ではない。


 まだ来ていない者もいる。


 散ったままの者もいる。


 それでも。


 何人もいる。


 生きている。


「……よかった」


 礼の足から力が抜けた。


「礼!」


 レントが支える。


「大丈夫か!」


「うん」


「怪我してるぞ」


「大丈夫」


「大丈夫じゃ――」


「リオは?」


 礼が聞いた。


 レントが黙った。


 その顔だけで分かった。


 礼は身体を離す。


「どこ」


「礼」


「どこ」


 誰も止めなかった。


 林の奥。


 一本の大きな木の下。


 ハインが座っていた。


 その前に。


 リオが横たえられている。


 礼は歩いた。


 一歩。


 一歩。


 さっきまで、あれほど速く走れたのに。


 今は足が重かった。


 リオの隣へ座る。


「……ただいま」


 言ってしまった。


 返事はない。


「逃げられたよ」


 リオの顔を見る。


「みんな」


 喉が詰まる。


「全員じゃないけど……たぶん、みんな逃げてる」


 返事はない。


「新しいのもできた」


 礼は笑おうとした。


 できなかった。


「武器」


 手を見る。


「いっぱい出せた」


 リオなら。


 どうやった、と聞いただろう。


 もう一回やれと言っただろう。


 何本まで出せるか試そう。


 武器の種類で消費は変わるか。


 距離は。


 維持時間は。


 そんなことを。


 一緒に考えたはずだった。


「……見てほしかったな」


 礼は鞄を開いた。


 中身を探る。


 ノート。


 紙。


 何度も書き直した記録。


 第一童式《童駆》。


 第二童式《童撃》。


 第三童式《童衣》。


 第四童式《童閃》。


 第五童式《童貞破》。


 第六童式《童癒》。


 そして。


 一枚の紙。


 何も書かれていない。


 白紙。


 リオが残していたものだった。


『いつか第七になるかもな』


 そう言っていた。


 礼は紙を膝の上へ置いた。


 ペンを持つ。


 手が震えていた。


 書けない。


「…………」


 ペン先を紙へ置く。


 離す。


 もう一度。


 置く。


「リオ」


 返事はない。


「これ……」


 何と呼べばいい。


 武器を作る。


 いくつも。


 自分が知っている武装を、この世界へ現す。


 リオと二人で始めたもの。


 リオが見つけた可能性。


 礼が一人で完成させてしまったもの。


「……最悪だ」


 涙が紙へ落ちた。


「一緒に完成させたかった」


 誰も声をかけなかった。


 ハインも。


 バルトも。


 ノアも。


 ディンも。


 エルンも。


 少し離れた場所で、ただ礼を見ていた。


 礼は涙を拭わなかった。


 滲んだ紙の上へ、ゆっくり文字を書く。


 第七童式。


 そこで一度、手が止まった。


 リオの顔を見る。


「……できたよ」


 そして。


 続きを書いた。



 第七童式《万装顕現》



 最後の一文字を書き終える。


 ペンが止まる。


 礼はしばらく、その文字を見ていた。


 嬉しくなかった。


 新しい童式ができた。


 昨日までなら。


 リオと二人で何時間でも話しただろう。


 試して。


 失敗して。


 また書き直して。


 名前がおかしいと言って笑ったかもしれない。


 なのに。


 白紙は埋まった。


 隣だけが、空いていた。


「……リオ」


 礼は紙を握った。


「分からないなら……」


 声が出なくなる。


 何度も言われた言葉だった。


 一人で抱え込もうとするたびに。


 答えが出ないたびに。


 迷うたびに。


『一緒に考えようぜ』


 礼は俯いた。


「……一緒に考えるんじゃなかったのかよ」


 返事はなかった。


 林を、夜の風が抜けていった。


 白紙だった一枚だけが、礼の手の中で小さく震えていた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

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これからも『童貞にして最強』をよろしくお願いいたします!

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