第七十五話 変わったもの
翌朝。
ローデンのギルドへ出勤したヴァルターは、窓の外を見て足を止めた。
裏手の広場に、白い鎧が並んでいる。
昨日までとは違った。
聖騎士たちは町へ到着してからも武装していたし、宿舎とギルド周辺の警備にも立っていた。だが今朝は、盾を背負い、腰の剣を確かめ、数人ずつに分かれて何かを確認している。
馬の鞍を締めている者もいた。
すぐに出発できるような格好だった。
「……何をしている?」
ヴァルターは机に鞄を置くと、そのまま外へ出た。
広場へ向かう。
聖騎士の一人が気づき、姿勢を正した。
「おはようございます、クロイツ殿」
「おはようございます」
挨拶を返してから、ヴァルターは周囲を見た。
「今日はどこかへ?」
「いえ」
「では、この準備は?」
「待機命令です」
ヴァルターの視線が戻る。
「待機?」
「はい。明朝以降、いつでも行動できる状態を維持するようにと」
「誰の指示です?」
「レーヴェン調査官です」
数秒、返事ができなかった。
「……エドガー・レーヴェン?」
「はい」
「目的は聞いていますか?」
「いいえ。行動命令は受けておりません」
「では、なぜ」
「申し訳ありません。我々も待機のみを命じられています」
騎士はそれ以上知らないようだった。
ヴァルターは白い鎧の列をもう一度見た。
「分かりました」
短く答え、踵を返す。
歩く速度は、来たときより速くなっていた。
◇
エドガーは宿舎にはいなかった。
ギルド二階の一室を借り、すでに仕事を始めていた。
扉を叩く。
「どうぞ」
ヴァルターが入ると、机の向こうでエドガーが顔を上げた。
「おはようございます、ヴァルターさん」
「おはようございます」
机には何枚もの紙が広がっている。
昨日の聴取記録だった。
「少し、お時間よろしいですか」
「もちろん」
「聖騎士団に待機命令を出しましたか?」
エドガーは否定しなかった。
「出しました」
「なぜです?」
「必要になる可能性があるからです」
ヴァルターは扉を閉めた。
「何をするつもりですか」
「現時点では、何も」
「現時点では?」
エドガーがペンを置いた。
「昨夜、王都へ強制調査への移行を具申しました」
ヴァルターはしばらく動かなかった。
「……強制調査?」
「はい」
「聞いていません」
「今、お伝えしました」
「そういう意味ではありません」
声が少しだけ低くなる。
「昨日の聴取は任意だったはずです」
「任意でした」
「彼らにもそう説明した」
「私も説明しました」
「では、なぜです?」
エドガーは机の上から数枚の紙を取った。
「昨日の調査によって、新たな事実が確認されたからです」
「新たな事実?」
「まず、現在確認されている童術使用者は二十二名」
「それは以前から分かっていたでしょう」
「ええ。しかし、その外側で既に六名が習得訓練を始めています」
「事前通知を受理した六名です」
「知っています」
「制度に従っています」
「手続き上の問題を指摘しているのではありません」
エドガーは紙を一枚置いた。
「如月礼を介さない教授が、既に成立しています」
ハイン。
その下に、マルク。
「それも、報告しているはずです」
「報告と、本人たちへの聴取では意味が違います。昨日確認できたのは、彼らがそれを例外だと考えていないことです」
「……どういう意味です?」
「今後も続けるつもりだということです」
次の紙。
基礎訓練中、六名。
「六名で終わる予定はない。人数に上限も設けていない。本人が希望し、安全に指導できるのであれば、今後も新たな者へ教える可能性がある」
「それの何が問題なんです」
「それを把握できていないことです」
「事前通知制度があります」
「今は」
ヴァルターの眉が動いた。
「……今は?」
「制度が作られたのは最近です。童術は、それ以前から存在していた」
「だから制度を作っている」
「そして制度を作っている間にも、技術は進んでいる」
エドガーは別の紙を出した。
「第一から第六まで」
ヴァルターは黙って見る。
「さらに、既存の童式に分類されない物質形成現象」
「礼さんの剣の話ですか」
「剣だけとは限らないそうです」
「まだ研究段階でしょう」
「その通りです」
エドガーは頷いた。
「だから調べる必要がある」
「任意では足りないと?」
「足りません」
即答だった。
ヴァルターは椅子に座らなかった。
「昨日、礼さんたちは協力したはずです」
「しました」
「質問にも答えた」
「はい」
「実演を断ったこと以外、調査を妨害していない」
「実演の拒否も問題とは考えていません」
「なら――」
「ヴァルターさん」
エドガーの声は静かだった。
「如月礼が協力的であることと、童術を我々が把握できていることは同じではありません」
ヴァルターの言葉が止まる。
「私は彼を犯罪者だとは考えていない」
「では、身柄を確保する理由は?」
「調査対象を確実に確認するためです」
「それを拘束と言うんです」
「そう呼んでいただいても構いません」
部屋の外から、人が階段を上る音がした。
二人とも話さない。
足音が扉の前を通り過ぎ、遠ざかっていった。
「……昨日」
ヴァルターが口を開いた。
「彼らに、拒否しても構わないと伝えました」
「はい」
「バルトさんは、それを信じて来なかった」
「承知しています」
「それを、翌日になって覆す?」
「状況が変わりました」
「彼らから見れば同じです」
エドガーは黙って聞いている。
「昨日は断っていいと言った。今日は駄目だと言う。そんなことをすれば、次からこちらの言葉を信じなくなる」
「その可能性はあります」
「可能性ではありません」
ヴァルターは机へ手をついた。
「そうなります」
それでもエドガーの表情は変わらなかった。
「では、信用を守るために、必要な調査を行わないのですか」
「そうは言っていません」
「何が違う?」
「やり方です」
今度はヴァルターが即答した。
「いきなり聖騎士を向かわせる必要はない」
「まだ向かわせていません」
「命令が届けば向かわせるつもりでしょう」
「必要であれば」
「それをやめてください」
エドガーがヴァルターを見る。
「王都が強制調査を認めたとしても、まず私から説明します」
「拒否された場合は?」
「それでも、まず話します」
「全員に?」
「はい」
「二十八名です」
「分かっています」
「町の各所にいる」
「集めます」
「来ない者もいるでしょう」
「それでもです」
ヴァルターは引かなかった。
「突然、自宅や職場へ聖騎士を送り込むよりはいい」
エドガーはしばらく何も言わなかった。
やがて椅子へ背を預ける。
「まだ、王都から回答は来ていません」
「なら、なおさらです」
「回答が来れば、その内容に従います」
「私もギルド長です。ローデンで何かをするなら、私にもやらせてください」
「……分かりました」
ヴァルターの目が僅かに動く。
「いいんですか」
「衝突を避けられるのであれば、その方がいい」
エドガーはペンを取った。
「ただし、王都が認めた場合です」
「もちろんです」
「その場合、どれほど時間が必要ですか」
「一日」
「長い」
「半日では全員に説明できません」
「全員が集まる保証もない」
「だから一日です」
エドガーは少し考えた。
「……回答が届いてから、翌日の正午まで」
「それでは一日ありません」
「これ以上は認められません」
ヴァルターは何か言おうとして、やめた。
「分かりました」
「その間、こちらから対象者へ接触はしません」
「聖騎士団も?」
「待機させます」
「約束してください」
「約束します」
ヴァルターはようやく机から手を離した。
「ありがとうございます」
「礼を言われることではありません」
「それでもです」
扉へ向かう。
「ヴァルターさん」
呼び止められた。
振り返る。
「あなたは、強制調査そのものには反対ですか?」
ヴァルターはすぐには答えなかった。
「……まだ、分かりません」
「そうですか」
「ただ」
扉の取っ手へ手を置いたまま、ヴァルターは続けた。
「昨日まで話を聞いていた相手を、今日から突然囲むようなやり方には反対です」
「分かりました」
ヴァルターは部屋を出た。
廊下へ出てから、一度だけ目を閉じた。
階下から、いつものギルドのざわめきが聞こえていた。
◇
「違う。そこじゃない」
ハインの声が訓練場に響く。
「腹に力入れすぎ」
「でも、流そうとすると力が」
「入れるんじゃなくて、通すんだよ」
「それが分からないんですって」
「俺も最初分からなかった」
「じゃあどうしたんです?」
「やってたら分かった」
「一番参考にならないやつじゃないですか」
周りから笑いが起きた。
礼は木箱に座りながら、その様子を眺めていた。
六人の新しい訓練者。
まだ童術師とは呼べない。
目を閉じて座っている者もいれば、身体の中の何かを探すように腕をさすっている者もいる。
そのうちの一人が、突然目を開けた。
「あ」
礼が顔を上げる。
「どうした?」
「今、なんか……」
若い男が自分の手を見る。
「熱いような、違うような」
ハインが近づく。
「もう一回やってみろ」
「はい」
男は目を閉じた。
周囲も少し静かになる。
しばらく待つ。
何も起きない。
「……分かんなくなりました」
「そんなもんだよ」
礼が笑う。
「俺も最初そうだった」
「本当ですか?」
「感じたと思ったら消えて、また探して」
「どのくらいでできました?」
「覚えてないな」
「先生なのに」
「先生って呼ぶのやめてよ」
「でも童師なんですよね?」
「誰が広めたんだよ、それ」
少し離れたところで、リオが顔を逸らした。
「リオ?」
「知らない」
「絶対知ってる顔してる」
「俺じゃないって」
「じゃあ誰」
「さあ」
礼が立ち上がる。
そのとき、訓練場の入口から声がした。
「昨日どうだった?」
バルトだった。
片手にはいつもの小さな袋がある。
「何が?」
「王都の連中」
「ああ」
礼は昨日のことを思い出す。
「普通だったよ」
「普通?」
「質問されて、答えて。嫌なやつは断っていいって言われて」
「俺、行かなくて正解だった?」
「知らないよ」
「何だよ」
「でも無理に呼ばれなかったよ」
「じゃあいいか」
バルトは壁際へ座る。
袋から灰色の石を取り出した。
新しく訓練を始めた一人が、それを見る。
「……それ何です?」
「石」
「それは見れば分かります」
「大事な石だ」
リオが吹き出した。
「説明してやれよ」
「長くなる」
「短くできるだろ」
「童力を安定させるために使ってる」
「石で?」
「石で」
「なんで?」
「それを説明すると長くなる」
礼が笑った。
「聞かない方がいいよ」
「余計気になるんですけど」
「研究の結果だ」
バルトだけは真剣だった。
若い男が困った顔をする。
「俺も石探した方がいいですか?」
「やめとけ」
礼とリオの声が重なった。
今度は訓練場全体に笑いが広がった。
その外を、二人の聖騎士が通った。
礼は一瞬だけそちらを見る。
騎士たちは訓練場へ入ってこなかった。
こちらを見ることもなく、そのまま通り過ぎていく。
「礼」
「ん?」
「次、見てくれ」
ハインに呼ばれ、礼は視線を戻した。
「今行く」
立ち上がる。
聖騎士の足音は、すぐに聞こえなくなった。
◇
王都からの回答が届いたのは、その日の夕方だった。
魔術による通信ではなかった。
中央ギルドが緊急時に用いる伝書鳥が、細い筒を脚につけてローデンへ降りた。
文書は二通。
一通は王都中央ギルド。
もう一通には、王国魔術院と王国治安部門の承認印が押されていた。
エドガーは借りている部屋で封を切った。
ラウルと、灰色の外套を着た二人が同席している。
文章を上から読む。
途中で止まることはなかった。
「……通りましたか」
ラウルが聞いた。
「条件付きで」
エドガーが文書を机へ置く。
ラウルが受け取り、目を通す。
確認済み童術使用者二十二名。
習得訓練中六名。
計二十八名。
全員を対象とした追加調査。
調査期間中の一時的な身柄確保を認める。
抵抗のない者への武力行使は禁止。
童術の実演は、本人の同意なく強制しない。
対象者は個別に聴取し、安全性および危険性の確認が終了した者から順次解放する。
必要性が認められない財産の押収、住居の捜索は禁止。
拘束そのものを処罰として扱ってはならない。
「かなり条件がつきましたね」
ラウルが言う。
「当然でしょう」
エドガーは答えた。
「彼らは犯罪者ではありません」
「それでも身柄は確保する」
「調査対象ですから」
ラウルは文書を机へ戻した。
「ヴァルターさんには?」
「私から伝えます」
「反対するのでは?」
「一部には」
「それでも実施を?」
「命令です」
エドガーは立ち上がった。
◇
ヴァルターは文書を最後まで読んだ。
もう一度、最初から読む。
そして、机へ置いた。
「……認められたんですね」
「はい」
向かいにエドガーが座っている。
「対象は二十八名」
「はい」
「六人も?」
「習得訓練を受けています」
「まだ使えない人もいる」
「それを含めて確認します」
「拒否は?」
「認められません」
ヴァルターは目を閉じた。
昨日、自分が礼たちへ言った言葉を思い出していた。
任意です。
拒否したことだけを理由に、拘束や処罰を行うとは書かれていません。
バルトが聞いた。
なら出ない、と。
自分は答えた。
分かりました、と。
「……時間を」
「約束通りです」
エドガーが答える。
「明日の正午まで、こちらから対象者への確保行動は行いません」
「聖騎士団も?」
「待機です」
「その間に、私から説明します」
「はい」
「もし、自分から来ると言った場合は?」
「指定した場所へ来ていただきます。抵抗しない限り、拘束具を使用する必要もありません」
「帰ることは?」
「調査が終わるまでは認められません」
「……それを先に伝えます」
「構いません」
「誤魔化したくないので」
「その方がいいでしょう」
ヴァルターは文書を持った。
紙が、僅かに震えた。
手に力を入れて止める。
「エドガーさん」
「はい」
「本当に、これが必要だと思っていますか」
「はい」
迷いのない返事だった。
「昨日、彼らと話したあとでも?」
「昨日、彼らと話したからです」
ヴァルターは何も言わなかった。
「如月礼が危険だからではありません」
エドガーが続ける。
「二十二名が犯罪者だからでもない。六名が何かをしたからでもない」
「なら」
「何も起こしていない今だから、確認できるのです」
ヴァルターはその言葉を聞いていた。
「何かが起きてからでは遅い」
「……そうですか」
「はい」
ヴァルターは文書を持って立ち上がった。
「私は、彼らに話します」
「お願いします」
「一つだけ」
「何でしょう」
「正午までは」
ヴァルターがエドガーを見る。
「絶対に、誰にも手を出させないでください」
「約束します」
ヴァルターは部屋を出た。
◇
日が沈む少し前。
訓練を終えた礼は、リオと一緒にギルドへ戻っていた。
「今日の人、いけそうじゃない?」
「誰?」
「最初に熱いって言ってた人」
「ああ」
「たぶん感じてると思う」
「明日もう一回やれば分かるかな」
「焦らせない方がいいだろ」
「分かってるよ」
リオが礼を見る。
「礼が一番焦るから言ってる」
「最近は焦ってないよ」
「昔は?」
「……ちょっと」
「ちょっと?」
「かなり」
「だろ」
ギルドの扉を開ける。
受付の職員が二人を見ると、すぐに立ち上がった。
「礼さん、リオさん」
「はい?」
「ギルド長がお呼びです」
二人は顔を見合わせた。
「ヴァルターさんが?」
「はい」
「何かあったんですか?」
職員は少し困ったような顔をした。
「私からは……」
その返事で、礼の中に小さな違和感が生まれた。
「分かりました」
二階へ向かう。
階段を上がる途中、リオが小声で言った。
「昨日の続きかな」
「たぶん」
廊下の一番奥。
ヴァルターの部屋の前で、礼が扉を叩く。
「どうぞ」
中へ入った。
ヴァルターは机の向こうに座っていた。
その前には、一通の文書が置かれている。
「来ていただいて、ありがとうございます」
「いえ」
礼は椅子へ座りながら、紙を見る。
「王都からですか?」
「はい」
ヴァルターは答えた。
昨日までとは違う声だった。
「礼さん。リオさん」
二人を見る。
「お話ししなければならないことがあります」
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