第七十四話 話せる
翌朝、礼とリオがギルドへ着いたとき、入口の前には二人の聖騎士が立っていた。
昨日、町へ入ってきたときと同じ白い鎧だった。腰には剣があるが、手をかけているわけではない。二人とも礼たちを見ると軽く頭を下げ、そのまま入口への道を空けた。
「……入っていいんだよな?」
礼が小声で言うと、リオが呆れたように横を見る。
「駄目なら呼ばないだろ」
「そうだけど」
「昨日より緊張してない?」
「昨日は見るだけだったじゃん。今日は俺たちが話すんだよ」
「それは俺も同じだよ」
そんなことを言いながら中へ入る。
受付にはいつもの職員がいて、朝早くから依頼を探している冒険者もいた。王都から大勢の人間が来ているせいか、普段より声は抑えられていたが、ギルドそのものが閉鎖されているわけではない。
二階へ上がると、会議室の前でヴァルターが待っていた。
「おはようございます」
「おはようございます」
「もう始まってますか?」
「いえ。お二人が最初です」
ヴァルターが扉を開ける。
中には長机が二つ置かれていた。
向こう側には、昨日会ったエドガーと灰色の外套を着た二人。それから王都中央ギルドのラウルが座っている。
聖騎士の姿はなかった。
礼は一度、廊下を振り返った。
「騎士の人たちは?」
「警備です」
ヴァルターが答える。
「建物の出入口と周辺にいます。聴取には同席しません」
「……そうですか」
礼は少しだけ肩の力を抜いた。
エドガーが立ち上がる。
「おはようございます。如月さん、リオさん」
「おはようございます」
「本日はありがとうございます。先に申し上げておきますが、答えたくない質問には答えなくて構いません。また、童術の実演を求める予定もありません」
礼は椅子へ座りかけて、動きを止めた。
「一つ聞いていいですか?」
「どうぞ」
「バルトたちは?」
エドガーはすぐに誰のことか理解したようだった。
「本日の聴取には参加しないと伺っています」
「呼ばないんですか?」
「本人が拒否しているのであれば」
「……それだけ?」
「任意の聴取ですから」
礼はヴァルターを見る。
ヴァルターが頷いた。
「昨日お伝えした通りです」
「分かりました」
礼はようやく椅子へ座った。
隣にリオも腰を下ろす。
「では」
エドガーも座る。
「始めましょう」
◇
最初の質問は、拍子抜けするほど普通だった。
「童力を最初に認識したのは、いつですか?」
「三年ちょっと前です」
「十七歳の頃?」
「はい」
「その時点で、魔術は?」
「ほとんど使えませんでした」
「適性がなかった?」
「たぶん。少しは魔力があるみたいなんですけど、普通の魔術を使えるほどじゃなくて」
灰色の外套を着た男が紙へ書き込んでいく。
「童力は、魔力とは別のものだと考えている?」
「俺はそう思ってます」
「理由は?」
「感覚が違うからです。魔力を感じようとしたときと、童力を動かすときは全然違う」
「他の方も同じ認識ですか?」
礼はリオを見る。
「俺はそうです」
リオが答えた。
「最初は魔力の使い方が変わったのかとも思ったんですけど、今は別のものだと思ってます」
「なるほど」
エドガーは一度頷いた。
「では、童式について伺います」
机の上に置かれていた紙が一枚めくられた。
「現在、第一から第六まで存在する。間違いありませんか?」
「はい」
「第一童式。《童駆》」
「移動です。主に脚へ童力を流します」
「第二。《童撃》」
「攻撃」
「第三。《童衣》」
「全身に童力を流します。防御とか、反応も」
「第四。《童閃》」
「武器に童力を流して強化します」
「第五」
エドガーが紙へ目を落とした。
「《童貞破》」
「はい」
「…………」
「…………」
礼も黙った。
隣でリオが僅かに俯いた。
エドガーは何も言わず、そのまま次の行へ視線を移した。
「高出力の童力を外部へ放出する攻撃、と報告されています」
「だいたい合ってます。どのくらいの範囲になるかは、使う人によりますけど」
「名称については?」
「そこ聞きます?」
「いえ。結構です」
リオの肩が揺れた。
「笑うなよ」
「笑ってない」
「絶対笑ってる」
「続けても?」
「あ、はい。すみません」
「第六童式。《童癒》」
今度は礼の表情が少しだけ変わった。
「治療です」
「傷を治せる?」
「ある程度は」
「欠損した部位を再生することも?」
「できません」
「死者を蘇生することは?」
「できません」
「病気は?」
「分かりません。試してません」
「なぜ?」
「怖いからです」
エドガーの視線が紙から上がった。
「怖い?」
「身体の中に使うから」
礼は自分の胸へ手を置いた。
「傷なら見えるけど、身体の中は分からない。変なところに童力を流したら、逆に悪くするかもしれないし」
「それで研究を止めている?」
「止めてはいません。でも、みんなに好きに試していいとは言ってないです」
「第六を教えていない?」
「基本だけです。出血を抑えたり、傷の治りを助けたり。その先はまだ」
エドガーは数秒、礼を見ていた。
「……あなた自身は、かなり慎重なのですね」
「そうですか?」
「少なくとも、未知の現象を無条件に使用しているわけではない」
「分からないことの方が多いんで」
リオが横から口を挟む。
「研究してるときは結構無茶しますけどね」
「おい」
「剣出したときとか」
「それ今言う?」
「どうせ聞かれるだろ」
エドガーの目が二人の間を動いた。
「その件についても、後ほど伺う予定です」
「ほら」
「お前のせいで早まった気がする」
ラウルが小さく咳払いした。
礼は姿勢を直す。
「すみません」
「構いません」
エドガーの声は変わらなかった。
「もう少し、童式について確認させてください」
紙がもう一枚置かれる。
「この六つを考案したのは、すべて如月さんですか?」
「元になったものは、たぶん」
「元になったもの?」
「最初から第一とか第二って呼んでたわけじゃないんです」
礼は隣を見る。
「番号をつけたのはリオです」
エドガーの視線が移った。
「あなたが?」
「はい」
「なぜ?」
「人数が増えたからです」
リオは少し考えてから続ける。
「最初は礼と俺だけだったから、なんとなくでも通じたんです。でも十人、二十人って増えて、教える人も礼だけじゃなくなってきた」
「それで統一した?」
「はい。同じ技なのに人によって呼び方が違ったり、教える順番が違ったら危ないと思って」
「第二童式について、対人訓練では最大出力を禁止しているという記録があります」
「それもそうです。怖くなったときに全部出しちゃった人がいたから」
「事故が?」
「腕を折りました」
「相手の?」
「はい」
エドガーの表情は変わらない。
「それ以降、安全基準を設けた」
「基準ってほど立派じゃないですけど」
「誰が教えても、同じように?」
「できれば」
エドガーのペンが止まった。
「誰が教えても?」
「はい」
リオは不思議そうに答えた。
「礼がいないと何もできないんじゃ、困るじゃないですか」
「……なるほど」
エドガーは再び書き始めた。
◇
昼を挟んで、聴取は続いた。
礼とリオだけではなかった。
ハインが入る。
マルクが入る。
レントも来た。
そのたびに、同じような質問が少しずつ形を変えて繰り返された。
「童術を教えたのは誰です?」
「ハインです」
マルクが答える。
「如月さんではなく?」
「はい。礼には訓練場で見てもらったことはありますけど、最初から教えてくれたのはハインです」
「ハインさんは、誰から?」
「礼とリオです」
「では、如月さんを介さずに教授が成立している」
「そうなりますね」
別の時間。
「礼がいなくても、第一から第三までなら教えられます」
ハインが答える。
「第四は?」
「使う武器によります。俺は自分のやり方しか分からない」
「第五は?」
「教えることはできます。でも、俺自身が礼みたいには使えません」
「第六は?」
「基本だけです」
エドガーが一つ書き留める。
それから何気ない調子で、次の質問をした。
「現在、童術を学んでいるのは二十二名で間違いありませんか?」
ハインが少し考えた。
「使えるのは、ですね」
エドガーのペンが止まった。
「使えるのは?」
「ああ……そうか。六人のことはまだ入ってないんですよね」
「六人?」
エドガーが顔を上げた。
「新しく始めた人たちです」
「少し待ってください」
エドガーは机の上にあった別の紙を見る。
「現在確認されている童術使用者は二十二名。これは?」
「合ってます」
「では、その六名は?」
「まだ使えるってほどじゃないです。始めたばかりなんで」
「何を始めたのです?」
「基礎訓練です」
会議室が僅かに静かになった。
「童力を感じるところから?」
「はい。呼吸とか、集中とか。感じられたら少しずつ循環を」
「六名全員?」
「そうです」
「いつから?」
「数日前です」
「誰が指導を?」
「俺と、他に教えられる奴で分けてます」
「如月さんは?」
「様子は見てますけど、基礎なら俺たちでできます」
エドガーはすぐには書かなかった。
「確認します」
「はい」
「既に童術を使用できる者が二十二名」
「はい」
「それとは別に、新たに六名が習得のための訓練を受けている」
「そうです」
「その六名に対する基礎指導は、如月さんが直接行わなくても成立している」
「はい」
ハインはそこまで答えてから、エドガーの表情を見た。
「……何か問題ですか?」
「確認しているだけです」
エドガーはようやく書き始めた。
「六名全員が習得できる見込みですか?」
「それは分かりません」
「適性を事前に判別する方法は?」
「まだないです」
「では、六名以外にも希望者が現れた場合は?」
「その人次第ですけど……」
ハインは少し考える。
「条件が合えば、教えることになると思います」
「人数に上限は?」
「決めてません」
エドガーのペン先が紙の上で止まった。
「二十二名が上限というわけではない?」
「もちろん」
ハインは当たり前のように答えた。
「二十二って、たまたま今そうなってるだけですよ」
エドガーはハインを見た。
「……分かりました」
それ以上、その場では何も言わなかった。
◇
午後になって、礼とリオがもう一度呼ばれた。
エドガーの前には、朝より多くの紙が積まれていた。
「新たに六名が訓練を始めているそうですね」
「ああ、はい」
礼が答える。
「事前通知を出してた人たちです」
「彼らは、まだ童術を使えない?」
「安定しては。ちょっと感じ始めた人はいますけど」
「いずれ二十八名になる可能性がある?」
「全員できれば、そうなりますね」
「その先は?」
「その先?」
「新たに希望する者が現れた場合です」
礼は少し考えた。
「今は何とも言えません。でも、絶対教えないとは決めてないです」
「人数が増えること自体に、上限は設けていない?」
「はい」
「なぜ?」
礼は逆に困った。
「……なんでって」
リオが助けるように口を開く。
「人数で決めるものじゃないと思ってるからです」
「では、何で決める?」
「本人が学びたいか。ちゃんと安全に教えられるか。それくらいです」
「百人が希望しても?」
「いきなり百人は無理です」
「教えられる者が増えれば?」
リオは少し黙った。
「……いつかは、できるかもしれません」
エドガーは小さく頷いた。
「ありがとうございます」
礼には、その質問の意味がよく分からなかった。
「次に、もう一つ確認したいことがあります」
エドガーが紙をめくる。
「第一から第六までの童式は、完成された体系ですか?」
「完成?」
「この六つですべてなのか、という意味です」
「ああ」
礼はリオを見る。
リオも礼を見る。
「違うと思います」
礼が答えた。
エドガーの目が僅かに細くなる。
「違う?」
「六個で終わりって決めたわけじゃないので」
「では、今後、第七童式が成立する可能性がある?」
「あると思います」
「第八は?」
「……分かりません」
「第九は?」
「それも」
「十番目は?」
「エドガーさん」
礼は思わず苦笑した。
「俺にも分からないですよ」
「上限は?」
「分かりません」
「理論上の限界も?」
「それも、まだ」
礼はリオを見る。
「分かってたら調べてないよ」
リオが言った。
「そういうことです」
エドガーは何も書かなかった。
しばらく礼を見ている。
「如月さん」
「はい」
「あなたは、この力が最終的に何を可能にすると思いますか?」
礼は答えられなかった。
第一を作ったときは、速く動けるだけで嬉しかった。
第二で殴れるようになった。
第三で身体を守れるようになった。
第四で剣へ流した。
第五で、巨大な魔物を倒せるほどの力を外へ放った。
第六では、傷を治した。
そして今は。
「……分かりません」
「想像もできない?」
「はい」
エドガーが椅子へ背を預けた。
「では、鉱山で起きた現象について伺います」
礼は小さく息を吐いた。
「やっぱり聞くんですね」
「重要ですから」
「はい」
「何もない場所から剣を形成した」
「そうです」
「魔術ではない?」
「少なくとも、俺は魔力を使ってません」
「童力を?」
「はい」
「現在も再現できますか?」
「前よりは」
「剣以外は?」
礼は一瞬黙った。
「試してます」
「成功した?」
「まだ安定してないです」
「何を作ろうと?」
「簡単な武器とか」
「では、剣に限定された現象ではない可能性がある」
「……そうですね」
「他の童術使用者は?」
「できません」
「現時点では?」
「はい」
「童式として分類していない理由は?」
礼より先に、リオが答えた。
「まだ分からないからです」
「分からない?」
「どうやったら安定するのか。礼以外にもできるのか。何が作れて、何が作れないのか。そういうのが何も分かってない」
「だから、第七とは呼ばない?」
「はい」
エドガーが机の上へ視線を落とした。
第一。
第二。
第三。
第四。
第五。
第六。
その下に、別の紙が置かれている。
未分類。
物質形成。
「実演をお願いできますか?」
礼は窓を見る。
窓の外、通りの向こうに白い鎧が見えた。
「……嫌です」
「理由を伺っても?」
「聖騎士が二十四人いるところで、いきなり剣出したくないです」
数秒の沈黙。
ラウルが礼を見る。
灰色の外套の二人も黙っている。
エドガーだけが、ゆっくり頷いた。
「それは、そうですね」
「いいんですか?」
「実演は求めないと最初に申し上げました」
「……ありがとうございます」
「ただ、一つだけ」
エドガーが未分類と書かれた紙に指を置いた。
「これが第七に相当する現象になる可能性は?」
礼は紙を見る。
「リオは、そうなるかもって言ってます」
「礼もだろ」
「俺はまだ分かんないって言ってる」
「だから、なるかもだろ」
「まあ……」
礼はエドガーを見る。
「可能性は、あると思います」
「そうですか」
それだけだった。
◇
夕方。
ギルドを出た礼は、大きく伸びをした。
「あー……疲れた」
「戦うより疲れたな」
「ずっと喋ってたからね」
入口には、まだ聖騎士がいる。
だが朝ほど気にならなくなっていた。
礼たちを止めることもない。
「なあ」
リオが言う。
「何?」
「話せただろ」
礼は振り返る。
リオが少し笑っている。
「……まあ」
「まあじゃない」
「まだ分かんないよ」
「でも今日は話せた」
「それはそうだけど」
「実演も断れた。バルトも呼ばれてない」
「うん」
「だったら、とりあえず今日はそれでいいだろ」
礼は少し考えてから頷いた。
「そうだね」
「腹減った」
「昨日もそれ言ってなかった?」
「昨日食ったから今日腹減らないわけじゃないだろ」
「何食べる?」
「肉」
「高いよ」
「礼のおごりで」
「なんで?」
「童力発見者」
「関係ないだろ」
二人はいつもの店へ向かった。
途中でマルクと会った。
「先生たち、飯ですか?」
「うん」
「俺も行っていいです?」
「いいよ」
「じゃあハインも呼んできます」
「人数増えたら礼のおごり無理じゃね?」
「最初からおごらないよ」
マルクが走っていく。
その途中、訓練場の方から数人の若者が歩いてきた。
礼は見覚えのある顔に手を上げる。
「今日どうだった?」
「全然です」
一人が苦笑した。
「まだ流すっていう感覚が分かんなくて」
「最初はそんなもんだよ」
「先生も?」
「俺は教えてくれる人いなかったから、もっと酷かった」
「それ慰めになってます?」
「たぶん」
後ろから別の一人が声を上げる。
「明日も同じ時間でいいですか?」
「俺じゃなくてハインに聞いて」
「先生なのに?」
「今はハインが担当だから」
「じゃあハインさん探してきます」
「マルクも探しに行ったよ」
「じゃあちょうどいいや」
六人のうち何人かが笑いながら歩いていく。
礼はその背中を見送った。
「できるようになるといいな」
リオが言う。
「うん」
「また増えるな」
「まだ分かんないよ」
「一人くらいはいけるだろ」
「全員できるかもしれないじゃん」
「じゃあ二十八人か」
「多いな」
「最初二人だったのにな」
礼は少し笑った。
「ほんとだね」
パン屋から焼けた小麦の匂いが流れてくる。
仕事を終えた冒険者が酒場へ入っていく。
店先では、母親が走り回る子供を叱っていた。
白い鎧だけが、いつもの町にはなかった。
それも一日見ているうちに、少しずつ景色へ混ざり始めていた。
◇
夜。
ギルドから借りた部屋には、紙をめくる音だけが続いていた。
エドガーは昼間の記録を最初から読み返していた。
向かいでは、灰色の外套を着た男が別の記録を整理している。
「確認済みの童術使用者、二十二名」
男が読み上げる。
「加えて、基礎訓練中の者が六名」
「はい」
「六名については、まだ童術使用者とは呼べないようです」
「現時点では」
エドガーは紙から目を上げなかった。
「全員が習得すれば二十八名です」
「全員が習得できる保証はありません」
「その通りです」
紙を一枚めくる。
「しかし、一人も習得できない保証もない」
男は黙った。
「そして六名で終わる保証もない」
別の記録。
ハイン。
マルク。
指導者の欄。
「如月礼本人が教えなくても、既に教授が成立している」
「基礎段階では、ですが」
「それで十分です」
エドガーは机の上へ紙を並べた。
第一童式《童駆》。
第二童式《童撃》。
第三童式《童衣》。
第四童式《童閃》。
第五童式《童貞破》。
第六童式《童癒》。
その下に、もう一枚。
未分類。
童力による物質形成。
現時点では如月礼のみ確認。
剣以外への拡張を研究中。
「……六つではなかった」
「正式な童式は六つです」
「正式なものは」
エドガーは未分類の紙を指で押さえた。
「三年前には、存在すら確認されていなかった力です」
第一の紙へ指を移す。
「移動」
第二。
「攻撃」
第三。
「身体強化」
第四。
「武器強化」
第五。
「高出力攻撃」
第六。
「治癒」
最後に、未分類。
「そして物質形成」
机の上に七枚の紙が並んだ。
「十七歳の少年が未知の力を発見し、三年余りでここまで到達した」
「如月礼は危険な人物だと?」
エドガーはすぐに首を振った。
「いいえ」
男が僅かに驚いた。
「少なくとも、今日話した限りでは」
エドガーは第六の記録を手に取った。
「慎重です。危険性を理解し、自ら教授範囲を制限している。実演の拒否も合理的でした。国家やギルドへの明確な敵意も確認できない」
「では、問題はないのでは?」
「逆です」
エドガーは紙を戻した。
「如月礼が善良であることと、この技術が安全であることは別の問題です」
「……はい」
「彼一人の意思で止められるなら、まだ話は単純でした」
ハインとマルク。
その間に引かれた線を見る。
「しかし、既に違う」
次に、六人の名前が記された紙。
「二十二名の外側で、さらに六名が学び始めている」
「事前通知は行われています」
「問題は手続きではありません」
エドガーの声は静かだった。
「増えるということです」
男は答えなかった。
「二十二人から、二十八人へ」
「全員が習得すれば」
「では、その次は?」
部屋が静かになる。
「三十人?」
エドガーは続けた。
「五十人?」
紙の端を指で揃える。
「百人?」
「……可能性の話です」
「我々は、その可能性を調査するためにここへ来ました」
エドガーは未分類の紙を見る。
「そして、分からないことが増えた」
「童式について?」
「それもあります」
紙を一枚、手前へ引く。
「第七が成立したとして」
男を見る。
「第八が存在しないと、誰が保証する?」
「それは……」
「第九は?」
返事はない。
「十番目は?」
「まだ存在しないものです」
「その通りです」
エドガーは頷いた。
「だから、分からない」
窓の外では、夜のローデンに灯りが点いていた。
酒場のある通りだけが、まだ明るい。
「私は今日、如月礼という青年については、ある程度理解できました」
エドガーは言った。
「しかし、童術については昨日より理解できなくなった」
灰色の外套の男が机の上を見る。
「どうされますか?」
「二十二名全員の所在を確認してください」
「……全員ですか?」
「全員です」
「登録を拒否している者も?」
「関係ありません」
「本日の聴取を拒否した者も?」
「その者を優先してください」
男の表情が僅かに強張った。
「聴取は任意では?」
「今日までは」
エドガーは続ける。
「それから、六名も」
「訓練中の?」
「はい」
「彼らは、まだ童術を使えません」
「だから除外する理由にはなりません」
「……なぜです?」
「習得過程そのものを確認する必要があります」
「しかし」
「彼らが明日、童力を扱えるようにならないと誰が保証します?」
男は黙った。
「二十八名。氏名、宿泊先、勤務先、普段利用する施設。可能であれば一日の行動も」
「監視するのですか?」
「所在を把握します」
「本人たちには?」
「伝える必要はありません」
「……承知しました」
男は立ち上がりかけた。
「それから」
「はい」
「聖騎士団へ、明朝以降いつでも動ける状態を維持するよう伝えてください」
男の動きが止まる。
「行動命令は、まだ出ていません」
「承知しています」
「王都へ確認を?」
「今から要請します」
「では、騎士団には」
「準備だけです」
エドガーは新しい紙を引き寄せた。
ペン先が走る。
第一から第六までの体系化。
発見者以外による教授。
発見者を介さない伝播。
確認済み使用者二十二名。
基礎訓練中六名。
新規希望者への教授が継続している事実。
人数上限なし。
未分類の物質形成現象。
今後、新たな童式が成立する可能性。
最大出力。
到達可能な術式数。
いずれも不明。
最後に、一行。
『以上を踏まえ、確認済み童術使用者二十二名、ならびに現在習得訓練を受ける六名を対象とした、一時的な身柄確保を伴う強制調査への移行を具申する』
灰色の外套の男は、その文字を見た。
「……必要でしょうか」
エドガーの手が止まった。
少しだけ考える。
「必要でなければ」
男を見る。
「何も起こりません」
「ですが」
「必要だった場合、起きてからでは遅い」
男は何も言わなかった。
「お願いします」
「……はい」
扉が閉まる。
一人になった部屋で、エドガーはもう一度、机の上へ目を落とした。
二十二人。
その下に、六人。
さらに、第一から第六までの童式。
その先に置かれた、まだ番号すら与えられていない一枚。
エドガーはその紙の端へ、小さく書き加えた。
『第七以降の発生可能性――否定できず』
ペンを置く。
その横には、別の古い書類が重ねられていた。
今日作られたものではない。
紙の端は僅かに擦れ、何度も開かれた跡がある。
エドガーはそれを開いた。
最初の頁には、二十二人の名が並んでいる。
その中からマルクの名を探す。
すぐ下。
『基礎循環訓練開始』
さらに、その隣。
『指導者――ハイン』
昼間、本人たちから聞いたものと同じ内容だった。
エドガーは指先で、その文字を一度なぞった。
紙を閉じる。
表紙には何も書かれていなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
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