第七十三話 来訪
ギルドから呼び出しを受けた礼が訓練場へ着いたときには、すでに半分ほどが集まっていた。
普段なら剣を振る音や、誰かの掛け声が響いている場所だった。
今日は静かだった。
壁際に座っている者。立ったまま腕を組んでいる者。何人かで小声を交わしている者。
中央にはヴァルターがいた。
その手には、一枚の書類がある。
「まだ全員じゃないな」
礼の隣で、リオが辺りを見回した。
「仕事に出てる人もいるから」
「何の話だろうな」
「分からない」
礼はそう答えながら、ヴァルターを見る。
その顔から、良い話ではないことだけは分かった。
やがて、来られる者がほぼ集まったところで、ヴァルターが前へ出た。
「急に集まっていただいて、ありがとうございます」
話し声が止まる。
「王都から通知が届きました」
その一言で、空気が変わった。
礼の少し後ろで、誰かが息を吐く音がした。
「レントさんの件ですか?」
ハインが聞いた。
「それも含まれます」
ヴァルターは答えた。
「王都中央ギルドと王国魔術院から、合同の調査団がローデンへ派遣されることになりました」
「調査団?」
「目的は、童術使用者への事情聴取、現在の登録制度の運用状況、新規の教授状況、それから童術そのものの安全性についての確認です」
「俺たち全員?」
「可能な限り、二十二名全員から話を聞きたいとのことです」
ざわめきが広がった。
「強制ですか?」
別の男が聞いた。
「いいえ」
ヴァルターはすぐに答える。
「通知には原則任意とあります。拒否したことだけを理由に、拘束や処罰を行うとは書かれていません」
「じゃあ、断ってもいいんだな」
「現時点では、そうです」
少しだけ空気が緩んだ。
だが、ヴァルターは書類を下ろさなかった。
「もう一つあります」
礼はその言葉を聞いて、無意識に背筋を伸ばした。
「調査団には、警備が同行します」
「警備?」
バルトが眉をひそめる。
「何人だ?」
「二十四名です」
「……多くないか?」
「所属は?」
リオが聞いた。
ヴァルターが一度、書類へ目を落とした。
「王国聖騎士団です」
今度は、誰もすぐには喋らなかった。
外から、荷車の車輪が石を踏む音が聞こえた。
どこか遠くで子供が笑っている。
いつもと変わらない町の音だった。
「聖騎士団って」
マルクが口を開く。
「教会の?」
「王国直属の部隊です」
「強いんですか?」
「少なくとも、冒険者を護衛するために呼ばれるような人たちじゃない」
ハインが答えた。
マルクの顔から、わずかに血の気が引いた。
「……なんで?」
誰に向けた質問でもなかった。
バルトがヴァルターを見る。
「俺たちに話を聞きに来るだけなんだろ?」
「その予定です」
「じゃあ、なんで聖騎士が二十四人もいる」
「不測の事態に備えた警備だと説明されています」
「不測の事態」
バルトは鼻から息を吐いた。
「それ、俺たちのことか?」
ヴァルターはすぐには答えなかった。
「……王都が何を想定しているのか、私には断定できません」
「でも、俺たちが何かするかもしれないと思ってるから連れてくるんだろ」
「その可能性を警戒していることは、否定できないと思います」
また沈黙が落ちた。
「俺は出ない」
バルトが言った。
「聴取?」
「ああ」
「バルト」
「登録もしないって言った。話したくないことまで王都の連中に話す気もない」
腰の袋へ手を触れる。
中に何が入っているのか、礼たちは知っている。
あの灰色の石だ。
「任意なんだろ?」
「はい」
「なら出ない」
「分かりました」
ヴァルターは止めなかった。
その返事に、バルトの方が少し意外そうな顔をした。
「……いいのか?」
「任意ですから」
「王都に怒られない?」
「怒られるかもしれませんね」
「いいのかよ」
「よくはありません」
ヴァルターが苦笑する。
何人かから、小さな笑いが漏れた。
ほんの少しだけ、張り詰めていたものが緩む。
だが、それも長くは続かなかった。
「俺も嫌だな」
別の男が言った。
「聖騎士に囲まれて話せって言われても」
「囲むとは書かれていません」
「書くわけないだろ」
「そういう言い方やめろよ」
今度はハインだった。
「まだ何もされてない」
「聖騎士連れてくるんだぞ?」
「警備だって説明されただろ」
「それを信じろって?」
「じゃあ最初から全部敵だって決めるのか?」
「そんなこと言ってない」
声が少しずつ大きくなる。
礼は黙って聞いていた。
誰かが間違っているとは思えなかった。
怖がるのも分かる。
まだ何も起きていないというのも、その通りだった。
「礼は?」
突然、声を向けられた。
見ると、ハインがこちらを見ていた。
「俺?」
「どうする?」
何人かの視線が集まる。
礼は困った。
以前なら、自分が答えなければならないと思ったかもしれない。
二十二人。
自分が見つけた力。
自分が教え始めた技術。
けれど今は、それぞれが自分で使い、自分で考えている。
「……俺は、出る」
礼は答えた。
「話を聞くっていうなら、話す」
「大丈夫なのか?」
「分からない」
正直に言った。
「聖騎士が来るって聞いて、嫌な感じはする。でも、まだ何かされたわけじゃないし」
言いながら、自分自身にも言い聞かせているような気がした。
「ただ、みんなが出なきゃいけないとは思わない。任意なら、嫌な人は出なくていいと思う」
「それで王都が納得するか?」
「……分からない」
また、それしか言えなかった。
「だったらさ」
隣にいたリオが口を開いた。
「一回、話してみようぜ」
バルトが顔をしかめる。
「リオ、お前も出るのか」
「俺はもう登録してるしな」
「登録してなくても出そうだけどな、お前」
「たぶん出る」
「ほら」
「でも、バルトが出たくないなら出なくていいと思うよ」
「どっちなんだよ」
「どっちもだよ」
リオは肩をすくめた。
「俺は話す。バルトは話さない。それでいいだろ」
「向こうがそれでいいって言うか?」
「それを確かめるためにも話すんだよ」
バルトは何も言わなかった。
リオが礼を見る。
「今までだってそうだっただろ」
「何が?」
「最初の規則」
礼は思い出す。
教えることを止められた。
登録制度ができた。
依頼中の使用が制限された。
バルトが人を助けるために童術を使った。
「全部、俺たちの思い通りになったわけじゃない。でも、話したら変わったところもあった」
「……うん」
「ヴァルターさんだって、俺たちの話を聞いてくれたし」
ヴァルターは何も言わず、二人を見ている。
「王都にも、そういう人はいるだろ」
「でも聖騎士まで来る」
「分かってる」
リオの声は軽くなかった。
「俺だって怖いよ」
礼は横顔を見る。
「怖いの?」
「当たり前だろ。聖騎士なんて近くで見たことねえし」
「俺もない」
「じゃあ同じだ」
リオが少しだけ笑った。
「でも、全員が敵になったわけじゃない」
その言葉は、訓練場の中で静かに残った。
「まず話そうぜ、礼」
「……うん」
「話して、それでも駄目だったら」
リオはそこで少し考えた。
「そのとき、またみんなで考えればいい」
礼は小さく頷いた。
「そうだね」
「いつもそうしてきただろ」
「うん」
それは特別な言葉ではなかった。
三年以上、何か分からないことが出てくるたび、二人が繰り返してきたことだった。
◇
話し合いが終わったあとも、訓練場には何人かが残った。
王都から人が来るからといって、仕事がなくなるわけではない。
飯も食わなければならない。
依頼もある。
訓練も続けなければ、身体は鈍る。
「マルク、そこ違う」
「え?」
「脚に寄りすぎ」
ハインがマルクの前に立つ。
「第三は全身。足だけ強くしてどうする」
「第一と混ざるんだよ」
「だからゆっくりやれって」
マルクが目を閉じる。
呼吸を整え、身体の内側へ意識を向ける。
礼は少し離れた場所から見ていた。
以前なら、すぐ近くまで行って口を出していたかもしれない。
今はハインがいる。
「肩も」
「ああ、そっか」
「力入れるんじゃなくて、流す」
「分かってるって」
「分かってたらできてる」
「礼より厳しくない?」
「聞こえてるよ」
礼が言うと、マルクが笑った。
「先生、助けてください」
「自分で選んだ先生でしょ」
「そうだった」
「じゃあ諦めろ」
ハインが言う。
「ひどいな」
笑い声が上がる。
いつも通りだった。
壁際ではバルトが石を握っている。
「……お前、それ今日もやるの?」
リオが聞いた。
「日課だ」
「川見てた頃よりはマシか」
「今思うと、よくあんなことやってたな」
「自分で言うんだ」
「研究だからな」
バルトは真顔だった。
礼が吹き出す。
「何だよ」
「いや……」
「童力を安定させるための重要な研究だぞ」
「分かってる」
「笑うな」
「ごめん」
「礼、お前も最初は似たようなことやってただろ」
「俺は石見てないよ」
「俺だって最初から石じゃねえよ」
「その説明すると余計ひどくなるぞ」
リオが言った。
「うるせえ」
また笑いが起きた。
王都から聖騎士が来る。
その事実は消えていない。
それでも腹は減るし、訓練をすれば汗をかく。
マルクは何度も第三を失敗し、ハインに姿勢を直された。
バルトは石を握っていた。
リオは途中で買ってきたパンを礼に半分寄越した。
「俺の分は?」
「それ半分やっただろ」
「小さくない?」
「俺の方が小さい」
「本当?」
「疑うなら返せ」
「やだ」
礼はパンを齧った。
少し固かった。
噛むたびに、小麦の匂いが口の中に広がる。
何も起きなかった。
その日は、それで終わった。
◇
調査団がローデンへ到着したのは、二日後の夕方だった。
最初に気づいたのは、町の子供たちだった。
「騎士だ!」
声が通りに響く。
店先にいた者たちが顔を上げる。
西門から、白い鎧が入ってきた。
一人。
その後ろに、もう一人。
さらに続く。
胸には王国の紋章。
夕日に照らされた金属が、歩くたびに光を返している。
馬に乗った者もいれば、徒歩の者もいた。
槍。
剣。
盾。
どれも鞘や留め具に収まり、すぐに戦うような構えではない。
それでも、冒険者たちが身につけている装備とは違った。
形が揃っている。
歩幅も揃っている。
町へ入ったあと、彼らは通知通り大きな隊列を解いた。
それでも二十四人の白い鎧は目立った。
「何かあったのか?」
「聖騎士団だろ?」
「なんでローデンに?」
通りの両側から声が上がる。
その後ろから二台の馬車が入ってきた。
知らせを受けたヴァルターが、ギルドの前で待っている。
礼とリオも少し離れた場所にいた。
「……多いな」
礼が呟いた。
「二十四って聞いてただろ」
「数字で聞くのと見るの、違うね」
「それは分かる」
リオも笑わなかった。
馬車が止まる。
最初の馬車から二人の男女が降りた。
中央ギルドの徽章。
ヴァルターが前へ出る。
「お待ちしていました。ローデンのギルド長、ヴァルター・クロイツです」
「王都中央ギルドのラウル・ベッカーです。こちらはミレイア・フォルン」
互いに挨拶を交わす。
「長旅、お疲れさまでした」
「受け入れに感謝します」
「聖騎士団の方々は?」
「宿舎については、事前にお願いした通りで」
「準備しています」
普通の会話だった。
礼は少しだけ肩の力を抜いた。
二台目の馬車の扉が開いた。
最初に降りてきた男を見て、礼の表情が変わった。
灰色の外套。
「……リオ」
「うん」
リオも見ていた。
以前、町で見かけた者と同じ服だった。
一人ではない。
もう一人、灰色の外套をまとった者が降りる。
最後に、一人の男が姿を現した。
四十代後半ほど。
細身。
旅装の上から濃い色の外套を羽織っている。
灰色ではない。
武器も目立たない。
男は馬車から降りると、まず町を見た。
建物。
通り。
集まった住民。
聖騎士。
そして、ギルドの前。
視線が礼のいる場所を通った。
ほんの一瞬だった。
それだけで、礼は妙な感覚を覚えた。
「……誰?」
「分からない」
ヴァルターも、その男を見る。
中央ギルドのラウルが紹介した。
「こちらが王国魔術院・特異術式調査室の責任者です」
男がヴァルターの前へ出る。
「エドガー・レーヴェンです」
差し出された手を、ヴァルターが握った。
「ヴァルター・クロイツです」
「報告書は拝見しています」
「そうですか」
「非常に丁寧な記録でした。助かりました」
「ありがとうございます」
エドガーは穏やかに答えた。
「今回の目的は、あくまで確認です」
ヴァルターを見る。
「童術を使用する方々と、直接お話をさせていただきたい」
「そのように伺っています」
「ご協力いただければ幸いです」
「もちろんです。ただし、聴取は任意と」
「承知しています」
即答だった。
「拒否する方へ、参加を強制するつもりはありません」
ヴァルターが少しだけ息を吐く。
「それを聞いて安心しました」
「私も、何事もなく調査を終えたいと思っています」
エドガーはそう言って、もう一度町を見た。
その視線が礼のところで止まった。
今度は、一瞬ではなかった。
礼も男を見る。
エドガーがラウルへ何かを尋ねる。
ラウルが礼を確認し、小さく頷いた。
エドガーは礼の方へ歩いてきた。
聖騎士は動かなかった。
灰色の外套の二人も、その場に残っている。
一人で来る。
礼の前で立ち止まった。
「如月礼さんですね」
「……はい」
名前を知られていること自体は、もう驚かなかった。
「エドガー・レーヴェンです」
「聞こえてました」
「そうですか」
エドガーは小さく頷いた。
それから、礼の隣にいるリオを見る。
「リオさん」
「はい」
「お二人には、特に伺いたいことが多い」
リオが礼を見る。
礼も見る。
「明日でいいですか?」
礼が聞いた。
「もちろん」
エドガーは答えた。
「今日は長旅でしたし、こちらも準備があります」
「分かりました」
「時間については、ヴァルターさんを通してお伝えします」
「はい」
それで話は終わった。
エドガーは一礼し、中央ギルドの者たちのところへ戻っていく。
礼はその背中を見送った。
「……普通だったな」
リオが言った。
「うん」
「もっと怖い人かと思った」
「俺も」
二人の横を、聖騎士が数人通っていく。
宿舎へ向かうのだろう。
礼たちへ武器を向ける者はいない。
睨みつける者もいなかった。
町の住民に道を聞かれ、立ち止まって答えている騎士さえいた。
「なあ」
リオが言う。
「何?」
「飯行こうぜ」
「今?」
「腹減った」
「さっきパン食べたじゃん」
「あれ昼だぞ」
空を見る。
いつの間にか、夕日は屋根の向こうへ沈みかけていた。
「……行くか」
「行こう」
二人は歩き出した。
後ろでは、王都から来た者たちが荷物を運び始めていた。
白い鎧も。
灰色の外套も。
その中に混じってしまえば、エドガーの姿もすぐに見えなくなった。
礼とリオは、そのままいつもの店へ向かった。
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