第七十二話 脅威
ローデンから届いた報告書は、会議が始まる前から全員の手元に置かれていた。
王都中央ギルド。
以前、童術使用者の登録制度について話し合ったのと同じ会議室だった。
長机の上には二種類の書類が並んでいる。
一つは、ローデンのギルド長ヴァルター・クロイツが作成した報告書。
もう一つは、その報告を受けて王国魔術院から提出された評価書だった。
「では、始めましょう」
中央ギルドの進行役が告げた。
紙をめくる音が重なる。
「今回の議題は、ローデンにおける未登録童術使用者の緊急使用事例について。それに伴う登録制度および安全管理体制の再検討です」
壁際には、前回よりも多くの人間がいた。
中央ギルドの職員。
魔術研究者。
行政官。
軍務に関係する者。
その中に、見慣れない男が一人座っている。
四十代も後半に差しかかった頃だろう。
黒に近い髪にはわずかに白いものが混じり、細身の身体を飾り気のない濃色の服に包んでいる。
胸元には、王国魔術院の徽章。
男の前には、他の出席者よりも多くの資料が積まれていた。
「まず、事実関係から確認します」
進行役がヴァルターの報告書を持ち上げた。
「北東街道周辺における魔物討伐依頼。未登録の童術使用者一名を含む冒険者三名、および現場確認のためギルド職員一名が同行」
淡々と読み上げられる。
「当初確認されていた魔物三頭を討伐後、追加個体を確認するため周辺を調査。そこで想定を上回る群れと遭遇した」
誰かが紙へ書き込む音がした。
「退避の過程で、未登録使用者レントが第一童式、第三童式、第二童式を使用。同行職員が使用を制止した際、両者が接触。職員が転倒し、肩を負傷」
「確認ですが」
研究者の一人が手を上げた。
「職員の負傷は童術によるものではないのですね?」
「はい」
「使用者が職員へ攻撃を加えた事実もない?」
「ありません」
「なら、前回定めた緊急時の例外規定で処理できるのでは?」
進行役が報告書を見る。
「ローデンのギルド長も、三度の使用はいずれも同行者の安全確保を目的としたものであり、緊急使用に該当する可能性が高いとしています」
「なら問題ないでしょう」
別の研究者が言った。
「少なくとも今回の事例だけを見れば、制度が想定通りに機能したとも言える」
「職員が負傷しています」
行政官が言った。
「だから、それは童術による負傷ではない」
「原因を直接攻撃に限定する必要がありますか?」
「では何が問題だと?」
「現場で判断が衝突したことです」
行政官は報告書の一部を指で示した。
「職員は使用を止めようとした。使用者は必要だと判断して使った。その過程で負傷者が出た」
「だからといって、使用者を責めるのは――」
「責めていません」
声が重なり、また止まる。
進行役が手を上げた。
「一度整理しましょう」
室内が静かになる。
「今回の使用が適切であったかという問題と、現行制度で今後の運用が可能かという問題は分けて考えるべきです」
何人かが頷いた。
「前者については、ローデンからの報告を見る限り、緊急使用として認めることに大きな異論はないと思われます」
「ありません」
「同意します」
「では後者です」
進行役がもう一つの書類へ手を伸ばした。
「王国魔術院から、今回の事例を踏まえた評価報告が提出されています」
紙が持ち上げられる。
『特異術式調査報告――童術』
空気が少し変わった。
「提出者は?」
「特異術式調査室です」
壁際に座っていた男が顔を上げた。
「責任者の方が本日出席されています」
全員の視線が集まる。
男は静かに立った。
「エドガー・レーヴェンです」
声は低かった。
「王国魔術院にて、既存の魔法体系に属さない術式および現象の調査を担当しています」
それだけ告げて一礼し、再び椅子へ座る。
「では、報告内容について説明をお願いします」
「承知しました」
エドガーは手元の紙を開いた。
「最初に申し上げておきます。今回、ローデンで童術を使用した冒険者について、私はその行動を非難する意図はありません」
行政官の一人が顔を上げた。
「同行者を救うための使用だったことは、ヴァルター・クロイツ氏の報告からも明らかです」
「では、何が問題なのです?」
「今回の判断が正しかったことです」
数人の眉が動いた。
「……どういう意味でしょう」
「彼は現場職員から使用を制止された。それでも、自らの判断を優先して童術を使用した」
「人命が危険にさらされていたからでしょう」
「その通りです」
エドガーは否定しない。
「そして結果として、人命が守られた。今回に限って言えば、彼の判断は正しかった」
「なら――」
「次も正しいと、誰が保証するのです?」
言葉が止まった。
エドガーは声を強めなかった。
「今回、彼は仲間を救うために規則よりも自らの判断を優先した。それ自体を責めるつもりはありません。私が問題としているのは、現行の制度には、使用者自身の判断を止める手段が事実上存在しないという点です」
報告書を一枚めくる。
「本人は聴取に対し、同様の状況であれば今後も童術を使用する意思を示しています」
「それも当然では?」
若い研究者が言った。
「目の前で人が死にそうなら、私だって魔法を使います」
「あなたが魔法を使うことと、今回の件には違いがあります」
「何です?」
「我々は、童術についてほとんど何も知らない」
エドガーは研究者を見る。
「魔法には蓄積があります。教育機関があり、既知の術式があり、危険性があり、対処法がある。誰がどの程度の魔法を扱えるのかを判断するための基準も存在する」
「童術にはない、と?」
「少なくとも我々の側には」
反論はなかった。
「現在、確認されている童術使用者は二十二名です」
エドガーが続ける。
「第一童式。第二。第三。第四。そして第五」
そこで軍務担当者が顔を上げた。
「第五童式《童貞破》」
「はい」
名前を口にしても、エドガーの表情は変わらなかった。
「大型魔物を一撃で討伐し得る、高出力の放出型術式」
「使用できるのは如月礼だけでは?」
「いいえ」
研究者が答えた。
「少なくとも原理そのものは共有されています。ただし、同規模の出力を他の使用者が再現できるかは確認できていません」
「確認できていない」
軍務担当者が繰り返す。
「第六は治癒だったな」
「《童癒》です」
「そして、如月礼には既存の六種に該当しない現象も確認されている」
「武器の形成ですね」
エドガーが言った。
「無から物質を形成した可能性があります。現時点では再現性、持続時間、形成可能な物体の範囲、いずれも不明」
「待ってください」
中央ギルドの一人が口を挟んだ。
「話が逸れています。今回は未登録者の緊急使用についてでしょう」
「いいえ」
エドガーは首を振った。
「同じ問題です」
「どこが?」
「管理できているかどうかです」
エドガーは別の紙を出した。
「さらに、童術は既に如月礼だけが教授する技術ではありません」
「それはローデンからの報告にもあったはずです」
「ええ」
「なら、新しい情報ではない」
「その意味を考える必要があります」
エドガーは机の上へ紙を置いた。
「如月礼への指導停止を求めたとしても、童術の伝播は止まりません」
「止める必要があると決まったわけではない」
「もちろんです」
「なら、なぜ止める話を?」
「止めようとした場合、止められるのかを知っておく必要があるからです」
室内が静かになった。
「技術そのものに意思はありません」
エドガーは言った。
「善でも悪でもない。しかし、扱う人間の善意だけを前提に制度を作ることもできない」
「二十二人です」
研究者が言う。
「まだ」
エドガーが視線を向ける。
「まだ二十二人、と考えるべきでしょうか」
研究者は黙った。
「それとも、既に二十二人と考えるべきでしょうか」
「言葉遊びでしょう」
「そうかもしれません」
エドガーはあっさり認めた。
「では数字だけを見ましょう。最初は一人でした」
如月礼。
「次に二人になった」
リオ。
「現在は二十二人です」
誰も口を挟まない。
「そして、使用者同士による教授が始まっている」
エドガーはそこで言葉を切った。
「私は、彼らを犯罪者だとは申し上げていません」
長机の端に座っていた男が尋ねる。
「では、何を求めている?」
「確認です」
「確認?」
「我々は書類を通してしか彼らを知らない」
エドガーはヴァルターの報告書へ視線を落とした。
「ローデンのギルド長は、可能な限り正確な報告を上げている。私はそう評価しています」
「なら十分では?」
「いいえ」
返事は静かだった。
「二十二名それぞれが、何を考え、どの程度の童術を扱い、制度をどう認識しているのか。直接確認する必要があります」
「事情聴取か」
「それも含みます」
「強制的に?」
「現時点で、その根拠はありません」
エドガーが答える。
「彼らは犯罪者ではない」
その言葉に、何人かの表情がわずかに緩んだ。
「では任意で?」
「私はそれが妥当だと考えます」
「拒否された場合は?」
軍務担当者だった。
エドガーはそちらを見る。
「拒否する権利はあるでしょう」
「それでは確認にならん」
「だからといって、犯罪を犯していない者を拘束するのですか?」
「そうは言っていない。ただ――」
軍務担当者は指を組んだ。
「第五を扱える可能性がある者たちを一か所に集めて話をする。それを中央ギルドの職員だけで行うのか?」
「第五を全員が扱えると決まったわけではありません」
「扱えないとも決まっていない」
「それを確認するための調査でしょう」
「だからこそだ」
会議室に沈黙が落ちた。
やがて進行役が口を開いた。
「警備を同行させる、ということですか」
「必要だ」
「軍を?」
「軍である必要はない」
少し考えたあと、軍務担当者が続ける。
「聖騎士団から小規模な部隊を出せばいい」
若い研究者が眉をひそめた。
「事情聴取に聖騎士団を連れていくんですか?」
「万一への備えだ」
「相手から見れば、威圧にしか見えません」
「では何か起きてから呼ぶのか?」
「何も起きないかもしれない」
「その可能性に賭ける理由は?」
研究者が言葉を失う。
「待ってください」
中央ギルドの男が割って入った。
「目的を明確にしましょう。童術師の拘束ではない。事情聴取と現状確認です」
「異論はない」
「聖騎士団はあくまで警備」
「そうだ」
「童術師が聴取を拒否した場合も、現時点では拘束しない」
「それでいい」
「武器を向けない。挑発しない。強制的な術式使用の実演も求めない」
「当然だ」
一つずつ条件が確認されていく。
紙に書かれていく。
どれも、衝突を避けるための条件だった。
進行役がエドガーを見る。
「特異術式調査室からも人員を?」
「私が行きます」
何人かが顔を上げた。
「責任者自ら?」
「我々が調査を求めた以上、他者に任せるべきではないでしょう」
「同行者は?」
「二名」
「灰色外套の調査官ですか」
「はい」
進行役が頷く。
「では、中央ギルドから二名。王国魔術院から三名。聖騎士団については――」
「二十四名でどうだ」
軍務担当者が言った。
「多すぎませんか?」
「二十二名全員が同時に敵対した場合を考えれば、むしろ少ない」
「敵対すると決まったわけではないでしょう」
「だから二十四だ。討伐部隊を組むなら、その数では出さん」
その言葉に、室内の何人かが黙った。
「……分かりました」
進行役が書き込む。
「ただし、町への入場時は隊列を崩し、戦闘を目的とした派遣ではないことをローデン側へ事前に通知する」
「構わない」
「聖騎士団の指揮官にも、目的を明確に伝えてください」
「そうしよう」
話がまとまり始めた。
誰も、童術師を捕らえろとは言わなかった。
誰も、如月礼を排除しろとも言わなかった。
犯罪者として扱わない。
任意の事情聴取。
安全性の確認。
制度運用状況の調査。
万一に備えた警備。
一つ一つを見れば、理由のある判断だった。
進行役が最後の確認を行う。
「では、ローデンへの合同調査団派遣を決定します」
反対の声は上がらなかった。
◇
会議が終わったあとも、エドガーは席に残っていた。
出席者が少しずつ部屋を出ていく。
「レーヴェン室長」
声をかけたのは、中央ギルドの職員だった。
「一つよろしいですか」
「どうぞ」
「先ほどの資料についてです」
「どれでしょう」
「使用者同士の教授状況です」
職員が一枚の紙を持っている。
「中央ギルドにも、ハインという使用者がマルクへ基礎指導を行ったという報告はあります」
「ええ」
「ですが、あなたの資料には、それ以外にも数名分の指導関係が記載されている」
エドガーは男を見る。
「調査室独自の情報です」
「情報源は?」
「調査手法に関わります」
「回答できない?」
「申し訳ありません」
職員は納得していない顔だった。
「……ローデンのヴァルター氏からも、似た問い合わせが来ています」
「存じています」
「回答は?」
「同じです」
「そうですか」
職員は資料を閉じた。
「では、もう一つ」
「はい」
「なぜ、そこまで童術を警戒するんです?」
エドガーは少し考えた。
「警戒という言葉が適切かは分かりません」
「二十四名の聖騎士を連れていく提案に、反対しなかった」
「必要な備えだと思ったからです」
「第五があるから?」
「それだけではありません」
エドガーは窓へ目を向けた。
王都の屋根が並んでいる。
「魔法は、生まれ持った資質に大きく左右される」
「ええ」
「学ぶにも時間がかかる。設備も必要です。教師もいる。だから国家もギルドも、ある程度その流れを把握できる」
「童術は違う?」
「少なくとも、今までの報告を見る限りでは」
エドガーは机の上に残った書類へ目を落とした。
「魔力に恵まれなかった者が、短期間で魔物と戦える力を得ている。さらに、その技術を使用者自身が他者へ教え始めた」
「それの何が悪い?」
「悪いとは言っていません」
エドガーは答えた。
「ただ、これは新しい魔法ではない」
職員が眉を寄せる。
「では?」
エドガーは静かに言った。
「新しい武力体系です」
部屋の外から、人の足音が聞こえた。
エドガーは資料を揃える。
「だから、知る必要がある」
「管理するために?」
「必要であれば」
書類を鞄へ収める。
「必要でなければ?」
「何もしません」
「本当に?」
エドガーの手が止まった。
「何もする必要がないのであれば、それが最も良い」
嘘をついているようには見えなかった。
エドガーは鞄を閉じた。
◇
ローデンに通知が届いたのは、三日後だった。
ヴァルターは一人で文書を読んでいた。
王都中央ギルドおよび王国魔術院による合同調査。
目的。
童術使用者への事情聴取。
登録制度の運用状況確認。
新規教授状況の確認。
童術の安全性に関する聞き取り。
「…………」
ここまでは、予想できた。
レントの件を報告した以上、王都から人が来る可能性は考えていた。
ヴァルターは続きを読んだ。
中央ギルド職員、二名。
王国魔術院・特異術式調査室、三名。
責任者。
エドガー・レーヴェン。
知らない名前だった。
さらに下。
同行警備。
『王国聖騎士団 二十四名』
ヴァルターの指が止まった。
「……聖騎士団?」
もう一度読む。
見間違いではない。
調査団の安全確保および不測の事態への対応を目的とする。
童術使用者を犯罪者として扱うものではない。
事情聴取への参加は原則任意。
聖騎士団は調査および聴取には介入しない。
文面だけなら、筋は通っている。
それでも。
ヴァルターは椅子から立った。
「……礼さんたちに連絡を」
扉の外にいた職員が顔を出す。
「全員ですか?」
ヴァルターは机の上の通知を見た。
「可能な限り」
「分かりました」
職員が走っていく。
ヴァルターはもう一度、文書へ目を落とした。
聖騎士団。
二十四名。
その文字だけが、先ほどよりも大きく見えた。
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