第七十話 例外
バルトが依頼中に童術を使ってから、六日が経った。
処分はなかった。
呼び出しもない。
王都から追加の聞き取りを求められることもなかった。
バルト自身は翌日から普段通り訓練場へ来て、普段通り石を握り、普段通り童術を使っていた。
変わったことがあるとすれば、ギルドの依頼へ出る回数が減ったことくらいだった。
「今日も行かないの?」
昼前。
訓練を終えた礼が聞くと、バルトは壁際に座ったまま顔を上げた。
「何が?」
「依頼」
「今日はいい」
「昨日も行ってないじゃん」
「一昨日行った」
「荷運びでしょ?」
「依頼は依頼だ」
「護衛とか討伐は?」
「童術使えないと面倒だからな」
バルトは手の中で石を転がした。
「使わなくてもできるって言ってなかった?」
「できるのと、面倒なのは別だろ」
「それはそうだけど」
「それに」
石を袋へ戻す。
「また何かあったら使うし」
礼は返事に困った。
「登録すれば?」
横からリオが言った。
「しない」
「即答だな」
「六日前にも聞いただろ」
「気が変わったかなって」
「変わってない」
「頑固」
「お前もな」
「俺は柔軟だよ」
「どこが」
「身体とか」
「童衣使ってるだけだろ」
「それは柔軟とは違うよ」
礼が口を挟む。
「先生はどっちの味方なんだよ」
「何の争いなの、これ」
いつものやり取りだった。
その向こうでは、ハインがマルクと第三の循環を確認している。
ノアとディンは第一《童駆》で短い距離を何度も往復していた。
エルンは木剣を持ち、第四《童閃》を薄く維持する練習をしている。
登録制度が始まっても、訓練場の風景そのものはほとんど変わっていなかった。
「如月礼さん」
入口から声がした。
ギルドの職員だった。
礼は思わずリオを見る。
「また?」
「俺を見るなよ」
「最近多いじゃん」
「今度は何だろうな」
職員が苦笑する。
「今回は、皆さんに関係するお話です。可能であれば、ギルド長から直接説明したいとのことです」
「みんな?」
「童術を使用されている方々です」
礼は訓練場を見回した。
◇
その日の夕方。
二十二人全員を集めることはできなかった。
依頼へ出ている者もいる。
仕事を抜けられない者もいる。
それでも十四人がギルドの会議室に集まり、残りには後日同じ内容を伝えることになった。
ヴァルターは全員が座るのを待ってから、一枚の文書を掲げた。
「先日の件を受け、王都から追加規定が届きました」
バルトが椅子の背にもたれる。
「俺の?」
「きっかけは、あなたの件です」
「早いな」
「私もそう思います」
ヴァルターは文書を机へ置いた。
「未登録者による童術使用について、緊急時の例外が設けられます」
室内が少しざわついた。
礼が身を乗り出す。
「使っていいんですか?」
「条件があります」
ヴァルターが読み上げる。
「生命または身体に差し迫った危険が存在し、かつ童術を使用しなければその危険を回避することが著しく困難であると判断される場合、未登録者であっても必要な範囲で童術を使用できる」
「……バルトのときみたいな?」
「そう考えていいでしょう」
「じゃあ」
礼はバルトを見る。
「この前のは?」
「新しい規定を遡って適用するわけではありません。ただし王都からも、今回の事例について処分を求めないとの回答がありました」
「おお」
リオが小さく声を上げた。
バルトは腕を組んだまま、少しだけ眉を上げる。
「じゃあ俺、何もなし?」
「何もなし、という表現が適切かは分かりませんが、少なくとも規則違反を理由とした処分はありません」
「よかったじゃん」
リオが肩を叩く。
「痛い」
「童衣使えば?」
「ここで使う必要ないだろ」
「ちゃんと学んでるな」
「うるせえ」
何人かが笑った。
礼も笑う。
思っていたより早かった。
問題が起きた。
ローデンから報告した。
王都で話し合われた。
そして規則が変わった。
それだけのことなのに、胸の奥にあった硬いものが少しだけ緩んだ。
「ただし」
ヴァルターが続ける。
笑い声が収まる。
「例外的に童術を使用した場合、事後報告が必要です」
バルトの顔が止まった。
「……何を?」
「氏名、使用した童式、場所、使用理由、被害状況、緊急性についてです」
「名前も?」
「はい」
「未登録なのに?」
「未登録だからこそ、使用事例については記録するという考えです」
バルトはしばらく黙った。
「それ、登録と何が違うんです?」
「登録は、童術使用者として継続的な情報を保有するものです。こちらは個別の使用事例に対する報告です」
「でも俺が使えるって記録は残る」
「残ります」
「何を使ったかも」
「はい」
「どこで使ったかも」
「はい」
バルトは椅子へ深く座った。
「……結局書くんじゃねえか」
「使用した場合は」
「使わなかったら?」
「報告は必要ありません」
「じゃあ、やっぱり使わなきゃいいだけか」
「そうなります」
ヴァルターは淡々と答えた。
だが、バルトを責めるような声ではなかった。
「私は、この規定自体は必要だと考えています」
「ヴァルターさんはそうでしょうね」
「はい」
バルトが少し笑う。
「そこは変わんないな」
「変わっていません」
「分かりました」
納得したのかは分からない。
それでも、それ以上は言わなかった。
◇
話はそこで終わらなかった。
「もう一点あります」
ヴァルターが別の紙を出した。
礼はそれを見ただけで、何についてか分かった。
「新しく教える人?」
「はい」
六人。
半年近く前から、童術を学びたいと申し出ている者たち。
グレイグが新規指導を止め、その後も状況が変わり続けたため、まだ一度も正式な訓練を始めていない。
「新規教授については、事前届け出制となります」
「許可じゃなくて?」
リオが聞いた。
「届け出です」
「じゃあ、出したら教えていい?」
「原則としては」
礼とリオが同時にヴァルターを見る。
「今の“原則として”何ですか?」
礼が聞く。
ヴァルターは少し間を置いた。
「届け出を受理した際、ギルドは指導環境と対象者について確認を行います」
「何を確認するんです?」
「本人の身元。指導者。訓練場所。基礎的な安全対策などです」
「それで問題があったら?」
「開始を延期する場合があります」
リオが眉を寄せる。
「延期?」
「はい」
「いつまで?」
「問題が解消されるまでです」
「それ」
リオは少し前へ身を乗り出した。
「許可と何が違うんです?」
部屋が静かになる。
ヴァルターはすぐには答えなかった。
「制度上は違います」
「制度上は?」
「届け出は、原則として提出すれば行為を開始できるものです。許可は、認められるまで開始できない」
「でも問題があるって言われたら始められないんですよね」
「はい」
「誰が問題あるって決めるんです?」
「ギルドです」
「じゃあ実際には――」
「リオ」
礼が小さく呼んだ。
「何?」
「怒ってる?」
「怒ってない」
「ちょっと怒ってるじゃん」
「ちょっとだけ」
ヴァルターが眼鏡を直した。
「疑問はもっともです」
リオが黙る。
「私も、王都へ同じ指摘をしています」
「え?」
「現在の文面では、届け出制としながらギルド側の裁量が広すぎる。実質的な許可制として運用される可能性がある、と」
「……ヴァルターさんも?」
「私は管理が必要だと言いました」
「はい」
「何でも管理すればいいとは言っていません」
リオは椅子へ座り直した。
「……そうでした」
「ですので、ローデンでは当面、確認する内容を限定します」
「限定?」
「本人確認。指導者。訓練場所。そして、危険な訓練を最初から行わないこと」
礼が聞く。
「第一とか、基礎循環からなら?」
「届け出を受理します」
「じゃあ」
礼の顔が明るくなる。
「六人、始めてもいいんですか?」
「本人たちがまだ希望しているなら」
「してます!」
「確認したんですか?」
「何回も聞かれてます!」
ヴァルターが小さく息を吐いた。
「では、届け出を出してください」
礼は隣を見る。
リオもこちらを見ていた。
「やっとだな」
「うん」
「半年待たせたぞ」
「怒ってるかな」
「聞けばいいだろ」
「怖いな」
「お前が言うなよ」
礼は少し笑った。
◇
六人へ伝えに行ったのは、その日のうちだった。
全員を一度に集めることはできなかったため、まず三人。
以前、礼に「待っている間に童術を習えなくなったりしませんよね」と聞いた少年もいた。
「……本当ですか?」
礼が説明し終えると、少年は何度も瞬きをした。
「うん」
「始められる?」
「届け出が通れば」
「通るんですか?」
「たぶん」
「たぶん?」
「いや、変なことしなければ大丈夫だと思う」
「変なことって?」
礼が止まる。
リオが横から言った。
「最初から第五やりたいとか言わなければ大丈夫」
「やりませんよ!」
「なら大丈夫」
「リオ、それでいいの?」
「分かりやすいだろ」
少年は笑った。
「いつからですか?」
「届け出出して、受理されたら」
「明日?」
「明日は無理じゃない?」
「明後日?」
「そんなに楽しみ?」
「半年待ったんですよ!」
礼は言葉に詰まった。
「……ごめん」
「なんで先生が謝るんですか」
「待たせたから」
「先生が止めてたわけじゃないでしょう?」
「でも」
「教えてくれるんですよね」
「うん」
「ならいいです」
少年は笑った。
「俺、待てます」
その言葉を、礼は以前にも聞いた。
あのときは、いつまで待たせることになるのか分からなかった。
今は違う。
「今度はそんなに待たせないよ」
「はい」
礼も笑った。
◇
数日後。
ギルドの登録窓口には、以前ほど人が並ばなくなっていた。
二十二人の判断も、おおよそ固まりつつある。
登録した者。
登録しないと決めた者。
まだ決めていない者。
全員が同じ答えを出したわけではなかった。
「先生は?」
マルクに聞かれ、礼は困った。
「俺?」
「まだ登録してないですよね」
「……うん」
「なんでです?」
「なんでだろう」
「自分のことなのに」
「だから困ってるんだよ」
横にいたハインが笑う。
「作った本人が一番迷ってんのか」
「だって俺が登録したら、何書くの?」
「指導者」
「いないよ」
「空欄」
「習得した童式」
「六つ全部」
「七つ目は?」
「まだ童式じゃないだろ」
「じゃあ未体系現象」
「それも書くの?」
「王都もう知ってるだろ」
「……そうだった」
マルクが笑った。
「先生、登録用紙一枚で足ります?」
「なんで俺だけ追加用紙前提なの」
「発見者だから」
「そんな特典いらないよ」
話しているうちに、リオがやってきた。
「何の話?」
「礼の登録」
「ああ。まだしてないの?」
「リオは?」
「俺はした」
「えっ」
礼が振り返る。
「いつ!?」
「昨日」
「聞いてない!」
「言ってないから」
「なんで!?」
「なんで報告しなきゃいけないんだよ」
「俺たち一緒に考えるんじゃなかったの!?」
「登録するかは自分で決めるって、お前が言ったんだろ」
「そうだけど!」
リオが笑う。
「俺は別に困らないから」
「何が?」
「記録されても」
リオは肩をすくめる。
「俺が童術師なの、隠す気ないし」
「……そっか」
「それに」
「何?」
「王都、ちゃんと直しただろ」
礼が黙る。
「バルトの件」
「うん」
「俺たちが言ったこと全部聞くわけじゃない。向こうの考えもある。でも、話したら変わるところは変わった」
「……うん」
「だったら俺は、登録してもいいかなって思った」
リオはそれだけ言った。
礼は少し考える。
「礼は礼で決めろよ」
「分かってる」
「俺が登録したからって、合わせなくていい」
「分かってるって」
「ならいい」
リオはハインたちの方へ向かった。
礼はその背中を見送った。
◇
六人の届け出は、全員受理された。
最初の訓練日は三日後に決まった。
久しぶりに、新しい人間へ童力の感覚を教えることになる。
礼は宿でノートを開き、最初に何を教えるか考えていた。
いきなり童式には入らない。
まず感覚。
呼吸。
身体の中にあるものを探す。
三年前、リオへ教えたときのことを思い出す。
あの頃は何も分からなかった。
説明も下手だった。
今なら、もっと上手くできる。
リオが作った基礎手順もある。
ハインたちが教えた経験もある。
礼だけの三年間ではない。
「…………」
ペンを動かす。
『第一段階――感知』
その下へ手順を書いていく。
しばらくすると、部屋の扉が開いた。
「まだやってんの?」
「うわっ」
礼が振り返る。
「ノックしてよ!」
「した」
「聞こえなかった」
「集中しすぎ」
リオが紙袋を机へ置く。
「飯」
「ありがとう」
「食いながらやるなよ」
「分かってる」
「前もこぼしただろ」
「あれ一回だけじゃん」
「本に汁ついてたぞ」
「乾いたから大丈夫」
「そういう問題じゃない」
礼はノートを閉じた。
「何買ってきたの?」
「パンとスープ」
「肉は?」
「高い」
礼が顔を上げる。
「リオがそれ言うの?」
「俺だって学習するんだよ」
「登録したら急に大人になった?」
「関係ねえよ」
二人で笑った。
◇
翌日。
ギルドの受付で、一人の男が依頼票を持って立っていた。
童術師の一人だった。
まだ登録はしていない。
「この依頼を」
受付の職員が紙を見る。
「北東街道の魔物討伐ですね」
「ああ」
「確認ですが、童術使用者登録は?」
「まだしてない」
「では、依頼中の童術使用は原則できません」
「知ってる」
「危険度は中程度です。登録済みの童術使用者を含むパーティーが推奨されていますが」
「俺、童術使えるけど」
職員が少し困った顔をする。
「未登録ですよね」
「緊急なら使っていいんだろ?」
「生命または身体に差し迫った危険があり、他の手段での回避が著しく困難な場合です」
「魔物に襲われたら?」
「状況によります」
「戦ってる最中に?」
「……状況によります」
「じゃあ、魔物が俺に飛びかかってきたら?」
「それも、状況を確認しないと」
男は依頼票を見た。
もう一度、受付を見る。
「誰が決めるんだ?」
「何をですか?」
「緊急かどうか」
職員は答えようとした。
口を開く。
だが、言葉が出てこなかった。
男もそれ以上は聞かなかった。
手の中の依頼票を見下ろす。
受付の向こうでは、別の冒険者たちがいつものように依頼を選んでいた。
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