第六話 いてくれてよかった
如月礼がこの世界へやって来てから。
二週間が経った。
「礼!」
「はい!」
「包帯!」
「左の袋、上から二段目!」
「了解!」
「礼!」
「今度は何!?」
「水!」
「ボルグさんの後ろ!」
「おお!」
「礼!」
「だから何!?」
「暇だから呼んでみた」
「ミレナァ!!」
「あははは!」
森の中。
礼の怒鳴り声が響いた。
「元気だな」
ガルドが笑う。
「誰のせいだと思ってんですか」
「ミレナだろ」
「正解」
「私?」
「お前だよ!」
二週間。
たった二週間。
それでも。
礼にとっては。
随分と長い時間が経ったような気がした。
◇
文字。
まだ。
ほとんど読めない。
ただし。
「これ」
礼が依頼書を指差す。
「討伐?」
「正解」
セイルが答える。
「これは?」
「採取」
「これは?」
「護衛」
「…………」
セイルが眼鏡を上げる。
「覚えるのは早いな」
「毎日見てるから」
「では、これは?」
「…………」
礼は黙った。
「…………」
「…………」
「読めない」
「だろうな」
「なんで急に難しくするんだよ」
「読めると言い出しそうだったから」
「性格悪いな!」
金。
覚えた。
少なくとも。
飯がいくら。
宿がいくら。
パンがいくら。
その程度なら分かる。
薬草。
かなり覚えた。
ミレナ曰く。
『気持ち悪いくらい覚えるの早い』
褒められているのか分からない。
魔物。
少し覚えた。
ホーンウルフ。
ゴブリン。
角兎。
森蜘蛛。
その他。
そして。
剣。
「――遅い!」
「うわっ!」
カンッ!
木剣が飛んだ。
「…………」
「…………」
「……剣は?」
ミレナが聞く。
「聞くな」
「全然ね」
「うるさい」
二週間。
毎日のようにガルドから教わった。
結果。
未だに。
一度もまともに攻撃を当てられていない。
「おかしいだろ……」
「何がだ」
「二週間ですよ?」
「二週間だな」
「そろそろ覚醒イベントとか」
「カクセイ?」
「なんでもないです」
礼は木剣を拾う。
「もう一回」
「まだやるのか?」
「当たるまで」
「日が暮れるぞ」
「じゃあ日が暮れるまで」
ガルドが。
少しだけ笑った。
「構えろ」
「はい」
才能は。
ないのかもしれない。
それでも。
礼は毎日。
少しずつ。
この世界で生きる方法を覚えていた。
◇
「止まって」
その日。
礼たちは。
いつもより深い森へ入っていた。
依頼は。
薬草の採取。
そして。
周辺に出没する魔物の調査。
危険度は。
それほど高くない。
少なくとも。
そう聞いていた。
「どうした?」
ガルドが振り返る。
「…………」
礼は周囲を見る。
木。
草。
岩。
また木。
「礼?」
ミレナ。
「……さっき」
「ん?」
「ここ通りませんでした?」
四人が止まる。
「いや」
ガルドが答えた。
「真っ直ぐ進んでる」
「ですよね」
「何かあったか?」
礼は。
一つの木を指差す。
「あれ」
「木?」
「枝」
「枝?」
「上から三本目」
折れている。
「…………」
「それが?」
礼は少し考える。
「三十分くらい前にも見た」
「……本当か?」
ガルドが木を見る。
「多分」
「木なんて似たようなものじゃない?」
ミレナが言う。
「俺もそう思ったんだけど」
礼は木へ近づく。
幹。
触れる。
「これ」
小さな傷。
「昨日のじゃない」
「何で分かる?」
「俺がつけた」
「…………」
「え?」
ミレナ。
「荷物引っ掛けたんですよ、ここで」
「…………」
全員。
黙る。
「待て」
セイルが地図を広げた。
「あり得ない」
「ですよね」
「我々は北東へ進み続けている」
「でも」
礼が木を叩く。
「ここ戻ってきてる」
セイルが。
周囲を見る。
杖を握る。
「…………魔力反応がある」
「魔術?」
「恐らく」
セイルが目を閉じる。
「認識阻害……いや。方向感覚へ干渉しているのか」
「解除できる?」
ガルド。
「時間をくれ」
「どのくらい?」
「分からない」
「…………」
礼は考える。
「じゃあ」
「ん?」
「目印つけながら歩けば?」
四人が礼を見る。
「目印?」
「同じ場所戻ってるなら」
礼は荷物を下ろす。
中から。
予備の布。
細い縄。
「こうやって」
木へ結ぶ。
「通ったところ全部に印つける」
「…………」
「それで戻ってきたら別の道」
ミレナが瞬きをする。
「単純ね」
「悪かったな」
「褒めてるのよ」
「そう?」
「多分」
「多分かよ」
ガルドが笑う。
「やってみるか」
◇
一時間。
二時間。
礼たちは歩いた。
布。
縄。
木。
印。
「またある」
礼が言う。
前方。
自分たちが結んだ布。
「右はダメ」
「なら左だ」
進む。
また。
印。
「ここも」
「戻るぞ」
少しずつ。
少しずつ。
選択肢を潰す。
「礼」
ミレナが歩きながら聞いた。
「何?」
「よく気づいたわね」
「何が?」
「最初の木」
「たまたま」
「私は気づかなかった」
「荷物引っ掛けてムカついたから覚えてただけ」
「そんな理由?」
「そんな理由」
セイルが後ろから言う。
「理由はどうでもいい」
「ん?」
「違和感を覚えたことが重要だ」
「違和感?」
「ああ」
「…………」
「人間は思い込みが強い」
セイルが言う。
「森の木など同じに見える。だから同じ場所へ戻っている可能性を最初から考えない」
「俺は?」
「お前は疑った」
「…………」
「それだけだ」
「褒めてる?」
「好きに取れ」
「素直じゃねえな」
「うるさい」
少し。
礼は笑った。
◇
「抜けた」
ミレナが言った。
森。
景色が変わった。
密集していた木々が減る。
空。
久しぶりに。
広く見えた。
「……マジで出られた」
礼が振り返る。
「やったな」
ガルドが礼の肩を叩いた。
「痛い」
「悪い」
「ボルグさんよりはマシだけど」
「何か言ったか!」
「何も!」
ボルグの声。
でかい。
「休憩するか」
ガルドが言った。
その時だった。
「――待て」
セイル。
全員が止まる。
「何?」
「来る」
音。
草。
揺れる。
一つ。
二つ。
三つ。
「構えろ!」
ガルド。
剣。
ミレナ。
弓。
セイル。
杖。
ボルグ。
盾。
礼は。
荷物。
「礼!」
「分かってる!」
下がる。
現れた。
魔物。
四体。
狼型。
ただし。
ホーンウルフではない。
毛。
黒い。
牙。
長い。
「何あれ!」
「ブラックファング!」
ミレナが叫ぶ。
「弱い!?」
「ホーンウルフよりは強い!」
「比較対象が分からねえ!」
「礼は下がってろ!」
ガルドが走る。
戦闘。
始まった。
◇
速い。
礼には。
まだ。
戦いの全てを見ることはできない。
ガルドの剣。
ミレナの矢。
セイルの魔術。
ボルグの盾。
それでも。
二週間前とは違った。
「セイル!」
「なんだ!」
「右!」
魔物。
「――《火矢》!」
炎。
命中。
「ボルグさん、後ろ!」
「おお!」
盾。
衝突。
礼は戦えない。
でも。
見る。
荷物を見る。
仲間を見る。
必要なもの。
必要な時。
「ミレナ!」
「何!?」
「矢!」
「まだある!」
「残り六!」
「分かった!」
一本。
二本。
三本。
魔物が倒れる。
「あと二!」
ガルド。
斬る。
ボルグ。
受ける。
セイル。
魔術。
「…………」
勝てる。
そう思った。
その時。
「――っ!」
ミレナ。
矢を放った直後。
草むら。
もう一体。
「ミレナ!!」
「え?」
横。
飛び出す。
「――きゃっ!」
爪。
腕。
血。
ミレナが倒れる。
「ミレナ!」
礼が走った。
「来るな!」
ガルドの声。
魔物。
まだいる。
ボルグが割り込む。
「礼! ミレナを!」
「分かった!」
礼は。
ミレナのところへ。
「おい!」
「……平気」
「平気じゃねえだろ!」
「うるさい……」
腕。
傷。
深くはない。
でも。
「…………」
色。
傷の周囲。
紫。
「何これ」
礼の頭。
何か。
引っ掛かる。
『ブラックファング』
聞いたことがある。
どこで。
ミレナ。
数日前。
『こいつの爪には――』
「毒……」
「礼?」
「毒あるんだろ、こいつ!」
ミレナが。
僅かに目を見開く。
「……覚えてたの」
「どうすればいい!」
「薬……」
「どれ!」
「白い……筋……」
「何本!?」
「三……」
「…………」
礼は走る。
荷物。
開く。
「白線三本……」
薬草。
一つ。
「二本」
違う。
「三本……」
もう一つ。
「三本!」
戻る。
「これ!?」
ミレナが見る。
「……そう」
「どうする!」
「潰して……傷に」
「分かった」
手。
震える。
「くそ……」
魔物の声。
剣の音。
魔術。
近い。
怖い。
でも。
今。
それどころじゃない。
薬草を潰す。
傷へ。
「痛っ……!」
「ごめん!」
「もっと……優しく……」
「無理!」
「何でよ……」
「俺も怖いんだよ!」
ミレナが。
少しだけ笑った。
「何笑ってんだ!」
「別に……」
「立てる?」
「ちょっと……無理かも」
「じゃあ」
礼は背を向ける。
「乗って」
「え?」
「早く!」
「礼」
「荷物持ち舐めんな」
「…………」
ミレナが。
礼の背中へ。
「重いって言ったら殺すわよ」
「今それ言う!?」
「言っとかないと……」
「分かったから!」
立つ。
「……重っ」
「礼?」
「嘘です!!」
「あとで覚えてなさい……!」
「元気じゃん!」
礼は走った。
◇
「終わった」
ガルドが。
最後の魔物を倒した。
「ミレナ!」
セイルが駆け寄る。
礼の背中。
ミレナ。
「爪!」
礼が言う。
「ブラックファングの爪! 毒!」
「処置は?」
「薬草潰して傷に!」
「どれを使った?」
「白線三本!」
セイルが傷を見る。
薬草。
確認。
「…………」
「どう?」
「正しい」
「…………」
礼の肩から。
力が抜けた。
「よかった……」
「礼」
「はい?」
「よく覚えていたな」
「ミレナが前に言ってたから」
「それでもだ」
セイルが。
ミレナへ治療魔術を使う。
「この毒は回りが早い」
「…………」
「お前がすぐ処置していなければ」
一瞬。
礼を見る。
「危なかった」
「…………」
礼は。
自分の手を見る。
薬草。
血。
震えている。
「俺が……」
「ああ」
礼は。
ミレナを見る。
「…………」
助けた。
自分が。
◇
「礼」
「ん?」
「水」
「はい」
少し後。
ミレナは木へ寄り掛かっていた。
顔色も。
随分戻った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
水筒を渡す。
飲む。
「…………」
「何?」
「いや」
ミレナが礼を見る。
「本当に覚えてたのね」
「何を」
「薬草」
「そりゃ覚えるよ」
「一回しか教えてないけど」
「そうだっけ」
「そうよ」
「…………」
「それに」
「?」
「私を背負った」
「荷物持ちなんで」
「人を荷物扱いするな」
「そっちが言わせたんだろ」
ミレナが笑う。
そして。
「礼」
「何?」
「ありがとう」
「二回目」
「ちゃんと言ってるの」
「…………」
少し。
真面目な顔。
「礼がいてくれて」
ミレナが言った。
「よかった」
「…………」
礼は。
止まった。
「…………」
「礼?」
「……何でもない」
「何その顔」
「どんな顔?」
「変な顔」
「失礼だな」
「照れてる?」
「照れてねえよ」
「照れてる」
「うるさい」
礼は立ち上がる。
「どこ行くの?」
「ガルドさん手伝ってくる」
「逃げた」
「逃げてない!」
歩く。
数歩。
ミレナから離れる。
「…………」
胸。
少しだけ。
変だった。
『礼がいてくれてよかった』
「…………」
礼は。
誰にも見えないところで。
少しだけ。
笑った。
◇
街へ帰った翌日。
「もう一回!」
「まだやるのか」
「当たり前!」
木剣。
礼。
ガルド。
「来い」
「言ったな!」
礼が走る。
振る。
「遅い」
ガルド。
受ける。
カンッ!
「…………」
「…………」
礼。
止まる。
ガルドも。
止まる。
「…………」
「…………」
礼の木剣。
ガルドの木剣。
触れている。
「…………当たった」
「剣にな」
「当たった!!」
「俺には当たってない」
「進歩だろ!!」
「まあな」
「今認めた!」
「うるさい」
「ミレナ!」
「見てたわよ」
「当たった!」
「剣にね」
「なんでみんなそこ強調すんだよ!」
ボルグ。
「礼! 次は俺とやるか!」
「死ぬから嫌だ!」
「ガハハハ!」
セイル。
本。
読んでいる。
「セイルさんも見てた!?」
「見てない」
「見ろよ!」
「忙しい」
「薄情者!」
いつもの。
声。
いつもの。
笑い。
礼は。
木剣を握った。
「もう一回」
「来い」
◇
その日の夜。
報酬。
「礼」
「はい」
「これ」
硬貨。
礼が見る。
「……多くない?」
「今回はお前の取り分を増やした」
「なんで?」
「ミレナ」
「え?」
「お前が助けた」
「でも魔物倒したのはみんなじゃん」
「それが?」
「…………」
「礼」
ガルドが言う。
「仕事は魔物を倒すことだけじゃない」
「…………」
「全員で行って」
硬貨を。
礼の前へ置く。
「全員で帰る」
「…………」
「それが一番だ」
礼は。
硬貨を見る。
「それに」
「?」
「もう」
ガルドが笑う。
「立派な仲間なんだからな」
「…………」
礼は。
顔を上げる。
「何だ?」
「いや」
「?」
「……なんでもない」
硬貨を取る。
「ありがとうございます」
「おう」
◇
夜。
部屋。
礼は。
机に座っていた。
ノート。
開く。
今日の記録。
『迷いの森』
『同じ場所に戻る。目印が有効』
『ブラックファング』
『爪に毒』
『白線三本の薬草』
『初動が重要』
そこまで。
書く。
「…………」
少し。
考える。
別のページ。
開く。
何も書いていない。
礼は。
鉛筆を動かした。
『ガルド』
『ミレナ』
『セイル』
『ボルグ』
四つ。
名前。
「…………」
何してんだ。
自分で思う。
でも。
消さなかった。
その下。
少しだけ。
間を空ける。
そして。
一言。
『仲間』
「…………」
礼は。
ノートを閉じた。
ベッドへ入る。
明日も。
朝になれば。
下へ行く。
飯を食う。
仕事をする。
剣を振る。
くだらない話をする。
笑う。
また。
明後日も。
その次も。
きっと。
続いていく。
礼は。
そう思っていた。
この時は。
まだ。
本当に。
そう信じていた。




