第五話 初めての報酬
「……足が死んだ」
如月礼は歩いていた。
正確には。
歩いているつもりだった。
「礼ー」
「はい……」
「遅れてるわよー」
「分かってます……」
「もう少しよ」
「その台詞、三十分前にも聞きました……」
前を歩くミレナが笑う。
「元気じゃない」
「どこが……」
初仕事。
二日目。
薬草採取。
魔物との遭遇。
初めての野営。
そして。
帰還。
街の城壁は、もう見えている。
見えているのだが。
「なんで……行きより……帰りの方が重いんだ……」
「薬草を採ったからだ」
セイルが当然のように答える。
「荷物増えてんじゃん……」
「仕事だからな」
「聞いてない……」
「言ったぞ」
「聞きたくなかった……」
「ガハハハ!」
前方でボルグが笑う。
「礼! 鍛錬が足りんぞ!」
「ボルグさん……」
「なんだ!」
「その盾と俺の荷物、交換しません?」
「断る!」
「即答……」
ガルドが振り返った。
「あと少しだ」
「ガルドさんまでそれ言うのやめてください」
「本当にあと少しだ」
「信用できない……」
「昨日より口が悪くなってないか?」
「疲れてるんです」
「ハハッ」
ガルドが笑う。
礼は。
重い背負い袋を持ち直した。
身体中が痛い。
足の裏も痛い。
肩も痛い。
眠い。
腹も減った。
それでも。
「…………」
少しだけ。
楽しかった。
◇
「依頼達成を確認しました」
「おお……」
街へ戻り。
ガルドたちに連れられて入った建物。
冒険者組合。
昨日は外から見ただけだった。
広い受付。
壁一面に貼られた依頼書。
武器を持った冒険者たち。
酒場まで併設されている。
「なんか……」
礼は周囲を見る。
「それっぽい」
「何が?」
ミレナが聞く。
「冒険者ギルド」
「ギルド?」
「組合」
「ここ組合だけど」
「だからそれっぽいんです」
「相変わらず分からないわね、あんた」
受付で。
採取した薬草。
討伐した魔物の証明部位。
その他。
確認が進む。
礼は横から眺めていた。
まだ文字は読めない。
金の価値も。
完全には理解していない。
「こちらが報酬です」
受付の女性が袋を置いた。
じゃら。
金属音。
「おお……」
「なんでお前が一番反応するんだ」
「だって金ですよ」
「金だな」
「この世界来て初めて見るまともな金ですよ」
「昨日も見ただろ」
「俺のじゃなかったんで」
「…………」
ガルドが礼を見る。
「そうだな」
袋を受け取る。
そして。
中身を分け始めた。
「まず宿代」
「はい」
「食費」
「はい」
「装備代の返済分」
「はい……」
「共同費」
「共同費?」
「薬や野営道具、装備の修繕に使う」
「なるほど」
「で」
ガルドが硬貨を数える。
数枚。
礼の前へ置いた。
「これがお前の取り分」
「…………」
礼は。
硬貨を見る。
「俺の?」
「ああ」
「これ全部?」
「少ないけどな」
「…………」
「礼?」
触る。
冷たい。
金属。
「…………」
礼は一枚を持ち上げた。
「これで、何買えます?」
「そうだな」
ミレナが覗き込む。
「安い飯なら何食か。服は物による。宿代なら――」
「飯」
「え?」
「何食か食えるんですよね?」
「食えるけど」
「…………」
礼は硬貨を見る。
自分の金。
母親から渡された金じゃない。
机の上に置かれた千円札でもない。
友達に借りた金でもない。
自分で。
歩いて。
荷物を持って。
働いて。
得た。
「…………」
「そんなに珍しいか?」
ガルドが聞いた。
「いや」
礼は笑った。
「初めてなんです」
「何が?」
「自分で稼いだ金」
四人が少しだけ静かになる。
「十七だったか」
「はい」
「働いたことなかったの?」
ミレナ。
「学校で禁止されてたんで」
「ガッコウ?」
「……これ説明すると長いな」
「また今度でいいわ」
「助かります」
礼は硬貨を握った。
「……なんか」
「ん?」
「嬉しいっすね、これ」
ガルドが笑った。
「使いすぎるなよ」
「分かってます」
「本当か?」
「多分」
「昨日も聞いたな、それ」
◇
「痛っ!!」
「構えが高い!」
「先に言ってください!」
「言った!」
「聞いてない!」
「聞け!」
宿屋の裏。
礼は木剣を握っていた。
目の前。
ガルド。
「なんで急に剣なんですか!」
「お前が教えろって言ったんだろ!」
「そうだけど!」
数十分前。
報酬を受け取った帰り。
武器屋の前で。
礼は立ち止まった。
剣。
槍。
弓。
盾。
異世界らしい武器が並んでいる。
昨日。
ホーンウルフを前に。
礼は何もできなかった。
怖かった。
身体が動かなかった。
それが。
少し悔しかった。
『ガルドさん』
『ん?』
『剣って、教えてもらえます?』
そう言った。
そして。
今。
「右足をもう少し後ろ!」
「こう!?」
「下がりすぎだ!」
「難しいな!」
「最初からできる奴がいるか!」
「異世界主人公って普通いきなり剣使えるんじゃねえの!?」
「さっきから何の話してるんだ!」
「こっちの話です!」
ガルドの木剣。
軽く。
礼の剣を叩く。
「あ」
飛んだ。
カラン。
「…………」
地面。
木剣。
礼。
「…………」
ガルド。
「…………」
「弱っ」
「うるせえ!」
ミレナが腹を抱えて笑っている。
「ちょっと! 今のはダメ!」
「何が!」
「飛び方が綺麗すぎる!」
「剣が!?」
「そう!」
「知らねえよ!」
「ガハハハハ!」
「ボルグさんも笑うな!」
「すまん! だが面白い!」
「セイルさん!」
「俺を見るな」
「助けて!」
「剣術は専門外だ」
「薄情者!」
礼は木剣を拾った。
「もう一回!」
「まだやるのか?」
「当たり前です」
「腕上がらなくなるぞ」
「一回くらい当てたい」
「無理だ」
「言ったな?」
「ああ」
「絶対当てる」
「やってみろ」
◇
一時間後。
「…………」
礼は地面に倒れていた。
「死んだ?」
ミレナが覗き込む。
「……生きてます」
「当たった?」
「…………」
「一本くらい」
「…………」
「礼?」
「うるさい」
「ゼロね」
「うるさい!」
結局。
一度も。
ガルドには当たらなかった。
「初日ならそんなもんだ」
ガルドが水を渡す。
「才能ないですかね」
「一日で何が分かる」
「魔術もダメだったし」
「またそれか」
「剣もダメだったら、俺本当に荷物しか持てないな」
水を飲む。
「礼」
「はい?」
「焦るな」
「…………」
「お前は昨日この世界に来たようなもんなんだろ?」
「まあ……」
「俺は剣を握って十年以上だ」
「十年」
「一日で追いつかれたら俺が泣く」
「確かに」
「だから」
ガルドが木剣を礼へ投げる。
受け取る。
「明日もやれ」
「……はい」
「明後日も」
「はい」
「その次も」
「…………」
「それで一年後にも当たらなかったら」
「当たらなかったら?」
「才能ないかもな」
「一年やらせてから言うなよ!」
笑い声。
◇
夕方。
礼は一人で街を歩いていた。
初めてだった。
昨日は。
何も分からなかった。
文字も読めない。
金もない。
泊まる場所もない。
ただ。
街を彷徨っていた。
今日は違う。
ポケットの中。
じゃら。
硬貨。
「…………」
何か買える。
自分で。
店先を見る。
パン。
肉。
果物。
服。
雑貨。
武器。
「剣……高っ」
値札は読めない。
店員に聞いた。
聞かなければよかった。
「無理だな」
歩く。
小さな露店。
甘い匂い。
焼き菓子のようなもの。
「…………」
礼が止まる。
丸い。
小さい。
五つ買っても。
今日の報酬が少し残る。
「…………」
礼は考えた。
金は大事だ。
宿代。
食費。
服代も返さないといけない。
貯めた方がいい。
絶対。
そう思った。
「…………」
◇
「ただいま」
宿屋。
「おかえり」
ミレナが答えた。
礼は一瞬。
止まった。
「……何?」
「いや」
「?」
「なんでもないです」
おかえり。
何年ぶりに。
誰かから言われただろう。
いや。
もしかしたら。
ちゃんと覚えているのは。
初めてかもしれない。
「みんないます?」
「いるけど」
「ちょっと待って」
ガルド。
セイル。
ボルグ。
集まる。
「何だ?」
「これ」
礼が紙袋を置いた。
「…………」
中。
焼き菓子。
五つ。
「何これ?」
ミレナが聞く。
「なんか甘いやつ」
「説明が雑すぎる」
「俺も名前読めないんで」
「買ったのか?」
ガルド。
「はい」
「自分の金で?」
「はい」
「…………」
ガルドが礼を見る。
「服代の借金あるぞ」
「分かってます」
「宿代も」
「分かってるって」
「なら貯めとけ」
「いや」
礼は少しだけ視線を逸らした。
「俺」
言うのが。
なんとなく恥ずかしい。
「……昨日、飯食わせてもらったし」
「それは仕事の――」
「分かってます」
「…………」
「服も買ってもらったし」
「貸しだ」
「分かってます」
「じゃあ」
「だから」
礼は頭を掻く。
「なんつーか」
「…………」
「初めて稼いだ金で」
少し。
笑う。
「みんなに何か買いたかっただけです」
「…………」
沈黙。
「……何ですか」
「いや」
ガルドが言う。
「別に」
「なんか言ってくださいよ」
「礼」
ミレナが一つ取る。
「これ、五個よね」
「はい」
「私たち四人」
「…………」
「あんたの分もあるの?」
「あります」
「良かった」
「なんで?」
「自分の分買ってなかったら殴ろうと思って」
「怖っ」
「当然でしょ」
ボルグが一つ取る。
「礼!」
「はい」
「ありがたくいただこう!」
「声でけえ」
「うまい!」
「もう食った!?」
「ガハハハ!」
「感想早すぎるだろ!」
セイルも取る。
「甘いな」
「甘いもの嫌いでした?」
「いや」
「良かった」
「ただ」
「?」
「礼」
「はい」
「次から値段は確認して買え」
「確認しましたよ」
「読めたのか?」
「店員に聞きました」
「成長したな」
「子供扱いすんな」
最後。
ガルド。
「…………」
「ガルドさん?」
「お前」
「はい」
「変な奴だな」
「それ何回目?」
「さあな」
一つ取る。
「ありがとな」
「…………」
「礼」
「……はい」
それだけ。
礼は。
自分の分を取った。
食べる。
「甘っ」
「自分で買ったんでしょ」
「想像より甘かった」
「美味いぞ!」
「ボルグさん何でも美味いって言いそう」
「美味いものは美味い!」
「それはそう」
笑う。
五人。
同じものを食べる。
それだけ。
たった。
それだけだった。
◇
夜。
礼はベッドにいた。
身体が痛い。
「明日絶対筋肉痛だ……」
腕。
肩。
脚。
全部痛い。
でも。
悪くなかった。
机の上。
残った硬貨。
少なくなった。
「使いすぎたかな……」
少し後悔。
でも。
思い出す。
『ありがとな』
「…………」
まあ。
いいか。
礼はベッドへ倒れる。
目を閉じる。
今日。
初めて報酬をもらった。
剣を握った。
一度もガルドに当てられなかった。
自分の金で。
誰かに何かを買った。
そして。
『おかえり』
「…………」
礼は目を開ける。
天井。
知らない世界。
知らない宿。
なのに。
少しずつ。
知らない場所ではなくなっている。
明日も。
朝になれば。
下へ行く。
四人がいる。
仕事がある。
飯を食う。
また剣を教えてもらう。
「…………」
日本にいた頃。
家に帰っても。
誰も待っていなかった。
ここには。
帰る家などない。
家族もいない。
それでも。
「……仲間、か」
自分で言って。
少し恥ずかしくなる。
「何言ってんだ、俺」
まだ。
出会って数日。
早すぎる。
そう思った。
それでも。
否定はしなかった。
目を閉じる。
眠気。
意識が落ちていく。
その直前。
礼は。
ほんの少しだけ。
思った。
明日も。
ここにいたい。
明後日も。
その次の日も。
できるなら。
もう少しだけ。
この四人と。
一緒に歩いていたい。
そんな。
ささやかな願いを。
この世界へ来て初めて。
如月礼は。
持ち始めていた。




