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童貞にして最強 ―穢れなき力を手にした男の黙示録―  作者: 忠犬むつ公
第一部

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第六十六話 登録


 王都から次の文書が届いたのは、それから六日後だった。


 その日の礼は、朝から訓練場にいた。


「違う。そこ、一回止めて」


「ここですか?」


「もうちょっと前」


 礼に言われ、マルクが右足を引く。


 全身を薄く覆っていた童力が揺れ、肩の辺りで一度途切れた。


「あ」


「今の」


「分かりました」


「ほんとに?」


「たぶん」


「たぶんかあ……」


 礼が頭を掻く。


 少し離れたところで見ていたハインが笑った。


「先生、俺が言ったときも同じ顔してましたよ」


「してないよ」


「してました」


「俺も見た」


 リオまで加わる。


「二対一じゃん」


「事実は人数で決まらないだろ」


「そういうときだけ難しいこと言うなよ」


 マルクが笑った。


 その間に崩れた童力を整え、もう一度《童衣》を作る。


 以前よりずっと早い。


 肩、胸、腹、脚。


 まだ均一とは言えないが、全身を一つの流れとして循環する形にはなっていた。


「……うん。今の方がいい」


「本当ですか?」


「たぶん」


「先生」


「冗談だって」


 礼が笑う。


 ハインも笑った。


 マルクだけが少し不満そうな顔をしたが、すぐにもう一度構え直した。


 訓練場の別の場所では、エルンがリオに《童閃》を見てもらっている。


 バルトはいつもの石を片手に童力を整え、ノアとディンは木剣を使った軽い模擬戦をしていた。


 全員が同じ訓練をしているわけではない。


 使える童式も違う。


 得意なことも違う。


 それでも、誰かが失敗すれば別の誰かが声をかける。


 礼が何も言わなくても訓練は進んでいた。


 そんな光景にも、少しずつ慣れてきた。


「如月さん」


 訓練場の入口から声がした。


 振り返ると、ギルドの職員が立っていた。


「ギルド長がお呼びです」


「俺?」


「リオさんも、とのことです」


 礼はリオを見る。


 リオもこちらを見ていた。


「……またか」


 小さく呟いてから、持っていた弓を壁へ立てかける。


「今度は何枚だと思う?」


「何が?」


「書類」


「そこ?」


「ヴァルターさんだからな」


 職員が困ったように笑った。


「今回は、少し多いです」


「ほら」


「当てても嬉しくないよ」


 二人は訓練をハインたちへ任せ、ギルドへ向かった。



 ヴァルターの部屋へ入ると、本当に紙が増えていた。


 机の上に五枚。


 その横に、王都中央ギルドの封が置かれている。


「……多いですね」


 礼が言った。


「私が増やしたわけではありません」


 ヴァルターは真顔で答えた。


「王都からです」


「責任逃れした」


「事実を申し上げただけです」


 リオが笑いながら椅子へ座る。


 礼もその隣に腰を下ろした。


 前回と同じ部屋。


 同じ机。


 それでも、そこに置かれている紙の量だけで、少し空気が違って見えた。


「先日お話しした、正式登録制度についてです」


 ヴァルターが一枚目を二人の前へ置いた。


「制度案が届きました」


「もう?」


 礼は思わず聞いた。


「まだ案です。実施が決定したわけではありません」


「でも、ここまでできてるんですよね」


「ええ」


 礼は紙を取った。


 リオが横から覗き込む。


 最初に書かれていたのは、制度の目的だった。


『童術使用者の安全確保』


『童術に起因する事故発生時の迅速な対応』


『新規技術としての適正な運用』


『使用者および指導者の保護』


「……保護?」


 リオがその言葉を読む。


「王都の説明では、そうなっています」


「登録すると守ってもらえるんですか?」


「たとえば童術使用中に事故が発生した場合、それが違法な魔法使用なのか、既知の童術による事故なのかを現場が判断しやすくなる。登録された指導者であれば、正規の訓練として場所を確保できるようにする。そういった制度も検討されています」


「それだけ聞くと、悪くないですね」


「私もそう思います」


 ヴァルターは隠さなかった。


 礼は次を読む。


『登録予定項目』


 その下に、いくつもの項目が並んでいた。


『氏名』


『年齢』


『現住所』


『所属』


『冒険者登録の有無』


 そこまでは、礼も理解できた。


 冒険者として登録したときにも、似たようなことは聞かれている。


 だが、その先。


『童術習得時期』


『習得済童式』


『主たる指導者』


『他者への指導経験』


『実戦使用歴』


 礼の目が止まった。


 隣でリオも黙っている。


「……多くないですか?」


「私も、そう考えています」


 ヴァルターが答えた。


「全部必要なんですか?」


「まだ決定ではありません」


「王都は必要だと思ってるから書いたんですよね」


「候補としては」


 礼はもう一度、項目を上から見た。


 名前。


 年齢。


 住所。


 所属。


 習得している童式。


 誰に教わったか。


 誰かへ教えたことがあるか。


「これ」


 礼は一つの項目を指差した。


「主たる指導者って、なんで必要なんですか?」


「王都の説明では、事故が起きた場合に指導上の問題がなかったか確認するため、とあります」


「じゃあ、他者への指導経験は?」


「同様です」


「同じじゃないですよね」


 礼が言った。


 ヴァルターは少し黙った。


「……ええ」


「教わった人と、教えた人が分かる」


「そうなります」


「それを全員分集めたら」


 礼は紙の上に指を置いたまま考えた。


 自分。


 リオ。


 ハイン。


 マルク。


「誰から誰に童術が伝わったか、全部分かりますよね」


 ヴァルターは否定しなかった。


「はい」


 リオが椅子の背から身体を起こした。


「王都は、それが知りたいんですか?」


「少なくとも、制度案を作成した者の中には必要だと考えている人間がいます」


「ヴァルターさんは?」


 礼が聞いた。


 ヴァルターはすぐには答えなかった。


「指導者の登録には、意味があると思っています」


「……意味?」


「誰でも自由に教えられる状態が、今後も安全だとは思っていません」


 礼の眉がわずかに動く。


「今、問題が起きてますか?」


「現在は大きな問題は起きていません」


「だったら」


「如月さん」


 ヴァルターの声は穏やかだった。


「現在、問題が起きていないことと、制度が不要であることは同じではありません」


 礼は口を閉じた。


「あなた方は、自分たちで安全基準を作りました。第二童式を対人訓練で最大出力にしないこと。第六童式について、分からない領域へ安易に使用しないこと。新しい童式をすぐ他者へ教えないこと」


「はい」


「それは、事故が起きてから考えたものもありますね」


 テオのことだ。


 礼にも分かった。


「……あります」


「その経験を否定するつもりはありません。むしろ、よく改善していると思います」


 ヴァルターは紙へ目を落とした。


「ですが、童術が百人へ広がったとき、その百人全員があなた方と同じ慎重さを持つとは限らない」


「だから、誰が教えたか記録する?」


「私は、その必要性については理解できます」


「じゃあ、このまま王都に返すんですか?」


「いいえ」


 礼が顔を上げる。


「そのために、お二人を呼びました」


 ヴァルターは別の紙を取り出した。


「これは王都への回答案です。まだ送っていません」


 礼は受け取った。


 そこには、登録制度そのものへの賛否ではなく、各項目に対するヴァルターの意見が書かれていた。


『現住所――不要。所属情報で連絡可能』


『習得時期――年月単位で十分。正確な日付は不要』


『習得済童式――本人の同意を前提とすべき』


『実戦使用歴――既存の依頼報告との重複が多く、登録項目としては不要』


「……減らしてる」


「増やすのがお好きではないのでしょう?」


 リオが言う。


「覚えていましたか」


「そりゃ覚えてますよ」


「では、努力しています」


「王都に言ってください」


「今から言います」


 リオが少し笑った。


 礼も紙を読み進める。


 だが、一つだけ残っていた。


『主たる指導者』


 その横には、


『必要。ただし変更履歴までは不要』


 とある。


「ここは残すんですね」


「はい」


 ヴァルターが頷いた。


「理由は先ほど申し上げた通りです」


「他者への指導経験は?」


「削除を求めます」


「え?」


「指導者として正式に登録する制度を別に検討するべきだと考えています。全員に対して、過去に誰かへ教えたことがあるかを登録させる必要はない」


 礼はヴァルターを見る。


「……指導者として登録?」


「そこが、もう一つです」


 嫌な予感がした。


 ヴァルターは三枚目の紙を出した。


『童術の新規教授に関する暫定指針案』


「……新規教授」


 リオが読む。


「王都は、登録制度が整うまでの間、新たに童術を教える場合、事前に各地のギルドへ届け出る制度を検討しています」


 礼はしばらく何も言わなかった。


「届け出ないと、教えちゃ駄目なんですか?」


「案では、そうなっています」


「誰かが教えてほしいって言っても?」


「届け出を行ってから、ということです」


「許可ですか?」


「そこは重要なところです」


 ヴァルターは紙の一文を指した。


『届け出を受理したギルドは、対象者の身元および指導環境を確認する』


「確認?」


「王都は、これを許可制とは呼んでいません」


「でも、確認して駄目って言われたら?」


「その点が明確ではありません」


「それって」


 リオが腕を組んだ。


「許可と何が違うんです?」


「私も、そこを質問するつもりです」


 ヴァルターは淡々と答えた。


「届け出とは、本来、提出した時点で成立するものです。ギルド側の判断で拒否できるのであれば、それは実質的には許可に近い」


「じゃあヴァルターさんも反対?」


「現在の文面には反対です」


「新しく教える前に知らせること自体は?」


「必要だと思っています」


 リオが小さく息を吐いた。


「やっぱりそこは必要なんですね」


「はい」


 ヴァルターは答える。


「私の考えは変わっていません」


 礼は三枚の紙を机へ置いた。


 ヴァルターは話を聞いてくれる。


 王都の案をそのまま押しつけてもこない。


 不要だと思う項目は削ろうとしている。


 曖昧な部分には疑問を出している。


 それでも。


 この人は、童術を管理する必要があると思っている。


 その部分だけは、一度も変わっていない。


「……一ついいですか」


「どうぞ」


「もし俺が、明日誰かに童術を教えたら?」


「現時点では、何の規則にも違反しません」


「この案が通ったあとなら?」


「届け出が必要になります」


「出さなかったら?」


 ヴァルターは少し黙った。


「そこについても、処分規定はまだありません」


「じゃあ、分からない?」


「はい」


 礼は紙を見る。


「分からないこと、多いですね」


「制度を作っている途中ですから」


「童術と同じだ」


 リオが言った。


 礼とヴァルターが見る。


「何?」


「いや。分からないことだらけで、やりながら直してる」


「一緒にしないでよ」


「似てるだろ」


 ヴァルターが少し考える。


「……否定はできませんね」


「ほら」


「でも失敗したら困るの、俺たちなんですけど」


 礼が言うと、リオの笑みが少し消えた。


 ヴァルターも黙った。


「そうですね」


 その答えだけは、すぐに返ってきた。


「ですから、今のうちに意見を聞きたいのです」


 ヴァルターは紙を二人の方へ押した。


「この制度が実施されれば、実際に登録するのはあなた方です。私や王都の人間ではありません」


「……二人で決めていいんですか?」


「いいえ」


 礼は少し驚いた。


「私は二十二人全員の意見を聞くべきだと思っています」


「全員?」


「前回、あなたもそうしたのでしょう」


 礼は訓練場での話し合いを思い出した。


 登録に前向きなハイン。


 王都を信用できないバルト。


 内容を見てから決めたいディン。


 まだ分からないと言ったマルク。


「私から説明することもできます」


 ヴァルターが言う。


「でも、それだと」


「警戒されますか?」


「……少し」


「でしょうね」


 あっさり認められた。


「まずはお二人から説明してください。そのうえで、質問がある方とは私が直接話します」


「意見は王都に送るんですか?」


「まとめて送ります。ただし、誰が何を言ったかまでは書きません」


「どうして?」


「制度についての意見を求められているのであって、思想調査を求められているわけではありません」


 礼は少しだけ肩の力を抜いた。


「……分かりました」


「もう一つ」


 ヴァルターが最後の紙を取った。


「これは私からのお願いです」


 王都の印はない。


「現在、指導を待っている六名について」


 礼はすぐに分かった。


 以前から童力を感じることができ、教えてほしいと言っている六人。


「新しい制度について方向性が決まるまで、もう少し待っていただきたい」


「王都から止めろって言われたんじゃないんですか?」


「違います。私の判断です」


「どうして?」


「今ここで新たな使用者を増やせば、制度の議論そのものが複雑になります」


「でも、その人たちはずっと待ってます」


「承知しています」


「童力を感じられるのに」


「それも」


「教えてほしいって、自分で言ってるのに」


「承知しています」


 礼の声が少しずつ強くなる。


「じゃあ、いつまで待たせるんですか?」


「分かりません」


 その答えに、礼の口が止まった。


 ヴァルターは目を逸らさなかった。


「一週間かもしれない。一か月かもしれない。それ以上になる可能性もあります」


「それじゃ――」


「だから、お願いです」


 ヴァルターは言った。


「命令ではありません」


 礼は黙った。


「あなたが明日、その六人へ教えても、私は止める権限を持っていません。処罰する規則もありません」


「じゃあ」


「ですが、待ってほしい」


「…………」


「今、王都では童術をどう扱うかについて議論が始まっています。そこで人数がさらに増えれば、より強い規則を求める意見が出る可能性があります」


 リオが眉を寄せた。


「増やしたら、危険だと思われる?」


「そう考える者はいるでしょう」


「じゃあ、増やさなければ?」


「慎重に運用しているという材料にはなります」


 礼はそれを聞いて、妙な感覚を覚えた。


 童術を教える。


 ただ、それだけだった。


 少し前まで、相手が童力を感じられるか。


 危険なく訓練できるか。


 本人が望んでいるか。


 考えていたのは、それだけだった。


 今は違う。


 一人教えれば、王都がどう見るかまで考えなければならない。


「……考えます」


 礼は答えた。


「ありがとうございます」


「まだ待つって決めてません」


「ええ。それで構いません」


 ヴァルターは紙をまとめた。


 礼はその手元を見ながら、ふと思った。


「ヴァルターさん」


「はい」


「俺たちが全員、登録したくないって言ったらどうします?」


 紙を揃えていた手が止まった。


 リオも礼を見る。


 ヴァルターはしばらく考えてから答えた。


「王都へ、そのまま伝えます」


「それだけ?」


「その後については、私には答えられません」


「登録させようとはしない?」


「現時点では」


 また、その言葉だった。


 現時点では。


「……分かりました」


 礼は立ち上がった。


「みんなに話してみます」


「お願いします」


 リオも立つ。


 扉へ向かいかけたところで、礼は一度だけ振り返った。


「ヴァルターさん」


「はい」


「これからも、決まる前に話してくれますか?」


「私の立場で話せることについては」


「……はい」


「約束します」


 礼は頷いた。


 扉を閉めた。



 廊下へ出てから、しばらく二人とも何も言わなかった。


 階段を下りる。


 一階はいつも通りだった。


 依頼を探す冒険者。


 受付で報酬を受け取る者。


 酒場から聞こえる笑い声。


 その中を歩きながら、リオが言った。


「どう思う?」


「分かんない」


「またそれか」


「だって、本当に分かんないし」


「俺も」


 外へ出る。


 午後の日差しが眩しかった。


「名前くらいなら、別にいいと思うんだ」


 礼が言う。


「うん」


「年齢とか、所属とかも」


「冒険者なら元から知られてるしな」


「でも、誰に教わったとか、何を使えるとか……」


「嫌な奴はいるだろうな」


「うん」


 少し歩く。


「あと六人」


 礼が言った。


「待たせる?」


「……俺たちだけで決める?」


 礼はリオを見る。


 リオが笑った。


「覚えてたか」


「そりゃ覚えてるよ」


「じゃあ?」


「みんなで話す」


「うん」


 二人は訓練場へ戻った。



 その日の訓練が終わったあと、礼は残っていた者たちへ声をかけた。


 来ていない者には後日同じ話をすることにした。


 王都から正式登録制度の案が届いたこと。


 まだ決定ではないこと。


 登録項目として、氏名や年齢だけでなく、習得している童式や指導者まで候補になっていること。


 そして、新しく誰かへ童術を教える場合、事前にギルドへ届け出る制度が検討されていること。


 話し終えたあと、すぐに声は上がらなかった。


 最初に口を開いたのはハインだった。


「届け出るだけですか?」


「今の案だと」


「許可をもらうんじゃなくて?」


「そこが曖昧なんだって。ヴァルターさんも王都に確認するって言ってた」


「じゃあ、まだ決まってないんですね」


「うん」


 ハインは少し考え、頷いた。


「だったら、俺はまだ反対するほどじゃないかな」


「俺は嫌だ」


 予想通り、バルトだった。


「何が?」


「指導者」


「そこ?」


「そこだよ」


 バルトは壁に背を預けたまま言う。


「俺が誰に教わったか知って、どうすんだ」


「事故があったときに――」


「それ、ヴァルターさんが言ってた理由だろ」


「うん」


「王都も同じ理由で欲しがってるって、どうして分かる?」


 礼は答えられなかった。


「分かんない」


「だろ」


 バルトはそれ以上責めなかった。


「俺は書きたくない。それだけ」


「分かった」


 礼は頷いた。


「先生」


 マルクが手を上げた。


「俺、指導者って書くならハインさんですよね?」


「そうなると思う」


「先生じゃなくて?」


「俺、ほとんど教えてないし」


「でも、童術を作ったのは先生ですよね」


「それはそうだけど」


「じゃあハインさんは誰を書くんです?」


「俺は礼さんだな」


 ハインが答える。


「リオさんは?」


「礼」


 リオが言う。


 マルクが少し考える。


「なんか、家系図みたいですね」


「家系図?」


「先生からリオさんとハインさんに行って、ハインさんから俺に来て」


 礼は何となく床を見た。


 線を引けば、確かにそうなる。


 自分から始まっている。


 けれど、もう自分だけではない。


「それを王都が見たいってことですかね」


 マルクが言った。


 誰もすぐには答えなかった。


「……たぶんな」


 リオが答えた。


 その言葉で、礼はヴァルターの部屋で感じた引っかかりの形が、少しだけ見えた気がした。


 王都が知りたいのは、二十二という数字だけではない。


 誰が誰に教えたのか。


 次に誰が教えることができるのか。


 童術が、どのように人から人へ渡っていくのか。


「だったら余計に嫌だな」


 バルトが言った。


「なんで?」


 ディンが聞く。


「俺たちが人じゃなくて、道みたいに見られてる気がする」


「道?」


「こいつからこいつへ童術が流れました、次はこいつから増えます、って」


「考えすぎじゃないか?」


「かもしれない」


 バルトはあっさり認めた。


「でも、俺は嫌だ」


 ハインが腕を組む。


「俺は逆かな」


「何が?」


「ちゃんと記録されてた方がいいと思う」


「なんで」


「俺がマルクに教えたことが記録されるなら、もし何かあったとき俺が説明できる。勝手に危ないこと教えたって言われるよりいい」


「ほらな」


「何がほらなだよ」


「同じ項目見て真逆のこと言ってる」


 ディンが笑った。


「本当だ」


 誰かも笑った。


 張っていた空気が少し緩んだ。


 礼も笑った。


 でも、答えは出なかった。


 そのあとも話は続いた。


 登録してもいいという者。


 名前だけなら構わないという者。


 習得童式までは書きたくないという者。


 指導者を記録されるのが嫌な者。


 そもそも王都に何かを提出すること自体が嫌な者。


 そして、まだ分からないという者。


 六人の新しい希望者についても意見は割れた。


「待ってもらった方がいい」


「いつまで?」


「制度が決まるまで」


「半年かかったら?」


「じゃあ半年待つのか?」


「でも今増やしたら余計に揉めるんだろ?」


「それって王都が怖いから教えないってことじゃないか」


「怖いとかじゃなくて、今は慎重にした方が――」


 話せば話すほど、意見が増えた。


 礼は途中から、まとめようとするのをやめた。


 代わりに聞いた。


 一人ずつ。


 どう思うのか。


 どうしたいのか。


 分からないなら、それも書いた。


 結局、その日は何も決まらなかった。



 皆が帰ったあと、礼は机に残った。


 前回と同じように、ノートを開く。


 名前を書く。


 その横に、今日聞いたことを短く残していく。


 リオが向かいに座った。


「まとまらなかったな」


「うん」


「どうする?」


「……また話す」


「六人は?」


「もう少し待ってもらう」


 リオが少し驚いた顔をした。


「決めたのか?」


「ずっとじゃないよ」


 礼はペンを置いた。


「今日みんなの話聞いて、今すぐ教えた方がいいって人もいた。でも、今は待った方がいいって人も多かったから」


「そっか」


「六人にもちゃんと説明する。俺たちの都合で待たせるんだから」


「一緒に行くよ」


「うん」


 礼は再びノートを見る。


 二十二人の名前。


 その横に、それぞれ違う言葉。


「……リオ」


「ん?」


「俺が最初に教えたのって、お前じゃん」


「そうだな」


「もしあのとき、ギルドに届け出ないと教えちゃ駄目だったら、どうしてたと思う?」


 リオは少し考えた。


「お前?」


「うん」


「教えてたんじゃない?」


「即答じゃん」


「だって、あの頃のお前だろ?」


「どういう意味だよ」


「俺に『童貞ですか?』って聞いた奴だぞ」


「それは関係ないだろ!」


 リオが笑う。


 礼もつられて笑った。


「じゃあ、お前は?」


「俺?」


「届け出が必要だから待ってって言われたら」


「待たなかったと思う」


「なんで?」


「やっと見つけたんだぞ」


 リオは当然のように言った。


「魔力が少なくても使えるかもしれない力を。何年も魔法がまともに使えなくて、それでも諦めきれなくて――やっと見つけた」


 少しだけ声が柔らかくなる。


「待てって言われても、たぶん無理だったな」


 礼は何も言わなかった。


 訓練場の隅には、六枚の紙が並んでいる。


 その隣に、一枚の白紙。


 そして、ここにはいない六人が待っている。


 礼はノートを閉じた。


「……明日、六人に話そう」


「うん」


「ちゃんと」


「ああ」


 二人で椅子を片づける。


 リオが最後の一脚を壁際へ運びながら言った。


「腹減った」


「また?」


「またってなんだよ。昨日も今日も腹は減るだろ」


「それはそうだけど」


「何食う?」


「安いやつ」


「またかよ」


「登録制度ができても俺の金は増えないから」


「そこは王都に管理してもらえよ」


「何を?」


「礼の財布」


「絶対嫌だ」


 笑いながらランプを消した。



 翌日の夕方。


 礼とリオは、指導を待っている六人と向かい合っていた。


 場所は訓練場だった。


 六人の中には冒険者もいる。


 町で働いている者もいる。


 年齢も違う。


 共通しているのは、童力を感じることができたこと。


 そして、自分も学びたいと望んでいることだった。


 礼は王都の制度について説明した。


 まだ決まっていないこと。


 新しく教える場合、事前の届け出が必要になるかもしれないこと。


 だから、もう少し待ってほしいこと。


 話し終えると、一人の青年が聞いた。


「どのくらいですか?」


「……分からない」


「一か月?」


「分からない」


「半年?」


「それも」


 青年は少し俯いた。


「そうですか」


「ごめん」


「先生が謝ることじゃないですよ」


「でも、俺が待ってって言ってるから」


 別の男が聞いた。


「教えたら、先生が捕まるんですか?」


「いや」


「俺たちが?」


「違う。今は何の規則もない」


「じゃあ、なんで待つんです?」


 礼は答えるまで少し時間がかかった。


「……これ以上、話が悪くならないように」


「王都との?」


「うん」


 六人は互いを見る。


 誰かが納得したように頷いた。


 誰かはまだ不満そうだった。


 そして、一番端にいた少年が口を開いた。


「俺、魔力がほとんどないんです」


 礼はその子を見る。


 知っている。


 最初に測った。


 小さな火を出すことさえ難しい程度だった。


「だから、童力を感じたとき……嬉しかったんです」


「……うん」


「俺にもできることがあるんだって」


 礼の胸の奥が、わずかに痛んだ。


「待ちます」


 少年は言った。


「先生が、待ってくれって言うなら」


「…………」


「でも」


 少しだけ笑った。


「なくならないですよね?」


「え?」


「待ってる間に、童術を習えなくなったりしませんよね?」


 礼は答えようとした。


 大丈夫。


 そう言いかけた。


 けれど、言葉が出なかった。


 登録制度がどうなるのか。


 王都が何を決めるのか。


 ヴァルターにも分からない。


 礼にも分からない。


「……なくさないよ」


 代わりに、そう答えた。


 少年が笑った。


「じゃあ、待ちます」


 礼は頷いた。


 隣にいたリオは、何も言わなかった。



 その夜。


 ヴァルターは一人、執務室に残っていた。


 礼たちから聞いた意見を、自分の回答へ反映させていく。


 現住所――削除を要請。


 習得済童式――任意項目。


 実戦使用歴――登録情報から除外。


 主たる指導者――必要。


 新規教授――事前届け出には賛成。ただしギルドによる拒否権の有無を明確化すること。


 そして最後に、


『登録制度への参加を拒否した者の扱いについて』


 ヴァルターのペンが止まった。


 王都から届いた案には、その答えがなかった。


 登録することを前提に作られた制度。


 では、登録しない者はどうなるのか。


 何度読んでも書かれていない。


 ヴァルターは余白に一文を書き加えた。


『登録は任意か』


 少し考え、その下にもう一行。


『任意でない場合、未登録者に対し、いかなる制限を課す想定か』


 インクが乾くまで待つ。


 紙を折り、封筒へ入れた。


 封をする直前。


 ヴァルターはもう一度、その二行を読んだ。


 それから静かに封を閉じた。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

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