第六十四話 管理
王都から届いた文書について話したい。
ヴァルターからそう伝えられたのは、翌日の昼過ぎだった。
礼とリオは午前中の訓練を終え、遅い昼食を取ろうとしていたところだった。二人で何を食べるか話しているところへギルドの職員がやってきたため、リオは露骨に嫌そうな顔をした。
「飯のあとじゃ駄目なのか?」
「急ぎではないそうですが、できれば今日中に、と」
「じゃあ飯のあとで」
「リオ」
「腹減ってると頭回らないだろ」
それは礼も否定できなかった。
結局、二人は屋台で買った肉と野菜を挟んだパンを急いで食べてからギルドへ向かった。
ローデンの町は、いつもと変わらなかった。
大通りを荷馬車が行き交い、店先から客を呼ぶ声が聞こえる。冒険者らしい一団が武器屋から出てきて、向かいでは母親に手を引かれた子供が菓子をねだっていた。
数日前、エルンが子供を助けるために《童駆》を使ったのも、この辺りだった。
礼は何となく、その場所へ目を向けた。
「どうした?」
「いや。なんでもない」
歩き出す。
ギルドに入り、二階へ上がった。
グレイグが死んでから、この階段を上る回数が増えた気がする。
以前は呼び出されると少し緊張した。それでも扉の向こうにいる人物は分かっていたし、部屋へ入れば、面倒そうな顔をしたグレイグが待っていた。
今はヴァルターがいる。
それにも少しずつ慣れ始めていた。
扉を叩く。
「どうぞ」
中へ入ると、ヴァルターはすでに二人分の椅子を用意していた。
「お時間をいただき、ありがとうございます」
「いえ」
「昼飯の途中じゃなくて助かりました」
リオが言う。
ヴァルターが眼鏡越しにリオを見る。
「それは何よりです」
「そこ真面目に返すんですね」
「冗談でしたか?」
「半分くらい」
礼は少し笑いながら椅子へ座った。
けれど、机の上に置かれた一通の文書を見て、笑みは自然と消えた。
王都中央ギルドの印章がある。
「こちらです」
ヴァルターは文書を二人の前へ滑らせた。
「昨日の夜、王都から届きました」
礼はリオと一緒に紙を覗き込んだ。
書かれている文章は長い。
童術という新たな技術の拡大。
既存の魔法体系との相違。
使用者数の増加。
事故発生時の責任所在。
そのような言葉が並んでいる。
礼は途中で何度か読み直した。
そして、一つの文章で目が止まった。
『童術使用者に対する正式登録制度の整備について、準備を開始するものとする』
「……正式登録?」
リオが先に口にした。
「はい」
「何を登録するんですか?」
「まだ決定していません」
ヴァルターは答えた。
「文書にある通り、現段階では制度そのものを整備するための準備です。氏名、年齢、所属、童術使用の有無。この辺りは候補になるでしょうが、正式な様式は私にも知らされていません」
礼は文書から顔を上げた。
「俺たち二十二人が対象ですか?」
「制度が実施されるのであれば、おそらく」
「断れるんですか?」
ヴァルターは少しだけ間を置いた。
「現時点では、登録制度そのものが存在していません」
「始まったら?」
礼が続ける。
「内容を確認してから判断します」
「ヴァルターさんが?」
「ローデンのギルド長として、です」
礼は再び紙へ目を落とした。
まだ何も決まっていない。
それは分かる。
けれど、何かが決まり始めている。
「ヴァルターさん」
「はい」
「ヴァルターさん自身は、どう思ってるんですか?」
「何についてでしょう」
「俺たちを登録することです」
ヴァルターはすぐには答えなかった。
机の上で両手を組み、しばらく礼を見ていた。
やがて、静かに口を開く。
「必要だと考えています」
礼の指が、文書の端で止まった。
隣のリオもヴァルターを見る。
「……必要?」
「はい」
ヴァルターは二人の反応を見ても、言葉を変えなかった。
「正確に言えば、童術が今後も広がり続けるのであれば、何らかの制度は必要になると考えています」
「どうしてですか」
「増えているからです」
簡潔な答えだった。
「当初、童術を使用できたのは如月さん、あなただけだったと聞いています」
「はい」
「次にリオさんが学んだ」
「そうです」
「現在は二十二人。そして――」
ヴァルターは机の端に置かれていた一枚の報告書へ視線を向けた。
「マルクさんへ《童衣》を教えたのは、あなたではない」
礼は黙った。
「ハインさんですね」
「……はい」
「つまり現在の童術は、如月礼という一人の人物からのみ伝わる技術ではない」
ヴァルターは淡々と話している。
責めるような口調ではない。
「あなたが明日、誰にも童術を教えないと決めたとしても、リオさんが教えることができる。ハインさんも教えられる。いずれマルクさんも、誰かへ教えるようになるかもしれない」
昨日までなら、礼はその言葉を嬉しいと思っただろう。
実際、マルクがハインから《童衣》を教わっている姿を見て、嬉しかった。
自分がいなくても残る。
自分一人のものではなくなっていく。
それは、ずっと望んでいたことだった。
「私は、あなたを信用できないと言っているわけではありません」
ヴァルターが続けた。
「少なくとも、これまでの記録を見る限り、あなたが無差別に人を傷つけるために童術を作ったとは考えていません」
「じゃあ……」
「ですが」
ヴァルターの声は変わらなかった。
「百人目も同じだと、あなたは保証できますか?」
礼は答えられなかった。
「千人目は?」
「…………」
「あなたの顔を知らない人間が童術を学ぶようになったとき、その者が何のために使うのか。誰が確認するのでしょう」
どこかで聞いたような話だった。
礼はすぐに思い出した。
グレイグだ。
――お前一人を信用することと、お前が作った力がこれからどう使われるかは別の話だからだ。
あの人も、同じことを言っていた。
「……グレイグさんも」
礼が呟く。
「はい?」
「似たようなこと言ってました」
ヴァルターは少し目を伏せた。
「そうでしょうね」
「知ってるんですか?」
「彼の残した記録を読みました。それに、私が彼の立場でも同じ問題を考えます」
「でも、グレイグさんは名簿を渡さなかった」
「はい」
「ヴァルターさんは違う?」
部屋が静かになった。
窓の外から、遠くを走る荷馬車の音が聞こえた。
「考え方が同じであれば、同じ結論に至るとは限りません」
ヴァルターは言った。
「グレイグ氏には、グレイグ氏の答えがあったのでしょう」
「ヴァルターさんの答えは?」
「制度です」
迷いのない返事だった。
「人が変わっても残るものが必要だと、私は考えます」
礼は何も言わなかった。
グレイグがいなくなった今だからこそ、その言葉は妙に重く聞こえた。
「一つ、聞いていいですか」
しばらくして礼が言った。
「どうぞ」
「ヴァルターさんは、俺たちを管理したいんですか?」
リオが礼を見る。
少し強い言い方だったかもしれない。
それでもヴァルターは気分を害した様子を見せなかった。
「はい」
また、迷わなかった。
礼は思わず眉を寄せた。
「……そうなんだ」
「ただし、あなた方だけではありません」
ヴァルターは続ける。
「冒険者には等級があります。依頼にも危険度による区分がある。魔物の素材には取引を制限されているものがあり、危険な薬品にも規則があります。魔法についても、町中で無制限に使用してよいわけではない」
「だから童術も?」
「人を傷つける力を持つ以上は」
「でも、童術は人を助けることもできます」
「もちろんです」
ヴァルターは否定しなかった。
「マルクさんがそうしたように」
礼は少し驚いた。
「知ってるんですか」
「報告書を読みましたから」
「あ……」
「だからこそです。如月さん」
ヴァルターは机の上の紙へ手を置いた。
「管理という言葉を、禁止と同じ意味で使ってはいません」
「……管理されないと、使っちゃいけないってことじゃない?」
「私は、そう言っていません」
「今は?」
リオが聞いた。
ヴァルターの視線がリオへ移る。
「今は、です」
その答えに、礼は少しだけ胸の奥が重くなった。
ヴァルターは嘘をつかなかった。
だからこそ、その言葉を軽く受け流すこともできなかった。
「もう一つあります」
ヴァルターが別の紙を取り出した。
「登録制度を検討するにあたり、王都から照会を求められています」
「照会?」
礼が紙を受け取る。
そこにはいくつかの項目が並んでいた。
『現在確認されている童術の種類』
『各術式の効果』
『想定される危険性』
『習得条件』
『指導方法』
礼は最後まで読んだ。
もう一度、上から読む。
「……これ」
「はい」
「全部、答えるんですか?」
「王都は回答を求めています」
「なんで、そこまで話さないといけないんですか」
礼の声が少し低くなった。
「名前だけじゃない。何ができるかも、どうやって覚えるかも、全部ですよね」
「私も、すべてを回答する必要があるとは考えていません」
礼が顔を上げた。
「え?」
「制度を作るために必要な情報と、技術そのものを再現するための情報は別です」
リオが紙を取った。
「……じゃあ、どこまで?」
「それを、お二人と相談したい」
ヴァルターはペンを取った。
「私の考えでは、何ができるのか。その危険性はどの程度なのか。そこまでは必要です」
「やり方は?」
「必要ありません」
「指導方法も?」
「少なくとも、現段階では回答すべきではないと考えます」
礼とリオは顔を見合わせた。
「俺も、それなら」
リオが先に言った。
「何ができるかくらいは話していいと思う」
「でも」
「礼。名前と効果聞いただけで使えるなら、俺たち三年もこんなことやってないだろ」
「……それはそうだけど」
「俺たちだって、まだ分かってないことだらけだしな」
リオは紙を机へ戻した。
「何ができるかと、どうやるか。それは分けた方がいい」
礼は少し考えた。
それなら、納得できる。
「……分かりました」
ヴァルターが新しい紙を用意した。
「では、確認させてください」
ペン先が紙へ触れる。
「現在、体系化されている童術はいくつありますか」
「六つです」
「名称は?」
礼は一つずつ答えた。
「第一童式《童駆》」
「効果は?」
「脚を中心に童力を集中させて、移動速度を上げます」
「戦闘以外での使用は?」
「あります。急いで移動するときとか、人を助けるときとか」
「先日の子供の件ですね」
「はい。エルンが使いました」
ヴァルターが書き込む。
「第二は?」
「第二童式《童撃》。腕とか脚に童力を集めて、打撃を強くします」
「危険性は?」
礼は少し黙った。
「あります」
「具体的には?」
「人に使えば、普通に怪我します。出力を上げすぎれば……もっと酷くなると思います」
「最大出力での対人使用は?」
「させてません」
「理由は?」
「危ないからです」
テオの事故については、すでにヴァルターも知っている。
それ以上の説明は必要なかった。
「第三」
「《童衣》。全身に童力を巡らせます」
「身体能力の強化?」
「それもあります。攻撃を受けたときの防御にも使えます」
「マルクさんが木材を受け止めたものですね」
「はい」
ヴァルターのペンが進む。
「第四」
「《童閃》です」
「効果は?」
「武器に童力をまとわせます」
「剣に?」
「剣だけじゃないです」
今度はリオが答えた。
「俺は矢に使ってます」
「弓ではなく、矢そのものに?」
「両方できます。でも撃つなら矢を強くした方が使いやすいです」
「なるほど」
ヴァルターが記録する。
そこまでは、淡々と進んだ。
「第五」
礼は少し息を吸った。
「第五童式《童貞破》」
ヴァルターのペンが、ほんの一瞬だけ止まった。
だが、名前について何か言うことはなかった。
「効果は?」
「童力を圧縮して、外に放出します」
「攻撃用ですね」
「基本的には」
「威力は?」
礼は答えなかった。
ヴァルターが顔を上げる。
「如月さん?」
「……それも、話さないといけないんですか?」
先ほどとは違う。
技の存在ではない。
どこまで壊せるのか。
それを伝えることは、自分たちが持っている力の限界を教えることでもある。
ヴァルターも、その意味に気づいたらしい。
「最大出力については、回答しないことにしましょう」
「いいんですか?」
「制度上必要なのは、危険性があるかどうかです。正確な最大出力まで提出する必要はないと、私は考えます」
紙には短く、
『高威力の放出型童術。攻撃用途。対人使用には重大な危険性あり』
とだけ記された。
「第六」
「《童癒》」
「治療ですか?」
「はい」
ヴァルターのペンが止まらずに動く。
「どの程度まで?」
「出血を止めたり、痛みを抑えたり。傷の治りを早くすることもできます」
「欠損した部位の再生は?」
「分かりません」
「病気は?」
「分かりません」
「毒物に対しては?」
「試してません」
ヴァルターが何かを書きかけた。
「待ってください」
「はい?」
「できない、じゃないです」
礼は紙を見る。
「分からない、です」
ヴァルターが礼を見る。
「まだ試してないだけかもしれない。できないって決まったわけじゃないから」
「……なるほど」
ヴァルターは書きかけた文字に線を引いた。
『効果不明』
そう書き直す。
「これで六つですね」
「はい」
ヴァルターは紙を見直した。
第一から第六。
六つの童式。
礼とリオが何年もかけて、失敗しながら作ってきたものが、数行ずつの文章になって並んでいる。
妙な感じがした。
「……確認ですが」
ヴァルターが言った。
「先ほど、“体系化されているのは六つ”と仰いましたね」
礼の視線が止まった。
リオと目が合う。
「体系化されていないものがあるのですか?」
礼は少し迷った。
嘘をつく理由はない。
けれど、どこまで話すべきなのか。
リオが小さく頷いた。
「……あります」
ヴァルターがペンを構える。
「どのようなものですか?」
「まだ童式じゃありません」
「分かっています。現在確認されている現象だけで構いません」
礼は一度、息を吐いた。
「武器を作ります」
ペン先が止まった。
「……武器?」
「はい」
ヴァルターは、初めて聞き返した。
「第四のように、武器を強化するという意味でしょうか」
「違います」
「では、既存の武器を複製する?」
「それも違うと思います」
「思う?」
「まだ分からないことが多いんです」
礼は自分の手を見る。
あの日。
鉱山で剣が折れた。
必要だと思った。
その直後、自分の手には存在しなかったはずの剣があった。
「何もないところから、武器そのものを作ります」
ヴァルターは何も書かなかった。
数秒の沈黙。
これまで第一から第六まで、質問をしながらほとんど途切れることなく動いていたペンが、完全に止まっていた。
「……確認させてください」
「はい」
「どこかに保管されている武器を呼び寄せている可能性は?」
「分かりません」
「形成された武器には触れられる?」
「触れます」
「重量は?」
「あります」
「実際に使用できる?」
「できます」
「これまでに形成したものは?」
「剣です」
「何本?」
「一度に一本」
「他の武器は?」
「まだ成功してません」
「他の童術師は?」
「できません。今のところ、俺だけです」
ヴァルターはしばらく黙った。
「使用後、その剣は?」
「消えました」
「どの程度で?」
「正確には測ってません」
「形成に必要な材料は?」
「使ってません」
「魔力は?」
「ほとんど使ってないと思います」
ヴァルターが眼鏡を外した。
眉間を指で押さえる。
リオが礼の方へ少し顔を寄せた。
「驚いてるな」
「聞こえるよ」
「聞こえるように言った」
「リオさん」
ヴァルターが顔を上げる。
「はい」
「驚いています」
「ですよね」
眼鏡をかけ直す。
「私は魔術研究者ではありません。しかし、少なくとも今のお話が事実であれば、第一から第六までとは性質が異なるように思えます」
「俺たちもそう思ってます」
礼が答えた。
「だから、まだ童式にはしてません」
「再現性がないから?」
「それもあります。俺自身、ちゃんと説明できないからです」
「名称は?」
「ありません」
横でリオが口を開く。
「白紙ならありますけど」
「リオ」
「白紙?」
ヴァルターが聞き返した。
「六枚の童式の紙の横に、こいつが一枚置いてるんです」
「リオが置いたんじゃん」
「場所取りな」
「それ言わなくていいから」
「七番目になるかもしれないから空けてるだけだろ」
「だから、それが恥ずかしいんだって」
「何が恥ずかしいんだよ」
ヴァルターは二人を交互に見た。
「……仲が良いのですね」
「今そこですか?」
礼が思わず言う。
リオが吹き出した。
張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。
ヴァルターも小さく息を吐くと、ようやくペンを動かした。
『未体系現象――武器形成』
それだけを書いた。
「それだけですか?」
「現時点で、それ以上何を書けばいいのでしょう」
「……ないです」
「では、それだけです」
ヴァルターは一度ペンを置いた。
「ただし」
礼が顔を上げる。
「これが今後、安定して再現できるようになった場合は、改めて話を聞かせてください」
「どうしてですか?」
「武器を所持している人間と、武器そのものを作り出せる人間では、同じ規則を適用できない可能性があるからです」
礼は意味を考えた。
「たとえば、ギルド内へ武器を持ち込むことを禁止したとします」
「はい」
「剣を持っている人間なら、入口で預ければいい。しかし、あなたが中で剣を作れるなら?」
「……意味がない」
「そういうことです」
ヴァルターは『武器形成』の文字を見た。
「今は一本の剣だけなのでしょう」
「はい」
「ですから、今は研究中の現象として記録します。それ以上の扱いを決める必要はないと考えます」
「……分かりました」
礼は頷いた。
けれど、その紙を見ながら、少しだけ落ち着かない気持ちになった。
昨日まで、白紙の横でリオと考えていたもの。
まだ名前すらないもの。
それが今、王都へ送られる文書の中では『武器形成』という四文字になろうとしていた。
訓練場へ戻ると、いつもの音が聞こえてきた。
木剣がぶつかる音。
誰かが地面を蹴る音。
失敗して悪態をつく声。
笑い声。
「もう一回!」
エルンが木剣を構えていた。
剣身を覆っていた童力が途中で消えたらしい。
「今のは手に集めすぎ!」
リオが戻るなり声をかける。
「分かってます!」
「分かってる奴は三回連続で同じ失敗しない!」
「リオさん厳しくないですか!?」
「礼が甘いんだよ!」
「俺のせい?」
訓練場の奥では、ハインがマルクの《童衣》を見ている。
バルトは壁際で、例の石を握っていた。
ノアとディンは何か言い合いながら、互いの構えを直している。
礼は入口で足を止めた。
――管理。
ヴァルターが言った言葉を思い出す。
王都の文書に書かれていたのは、童術使用者。
けれど礼の目の前にいるのは、そんな名前の集団ではなかった。
ハイン。
マルク。
エルン。
バルト。
ノア。
ディン。
それぞれが違う理由でここにいる。
それぞれが違う使い方をしている。
「礼?」
リオが振り返った。
「どうした?」
「……今日、みんなに話そう」
リオは礼の顔を見て、それ以上は聞かなかった。
「ああ」
短く頷いた。
その日の訓練が終わったあと、礼は帰ろうとする皆を引き止めた。
二十二人全員が揃っていたわけではない。
依頼に出ている者もいれば、仕事の都合で来られない者もいる。
だから礼は最初に言った。
「今日いない人にも、同じことを伝えてほしい。俺からも話す」
何事かと、皆が礼を見る。
礼は王都から正式登録制度の準備について連絡が来たことを話した。
まだ制度は存在しないこと。
何を登録するのかも決まっていないこと。
ヴァルター自身は、童術が広がるなら何らかの制度が必要だと考えていること。
そして――第一から第六までの童式について、効果と危険性を説明したこと。
「……第五も?」
バルトが聞いた。
「うん」
「《童貞破》も?」
「名前と、圧縮した童力を放出する技だってことだけ。最大出力は話してない」
「第六は?」
「治療に使えること。分からないことは分からないって伝えた」
「なんでそこまで話す必要がある?」
バルトの声に怒気はなかった。
だが、以前より表情は硬かった。
「俺も聞いた」
礼は答えた。
「ヴァルターさんに?」
「うん」
「なんて?」
「制度を作るなら、何ができる力なのかは知る必要があるって」
「それで納得したのか?」
礼は少し考えた。
「全部はしてない」
バルトが黙る。
「だから、やり方は話してない。童力をどう回すかも、どう教えるかも、第五をどう圧縮するかも話してない」
「向こうは、それで納得した?」
「ヴァルターさんは」
礼は、そこを曖昧にしなかった。
「王都がどう思うかは、まだ分からない」
別の男が手を上げた。
「登録って、しなきゃいけないんですか?」
「まだ分からない」
「しなかったら童術を使えなくなる?」
「それも分からない」
「何が登録されるんです?」
「決まってない」
「王都に行かないといけないんですか?」
「分からない」
質問されるたび、礼は同じ言葉を繰り返した。
分からない。
以前なら、それが情けなく感じたかもしれない。
先生と呼ばれているのに。
童術を作ったのは自分なのに。
何も答えられない。
けれど今は、分からないことを分かったふりはしたくなかった。
「俺は、登録してもいいと思います」
ハインが言った。
何人かが彼を見る。
「内容によりますけど。今までみたいに普通に依頼を受けられて、変な扱いをされなくなるなら」
「俺は嫌だ」
バルトがすぐに言う。
「王都は俺たちの名前を勝手に調べてた。今度は正式に登録させろ? 順番がおかしい」
「でも、登録しなかったら余計怪しまれないか?」
別の者が言った。
「怪しまれないために登録するのか?」
「そういう意味じゃない」
「じゃあどういう意味だよ」
「喧嘩するなって」
ディンが二人の間に声を挟む。
「俺は、何を登録するか見てからでいいと思う。名前と所属だけなら別にいい。でも、使える童式とか、どこまで使えるとかまで全部書けって言われたら嫌だ」
「俺も」
「私は登録した方がいいと思う」
「王都を信用できるのか?」
「ヴァルターさんは話を聞いてくれてるだろ」
「ヴァルターさんと王都は同じじゃない」
声が重なり始める。
怒鳴り合いではない。
けれど、同じ意見でもなかった。
礼はその声を聞いていた。
少し前までなら、どうまとめればいいのか考えただろう。
全員が納得する答えを、自分が出さなければならないと思ったかもしれない。
でも今は違った。
「先生は?」
誰かが聞いた。
声が少しずつ止まる。
「先生は、登録するんですか?」
全員の視線が礼へ集まった。
礼はすぐには答えなかった。
リオが少し離れたところに立っている。
何も言わない。
ただ、礼を見ていた。
「……俺は」
礼は皆を見回した。
「まだ決めない」
誰かが少し驚いた顔をした。
「内容が分からないからっていうのもある。でも、それだけじゃなくて」
礼は一度、言葉を探した。
「俺が登録していいと思ったからって、みんながそう思うわけじゃないって分かったから」
バルトを見る。
ハインを見る。
マルクを見る。
ここにいない者たちの顔も思い浮かべた。
「だから、ちゃんと内容が出たら、またみんなで話したい」
「でも、最後に決めるのは先生じゃないんですか?」
「違うよ」
礼は首を横に振った。
「自分が登録するかどうかは、自分で決める」
少しだけ間を置く。
「……決められるなら、だけど」
その一言で、部屋が静かになった。
登録が任意なのか。
拒否できるのか。
まだ誰も知らない。
それでも礼は続けた。
「少なくとも、俺がみんなの分まで勝手に決めることはしない」
リオがほんの少し笑った。
礼はそれに気づいた。
「何?」
「いや」
「なんだよ」
「別に」
リオは笑ったまま首を振った。
話し合いが終わったあと、礼は一人ずつ名前を書いた。
登録のためではない。
今日聞いたことを忘れないためだった。
『ハイン――内容次第。正式に認められるなら登録に前向き』
『バルト――反対。王都による事前調査への不信』
『ディン――登録内容を確認してから』
『マルク――まだ分からない』
他にも、聞けた者の名前と考えを書いていく。
賛成。
反対。
分からない。
どちらでもいい。
同じものは一つとしてなかった。
リオが隣から覗き込む。
「また記録してる」
「忘れたくないから」
「二十二人分?」
「うん」
「大変だぞ」
「二十二人いるんだから仕方ないじゃん」
リオが少し笑った。
「そうだな」
礼は次の名前を書いた。
王都も、彼らの名前を記録している。
礼も、同じ名前を紙に書いている。
けれど礼が書き残したかったのは、その名前の横にある一人一人の考えだった。
最後まで書き終えるころには、訓練場に残っているのは二人だけになっていた。
「帰るか」
「うん」
礼は紙をノートへ挟んだ。
机の向こうには、六枚の童式が並んでいる。
その隣には、まだ何も書かれていない一枚の紙があった。
礼はそれを一度だけ見てから、ランプの火を消した。
二人で外へ出る。
夜の通りには、まだいくつもの店の明かりが残っていた。
「今日こそ、ちょっといいもの食わない?」
礼が言う。
「なんで?」
「疲れた」
「理由になってないだろ」
「頭使ったから腹減った」
「じゃあ礼の奢りな」
「なんでだよ」
そんな話をしながら、二人は明るい通りの方へ歩いていった。
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