第五十六話 知られている
名前のない七枚目の紙が、六つの《童式》の隣に置かれてから三日が経った。
まだ、その紙には何も書かれていない。
礼とリオは毎日のように武器形成の再現を試していたが、分かったことよりも、分からないことの方が多かった。短剣ほどの大きさなら以前より安定して作れるようになったものの、長い剣になると途端に形が崩れる。柄だけが妙に太くなったり、刃が途中で細くなったり、ひどいときには剣と呼んでいいのか迷うものまで出来上がった。
その日の朝も、礼は訓練場の片隅で右手に一本の剣を握っていた。
見た目だけなら、昨日よりは剣らしい。
問題は刃だった。
「……曲がってるな」
礼の正面に立ったリオが、真顔で言った。
「分かってる」
「昨日より曲がってない?」
「今日はちょっと疲れてるんだよ」
「疲れると剣が曲がるのか」
「俺だって初めて知ったよ」
礼は不満そうに剣を持ち上げた。
先端へ向かうにつれて、刃が僅かに左へ逸れている。鍔も左右で大きさが違い、柄に至っては握る場所によって太さまで変わっていた。
鉄剣なら鍛冶屋へ持っていけば怒られそうな出来だった。
「でも、昨日より長く保ててる」
礼が言うと、リオは剣ではなく礼の顔を見た。
「童力は?」
「まだ大丈夫」
「じゃあ昨日よりは進歩してるか」
「最初からそう言ってよ」
「曲がってるのは事実だろ」
言い返そうとしたところで、礼の手の中にあった剣が僅かに揺らいだ。
集中が切れたらしい。
刃の先から輪郭が薄くなり、朝の光へ溶けるように消えていく。最後には柄まで消え、礼の右手だけが宙に残った。
礼は掌を開いた。
何度見ても不思議だった。
ほんの少し前まで確かに重さがあった。握った感触も残っている。それなのに、消えてしまえば欠片一つ残らない。
「もう一回やっていい?」
「駄目」
「まだ一回しか――」
「昨日、終わったあとふらついてただろ」
「あれはちょっと立つのが早かっただけ」
「同じことだ」
リオは机の上に広げていた記録へ視線を戻した。
礼はもう一度右手を伸ばしかけたが、諦める。
最近、リオはこの手のことに妙に厳しくなった。
研究を始めた頃は、礼が倒れるまで試してから二人で反省していたはずなのに、今では礼が限界まで試そうとすると先に止められる。
「……俺より俺の限界に詳しくない?」
「三年も見てるからな」
「俺も自分のこと三年見てるけど」
「お前は信用ならない」
「ひどい」
リオが笑う。
礼もつられて笑ったところで、訓練場の入口から二人を呼ぶ声がした。
「如月礼、リオ。いるか?」
振り返ると、ギルドの職員が立っていた。
「います」
「ギルド長が呼んでいる。二人とも、今から来られるか?」
礼とリオは顔を見合わせた。
呼び出される理由に心当たりはない。
少なくとも、礼にはなかった。
「何かした?」
リオが小声で聞いてくる。
「なんで俺を見るの?」
「最近、変なことしてるのお前だろ」
「剣作ってるだけじゃん」
「それを変って言うんだよ」
「グレイグさんにはまだ言ってないよ」
「だったら今は黙っとこう」
「なんで?」
「絶対話が長くなる」
それについては、礼も否定できなかった。
◇
ギルド長室へ入った瞬間、礼は以前より部屋が狭くなったような気がした。
実際に広さが変わったわけではない。
書類が増えていた。
机の上だけでは収まらず、壁際の棚にも紙束が積み上げられている。依頼書や報告書に混じって、見慣れない封蝋のついた封筒がいくつか置かれていた。
グレイグはその書類の向こうに座っていた。
「来たか。座れ」
いつもの声だった。
だが、礼にはどことなく疲れて聞こえた。
リオと並んで椅子へ座る。
「何かありましたか?」
グレイグはすぐには答えなかった。
手にしていた紙を伏せ、机の上で両手を組む。それから礼とリオを順番に見た。
「最近、訓練場の周辺で見慣れない人間を見なかったか」
「見慣れない人?」
「訓練を眺めていた者でもいい。童術について聞いてきた者はいないか」
礼は記憶を辿った。
訓練場を見ていく人間なら珍しくない。
童術が知られるようになってから、興味本位で足を止める者は増えた。冒険者もいれば、町の住人もいる。子供が柵の外から眺めていたこともあった。
その中から特定の誰かを思い出せと言われても難しかった。
「俺は……特には」
「俺たちじゃないですけど」
隣でリオが言った。
「前にノアとディンが、知らない人間から声かけられてます」
グレイグの目がわずかに細くなる。
「何を聞かれた」
「童術を使える人間が何人いるのかとか、どういう訓練をしてるのかとか。礼が全員に教えてるのか、とかだったと思います」
「相手の名前は?」
「聞いてないです」
「あ」
礼も一つ思い出した。
「エルンもあります」
「エルン?」
「市場で知らない人から童術の話を聞いてたんです。背が高くて、灰色の外套を着てたって」
「いつだ」
「エルンがここへ来たばかりの頃です」
グレイグはそれ以上尋ねず、椅子へ深く背を預けた。
その沈黙が妙に長かった。
礼は机の上の封筒へ目をやった。
「……何かあったんですか?」
グレイグは一度目を伏せた。
やがて引き出しを開け、一通の書簡を取り出す。
「マルクが正式に訓練を始めたのは、いつだ」
「八日前です」
リオが答えた。
「ギルドへ相談が来たのは、その前日だ」
「はい」
「礼。お前は訓練が始まるまで知らなかったそうだな」
「……はい」
改めて言われると、少しだけ恥ずかしい。
「俺、あとから知りました」
「そうか」
グレイグは手にしていた書簡を机へ置いた。
礼からは文面までは読めない。
「これは、マルクが訓練を始めた翌日に届いた」
「何ですか、それ」
「以前から童術について問い合わせてきている者からだ」
「以前から?」
礼は思わず聞き返した。
初めて聞く話だった。
リオも同じだったらしく、机の上の書簡を見ている。
「何て書いてあるんですか?」
グレイグはしばらく答えなかった。
指先で書簡の端を押さえる。
「童術を扱う者が二十二名へ増えたことを確認している、とある」
礼はすぐには意味を理解できなかった。
「……二十二?」
「ああ」
「マルクを入れて?」
「そうだ」
背中に、ぞわりとしたものが走った。
マルクが訓練を始めた日の朝、礼は彼の名前さえ知らなかった。
ハインから教わる姿を見て、ようやく二十二人目が増えたことを知った。
それなのに。
「……なんで?」
礼の視線が、机の上の書簡へ落ちた。
「ギルドから教えたんですか?」
「教えていない」
グレイグは即座に否定した。
「名簿も、新しく訓練を始めた者の情報も、外へ渡したことはない」
「じゃあ、どうやって……」
「それを調べている」
部屋が静かになった。
窓の外から、遠くで荷車が通る音が聞こえる。
「ギルドの中から情報が漏れた可能性も確認した。今のところ、その形跡はない」
礼は考えた。
誰かがマルクを知っていた。
名前だけではない。
彼が童術を学び始めたことまで知っていた。
「外から見てたんじゃないですか」
リオが言った。
礼が横を見る。
「訓練場を?」
「それだけじゃないかもしれないけどな」
リオは腕を組んだ。
「誰が出入りしてるか見てれば分かるだろ。マルクは今まで訓練場にいなかった。仕事着のまま来ることもある。毎日じゃなくても、何日か見てれば……」
「数えられる」
グレイグが静かに言った。
礼はその言葉を聞いた瞬間、数日前の夜を思い出した。
机に広げたノート。
『童術使用者――二十二名』
一万人になったらどうする。
そんな話をリオとして、笑った。
自分たちだけの話だと思っていた。
けれど同じ数字を、知らない誰かも見ていた。
「……何のために?」
「分からん」
グレイグの答えは短かった。
そして、少し間を置いて続ける。
「だから、しばらく新しい人間への童術の教授を止めてほしい」
礼は顔を上げた。
「……え?」
「今いる二十二人については、これまで通りでいい。訓練も依頼も制限しない。だが、新しく教え始めるのは待て」
さっきまで感じていた薄気味悪さが、一瞬だけ別の感情に押し流された。
「どうしてですか」
「今説明しただろう」
「誰かが見てるから?」
「誰が、何の目的で見ているのか分からないからだ」
「でも、それと教えることに何の関係があるんですか」
「関係があるかもしれん」
「ないかもしれない」
言ってから、礼は自分の声が強くなっていることに気づいた。
それでも止められなかった。
「だから確認する時間が必要なんだ」
「どれくらいですか」
「まだ分からん」
「三日とか?」
「今回は約束できない」
「一週間?」
「礼」
「一か月ですか?」
「分からん」
グレイグの声にも硬さが混じった。
「じゃあ、いつまで待てばいいんですか」
「それを今調べている」
「誰かも分からない人が俺たちを見るのをやめるまで?」
「そういう話ではない」
「だったら――」
「分からないから止めろと言っている!」
声が部屋を打った。
礼は言葉を失った。
グレイグが怒鳴るところを、ほとんど見たことがない。
リオも黙っていた。
しばらくして、グレイグは眉間を指で押さえた。
「……悪い」
大きく息を吐く。
「だが、今までとは違う。分からないことが多すぎる」
「俺たちだって分かりません」
「だからだ」
グレイグは礼を見た。
「お前は、分からなければ試す。やってみて、駄目なら直す。そうして童術を作ってきたんだろう」
「……はい」
「俺は違う」
グレイグの指が、机の上の書簡を軽く叩いた。
「何が起きるか分からないなら、一度止めて確かめる。それが俺の仕事だ」
礼は反論できなかった。
言われてみれば、その通りだった。
分からないから試した。
失敗すれば記録した。
危険なら、危険でなくなる方法を考えた。
礼とリオはずっとそうやってきた。
けれど、グレイグが扱っているのは童力そのものではない。
人間だ。
「でも……」
エルンの顔が浮かんだ。
『俺、何か駄目でした?』
あのときは、違うと言えた。
エルンは何も悪くない。
もし明日、また同じような人間が現れたら。
「教えてほしいって人が来たら、何て言えばいいんですか」
「待ってもらえ」
「いつまでか分からないのに?」
「そうだ」
「その人は何も悪くないのに?」
グレイグの顔が僅かに曇った。
「分かっている」
「じゃあ――」
「礼」
リオの声だった。
礼が振り向く。
リオは礼ではなく、グレイグを見ていた。
「俺たちに言ってないこと、ありますよね」
グレイグの表情が止まった。
「何の話だ」
「エルンのときもそうだった」
リオの視線が、机の端に積まれた封筒へ向かう。
「三日待ってくれって言いましたよね。結局教えていいことになった。でも、あの三日で何をしてたのか、俺たちは知らない」
「必要な確認をしていた」
「誰と?」
返事はなかった。
リオは責めるような口調ではなかった。
ただ、確かめるように言葉を重ねた。
「最近、書類も増えてますよね」
「ギルド長なら珍しいことじゃない」
「俺、何度かここに来てます」
グレイグがリオを見る。
「前からこんなにありました?」
礼も机を見た。
見慣れない封蝋。
以前にも見た。
グレイグはいつも、礼たちがいるときにはそれを開こうとしなかった。
「……俺たちのことなんですか?」
礼が尋ねた。
沈黙が返ってきた。
それだけで分かった。
「誰なんですか」
「今は話せん」
「なんで?」
「話してどうする」
「どうするって……俺たちのことでしょ?」
「そうだ」
「だったら知りたいです」
グレイグは一度、礼から目を逸らした。
「知ることで状況が良くなるとは限らん」
胸の奥が熱くなった。
エルンのときにも感じたものだった。
自分たちのことなのに、自分たちの知らないところで話が進んでいく。
「俺たちのことなのに?」
「礼」
「俺たちが誰に教えるかも、俺たちのことを誰が調べてるのかも、俺たちには教えてもらえないんですか」
「そういう話ではない」
「俺にはそう見えます」
グレイグの眉間に深い皺が刻まれた。
「なら、お前にすべて話せば何ができる」
「少なくとも、何も知らないよりは――」
「相手が分かったら会いに行くのか」
礼の言葉が止まった。
「何を調べているのか問いただすのか。二十二人全員に知らせるのか。それとも、全員を連れて町を出るか」
「それは……」
「お前は二十二人全員を守れるのか」
「守ります」
考えるより先に答えていた。
グレイグの掌が机を叩いた。
「そういう意味じゃない!」
積まれていた紙が僅かに揺れた。
礼の肩も跳ねた。
「何か起きたら自分が前へ出ればいい。足りなければもっと強くなればいい。お前はいつもそう考える」
「そんなこと――」
「考えている」
否定しようとした。
だが、言葉が続かなかった。
グレイグは怒鳴らなかった。
ただ疲れた目で礼を見ていた。
「二十二人なら、お前一人でも目が届くかもしれん」
低い声だった。
「五十人になったらどうする」
礼は答えなかった。
「百人なら」
つい数日前、リオと笑って口にした数字だった。
「千人になったら、お前は千人全員の前に立つのか」
守ります。
さっきと同じ言葉を言えばいいはずだった。
なのに、口から出てこなかった。
千人の顔など想像できない。
二十二人ですら、一人ずつ見ていくのは簡単ではない。
それでも、危険な目に遭うなら助けたいと思った。
自分から始まったものだから。
自分が教えたから。
いや。
マルクは、自分が教えていない。
それでも守りたいと思った。
礼には、その気持ちのどこが間違っているのか分からなかった。
「そのたびに」
グレイグの声が落ちる。
「自分がもっと強くなればいいと、お前は言うのか」
礼は膝の上の拳を見つめた。
答えは出なかった。
「グレイグさん」
リオが静かに呼んだ。
「一つだけ確認させてください」
「何だ」
「新しく教えるのを止めるのは、ずっとじゃないんですよね」
「ああ」
「安全だと判断できたら戻す?」
「そのつもりだ」
「今いる二十二人は?」
「これまで通りだ。訓練も、通常の依頼も止めん。ただし周囲には注意しろ」
リオは小さく頷いた。
それから礼の腕を軽く叩いた。
「礼」
「……何」
「少し待とう」
「でも」
「分かってる」
リオの声は穏やかだった。
「俺だって全部納得したわけじゃない。でも今ここで言い合っても、分かることは増えないだろ」
礼はグレイグを見る。
敵意は感じなかった。
むしろ、怒っているというより疲れているように見えた。
「……できるだけ早くしてください」
「ああ」
「何か分かったら教えてください」
グレイグは少し間を置いた。
「話せることならな」
その答えだけは、最後まで好きになれなかった。
◇
ギルドを出ると、夕方のローデンはいつもと変わらない賑わいを見せていた。
仕事を終えた人々が通りを歩き、露店では店じまい前の呼び込みが続いている。どこかの家から夕食を作る匂いが漂い、子供たちが人の間を縫うように走り抜けていった。
礼はその光景を眺めながら歩いた。
いや。
眺めているつもりで、人の顔を見ていた。
旅装の男。
買い物袋を提げた女。
酒場へ向かう冒険者。
荷車を引く商人。
昨日までなら気にも留めなかった人々だった。
この中の誰かが、自分たちを見ているのかもしれない。
「……分かんねえな」
隣を歩いていたリオが呟いた。
「何が?」
「誰が見てるのか」
同じことを考えていたらしい。
「嫌だね」
「ああ」
礼は前を向いた。
「俺たち、そんなに危ないことしてるのかな」
「童貞から変な力が出る時点で、十分怪しいけどな」
「そういう意味じゃないよ」
「分かってる」
リオが笑った。
礼も少しだけ笑った。
けれど、さっきまでのようには笑えなかった。
「グレイグさん、何を隠してるんだろ」
「さあな」
「リオは前から気づいてた?」
「何かあるとは思ってた」
「言ってよ」
「確証なかったし。それに――」
リオは少し考えてから、後ろにあるギルドを振り返った。
「悪いこと隠してるようには見えなかったんだよな」
「じゃあ何?」
「それが分かったら苦労しねえよ」
「そっか」
「まあ、待とうぜ」
「……うん」
「納得してない顔だな」
「してないから」
「知ってる」
礼はもう一度、通りを見た。
ローデンは何も変わっていない。
パンの焼ける匂いも、子供の笑い声も、行き交う人々も。
変わったのは、自分の見方だけだった。
◇
夜が深くなり、ギルドから最後の職員が帰ったあとも、グレイグは一人で机に向かっていた。
昼間は礼たちに見せなかった書簡が、今は机の上に広げられている。
最初に届いたもの。
その次に届いたもの。
そして、二十二という数字が記された最新の書簡。
差出人の要求は、回を重ねるごとに具体的になっていた。
非登録者への教授を停止すること。
研究記録を提出すること。
童術を扱う者たちの情報を明らかにすること。
如月礼本人との面談の場を設けること。
グレイグはそのどれにも応じていない。
昼間、礼に新規の教授を止めろと言ったのは、外から命じられたからではなかった。
少なくとも、グレイグ自身はそのつもりだった。
二十二人目が訓練を始めた直後、その事実を外部の人間が把握していた。
誰が見ているのか。
どこまで知られているのか。
それすら分からない状況で人数だけを増やし続けることは、ギルド長として認められなかった。
グレイグは新しい紙を一枚取り、筆を走らせた。
新規習得者への教授は、状況を確認するまで一時的に保留する。
ただし、既存の二十二名について、活動や訓練を制限する理由はない。
そこまで書いて、手を止める。
少し離れた場所に置かれている名簿へ目を向けた。
十三人だった頃から保管しているものだ。
今では二十二人。
グレイグは再び紙へ視線を落とした。
名簿の提出には応じない。
研究記録の提出にも応じない。
如月礼本人との面談要求についても、従来通り拒否する。
最後の一文を書き終え、筆を置いた。
静かになった部屋で、自分の息だけが聞こえた。
昼間の礼の顔が浮かぶ。
『守ります』
迷いなく答えた。
何をどう守るのかも考えずに。
「……馬鹿が」
口から漏れた声は、誰にも聞かれなかった。
グレイグは書簡を畳んだ。
それから机の引き出しに鍵をかけ、部屋の灯りを消した。
外へ出ると、昼間の賑わいはすっかり消えていた。
大通りにはまだ酒場から漏れる灯りが残っているものの、一本脇へ入れば人通りは少ない。夜風が、酒と煙と湿った石畳の匂いを運んでくる。
グレイグは一人で家路を歩いた。
頭から仕事が離れない。
二十二人。
礼に言った五十人、百人、千人という数字。
千人になればどうする。
礼は答えなかった。
だがグレイグには、答えが分かるような気がしていた。
あの少年は、おそらく千人になっても同じことを言う。
守る、と。
できるかどうかではない。
自分がやらなければならないと思い込む。
それが、グレイグには危うく見えた。
「随分と、気にかけておられるのですね」
不意に声がした。
グレイグの足が止まった。
右手が反射的に腰へ向かう。
閉まった店の軒下に、人影があった。
男だった。
背は高い。
灰色の外套を羽織っている。
フードは下ろしていたが、その顔に見覚えはなかった。
「誰だ」
男は答えなかった。
暗がりから一歩だけ前へ出る。
「如月礼。リオ。そして、彼らから力を学んだ者たち」
グレイグの目が細くなった。
「何者だと聞いている」
「名乗るほどの者ではありません」
「なら失せろ」
グレイグは男から目を離さず、横を通り過ぎようとした。
「二十二名」
足が止まった。
背後から、静かな声が続く。
「随分と増えましたね」
グレイグはゆっくり振り返った。
昼間に礼へ見せた書簡が、頭をよぎる。
「……お前か」
男は笑わなかった。
「何のことでしょう」
「何が目的だ」
「目的?」
「とぼけるな。何のためにあいつらを調べている」
男は少しだけ首を傾けた。
「調べているわけではありません」
「なら、なぜ二十二人だと知っている」
「見れば分かります」
あまりにも平然とした答えだった。
グレイグの背筋に冷たいものが走った。
やはり。
名簿が漏れたわけではない。
こいつらは、自分たちで見ている。
「如月礼に近づくな」
グレイグは低く言った。
「他の連中にもだ」
「それは、ギルド長としての命令ですか?」
「忠告だ」
「私が何かしたと?」
「何もしていないから、今は忠告で済ませている」
男はしばらくグレイグを見ていた。
やがて小さく息を吐く。
「なるほど」
それだけだった。
男が背を向ける。
「待て」
グレイグが追おうとしたとき、大通りから数人の冒険者が笑いながら曲がってきた。
一瞬、視界が遮られる。
肩がぶつかりそうになり、グレイグは足を止めた。
「悪い、ギルド長!」
「……構わん」
冒険者たちを避け、すぐに前を見る。
灰色の外套は路地へ消えるところだった。
グレイグは走った。
角を曲がる。
誰もいない。
細い路地が二つに分かれ、その先にもいくつもの道が続いている。
足音すら聞こえなかった。
「……くそ」
吐き捨てる。
遠くではまだ酒場の笑い声が響いていた。
いつもと変わらないローデンの夜だった。
グレイグはしばらくその場に立っていたが、やがて来た道を戻り始めた。
家には向かわなかった。
再びギルドの鍵を開ける。
暗い建物へ入り、ギルド長室の灯りをつけた。
机の引き出しを開く。
二十二人の名前が記された名簿が、そこにある。
グレイグは手を伸ばしかけた。
その手を止める。
今さら確認する必要はなかった。
名簿はここにある。
鍵も壊されていない。
それでも、外の人間は二十二人だと知っていた。
グレイグは引き出しを閉め、もう一度鍵をかけた。
窓辺へ歩く。
夜のローデンを見下ろした。
宿の灯り。
酒場の灯り。
家々の窓から漏れる小さな明かり。
そのどこかに、さっきの男がいるのかもしれない。
あるいは、別の誰かが。
グレイグには分からなかった。
ただ、昼間までとは一つだけ違う。
書簡を書いている何者かは、遠くからローデンを眺めているわけではない。
すでにこの町を歩いている。
グレイグはしばらく窓の外を見ていた。
やがて机へ戻ると、先ほど封をしたばかりの返書を取り上げた。
封蝋を割る。
そして、新しい紙を一枚取り出した。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
少しでも「面白かった!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、ぜひ評価や感想をいただけると嬉しいです!
皆様からの評価や感想は、今後の執筆活動の大きな励みになります。
これからも『童貞にして最強』をよろしくお願いいたします!




