第五十三話 実戦
《童式》という呼び名が定められてから、およそ一か月が過ぎた。
朝の訓練場には、以前と変わらず童術師たちの声が響いている。だが、そこで交わされる言葉は少しずつ変わり始めていた。
「第二はまだ早い。先に第三を安定させろ。全身を回ってる童力が途中で切れてる」
「はい!」
「エルン、そっち見てやってくれ!」
「分かりました!」
訓練場の入口まで来た礼は、中へ入らずにしばらくその様子を眺めていた。
中央ではハインが、全身へ童力を循環させる第三童式《童衣》を教えている。その少し向こうではノアが第二童式《童撃》の訓練を見ており、相手の腕に集まる童力が多すぎると、そのたびに止めてやり直させていた。
そして訓練場の端には、エルンの姿もあった。
半年前には木剣の握り方すら危なっかしかった少年が、今では自分より後に童術を学び始めた青年の前に立っている。
「一気に脚まで持っていこうとしない方がいいですよ。俺も最初、それで何回も失敗したんで」
「でも、途中で散っちゃうんだよ」
「だったら途中まででいいんです。俺なんか早く覚えたくて、パン運びながら練習して父さんに怒られましたから」
「何してるんだよ」
「うわっ、礼さん!?」
思わず口を挟むと、エルンが飛び上がるように振り返った。
「いつからいたんですか?」
「今来たところ。パン運びながら練習してたところから」
「そこは忘れてください」
「危ないから、もうやらない方がいいよ」
「父さんにも同じこと言われました!」
それならいい、と礼が笑ったところで、後ろから肩を軽く叩かれた。
「朝から何突っ立ってんだ?」
振り返れば、弓を背負ったリオがいる。
「いや……俺が来る前から、もう始まってるなって思って」
「そりゃ始まるだろ。毎朝やってるんだから」
「分かってるけどさ」
礼はもう一度、訓練場へ目を向けた。
誰も自分を待っていなかった。
以前なら、礼が最初に童力を見せ、礼が説明し、礼が一人ずつ様子を確かめていた。それが今では、ハインが教え、ノアが教え、ついにはエルンまで、自分が教わったことを次の誰かへ伝え始めている。
しかも、使う言葉は共通していた。
第一童式《童駆》。
第二童式《童撃》。
第三童式《童衣》。
ほんの一か月前まで、「脚に集めるやつ」「腕へ集中する方法」と呼ばれていたものに名前がつき、使い方と注意点が整理された。それだけのことなのに、礼が一人で教えていた頃とは、まるで違うものになったように見えた。
「……ちょっと寂しい」
ぽつりと呟くと、リオが呆れた顔をした。
「面倒くせえな、お前」
「だって、俺がいなくても始まってるんだぞ」
「それでいいんだよ」
リオは笑いながら訓練場を顎で示した。
「礼が寝坊したくらいで全部止まる方が困るだろ」
「今日は寝坊してない」
「例えばの話だよ」
言い返しながらも、礼自身、それでいいのだろうと思っていた。
自分がいなくても、童術が誰かから誰かへ伝わっていく。
以前グレイグに言われた「お前がいなくても残るようにする」という言葉の意味を、礼はようやく目の前の光景として理解し始めていた。
そのとき、訓練場の入口から大きな声が響いた。
「如月礼はいるか!」
振り返ると、息を切らしたギルド職員が立っていた。
◇
ローデンから北西へ半日ほど進んだ山林で、《鎧牙猪》の群れが確認された。
成体ともなれば人間の腰ほどの高さになる猪型の魔物で、頭から背にかけての皮膚は、名の通り鎧のように硬い。真正面から剣を振り下ろしても浅く弾かれることがあり、何より厄介なのは、その体重を乗せた突進だった。小さな荷車程度なら、まともに受ければ簡単に横転する。
本来なら森の奥で数頭の群れを作る程度の魔物だという。
だが、今回確認されたのは十七頭。
さらに、その中には通常よりひと回り以上大きな個体が混じっているらしい。
「畑が二か所荒らされている。街道を通っていた荷馬車も襲われた」
ギルドの受付で依頼書を広げた職員が、被害の記録を指で追った。
「御者が一人、脚を負傷した。幸い死者は出ていないが、このまま森から出てくる回数が増えれば、次もそうとは限らん」
「討伐ですね」
「ああ。ギルド長から、お前たちにも参加してほしいと言われている」
「俺たち?」
「童術師だ」
その言葉を聞いたとき、礼はほんの少しだけ妙な気分になった。
以前なら、依頼を受けるのは自分とリオだった。
そこへバルトやハインが加わり、ノアとディンが加わり、気がつけば童術を扱う者は二十一人にまで増えている。
もう「礼とリオに依頼する」のではない。
ギルドの側からも、《童術師》という一つの集団として見られ始めていた。
「全員で行くんですか?」
「いや。町に残る者も必要だ。戦闘経験と本人の希望を見て選んでくれ」
「分かりました」
礼は依頼書を受け取った。
◇
翌朝、北門の前には九人が集まった。
礼、リオ、バルト、ハイン、ノア、ディン、テオ。それにエルンと、童術を学び始めて数か月になる若い冒険者が一人。
全員が旅装を整え、武器や食料を確認している。その中で礼がどうしても気になってしまうのは、やはりエルンだった。
「……本当に来るの?」
「来ますよ」
「お父さんは?」
「行ってこいって言ってました」
「本当に?」
「本当ですって!」
何度も確認され、エルンがむっとする。
十五歳。パン屋の息子。
半年前、初めて訓練場へ来たときには木剣を握る手すら危なっかしかった。それが今では腰に短剣を下げ、簡素な革の胸当てまで身につけている。
それでも礼にとっては、どうしても「半年前にパンを抱えてやってきた十五歳」の印象が抜けなかった。
「無理しないこと。前へ出すぎないこと。指示はちゃんと聞くこと。それから、危なくなったらすぐ逃げる」
「第一童式ですね!」
「いや、普通に逃げてもいいから」
「はい!」
元気よく返事をするエルンを見ていると、今度は隣にいたリオが笑った。
「心配しすぎだって」
「だって初めての本格的な討伐だぞ」
「お前の初討伐より、よっぽど準備できてるよ」
「俺のと比べちゃ駄目だろ」
「あれより酷い初討伐なんて、そうそうねえからな」
礼は反論できなかった。
そんな二人の横で、バルトが大剣を肩へ担いだ。
「まあ、パン屋が死にそうになったら俺が拾ってやるよ」
「パン屋じゃなくてエルンです!」
「パン屋だろ?」
「名前で呼んでください!」
「行くぞ、パン屋!」
「礼さん、この人どうにかしてください!」
「……仲良くね」
「どこが仲良く見えるんですか!」
朝の北門に笑い声が響く。
そうして一行は、ローデンを後にした。
◇
山へ近づくにつれて街道は細くなり、昼を過ぎる頃には舗装された道も消えていた。
湿った土を踏み、木々の間を縫うように進む。枝葉の隙間から差し込む陽光はまだ明るかったが、森の奥へ入るほど風は冷たく、獣と湿った落ち葉の匂いが濃くなっていった。
先頭近くを歩いていたディンが、不意に足を止めた。
それだけで、後ろを歩いていた者たちも口を閉じる。
「……何かいる」
ディンは目を閉じた。
彼が得意とするのは、童力そのものを外へ放つことではない。周囲の気配や、他者の童力が生む僅かな乱れを捉える感覚において、彼は礼たちの中でも頭一つ抜けていた。
「鎧牙猪?」
「まだ分からない。三……いや、四。右の奥にもいる」
礼が周囲を見回した。
まだ姿は見えない。
だが、耳を澄ませると、風とは違う音がする。落ち葉を踏み荒らしながら、何かがこちらへ近づいていた。
「みんな、準備して」
声を落として告げると、武器が抜かれた。
エルンも短剣へ手をかける。
「エルン。まず第三を維持して」
「はい」
先ほどまでの明るい声とは違った。
短く息を吸い、エルンが意識を身体の内側へ向ける。
童力が全身を巡り始めた。
まだハインほど滑らかではない。それでも、肩から腕へ、胴から脚へと流れた童力は途切れず、薄い膜のように身体を覆っていく。
第三童式《童衣》。
その瞬間、正面の茂みが大きく揺れた。
「来る!」
ディンの声とほとんど同時だった。
黒褐色の巨体が枝を弾き飛ばして飛び出してきた。一頭、二頭。続けて三頭目が姿を現し、少し遅れて右側の茂みから四頭目が走り込んでくる。
礼が指示を出すより早く、バルトが正面へ出た。
大剣を盾のように構え、その全身を童力が巡る。
鎧牙猪の突進と激突する寸前、バルトは真正面から受け止めるのではなく、身体を半歩だけ横へずらした。
大剣の腹を牙が擦り、甲高い音が森へ響く。突進の軌道が僅かに逸れた。
その瞬間をノアは逃さなかった。
右腕へ童力を集中させる。
第二童式《童撃》。
狙ったのは鎧のように硬い頭部ではない。突進によって晒された脇腹へ踏み込み、短く鋭い一撃を叩き込む。
鎧牙猪の巨体が傾いた。
直後、風を切る音がした。
リオの矢だった。
第四童式《童閃》によって童力を纏った鏃が、硬質化した皮膚の僅かな境目へ吸い込まれる。鎧牙猪は数歩よろめき、そのまま地面へ倒れた。
「右から二頭!」
ディンの声が飛ぶ。
ハインが振り返るより早く、礼も地面を蹴っていた。
脚部へ集めた童力を、踏み込む瞬間に解放する。
第一童式《童駆》。
身体が一気に加速した。
木々の間を抜け、一頭の側面へ回り込む。そのまま鉄剣へ童力を流し、刃の表面へ纏わせる。
「第四――《童閃》!」
振り抜いた剣が、首元の硬い皮膚を切り裂いた。
熱い血が散る。
しかし、もう一頭は止まらなかった。
礼の横を抜け、その先にいるエルンたちへ向かう。
エルンの隣にいた若い冒険者が、反射的に拳へ童力を集め始めた。
「違う!」
エルンが叫んだ。
相手の腕を掴む。
「第三! 受けないで避ける!」
二人が横へ跳んだ直後、鎧牙猪の巨体が、それまで立っていた場所を駆け抜けた。泥と落ち葉が巻き上がり、エルンたちは地面へ転がる。
すぐにハインが追いつき、横から首筋へ剣を突き込んだ。
やがて鎧牙猪が動かなくなる。
「大丈夫ですか?」
エルンは泥だらけのまま身体を起こし、隣の青年へ手を差し出した。
「あ、ああ。でも俺、結局何も……」
「怪我してないでしょ」
「え?」
「だったらいいんです。倒さなくても、怪我しなかったら」
青年は少し驚いた顔でエルンを見た。
その言葉を、礼も聞いていた。
半年前の討伐任務。
まだ童術すら教わっていなかったエルンに、自分が伝えた言葉を思い出す。
戦わなかったから、役に立っていないわけではない。
あのときは礼からエルンへ渡した言葉だった。
それが今、自分の手を離れ、別の誰かへ渡っていく。
礼の口元が、僅かに緩んだ。
「礼!」
リオの声で我に返る。
「戦ってる最中にぼーっとすんな!」
「してない!」
「してた!」
「……ちょっとだけ!」
「してんじゃねえか!」
思わず笑いそうになる。
だが、まだ森には魔物の気配が残っていた。
◇
群れの痕跡を追い、さらに森の奥へ進んだ。
すでに倒した鎧牙猪は十一頭。
依頼書に記された数が正しければ、残りは六頭のはずだった。
ところが、先頭を歩いていたディンが再び立ち止まった。
「……いる」
その声は、先ほどより硬い。
「何頭?」
「多い。正面に……十くらい」
「十?」
ハインが眉を寄せる。
「情報より多いな」
森の奥から、低い唸り声がいくつも重なって聞こえてくる。
礼は無意識に剣の柄を握り直した。
以前なら、ここで一人ずつ配置を考えていた。
バルトを前へ。
リオは後方。
ハインを右へ。
自分は――。
「正面六! 左右に二頭ずつ!」
ディンの声が飛ぶ。
「聞いたな!」
礼が何か言うより先に、バルトが大剣を構えた。
「前は俺とハインで割る!」
「ノア、左を頼む!」
リオもすぐに続く。
「テオは右! エルンたちは後ろを維持しろ。第三を切らすなよ!」
次々と声が飛び、全員が動き始める。
礼は思わず口を開き――何も言わずに閉じた。
自分が指示していない。
それでも、みんなが動いている。
何を使うのか。
何をしてはいけないのか。
誰が何を得意としているのか。
この一か月で繰り返してきたことが、礼の声を待たずとも、それぞれの中に残っていた。
「礼!」
リオが矢を番えながら叫ぶ。
「何してんだ!」
「……俺、ほとんど何も言ってない!」
「いいことだろ!」
言い終わるより早く、鎧牙猪の群れが姿を現した。
十頭の巨体が一斉に地面を蹴る。
土が震えた。
バルトとハインが左右へ分かれ、正面から来る群れを割る。ノアが《童撃》で一頭の軌道をずらし、その隙をリオの矢が貫いた。
ディンの声が、絶えず死角を知らせる。
その声に導かれて振り返ったテオの前へ、一頭が迫った。
距離は短い。
逃げ切るには遅い。
テオの右腕へ童力が集まった。
その量が急激に膨らむ。
――あの日と同じだった。
三人の男に囲まれ、恐怖のまま集められるだけの童力を腕へ集めた。
相手の腕を折った一撃。
だが今度は。
テオは途中で止めた。
最大まで集める必要はない。
目の前の魔物を倒す必要すらない。
必要なのは、自分へ向かっている巨体を逸らすことだけだ。
「第二――《童撃》!」
短く踏み込み、拳を鎧牙猪の側頭部へ叩きつける。
以前のような轟音はなかった。
巨体が吹き飛ぶこともない。
それでも、突進の軌道は十分に逸れた。
すれ違った鎧牙猪へハインが追いつき、剣を首へ突き込む。
「テオ!」
リオが戦いながら声を飛ばした。
「今の、どれくらいだ!」
テオは自分の拳を一度見てから、笑った。
「三割くらいです!」
「上出来!」
その返事を聞いた直後。
森の奥から、これまでとは違う低い唸り声が響いた。
戦っていた者たちの視線が、自然とそちらへ向く。
木々の隙間から現れた影を見て、エルンが息を呑んだ。
「……でか」
通常の鎧牙猪とは、明らかに違っていた。
肩までの高さだけで成人男性の胸元近くまであり、頭部を覆う硬質化した皮膚は、もはや鎧というより岩の塊に近い。口元から伸びる二本の牙も、小振りな剣ほどの長さがあった。
「こいつが、でかい奴か」
バルトが大剣を構え直す。
大型個体が前脚で地面を掻いた。
次の瞬間、その巨体からは想像できない速度で突進してきた。
バルトとハインが左右へ跳ぶ。
二人の間を抜けた鎧牙猪はそのまま木へ激突し、太い幹を大きく揺らした。
ノアが側面へ回り込んで拳を叩き込むが、硬質化した皮膚に阻まれ、逆に腕を痺れさせる。
リオの矢も浅い。
「硬すぎる!」
「目を狙う!」
「動きが速い、止められない!」
大型個体が再びこちらを向く。
そのとき、リオと礼の目が合った。
言葉はいらなかった。
礼は鉄剣を鞘へ戻した。
「みんな、離れて!」
その一言で、他の者たちも何をするのか理解した。
「第五だ! 距離取れ!」
リオの声とともに、全員が一斉に後退する。
礼は両足を開き、息を整えた。
身体の奥を流れる童力を、一か所へ集めていく。
掌へ。
ただ放出するのではない。
集めた力を逃がさず、圧縮する。
さらに重ねる。
「……っ」
腕が震えた。
何度も使ってきた。
以前より速くなった。
以前より安定もしている。
それでも第五童式だけは、他の童式のように気軽に使えるものではない。
圧縮する童力が増えるほど、身体の内側から力を根こそぎ引きずり出されるような感覚が強くなる。
大型個体が礼へ向き直った。
地面を蹴る。
巨体が迫る。
礼は動かなかった。
十歩。
七歩。
五歩。
掌の先で、圧縮された童力が震える。
三歩。
礼は右手を突き出した。
「第五童式――《童貞破》!」
森の空気が爆ぜた。
圧縮されていた童力が一気に解放され、白い衝撃となって正面を貫く。
大型の鎧牙猪が、その中心で真正面から吹き飛ばされた。
岩のような硬質皮膚が砕け、巨体が地面から浮く。そのまま後方へ飛ばされ、何本もの細木をへし折りながら森の奥へ転がっていった。
やがて、動かなくなる。
少し遅れて。
森に静寂が戻った。
「はぁ……っ」
礼は掌を下ろした。
腕が重い。
呼吸も乱れている。
「礼!」
真っ先に駆け寄ってきたリオが、礼の腕を取った。
「大丈夫?」
「大丈夫」
「息切れてるだろ」
「ちょっとだけ」
「座れ」
「本当に大丈夫だから」
「座れ」
「……はい」
押し切られ、礼はその場に腰を下ろした。
遅れてバルトたちも集まってくる。
バルトは遠くに倒れた大型個体と、地面に座り込んでいる礼を何度か見比べた。
「なあ」
「何?」
「やっぱり第五だけおかしくねえか?」
「そう?」
「そうだろ! 第一から第四までと差がありすぎんだろ!」
「俺に言われても……」
隣でリオが笑った。
「誰だよ、あれを五番にしたの」
「お前だよ!」
「そうだっけ?」
「リオ!」
張り詰めていた空気が、一気に崩れた。
誰かが笑い、それにつられて別の誰かも笑う。
討伐は終わった。
◇
ローデンへ帰り着いたのは、翌日の昼だった。
最終的な討伐数は二十二頭。
当初の情報より五頭多く、そのうち一頭は大型個体。
それでも重傷者は一人もいなかった。
ギルド長室で報告書に目を通していたグレイグは、何度か同じ箇所を読み返したあと、ゆっくり顔を上げた。
「……二十二頭?」
「はい」
「九人で?」
「はい」
「重傷者なし?」
「はい」
「本当に?」
「何で疑うんですか」
「疑っているわけじゃない」
グレイグは額を押さえた。
「お前たちが何をしているのか、たまに分からなくなるだけだ」
「ちゃんと討伐してきましたよ」
「それは報告書を見れば分かる」
今回の報告書には、討伐数だけではなく、実戦で使用した童式についても記録してあった。
第一から第四。
そして、大型個体に対して使用した第五童式。
「これが、例の《童式》か」
「はい」
礼は待っていましたとばかりに身を乗り出した。
「リオが考えたんですよ」
「礼」
「童術を整理して、誰が教えても同じように学べるようにしようって言ったの、リオなんです。第二には対人使用の注意も――」
「礼」
「何?」
「それはもう聞いた」
「でもリオが――」
「分かった」
グレイグは隣のリオへ視線を移した。
「……大変だな」
「分かってくれます?」
「何で二人とも俺を見るの?」
礼だけが納得していなかった。
やがて報告を終え、皆が部屋を出ようとしたところで、グレイグがリオを呼び止めた。
「リオ。少し残れるか」
「俺ですか?」
「ああ」
礼が振り返った。
「俺は?」
「呼んでいない」
「なんで?」
「礼」
リオが礼の背中を押す。
「子供かよ」
「いや、気になるだろ。何の話?」
「俺だってまだ知らねえよ」
「終わったら教えて」
「はいはい」
最後まで不満そうに振り返っている礼を廊下へ追い出し、リオは扉を閉めた。
◇
急に静かになった部屋で、グレイグは先ほどの報告書を机の端へ寄せた。
リオは向かいの椅子へ座る。
「それで、何です?」
「礼は最近どうだ」
「…………」
予想していなかった質問に、リオは瞬きをした。
「本人に聞けばいいじゃないですか」
「本人に聞いて、『大丈夫です』以外の答えが返ってくると思うか?」
リオはしばらく考えた。
「……返ってこないですね」
「だろう」
妙なところで意見が一致した。
思わずリオが笑うと、グレイグも僅かに口元を緩めた。
「テオの件が起きたとき、あいつは最初に何と言った?」
「自分が教えたから、って」
「そうだ」
グレイグは椅子の背へ身体を預けた。
「あいつは、自分が始めたことだから、そこで起きたことまで全部自分の責任だと思っている」
リオは否定できなかった。
礼は昔からそうだった。
誰かが失敗すれば、自分の教え方が悪かったのではないかと考える。
誰かが怪我をすれば、自分にもっとできることがなかったかと考える。
それは礼の長所でもある。
だが。
「今は二十一人だ」
グレイグが言った。
「五十人になったらどうする。百人なら?」
リオは黙った。
想像するまでもない。
「……やるでしょうね」
「何をだ」
「全部、自分の責任にするの」
「だろうな」
グレイグは小さく息を吐いた。
「お前まで一緒に背負う必要はないぞ」
その言葉に、リオは少しだけ首を傾げた。
「別に、背負ってませんよ」
「なら何をしている」
「一緒に考えてるだけです」
グレイグが目を細める。
「礼が分からないなら俺も考える。俺にも分からなかったら、他の奴にも聞けばいい。今は二十一人いるんですから」
リオは肩を竦めた。
「そのために増えたんじゃないですか」
グレイグは何も言わなかった。
しばらくリオを見つめたあと、ほんの僅かに表情を緩める。
「……そうか」
それだけだった。
だが、リオには十分だった。
立ち上がろうとして、ふと机の端に目が止まる。
書類が積み上がっていた。
以前ここへ来たときより、明らかに多い。その中には、ローデンのギルドで普段使われているものとは違う封蝋の押された封筒も何通か混じっていた。
「グレイグさん」
「何だ」
「最近、寝てます?」
「寝ている」
「何時間?」
「…………」
「寝てないじゃないですか」
「お前は礼より面倒だな」
「一緒にいるんで」
リオが笑う。
グレイグは答えず、机の端にあった封筒を取ると、別の書類の下へ静かに差し込んだ。
その仕草をリオは見ていた。
「……童術のことですか?」
「仕事だ」
「それ、答えになってないですよ」
「そうだな」
それ以上、グレイグは話さなかった。
リオも聞かなかった。
◇
ギルドを出たところで、壁際から声が飛んできた。
「遅い」
リオは足を止めた。
「……お前、まだいたのか?」
礼が待っていた。
「待ってた」
「先に帰れって言っただろ」
「気になったから」
「何が?」
「何話してた?」
あまりに真っ直ぐ聞いてくるので、リオは少しだけ悪戯心を起こした。
「内緒」
「え?」
「俺とグレイグさんの秘密」
「何それ!?」
「冗談だよ」
「じゃあ何の話?」
「お前が面倒くさいって話」
「絶対嘘だろ」
「半分本当」
「半分!?」
礼が本気で気にし始めたところで、通りの向こうからエルンの声が聞こえてきた。
「礼さーん! リオさーん!」
振り返ると、大きな籠を抱えたエルンが走ってくる。その後ろにはバルトやハイン、ノアたちの姿もあった。
「父さんが、初討伐から無事に帰ってきた祝いだって!」
差し出された籠の中には、まだ温かいパンがぎっしりと詰まっていた。
焼きたての香りが漂った瞬間、バルトの手が伸びる。
「じゃあ一個――」
「駄目です!」
エルンが素早く籠を引いた。
「何でだよ!」
「今取ろうとしたの、俺のです!」
「どれがお前のだよ!」
「それです!」
「名前書いてねえだろ!」
「パンに名前なんか書かないですよ!」
籠を巡って二人が揉め始める。
ハインが呆れながら間へ入り、ノアとディンが笑っている。少し離れたところでは、テオもその光景を見ながら笑っていた。
リオが先に歩き出した。
「行こうぜ」
「うん」
礼もその隣に並んだ。
前を歩く仲間たちを見ながら、ふと半年前のことを思い出す。
もっと遡れば、さらに少ない。
最初に童術について話せる相手は、リオ一人しかいなかった。
それが今では二十一人いる。
「なあ、リオ」
「ん?」
「増えたな」
何のことか説明しなくても、リオには伝わったらしい。
「そうだな」
「もっと増えるかな」
「増えるんじゃねえの?」
礼は少しだけ考えた。
今日の討伐では、誰も大きな怪我をしなかった。
童式も役に立った。
テオは自分の力を抑えることができた。
エルンは、自分が教わったことを別の誰かへ伝えていた。
うまくいっている。
少なくとも、今は。
「……大丈夫かな」
そう尋ねると、リオはすぐには答えなかった。
夕暮れの通りを歩きながら、少しだけ考える。
「大丈夫じゃなくなったら、そのときまた一緒に考えようぜ」
礼は思わず笑った。
「リオ、そればっかりだな」
「便利なんだよ、この言葉」
「ずるいなあ」
「いいだろ、別に」
二人は笑いながら、少し先を歩く仲間たちの後を追った。
夕暮れのローデンには、エルンの抱えた籠から漏れる焼きたてのパンの匂いが漂っていた。
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