第五十二話 童式
翌朝。
礼がギルドへ着いたとき、テオはすでに会議室にいた。
昨日と同じ服だった。頬の腫れはまだ残っており、切れた唇には薬が塗られている。椅子に座ったまま俯き、両手を膝の上で固く握っていた。
「テオ」
呼びかけると、ゆっくり顔が上がった。
「……礼さん」
「身体は?」
「大丈夫です」
「頬、まだ腫れてる」
「これくらいなら」
笑おうとしたらしい。
けれど、うまく笑えていなかった。
礼の後ろから入ってきたリオが、テオの向かいに座る。
「昨日は眠れたか?」
「……あんまり」
「だろうな」
リオはそれ以上聞かなかった。
やがて扉が開き、グレイグが入ってきた。
手には数枚の紙を持っている。
「待たせたな」
グレイグは礼たちの正面へ座ると、紙を机に置いた。
「昨日の件について、衛兵とギルドで目撃者から改めて話を聞いた」
テオの身体が強張った。
「先に結論を言う。テオが一方的に相手へ危害を加えたという事実は確認できなかった」
礼は小さく息を吐いた。
だが、グレイグの表情は変わらない。
「テオが三人に囲まれ、金銭を要求されていたことについては複数の証言が一致している。先に殴られたことも同様だ」
「じゃあ……」
「最後まで聞け」
礼は口を閉じた。
「ナイフも確認された。相手の一人が所持していた。ただし、それを抜いてテオへ向けたかについては証言が一致していない」
グレイグがテオを見る。
「お前は向けられたと言ったな」
「……はい」
「それを疑っているわけではない。混乱した状況だ。見ていた者によって位置も違う」
「はい……」
「そして、お前が男を殴ったあと、残りの二人へ追撃していないことも確認された」
テオの拳から、わずかに力が抜けた。
「現時点で、お前を童術師として処罰する理由はない」
「……え?」
テオが顔を上げる。
「ギルドの取り決めにも違反していない。危険な技を無断で習得したわけでもなければ、騒ぎを起こす目的で童術を使ったわけでもない」
「じゃあ俺……」
「ただし」
グレイグの声が止めた。
「相手の腕を折ったのも事実だ」
テオの顔が再び俯いた。
礼は昨日見た光景を思い出す。
不自然な方向へ曲がった腕。
青ざめた母親。
――あんたがそんな力を教えなければ。
あの言葉は、一晩経っても耳に残っていた。
「治るんですか」
礼が尋ねた。
「治療師の見立てでは、時間はかかるが日常生活に戻れる可能性は高いそうだ」
「そうですか……」
少しだけ安心した。
それでも、怪我が消えるわけではない。
グレイグは机の上で両手を組んだ。
「そこで、今後について話したい」
「今後?」
「ああ」
グレイグは礼を見る。
「昨日言っただろう。規則に答えがないなら、今から考える」
礼は頷いた。
「でも、何を決めるんですか?」
「それを決めるところからだ」
◇
「町中での童術使用を禁止する」
ギルド職員の一人が出した案だった。
礼はすぐに首を振った。
「それは駄目です」
「理由は?」
「昨日みたいなことがあったらどうするんですか」
「逃げればいい」
「逃げられなかったから使ったんです」
「ならば衛兵を――」
「衛兵が来るまで殴られてろってことですか?」
「礼」
リオが袖を引いた。
「……分かってる」
「顔が分かってない」
「今日は普通だろ」
「昨日よりは」
グレイグが咳払いする。
「使用禁止は現実的ではないと俺も思う」
職員がグレイグを見る。
「ですがギルド長。今回のような被害が今後も――」
「だからといって、襲われた人間へ抵抗するなとは言えん」
「しかし、童術師の拳はすでに通常の拳とは――」
そこで職員は言葉を止めた。
「……武器と同じでは?」
礼の眉が動いた。
「武器?」
「剣や魔術と同じように考える必要がある、ということだ」
「でも」
礼は自分の手を見る。
「剣なら置いていけますよね」
職員が黙る。
「弓だって持たなければいい。杖もそうです。でも童力は……」
礼は拳を握った。
「置いていけない」
部屋が静かになった。
「じゃあ俺たちは、外を歩いてるだけで武器を持ってることになるんですか?」
「そういう意味では――」
「じゃあ、どういう意味ですか?」
「礼」
またリオが呼ぶ。
「……ごめん」
礼は椅子へ座り直した。
グレイグが深く息を吐いた。
「童術師そのものを武器として扱うつもりはない」
「……はい」
「だが、これだけは覚えておけ」
グレイグの視線が礼からテオへ移る。
「お前たちは、自分で思っているより強い」
テオが顔を上げる。
「普通の人間同士なら殴り合いで済むことが、お前たちの場合は済まない可能性がある。一発で骨を折る。一歩間違えば、その先もある」
死ぬ。
誰も口にはしなかった。
けれど、全員が同じ言葉を考えた。
「それを知らないふりもできん」
「……はい」
礼は小さく答えた。
グレイグの言っていることは分かる。
だからこそ、何をすればいいのかが分からなかった。
◇
話し合いは昼を過ぎても続いた。
使用を禁止するのか。
場所を限定するのか。
冒険者以外には戦闘に使える童術を教えないのか。
どれも、どこかで矛盾した。
自衛のために使うことまで禁止できない。
冒険者と非冒険者の境界だけで、人を傷つける可能性が決まるわけでもない。
そして何より。
「……俺」
それまで黙っていたテオが口を開いた。
「童術、使わない方がよかったんでしょうか」
礼はテオを見る。
「昨日」
テオは自分の右手を見ていた。
「使わない方がよかったなら……俺、もう使わないようにします」
「テオ」
「俺、怖いんです」
声が震えている。
「殴ったとき、あんなことになると思わなかった」
誰も遮らなかった。
「普通に殴ったつもりだったんです。でも、怖くて……童力を集められるだけ集めて」
拳を握る。
「壁まで飛んでいって」
「…………」
「また同じことするかもしれない」
礼は答えようとした。
使ってよかった。
そう言おうとして、止まった。
使うな。
それも違う。
昨日のテオは三人に囲まれていた。
もし童術を使わなければ。
もしナイフが本当に抜かれていたなら。
今ここに座っているのがテオではなかった可能性もある。
「……使ったことが間違いだったとは、俺は思わない」
礼はゆっくり言った。
テオが顔を上げる。
「自分を守ろうとしたんだから」
「じゃあ……」
「でも」
礼は続けた。
「どこまで使えばよかったのかは、俺にもまだ分からない」
テオの表情が曇る。
「ごめん」
「何で礼さんが謝るんですか」
「教えたの、俺だから」
「それは……」
「もっとちゃんと教えられたんじゃないかって思ってる」
礼は自分の手を見た。
「童力を感じる方法。流す方法。集める方法。強くする方法」
一つずつ。
これまで教えてきたことを思い返す。
「俺たち、強くする練習ばっかりしてた」
リオが礼を見る。
「もっと速く」
「……ああ」
「もっと強く」
「ああ」
「もっと遠くまで」
「うん」
礼は顔を上げた。
「でも、人を殺さないための練習って……ほとんどしてない」
沈黙が落ちた。
その言葉を最初に理解したのは、リオだった。
「……そういうことか」
「え?」
「礼」
リオが身を乗り出した。
「弱く使えばいい」
「弱く?」
「そう」
「それは分かるけど……」
「違う。そうじゃなくて」
リオは机の上にあった紙を引き寄せた。
「弱く使うこと自体を、ちゃんと練習するんだよ」
礼は瞬きをした。
「今まで俺たち、できるようになったら次へ進んでただろ」
「うん」
「童力を感じられた。じゃあ流そう。流せた。じゃあ集めよう。集められた。じゃあもっと強くしよう」
「……うん」
「逆をやってない」
リオがペンを取る。
「十まで出せる奴が、一を出せるのか」
礼は黙った。
「五を出せるのか。三で止められるのか。怖くなったときでも、一気に十まで行かずに済むのか」
「……リオ」
「それを教えればいいんじゃないか?」
礼の中で、何かが繋がった。
◇
その日の午後。
訓練場には二十一人の童術師が集まっていた。
事情を説明すると、当然のように意見は割れた。
「だったら、最初から全力で使わなきゃいいだろ」
バルトが言う。
ディンが呆れた顔を向けた。
「それができなかったから話してるんですよ」
「できるだろ」
「バルトさんが一番心配なんですけど」
「何でだよ!」
「自覚ないんですか?」
「ねえよ!」
「でしょうね」
「お前最近遠慮なくなったな!」
少しだけ笑いが起きる。
テオも端に座っていた。
笑ってはいなかった。
けれど、逃げずにここへ来た。
「テオ」
礼が呼ぶ。
「はい」
「続けたい?」
テオは驚いたように礼を見る。
「童術」
「…………」
「辞めてもいい」
礼は言った。
「怖いなら、無理して続けなくていい」
「……怖いです」
「うん」
「また、ああなるかもしれない」
「うん」
「でも」
テオは長い間、自分の拳を見つめていた。
「あのとき童術がなかったら、俺……たぶん何もできなかった」
礼は待った。
「だから」
テオが拳を開いた。
「ちゃんと使えるようになりたいです」
「分かった」
礼は頷いた。
「じゃあ、一緒にやろう」
「……はい」
その返事を聞いてから、リオが立ち上がった。
「で、ここからなんだけど」
手には何枚もの紙がある。
「昨日から考えてた」
「昨日から?」
「礼が夜中にノートと睨めっこしてる間にな」
「何で知ってるの」
「お前が考え込むと何するかくらい分かる」
リオは紙を地面へ並べた。
「俺たち、二十一人いる」
「うん」
「でも教え方が全部同じじゃない」
ハインが反応する。
「それはそうだな」
「礼に教わった奴もいる。俺に教わった奴もいる。ハインから教わった奴もいる。最近じゃエルンまで初心者に説明してる」
「俺は説明してるだけですよ!」
エルンが慌てて言う。
「それも教えてるって言うんだよ」
「そうなの?」
「そうだよ」
エルンは少し嬉しそうに黙った。
「でさ」
リオが続ける。
「同じ童術を教えてるつもりで、実は少しずつ違うものを教えてるんじゃないかって思った」
礼の表情が変わった。
「違うもの?」
「腕に童力を集めるやつ。礼は何て教えてる?」
「え?」
「名前」
「……腕に集める」
「俺は局所集中って言ってる」
「初めて聞いた」
「今言ったからな」
「おい」
笑いが起こる。
リオも笑った。
「でも、そういうことだよ」
今度は真面目な声だった。
「名前がない。基準もない。どこまでできたら使っていいのかも決まってない」
紙を一枚持ち上げる。
「だったら決めよう」
「何を?」
「全部」
「全部?」
「何をする技なのか。どこに童力を流すのか。どうやって使うのか。どこまでできたら次へ進んでいいのか。何が危ないのか」
礼は紙を見つめた。
「……それ、すごい大変じゃない?」
「二十一人いるんだぞ」
「うん」
「今やらなかったら、もっと大変になる」
その言葉に、礼は半年前のグレイグを思い出した。
――お前がいなくても残るようにするためだ。
「残すため……」
「ん?」
「いや」
礼は首を振った。
「やろう」
「だろ?」
「うん」
「じゃあまず名前だな」
「名前?」
「こういう決まった使い方をまとめて呼ぶ名前」
礼は考える。
「童術の……型?」
「型でもいいけど」
リオも考えた。
しばらくして。
「童術の形式……」
「うん」
「童術の式……」
「うん」
「……童式?」
礼は黙った。
リオも黙った。
「…………」
「…………」
「また童?」
「今さらだろ」
「まあ……そうだけど」
「じゃあ童式」
「決定早くない?」
「他にある?」
「……ない」
「じゃあ決まり」
こうして。
後に数多の童術師が学ぶことになる《童式》という言葉は、驚くほど簡単に決まった。
◇
それから数日。
礼とリオは、これまで発見してきた童術を一つずつ洗い出した。
最初に整理したのは、脚部への集中。
童力を脚へ集め、地面を蹴る瞬間に放つ。
移動。
回避。
突進。
そして何より、危険な場所から離れるための技術。
「これ、一番でいいんじゃない?」
リオが言った。
「何で?」
「逃げられるから」
「逃げる?」
「最初に覚えるなら、生き残れる方がいいだろ」
礼は少し考えた。
「……確かに」
「じゃあ第一」
「そんな決め方でいいの?」
「いいだろ」
「名前は?」
「走る……童走?」
「ちょっとそのまますぎない?」
「じゃあ礼が考えろよ」
「駆ける……」
「童駆?」
「……いいかも」
紙に文字が書かれる。
第一童式《童駆》。
次は、腕や脚など身体の一部へ童力を集中する技術。
テオが使ったものでもある。
「これはちゃんと決めよう」
リオの声が少しだけ低くなる。
「うん」
「局所へ集中。打撃の瞬間に出力を上げる。ただし――」
「対人訓練では最大出力禁止」
「あと初心者は威力より制御」
「怖くなったときに一気に集めない訓練も」
「それも入れよう」
二人で書き足す。
名前は。
「童撃でいいんじゃない?」
「それはすぐ決まるんだ」
「分かりやすいだろ」
第二童式《童撃》。
三つ目。
童力を全身へ循環させ続ける。
筋力だけではない。
反応。
防御。
身体そのものを童力で包むように維持する。
「服みたいだな」
リオが言った。
「服?」
「全身に纏うんだろ?」
「……童衣?」
「いいじゃん」
「本当に?」
「俺は好き」
「じゃあ、それで」
第三童式《童衣》。
四つ目は武器。
剣。
槍。
矢。
童力を通し、纏わせ、通常では耐えられない力を武器へ与える。
リオが最も得意とする領域でもあった。
「これは俺が決めていい?」
「いいよ」
「童閃」
「理由は?」
「格好いいから」
「第一の理由との差がすごいな」
「いいんだよ」
礼は笑いながら書いた。
第四童式《童閃》。
そして。
「五番目」
「これは決まってるだろ」
「……だよね」
二人は同時に、訓練場の向こうを見る。
圧縮。
収束。
そして外部への一斉放出。
礼が何度も失敗しながら作り、今では大型の魔物すら倒せるようになった技。
「童貞破」
「……そのまま?」
「もうみんなそう呼んでるだろ」
「もうちょっと何かなかった?」
「今さら変えたらバルトが怒るぞ」
「何でバルト基準なの」
「じゃあ変える?」
礼は考えた。
「…………」
妙に馴染んでしまっている。
「……いいや」
「だろ?」
「第五童式《童貞破》」
「急に格好よくなったな」
「名前は童貞破だけどね」
二人で笑った。
第五童式《童貞破》。
最後に残った紙を前にして。
二人の表情が少しだけ真面目になった。
「童癒」
リオが言う。
「うん」
「これはどうする?」
礼も迷っていた。
出血を抑える。
痛みを和らげる。
傷の回復を促す。
これまで何度も人を救ってきた。
けれど、まだ分からないことが多すぎる。
「全部は教えない方がいいと思う」
「俺もそう思う」
「止血を補助するくらいなら研究できるかもしれない。でも深い傷とか、身体の中まで触るのは……」
「失敗したら、殴るより危ないかもしれない」
「うん」
礼は紙へ書き加えた。
『現時点では基礎研究のみ共有』
『本格的な他者への使用については教授保留』
「六番目?」
「うん」
「じゃあ」
第六童式《童癒》。
六枚の紙が並んだ。
礼は、それを上から順番に眺めた。
第一童式《童駆》。
第二童式《童撃》。
第三童式《童衣》。
第四童式《童閃》。
第五童式《童貞破》。
第六童式《童癒》。
「……これが、童式」
礼が呟く。
「とりあえずな」
「増えるかな」
「そりゃ増えるだろ」
「どこまで?」
「知らねえよ」
リオが笑った。
「分からないなら、一緒に考えようぜ」
「……またそれ?」
「便利なんだよ、この言葉」
「ずるいなあ」
「いいだろ、別に」
礼も笑った。
◇
新しい訓練が始まった。
「今日は強くする練習じゃない」
リオの前に、テオたちが並んでいる。
エルンもいる。
バルトもいる。
「じゃあ何するんです?」
エルンが尋ねる。
「弱くする」
「……弱く?」
「そう」
リオは訓練用の薄い木板を立てた。
「壊すなよ」
「簡単じゃねえか」
バルトが前へ出る。
「じゃあお前から」
「見てろ」
バルトが拳を握る。
「童撃は使えよ」
「おう」
「でも壊すな」
「任せろ」
童力が腕へ集まる。
拳が木板へ触れた。
次の瞬間。
ばきっ。
木板が真っ二つになった。
「…………」
「…………」
「…………」
「……今のは板が弱かった」
「バルトさん」
エルンが真顔で言った。
「向いてないんじゃないですか?」
「うるせえ!」
笑い声が訓練場に広がった。
テオも。
ほんの少しだけ、笑っていた。
礼はその光景を見ていた。
問題が起きた。
人が傷ついた。
自分たちが間違っていたのかもしれないと思った。
それでも。
間違っていたなら、考える。
足りなかったなら、足す。
知らなかったなら、学ぶ。
今はまだ。
それができる。
礼は机の上に置かれた六枚の紙を見る。
童式。
自分が作った力を。
リオが、人へ残せる形に変えようとしている。
その最初の六つは。
もっと強くなるためだけに作られたものではなかった。
力を持った者が。
その力で、誰かを傷つけすぎないために。
同じ失敗を繰り返さないために。
そして。
自分たちがいなくなった後にも、残せるように。
初めて形を与えられたものだった。
第一童式《童駆》。
第二童式《童撃》。
第三童式《童衣》。
第四童式《童閃》。
第五童式《童貞破》。
第六童式《童癒》。
後に《童術》の根幹となる六つの型は。
この日。
二人の青年が、机を挟んで笑いながら書き上げた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
少しでも「面白かった!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、ぜひ評価や感想をいただけると嬉しいです!
皆様からの評価や感想は、今後の執筆活動の大きな励みになります。
これからも『童貞にして最強』をよろしくお願いいたします!




