第四十九話 誰の許可
エルンが童力を使わないまま訓練場へ通い始めて、三日が経った。
「踏み込むとき、上半身まで一緒に前へ倒さない」
「はい!」
「もう一回」
「はい!」
乾いた音を立てて、木剣が振り下ろされる。
礼は正面からその動きを見ていた。
最初の日に比べれば、ずいぶん様になってきた。剣を握る手にはまだ余計な力が入り、踏み込みと腕の動きも噛み合ってはいない。それでも、教えたことを一つずつ覚えようとしているのは分かる。
エルンは毎朝来た。
パン屋の仕事がある日は早朝だけ。時間の取れる日は昼過ぎまで残り、他の者たちの訓練を眺めていた。
けれど、童術だけは教えていない。
ギルドから、まだ返事が来ていなかった。
「礼さん」
「ん?」
木剣を下ろしたエルンが、額の汗を腕で拭う。
「今日も……まだですよね?」
何について聞いているのかは、言われなくても分かった。
「……うん。ごめん」
「いえ。礼さんが悪いわけじゃないですから」
そう言って笑う。
その笑顔を見るたびに、礼の胸には小さなものが引っかかった。
初日に感じた童力が消えてしまったわけではない。
むしろ、エルンはもう自分でそれを見つけられるようになっていた。朝、訓練を始める前に目を閉じ、身体の奥にある感覚を確かめる。それだけは礼も止めなかった。
感じるだけなら、以前から本人がやっていたことだ。
ただし、動かす方法は教えない。
身体のどこへ流せばいいのかも。
どう循環させればいいのかも。
エルンは、扉の前まで来ていた。
礼はその扉の向こうを知っている。
けれど、開けてやることだけができなかった。
「礼」
後ろから呼ばれて振り返ると、リオが一枚の紙を持って立っていた。
「ギルドから」
「返事?」
「いや。グレイグさんが話したいって」
礼は木剣を持ったエルンを見た。
少年もこちらを見ている。
「……行ってくる」
「はい」
「今日はハインさんの言うこと聞いてて」
「子供じゃないですよ」
「十五歳だろ」
「礼さんだって、そんなに変わらないじゃないですか」
「五つ違う」
「五つだけじゃないですか」
思わず言葉に詰まると、少し離れた場所でリオが笑った。
「ほら、行くぞ。三つも年上の礼さん」
「……うるさい」
訓練場を出る直前、礼はもう一度振り返った。
エルンはすでに木剣を構え直していた。
◇
ギルド長室を訪れるのは、これで何度目になるだろう。
初めて来た頃は、この部屋に入るだけで緊張していた。
今では壁に掛けられた古い地図も、窓際に並ぶ本も、グレイグが話をするときに指を組む癖も知っている。
それでも今日は、椅子へ座ったときから少しだけ居心地が悪かった。
「待たせたな」
向かいに座ったグレイグが言った。
「いえ」
「エルンという少年の件だ」
礼は自然と背筋を伸ばした。
「家族からの了承が得られていることは確認した。本人が童術を学ぶことを望んでいることも聞いている」
「じゃあ、教えても?」
「その前に、一つ話しておきたい」
また、その前に。
礼はそう思ったが、口には出さなかった。
グレイグは机の上に一枚の紙を置いた。
「今後、新たに童術を教える場合、事前にギルドへ知らせてもらいたい」
「……事前に?」
「ああ」
「この前は、新しく増えたら報告してほしいって話でしたよね」
「そうだ」
「今度は、教える前にですか?」
「そうなる」
礼は紙へ目を落とした。
難しいことは書かれていない。
新たに童術の教授を行う場合、対象者の氏名、年齢、所属または職業を事前に報告すること。
そして、ギルドとの相談を行うこと。
「どうしてですか?」
礼が尋ねると、グレイグは少しだけ身を乗り出した。
「今、童術を扱える者は十三人だな」
「はい」
「エルンが習得すれば十四人になる」
「まだ使えるようになるかは分かりませんけど」
「そうだな。だが、今後も増える可能性はある」
「増やしたいと思ってます」
「分かっている」
グレイグは即座に答えた。
「だからこそだ」
礼は黙って続きを待った。
「礼。十三人なら、お前自身が一人一人を見られるかもしれない。二十人ならどうだ。五十人なら? 百人になったら、お前は全員を見続けられるのか?」
「それは……」
礼はすぐには答えられなかった。
人数が増えれば、すべてを自分一人で見ることはできない。
それは礼自身も分かっていた。
だからこそ最近は、リオやハインにも教える側へ回ってもらっている。ノアやディンにも得意なものが見つかり始めた。
いつまでも自分だけが中心にいる必要はない。
それは、嬉しい変化だと思っていた。
「俺が全員に教えなくても、リオたちがいます」
「その次は?」
「え?」
「リオが教えた者が、また誰かへ教える。その者がさらに別の人間へ教える。そうなったとき、お前はどこまで把握できる?」
礼は黙った。
「お前が童術を悪用するとは思っていない」
グレイグの声は穏やかだった。
「お前を疑っているわけでもない」
「だったら――」
「お前一人を信用することと、お前が作った力がこれからどう使われるかは別の話だからだ」
その言葉には、礼も何も返せなかった。
グレイグが言っていることは分かる。
自分が最初に童力を見つけた。
自分が童術という名前をつけた。
けれど、もう自分だけのものではない。
十三人が使っている。
これから十四人、十五人と増えていけば、自分の知らないところで誰かが誰かに教える日も来るのだろう。
それ自体は、悪いことだと思わない。
むしろ礼は、そうなってほしいとさえ思っていた。
けれどグレイグには、その同じ未来が別の形に見えているらしい。
「……でも」
礼は顔を上げた。
「エルンは違います」
「何がだ?」
「十五歳で、パン屋で働いてます。お父さんにも会いました。本人も習いたいって言ってるし、お父さんもいいって言ってくれました。童力だって感じられてます」
「ああ」
「俺もちゃんと見ます」
「分かっている」
「じゃあ、何が駄目なんですか?」
「エルンが駄目だと言っているんじゃない」
「だったら、教えていいんですよね?」
今度は、グレイグが黙った。
わずかな沈黙だった。
けれど、その沈黙だけで礼には答えが分かってしまった。
「……まだ、駄目なんですか」
「駄目とは言っていない」
「じゃあ、いつならいいんですか?」
「今、調整している」
「誰と?」
グレイグの目がわずかに細くなった。
「それは、お前が気にすることではない」
礼の胸に、初めてはっきりとした違和感が生まれた。
「でも、待ってるのはエルンです」
「分かっている」
「俺も待ってます」
「それも分かっている」
「だったら――」
「礼」
隣からリオの声がした。
礼が振り向く。
「何?」
「喧嘩しに来たんじゃないから」
「分かってる」
「顔が分かってない」
「…………」
思わず口を閉じる。
グレイグが小さく息を吐いた。
「リオの言う通りだ。俺もお前と喧嘩をしたいわけじゃない」
「俺もです」
「なら、少し落ち着け」
「……はい」
礼は椅子へ座り直した。
怒っているつもりはなかった。
ただ、エルンが毎朝訓練場へ来て、他の者が童術を使う姿を眺めていることを思い出すと、どうしても言葉が早くなった。
しばらく考えていたグレイグが、机の端に置かれていた依頼書を一枚取った。
「なら、こうしよう」
差し出された紙を礼が受け取る。
「薬草採取……?」
「街の北西にある林だ。薬草の採取と、街道付近で報告されている小型魔物の痕跡確認。危険度は低い」
「これが?」
「エルンを同行させろ」
礼は顔を上げた。
「いいんですか?」
「勘違いするな。戦闘要員としてではない。見学だ」
グレイグは指を一本立てた。
「エルンを人数には数えない。戦闘が予想される場所では必ず後方へ置く。危険度が依頼内容を上回った場合は、その時点で撤退。童術も使わせるな」
「……童術は?」
「まだだ」
礼は少しだけ唇を結んだ。
「ただし」
グレイグは続けた。
「お前たちがどうやって人間を育てているのか、俺たちも知らなさすぎる」
「…………」
「机の上で判断し続けても仕方がない。お前がどう教え、エルンがどう学ぶのか。一度、実際の依頼の中で見せてくれ」
礼は依頼書を見た。
それなら、分かる気がした。
「分かりました」
「同行者は?」
「俺とリオと……ハインさんにも頼みます」
「それでいい」
「エルンは絶対、前には出しません」
「そうしてくれ」
礼は立ち上がった。
扉へ向かおうとして、ふと振り返る。
「グレイグさん」
「何だ」
「ちゃんとできたら」
礼は依頼書を持ち上げた。
「エルンに教えていいんですよね?」
グレイグは礼を見た。
その目に浮かんだものを、礼は読み取れなかった。
「……まずは依頼を終わらせてこい」
結局。
答えは、それだけだった。
◇
「依頼!?」
話を聞いたエルンは、予想以上に喜んだ。
「声でかい」
「す、すみません!」
慌てて口を押さえるが、目は輝いたままだ。
「俺も行っていいんですか?」
「見学だけね」
「はい!」
「戦わない」
「はい!」
「俺かリオかハインさんに下がれって言われたら、理由を聞かずに下がる」
「はい!」
「勝手にどこか行かない」
「はい!」
「童力は使わない」
そこで、エルンの返事が一拍遅れた。
「……はい」
「不満そう」
「ちょっとだけ」
「駄目」
「まだ何も言ってないです」
「顔に出てる」
「礼さんに言われたくないです」
後ろでリオが吹き出した。
「お前ら似てきたな」
「どこが?」
「どこがですか?」
二人同時に返し、今度はハインまで笑った。
翌朝、四人はローデンを出た。
林までは歩いて半日もかからない。
天気はよく、空には薄い雲が流れていた。街道の左右には低い草原が広がり、その向こうに目的地の林が見えている。
エルンにとっては、それだけでも新鮮らしかった。
「冒険者って、依頼のときはもっと急いで走るのかと思ってました」
「何で?」
「なんとなくです」
「走ったら疲れるだろ」
リオが言う。
「魔物が出たときに疲れてたら困るしな」
「ああ……」
エルンが感心したように頷く。
少し歩くと、今度は礼が街道脇で立ち止まった。
「エルン」
「はい?」
「ここ、見て」
指差した先には、湿った土があった。
「何かあります?」
「足跡」
エルンがしゃがみ込む。
「……これ?」
「うん。小さいから、たぶん普通の動物。何だと思う?」
「分かりません」
「俺も」
「えっ」
「だからハインさん」
「俺かよ」
ハインが苦笑しながらしゃがみ込んだ。
「こいつは角兎だな。二匹……いや、三匹か。街道を横切っただけだ」
「分かるんですか?」
「慣れればな」
エルンは感心したように足跡を覗き込んでいる。
その横顔を見ながら、礼は少し嬉しくなった。
自分も、知らないことだらけだった。
今だって知らないことは多い。
だから、知っている人に聞けばいい。
童術だって同じなのかもしれない。
自分だけがすべてを教えなくてもいい。
そう思えるようになったことを、礼は少し誇らしく感じていた。
林へ入る前には、全員で地図を確認した。
「俺たちはこの辺りまで行く」
礼が指で示す。
「もし何かあったら、街道まで戻る。森の奥には逃げない」
「どうしてですか?」
「迷うから」
「それだけ?」
「それだけで十分危ないよ」
エルンは真面目な顔で頷いた。
林の中では、薬草を探すのにも時間がかかった。
依頼書に描かれた葉の形と見比べ、一つずつ採取する。同じような葉を持つ別の草もあり、エルンは二度間違えた。
「魔物倒すより地味ですね……」
「冒険者の仕事なんて、こういうの多いぞ」
ハインが笑う。
「俺、もっと剣振ったり魔術使ったりするのかと」
「戦わないで終わるなら、それが一番いいよ」
礼が言うと、エルンが意外そうにこちらを見た。
「礼さんでも?」
「俺でも」
「でも、礼さんってすごい技いっぱい使えるんですよね」
「使わなくていいなら使わないよ」
「……そうなんだ」
エルンは何かを考えるように呟いた。
目的の薬草を半分ほど集めた頃だった。
リオが突然、片手を上げた。
全員が止まる。
さっきまで話していたエルンも、何も言わなかった。
「右」
リオが小さく言った。
礼も気づいた。
茂みの奥。
葉が擦れる音。
ハインはすでに動いていた。
「エルン、こっち」
「はい」
エルンの肩を掴み、大きな木の後ろへ下がらせる。
その間にリオは弓を構え、礼は周囲へ意識を広げた。
一匹。
今のところ、それ以外には感じない。
茂みが揺れた。
飛び出してきたのは、犬ほどの大きさの魔物だった。
灰色の毛。
口元から突き出した牙。
こちらを見た瞬間、低く唸る。
「一匹」
礼が告げる。
「分かった」
リオが矢を放った。
短い音。
魔物は走り出すことさえできず、その場へ崩れた。
それでも誰も近づかなかった。
礼は周囲を探る。
リオは次の矢を番えたまま。
ハインはエルンの前から動かない。
しばらく待って。
「……大丈夫だと思う」
礼が言って、ようやくリオが弓を下げた。
「確認する」
「俺も行く」
礼とリオが倒れた魔物へ近づく。
死んでいることを確認してから、ハインへ手を上げた。
「もういいぞ」
エルンが木の陰から出てきた。
その顔は少し青かった。
「大丈夫?」
「……はい」
「怖かった?」
「ちょっと」
「それでいいよ」
エルンは倒れた魔物を見た。
「俺……何もできませんでした」
「うん」
「…………」
「ちゃんと何もしなかった」
エルンが礼を見る。
「え?」
「ハインさんに下がれって言われて、すぐ下がっただろ」
「はい」
「勝手に出てこなかった」
「……はい」
「なら、ちゃんとできてるよ」
「でも、俺は戦ってないです」
「戦わなかったから役に立ってないってことじゃないよ」
礼は倒れた魔物へ視線を落とした。
「もしエルンが勝手に前に出てたら、リオも俺も、エルンのことまで気にしながら戦わなきゃいけなかった」
「…………」
「言われた場所にいてくれたから、俺たちは魔物だけ見ていられた。だから、それでいい」
エルンはしばらく黙っていた。
やがて、小さく頷いた。
「……はい」
その返事を聞いて、礼も頷いた。
◇
依頼は問題なく終わった。
必要な薬草は予定量を確保し、街道付近に危険な魔物が群れている痕跡もなかった。
エルンも最後まで指示を守った。
帰り道では疲れたのか口数が減っていたが、ローデンの城壁が見えてくると、また少し元気を取り戻した。
「礼さん」
「ん?」
「次は童術も使えますか?」
「……たぶん」
「たぶん?」
「グレイグさんに報告してから」
「そっか」
エルンは少し残念そうにしたが、すぐに笑った。
「じゃあ、ちゃんと報告してくださいね」
「するよ」
「俺、今日ちゃんとできましたよね?」
「うん」
「じゃあ大丈夫ですよね」
その言葉に。
礼はすぐ返事をしなかった。
「……うん」
それでも。
大丈夫だと思っていた。
◇
「問題はなかった」
報告を聞き終えたグレイグは、そう言った。
「同行中の指示にも従った。危険時の行動にも問題なし。お前たちの対応も適切だったと聞いている」
「はい」
礼は少しだけ身体を前へ出した。
「じゃあ、エルンに教えてもいいですか?」
グレイグは机の上の報告書を閉じた。
「その件については、もう少し待ってほしい」
「…………」
礼は。
何か聞き間違えたのかと思った。
「今日、問題なかったんですよね?」
「ああ」
「エルンも指示を守りました」
「そう聞いている」
「お父さんも許可してます」
「分かっている」
「俺たちの教え方も、問題なかったんですよね?」
「今回の依頼についてはな」
「だったら」
礼はグレイグを見る。
「何でですか?」
「礼」
グレイグはゆっくりと息を吐いた。
「エルン個人の問題ではない」
その言葉を聞いた瞬間。
礼の中で、何かが繋がった。
「……最初から?」
「何?」
「最初から、エルンがちゃんとできるかどうかじゃなかったんですか?」
「そういう意味ではない」
「じゃあ、俺がちゃんと教えられるかどうかでもない」
「礼、話を――」
「だったら」
礼は机の上に置かれた紙を見た。
新たに童術を教える場合。
事前に報告し、相談すること。
昨日までなら。
その言葉を見ても、ここまで気にはならなかったかもしれない。
「……どうして、俺たちが誰に教えるかまでギルドが決めるんですか?」
部屋が静かになった。
グレイグは答えなかった。
礼も目を逸らさなかった。
怒鳴ってはいない。
責めたいわけでもない。
ただ、本当に分からなかった。
「エルンは習いたいって言ってます。お父さんも認めてます。俺も教えたい。危ないことをさせないようにするし、今日だってちゃんとできました」
「…………」
「それでも駄目なら」
礼は一度、言葉を切った。
「俺たちは、誰の許可があれば教えていいんですか?」
グレイグは長く黙っていた。
やがて椅子の背へ身体を預け、眉間を指で押さえる。
「……決めたいわけじゃない」
「でも、今決めてます」
「そう見えるだろうな」
「見えるんじゃなくて――」
「礼」
リオが静かに呼んだ。
礼は口を閉じた。
今度は「顔が分かってない」とは言われなかった。
リオも笑っていなかった。
「グレイグさん」
リオが言う。
「俺たちが気をつけなきゃいけないことがあるなら、ちゃんと言ってください」
「…………」
「礼が全部正しいなんて、俺も思ってません。俺たちは知らないことだらけだし、童術だってまだ分からないことが多い」
礼は黙って聞いていた。
「でも、理由も分からないまま待てって言われ続けるのは、俺だって納得できません」
グレイグはリオを見た。
それから礼を見る。
「……三日くれ」
「三日?」
「ああ」
「三日で決めるんですか?」
「少なくとも、今よりはっきりした答えを出す」
礼は少し迷った。
エルンは、もう何日も待っている。
それでも。
「……分かりました」
礼は頷いた。
「三日なら待ちます」
「ああ」
立ち上がり、礼とリオは部屋を出る。
扉を閉める直前。
礼はグレイグを振り返った。
グレイグは机に座ったまま、こちらを見ていた。
何かを言おうとしたようにも見えた。
けれど。
結局、何も言わなかった。
◇
扉が閉まった。
足音が遠ざかっていく。
グレイグはしばらく、その扉を見つめていた。
「……三日、か」
自分で口にした期限だった。
机の引き出しから鍵を取り出す。
礼から提出された十三人分の名簿が入っている引き出しではない。
その下。
別の引き出しを開けた。
中には、数通の書簡が重ねられていた。
最初に届いたもの。
その次。
そして、今朝届いたばかりのもの。
グレイグは一番上の書簡を取り出した。
そこには、以前より踏み込んだ要求が記されていた。
『非登録者への童術教授を、当面の間停止すること』
『童術に関する研究記録を提出すること』
『如月礼本人との面談の機会を設けること』
最後の一文を、グレイグはしばらく見つめた。
やがて、書簡を机へ置く。
扉が叩かれた。
「入れ」
先ほどとは別の職員が入ってくる。
「ギルド長。例の件ですが」
「ああ」
「先方から、再度返答を求められています」
「分かっている」
「……どうなさいますか」
グレイグは答えず、書簡を裏返した。
職員は少し迷ってから、口を開く。
「そこまで彼らを庇う必要があるのでしょうか」
グレイグが顔を上げる。
「庇っているつもりはない」
「ですが、要求された情報を提出すれば、少なくともこちらへの催促は――」
「駄目だ」
短い言葉だった。
職員が口を閉じる。
「名簿は渡さない。研究記録もだ」
「如月礼との面談は?」
「本人が望むなら止めん」
「では――」
「こちらから差し出すつもりはない」
グレイグは椅子へ深く腰を下ろした。
「うちの町で暮らしている人間を、理由も分からないまま他所へ差し出すつもりはない」
「……承知しました」
「ただし」
グレイグは机の上にある、もう一枚の紙へ目を向けた。
礼が先ほど読んだもの。
新たな童術使用者について、事前の相談を求める文書だった。
「礼には礼で、分かってもらわなければならないことがある」
「と、言いますと?」
「あいつは人を信用しすぎる」
グレイグは窓の外を見た。
ローデンの街並み。
この街のどこかで今も、礼たちは童術を教えている。
最初は一人だった。
それが二人になり。
今では十三人になった。
そして十四人目が、扉の前に立っている。
「力は、善人だけを選んで残ってはくれん」
グレイグは小さく呟いた。
職員は何も答えなかった。
机の上には二枚の紙がある。
一枚には、童術を管理しろと書かれていた。
もう一枚には、童術を教える前に相談してほしいと書かれている。
似ているようで。
同じではない。
少なくともグレイグは、まだそう思っていた。
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