第四十六話 名簿
昼を少し過ぎた頃。
訓練場には、まだ朝の冷たさがわずかに残っていた。
空はよく晴れている。
日差しそのものは暖かいが、風が吹くたびに土の上を乾いた砂が薄く流れていった。
「もう一回」
「はい!」
礼の声に、ノアが剣を構え直す。
右腕へ童力を集める。
昨日見つけたばかりの、ノアが得意とする動かし方だ。
全身へ巡らせようとすると、まだところどころで流れが鈍る。
だが、一点へ集中させると違う。
胸の奥から肩へ。
肩から腕へ。
そして剣へ。
「――っ!」
踏み込む。
剣が木人へ食い込んだ。
「……うん」
礼はノアではなく、その身体を巡る童力を見ていた。
「昨日より速い」
「本当ですか?」
「たぶん」
「そこは言い切ってくださいよ」
「まだ二日目だから」
「礼さん、そういうところだけ慎重ですよね」
「そういうところって?」
ノアが笑う。
礼は首を傾げながらノートへ書き込んだ。
少し離れた場所では、ディンが目を閉じている。
その周囲を、三人の童術師が取り囲んでいた。
「じゃあ行くぞ」
ハインが言う。
「いつでも」
ディンが答える。
数秒。
誰も動かない。
ただ、三人の身体の中では童力が動いていた。
「……左」
ディンが指を向ける。
「そっちの人。右腕」
「正解」
「次」
今度は。
「ハインさん」
「場所は?」
「脚……いや、左脚」
「正解」
「おお」
見ていたバルトが感心したような声を上げた。
「便利だな、それ」
「便利って言うなよ」
「だって便利だろ」
「バルトさんもやってみます?」
「俺?」
「はい」
「余裕だろ」
バルトが腕を組む。
「礼」
「何です?」
「俺もやる」
「いいですよ」
礼はノートを閉じた。
「じゃあ目を閉じて」
「おう」
バルトが目を閉じる。
ハインが童力を動かした。
「…………」
「…………」
「…………」
「どこです?」
「待て」
「はい」
「…………」
さらに十秒。
「まだですか?」
「うるせえな!」
「分からないなら分からないって言えばいいだろ」
リオが笑いながら言った。
「今考えてんだよ!」
「何を?」
「どこかを!」
「答えになってねえよ」
周囲から笑い声が上がる。
バルトが目を開けた。
「こんなの戦うのに必要ねえだろ!」
「さっき便利って言ってたじゃん」
「俺には必要ねえ!」
「バルトさんは得意なこと違いますから」
礼が言う。
「そうそう」
リオが頷く。
「お前には石がある」
「殺すぞ」
「駄目です」
「何で礼は俺を止めるんだよ!」
「リオが死ぬから」
「そうじゃねえよ!」
また笑い声が起きた。
いつもの光景だった。
礼は笑いながら、再びノートを開く。
昨日だけで。
いくつものことが分かった。
全員に同じ教え方をする必要はない。
童力量。
操作精度。
循環。
維持。
瞬間出力。
感知。
人によって、得意なことが違う。
なら。
その違いを調べる。
基礎となるものは共通して教える。
その先は、一人ひとりに合った方法を探す。
まだ形にはなっていない。
それでも。
礼の中には、少しずつ。
教えるための道筋が生まれ始めていた。
「如月さん」
知らない声がした。
礼が顔を上げる。
訓練場の入口に、一人の男が立っていた。
ギルドの制服を着ている。
何度か受付の奥で見かけたことがある職員だった。
「はい」
「少しよろしいでしょうか」
「俺?」
「はい」
男は一度。
訓練場の中を見た。
バルト。
ハイン。
ノア。
ディン。
そして。
その奥で訓練を続けている童術師たち。
「ギルドからお話があります」
礼は。
持っていたノートを閉じた。
◇
訓練場の隅。
木製の長椅子へ、礼とリオが並んで座った。
向かいにギルド職員。
リオは呼ばれていない。
それでも礼が、
「リオも一緒でいいですか」
と聞くと。
職員は少し考えてから頷いた。
「構いません」
「ありがとうございます」
「それで」
職員が鞄を開く。
中から数枚の紙を取り出した。
「先にお伝えしておきますが、何か問題が起きたわけではありません」
「はい」
「童術の使用を禁止するという話でもありません」
「……はい」
礼は頷いた。
なぜ。
わざわざ最初にそれを言うのだろう。
「先日の《銀梟》との共同討伐について、報告を受けています」
「ダグさんたちから?」
「はい」
礼は少し笑った。
「いい人たちでした」
「そのようですね」
「また一緒に依頼受けたいって――」
「礼」
隣からリオが呼んだ。
「何?」
「話」
「あ」
礼は職員へ向き直る。
「すみません」
「いえ」
職員も僅かに笑った。
だが。
すぐに表情を戻した。
「報告では、童術を用いた戦闘について、かなり詳細な記録が残されています」
「そうなんですか?」
「身体能力の強化。武器への付与。弓矢への応用。防御。それから、直接的な攻撃」
「…………」
「《童貞破》、でしたか」
「…………」
リオが顔を伏せた。
肩が震えている。
礼は横を見る。
「何?」
「いや」
「笑ってる?」
「笑ってない」
「笑ってるだろ」
「ギルドの人が真顔で言うから……」
「お前がつけたんだろ」
「そうだけどさ……」
職員は何も言わなかった。
ただ。
少しだけ遠くを見るような目をしていた。
「……続けても?」
「すみません」
リオが口元を押さえる。
「どうぞ」
「現在、ギルドが確認している童術の使用者は十三名です」
礼は頷いた。
「はい」
「そのうち、冒険者として登録されている方が九名」
「はい」
「登録されていない方が四名」
「そうです」
「今後も増える可能性はありますか?」
「あると思います」
「どの程度?」
「分かりません」
礼は素直に答えた。
「童力を感じられる人がどのくらいいるのか、まだ分からないので」
「なるほど」
職員は紙へ何かを書き込む。
その音を。
礼は何となく聞いていた。
「そこで」
職員が別の紙を取り出した。
「ギルドからお願いがあります」
礼の前へ。
紙が置かれる。
「現在、童術を扱うことのできる方々について、名簿を作成していただきたいのです」
「……名簿?」
「はい」
礼は紙を見る。
まだ何も書かれていない。
上部には。
『童術使用者名簿』
そう記されていた。
「何を書くんですか?」
「氏名。それから年齢。冒険者であれば登録番号。非登録者であれば職業を」
「それだけ?」
「現時点では」
礼は。
その言葉が少し気になった。
「何のために?」
「安全管理です」
職員は即答した。
「童術が危険だと言っているわけではありません。しかし、実戦で十分に使用できる技術であることは、今回の報告でも確認されました」
「…………」
「剣を扱う者がいる。魔術を扱う者がいる。そして、童術を扱う者がいる」
職員は続ける。
「何か事故が起きた際、誰がどのような力を扱えるのか全く分からないという状態は、ギルドとして望ましくありません」
礼は。
少し考えた。
言っていることは。
分かる。
童術で人を傷つけることはできる。
自分自身。
何度も魔物を倒している。
バルトたちも。
すでに戦える。
「……分かりました」
礼は頷いた。
「書きます」
「ありがとうございます」
職員が頭を下げた。
「それから」
もう一枚。
紙が置かれた。
「今後、新しく童術を習得した方が出た場合についても、ギルドへ報告をお願いします」
礼は。
紙へ伸ばしかけた手を止めた。
「……新しく?」
「はい」
「これから教える人も?」
「そうです」
「冒険者じゃなくても?」
「可能であれば」
「…………」
礼は。
紙を見る。
「それは」
少しだけ。
言葉を選んだ。
「報告しないと、教えちゃ駄目ってことですか?」
「いいえ」
職員は首を振った。
「現時点で、ギルドが童術の教授そのものを禁止する規定はありません」
「じゃあ」
「把握しておきたいのです」
「…………」
「誰が童術を扱えるのか」
職員は。
静かな声で言った。
「それだけです」
礼は黙った。
それだけ。
確かに。
それだけだった。
教えるなとは言われていない。
やめろとも。
使うなとも。
ただ。
教えたら。
教えてほしい。
名前を。
ギルドへ。
「……分かりました」
礼は答えた。
その横で。
リオは何も言わなかった。
◇
職員が帰ったあと。
「名簿?」
最初に反応したのはバルトだった。
「はい」
「面倒くせえ」
「やっぱり言うと思った」
ハインが苦笑する。
「だって名前書くんだろ?」
「名前くらい書けよ」
「名前だけじゃないです」
礼は紙を見る。
「年齢と、冒険者なら登録番号。冒険者じゃない人は職業」
「ほら面倒くせえ」
「そこまでか?」
リオが呆れる。
「俺はいいと思いますけど」
ノアが言った。
皆がそちらを見る。
「名前くらいなら」
「気にならない?」
礼が尋ねる。
「別に。俺、冒険者登録してますし」
ノアは肩をすくめる。
「ギルドには元々名前知られてますから」
「それはそうか」
「俺はちょっと嫌だな」
ディンだった。
「何で?」
ノアが尋ねる。
「俺、冒険者じゃないから」
「…………」
「別に隠してるわけじゃないけど」
ディンは紙を見る。
「童術覚えただけで、何でギルドに名前出すんだろうって」
礼は。
答えられなかった。
「事故が起きたときのためだろ」
ハインが言う。
「童術で誰か怪我させたとか、そういうとき」
「それは分かるけど」
「俺も」
バルトが腕を組む。
「別に名前知られるのはどうでもいいけどな」
「さっき面倒って」
「書くのが面倒なだけだ」
「そこなんだ……」
「ただ」
バルトの声が少し変わった。
「何でギルドがそこまで知る必要あんのかは、俺もよく分からん」
「…………」
意見が。
違う。
ノアは気にしていない。
ディンは嫌がっている。
ハインは必要性を理解している。
バルトは。
面倒くさがっている。
「リオは?」
礼が聞いた。
「俺?」
「うん」
リオは。
すぐには答えなかった。
「……今は」
「今は?」
「いいんじゃない?」
「…………」
「名前を出せってだけなら」
リオは紙を見る。
「でも」
「うん」
「覚えとこう」
「何を?」
「今日、何を頼まれたか」
礼は首を傾げる。
「どういう意味?」
「そのまま」
リオは笑った。
「今日は、名簿を出してくれって言われただけ」
「……うん」
「それだけ」
礼は。
もう一度。
紙を見る。
『童術使用者名簿』
まだ。
名前は一つも書かれていなかった。
◇
その日の夕方。
礼はギルドを訪れた。
十三人。
全員に確認した。
名簿へ名前を書いてもいいか。
嫌なら。
そう伝えるつもりだった。
結果。
全員が了承した。
ディンも。
最後には。
「礼さんが出すなら」
と言った。
礼は。
少しだけ。
その言葉が気になった。
それでも。
十三人分。
書いた。
名前。
年齢。
登録番号。
職業。
最後。
自分の名前を書く。
『如月 礼』
礼は。
しばらく。
その文字を見ていた。
「礼」
隣からリオが呼ぶ。
「何?」
「終わった?」
「うん」
「じゃあ出すか」
「…………」
「どうした?」
「いや」
礼は名簿を見る。
「変な感じするなって」
「何が?」
「分からない」
十三人の名前。
少し前まで。
自分一人だった。
それから。
リオが増えた。
二人で調べた。
バルト。
ハイン。
ノア。
ディン。
さらに。
一人。
また一人。
気づけば。
十三人。
「名前を書いただけなのに」
礼は言った。
「何か、変わった気がする」
リオは。
名簿を見る。
しばらく。
何も言わなかった。
「変わったんじゃなくてさ」
「うん?」
「変わってたことが、見えるようになっただけかもな」
「…………」
礼は。
十三人の名前を見る。
「そうなのかな」
「たぶん」
「リオでも分からない?」
「俺を何だと思ってるんだよ」
「二人目」
「そういう意味じゃねえよ」
礼は少し笑った。
名簿を受付へ提出する。
「確かにお預かりします」
職員が頭を下げた。
「ありがとうございます」
「いえ」
礼も頭を下げる。
それだけだった。
何も。
起こらなかった。
◇
その夜。
冒険者ギルド。
二階。
ギルド長室。
机の上へ。
一枚の紙が置かれた。
『童術使用者名簿』
十三人。
グレイグは。
その名前を。
一人ずつ読んでいた。
「……十三人」
小さく呟く。
机の前に立つ職員が頷いた。
「はい」
「全員、自分の意思で名前を?」
「如月礼が確認したそうです」
「そうか」
グレイグは。
最初の名前を見る。
『如月 礼』
そこから。
十三人目まで。
ゆっくり目を通した。
「新規習得者については?」
「今後、報告してもらえるとのことです」
「反発は?」
「多少、疑問を持った者はいたようですが」
「礼は」
「受け入れました」
「…………」
グレイグは。
椅子へ深く腰を下ろした。
「分かった」
「では」
「ああ」
職員が部屋を出ていく。
扉が閉まった。
グレイグだけが残る。
十三人の名簿。
その横には。
別の紙が置かれていた。
グレイグは。
そちらへ視線を移した。
数日前。
ギルドへ届いたものだった。
差出人。
所属。
そこに書かれた文字を。
グレイグは。
しばらく見つめていた。
やがて。
紙を裏返す。
そして。
童術師十三人の名簿を手に取った。
机の引き出しを開く。
中へ入れる。
鍵をかけた。
「…………」
小さく。
息を吐く。
それから。
裏返した紙を。
もう一度だけ見た。
そこには。
如月礼と。
童術を扱う者たちについて。
詳細な情報の提出を求める旨が。
記されていた。
グレイグは。
その紙を名簿と同じ引き出しへ入れることはなかった。
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