第四十五話 それぞれの童術
朝の訓練場には、剣戟の音が響いていた。
乾いた金属音が一度。
続けて二度。
三度目だけ、少し重い。
「――っ!」
ノアが踏み込んだ。
握った剣が木人へ叩き込まれる。
刃が触れる寸前、その右腕を巡っていた童力が一気に剣へ流れ込んだ。
鈍い音が響く。
木人の表面が抉れ、小さな木片が地面へ落ちた。
「……今の」
少し離れたところから見ていた礼は、思わず呟いた。
「ノア、もう一回やって」
「え?」
剣を下ろしたノアが振り返る。
「同じところ?」
「ううん。今と同じやり方で」
「分かりました」
ノアが再び構えた。
礼は剣ではなく、彼の身体を巡る童力へ意識を向ける。
胸。
肩。
腕。
普段の循環は、決して滑らかとは言えない。
二年前。
初めて一緒に依頼へ出た頃と比べれば、ずっと上達している。
それでも、ハインほど安定してはいなかった。
「行きます」
ノアが踏み込む。
その瞬間だった。
「…………」
変わる。
胸の奥にあった童力が、一気に右肩へ流れ込む。
腕。
手首。
そして剣。
速い。
全身へ巡らせるときとは、明らかに違った。
剣が木人へ当たる。
先ほどより深く。
刃が食い込んだ。
「……やっぱり」
「何か変でした?」
「逆」
礼は木人へ近づいた。
抉れた部分を指で触れる。
「すごく上手い」
「本当ですか?」
「うん」
ノアの顔が少し明るくなった。
「でも俺、循環はまだハインさんみたいにできないですよ」
「それなんだけど」
礼はノアの右腕を見る。
「全身に回そうとしなくていいのかもしれない」
「え?」
「もう一回やってみよう」
礼はノアの前へ立った。
「今度は身体全部に童力を巡らせようとしないで。最初から右腕だけ」
「それでいいんですか?」
「試してみないと分からない」
「……礼さんらしいなあ」
「何が?」
「いや、何でもないです」
ノアが苦笑しながら剣を構え直す。
礼は一歩下がった。
「できるだけ速く。強くしようとしなくていいから」
「はい」
ノアが息を吐く。
静かになる。
次の瞬間。
童力が動いた。
「速い」
礼の目が僅かに開く。
胸から肩。
肩から腕。
腕から剣。
迷いがない。
剣が木人へ叩き込まれる。
木片が飛んだ。
「おお」
近くで別の訓練をしていたバルトが振り向いた。
「今の結構いったな」
「ですよね」
ノアも自分の剣を見ていた。
礼はすぐにノートを開く。
「ちょ、待ってください」
「何?」
「もう書くんですか?」
「忘れるから」
「まだ一回ですよ」
「だから一回目って書く」
「…………」
ノアは諦めたように笑った。
礼はペンを走らせる。
『ノア』
『全身循環――安定性、中』
『局所移動――速』
『瞬間的な一点集中――高適性の可能性』
そこまで書いて。
礼は止まった。
「…………」
ノートを見る。
それから。
訓練場を見渡した。
◇
十三人。
全員が同じ訓練をしているわけではなかった。
端では、まだ童力を感じ取る訓練を続けている者がいる。
その隣では、身体の中心から腕へ童力を移動させようとしている者。
さらに奥では、ハインが二人の童術師を相手に循環を教えていた。
「急いで回そうとするな。最初はゆっくりでいい」
「でも、戦ってるときはそんな余裕ないですよね?」
「最初から戦ってるときの速度でやろうとするから失敗するんだよ」
ハインが自分の腕を叩く。
「俺も最初は全然できなかった。まず身体の中を一周させる。それができたら少しずつ速くする」
「はい」
教えている。
礼がいなくても。
少し離れた場所では、リオが弓を使う童術師を見ていた。
「放つ瞬間に全部乗せるな。矢が飛んだあとまで残す」
「それが難しいんです」
「俺も難しかったよ」
「リオさんでも?」
「最初なんか、弓から離れた瞬間に全部消えてた」
「本当に?」
「礼に聞いてみろ」
笑い声が聞こえる。
そして。
バルト。
「違う! もっと一気にやれ!」
「一気にって何ですか!?」
「こう、ぐわって!」
「分かりませんよ!」
「だから、ぐわってやって、ドンだ!」
「礼さーん!」
「俺に聞かないで!」
「何でだよ!」
「バルトさんの説明だから!」
また笑い声が起きた。
礼も笑いながら。
ふと。
思った。
「……違う」
誰にも聞こえないくらいの声だった。
全員。
違う。
今までだって分かっていた。
童力量には個人差がある。
操作の上達速度も違う。
得意不得意があることも、すでに記録している。
だが。
それを礼は、どこかで同じ道の上にある差だと思っていた。
上手いか。
下手か。
速いか。
遅いか。
童力量が多いか。
少ないか。
けれど。
もしかしたら。
「礼?」
声をかけられた。
振り向くと。
ディンが立っていた。
「どうしたの?」
「いや、それ俺が聞こうと思って」
「え?」
「ずっと皆のこと見てたから」
「ああ……」
礼はノートを見る。
「ちょっと気になることがあって」
「また研究?」
「うん」
「やっぱり」
ディンが笑った。
そのとき。
「――危ない」
ディンの表情が変わった。
「え?」
「ハインさん」
礼が振り向く。
離れた場所。
ハインが新人へ循環を教えている。
特に。
変わったところはない。
「何が?」
「今、乱れた」
「……何が?」
「童力」
礼の目が細くなる。
「ハインさんの?」
「うん」
礼は意識を集中した。
ハインの童力。
今は。
普通だ。
「どこ?」
「右肩のあたり」
礼はハインへ近づいた。
「ハイン」
「ん?」
「今、右肩何かした?」
「右肩?」
ハインが自分の肩を見る。
「ああ」
「何?」
「こいつに見本見せようとして、一回だけ童力止めた」
「止めた?」
「ここで溜めてから流すやつ。ほら」
ハインがもう一度やる。
身体を巡っていた童力が。
右肩で。
一瞬。
滞る。
「…………」
礼にも分かった。
だが。
「ディン」
「何?」
「さっき、ここから見えた?」
「見えたっていうか……感じた」
距離がある。
それに。
ディンは別の方向を向いていた。
「もう一回」
「俺?」
ハインが尋ねる。
「うん。でも今度は、どこで止めるか言わないで」
「分かった」
礼とディンが少し離れる。
「ディン、目閉じて」
「え?」
「いいから」
「分かった」
ディンが目を閉じた。
ハインを見る。
数秒。
童力が動く。
「…………」
ディンの眉が僅かに動いた。
「左腕」
礼はハインを見る。
「……当たり」
ハインが驚いている。
「もう一回」
今度は。
腹。
「真ん中……腹?」
「当たり」
次。
「右脚」
「……当たり」
三度。
全て。
ディンは答えた。
「お前、そんなことできたの?」
バルトまで近づいてきた。
「いや……普通じゃないの?」
「俺は分かんねえぞ」
「リオ!」
礼が呼ぶ。
「何?」
「ちょっと来て!」
「また何か見つけた顔してるな」
リオが弓を置いて歩いてくる。
事情を説明する。
「へえ」
リオがディンを見る。
「俺でやる?」
「お願いします」
リオが少し離れた。
童力を動かす。
「右手」
正解。
「……胸」
正解。
「今度は?」
「…………」
ディンが迷う。
「分からない」
「動かしてない」
「えぇ……」
「すごいな」
リオが笑った。
「俺でも、他人の童力をそこまで細かく見るの難しいぞ」
「俺、戦うのはそんなに強くないけど」
ディンが少し困ったように頭を掻く。
「これって役に立つ?」
「立つよ」
礼は即答した。
ディンが目を瞬く。
「本当に?」
「うん」
礼の頭の中では。
もういくつもの可能性が浮かんでいた。
仲間の童力の乱れ。
循環不良。
外から近づく童力。
誰がどこにいるのか。
もし感知できる範囲を広げられれば。
「……面白い」
「礼」
リオが笑う。
「その顔やめろ」
「何で?」
「今日終わらなくなる」
「まだ朝だよ」
「だからだよ」
◇
その日の訓練は。
予定していたものとは全く違う内容になった。
礼は十三人を一人ずつ見た。
同じ課題を与える。
身体の中心から右腕へ童力を移動。
全身循環。
一点集中。
一定量の維持。
外部へ放出。
他人の童力の感知。
結果は。
思っていた以上に違った。
バルトは、やはり瞬間的な出力が高い。
多少乱れても強引に動かせる。
礼ほどではないにしても、一度に扱える童力量は十三人の中でも突出していた。
ハインは逆だった。
派手さはない。
だが循環が安定している。
一度作った流れを長く保つことができ、急激な乱れも少ない。
リオは。
精密さ。
少量の童力を細かく動かすことに関しては、礼より上手い場面すらあった。
「……やっぱり俺より上手いよね」
「何が?」
「細かい操作」
「また始まった」
「本当だよ」
「童力量が違いすぎる奴に言われても嫌味にしか聞こえねえよ」
「嫌味じゃないのに」
ノア。
局所への高速移動。
瞬間的な一点集中。
ディン。
外部感知。
特に。
他者の童力変化への感度が高い。
それ以外の者にも。
少しずつ。
違いがある。
礼は地面へ座り。
ノートへ書き続けた。
『童力量』
『循環安定性』
『操作精度』
『局所移動速度』
『瞬間出力』
『維持能力』
『外部放出』
『外部感知』
項目が増えていく。
「…………」
ペンが止まった。
「どうした?」
隣に座ったリオが覗き込む。
「今まで」
礼はノートを見たまま言った。
「俺、みんなに同じこと教えてた」
「まあ、基本はそうだな」
「俺が最初にやった順番」
感知。
移動。
強化。
循環。
放出。
自分が試した。
できた。
だから。
次の人にも教えた。
「でも、違うのかもしれない」
「何が?」
「途中から」
礼は訓練場を見る。
ノアが。
何度も右腕への一点集中を試している。
ディンは。
ハインたちの童力を遠くから感じ取ろうとしている。
「最初は同じでいいと思う」
「うん」
「童力を感じる。動かす。身体の中を巡らせる」
「うん」
「でも、その後は」
礼は少し考えた。
「その人が得意なものを伸ばした方がいいのかもしれない」
「…………」
「バルトに、リオと同じことをさせなくてもいい」
「絶対無理だろ」
「そこまで言ってない」
「いや、あいつに精密操作は無理だって」
「聞こえてるぞ!」
遠くから怒鳴り声が飛んできた。
「ほら」
「ほらじゃねえ!」
笑い声が起きる。
礼も笑った。
けれど。
ノートを見る目は。
すぐに真剣なものへ戻った。
「教え方、分けた方がいいのかもしれない」
「分ける?」
「うん」
礼は新しいページを開く。
「最初に覚えることと、その後に覚えること」
「…………」
「基礎は同じ。でも、得意なものが違うなら――」
「礼」
「何?」
「お前」
リオが笑っている。
「本当に先生みたいになってきたな」
「…………」
「十三人分の適性調べて、教え方まで考えてるじゃん」
「先生じゃない」
「まだ認めないのかよ」
「俺も分からないこといっぱいあるし」
「先生だって全部知ってるわけじゃないだろ」
「…………」
それは。
そうかもしれない。
礼は少しだけ困った。
「じゃあ……研究者」
「逃げた」
「逃げてないよ」
「逃げたって」
リオが笑う。
礼は。
少しだけ笑い返した。
そして。
ノートへ書く。
『基礎訓練――共通』
『以降――個人適性に応じた訓練への分岐を検討』
まだ。
名前はない。
分類も。
決まっていない。
ただ。
童術を教えるということが。
礼のやり方を、そのまま誰かに真似させることではなくなり始めていた。
◇
日が傾き始める頃。
「今日はここまで」
礼が言うと。
訓練場のあちこちから、安堵の息が漏れた。
「疲れた……」
「普段より長くない?」
「礼さんが途中から止まらなくなったから」
「俺?」
「そうですよ」
ノアが笑う。
「全員、一回ずつ呼ばれましたからね」
「必要だったから」
「分かってますけど」
皆が荷物をまとめ始める。
剣を鞘へ。
弓を背へ。
水筒を拾い。
それぞれが宿や家へ帰る準備をする。
礼は最後までノートを見ていた。
「礼」
「何?」
「帰るぞ」
リオだった。
「あと少し」
「宿でやれ」
「でも――」
「飯」
「…………」
「今日はお前、昼もほとんど食ってないだろ」
「食べたよ」
「パン半分は食事って言わない」
「半分じゃないよ。もっとあった」
「そういう問題じゃない」
リオにノートを閉じられる。
「分かったよ」
礼は立ち上がった。
「礼さん」
そのとき。
ノアに呼び止められた。
「何?」
「あの」
ノアは。
少しだけ言いにくそうな顔をしていた。
「昨日、変な人に声かけられたんです」
「変な人?」
「はい」
「どんな?」
「普通の男でした。三十くらいかな」
「知り合い?」
「いや。全然」
礼は首を傾げた。
「何て?」
「童術のこと聞かれました」
礼の表情が。
少し変わる。
「童術?」
「はい」
近くにいたリオも。
荷物を持つ手を止めた。
「何聞かれた?」
リオが尋ねる。
「えっと……」
ノアが思い出す。
「童術師って何人くらいいるのか、とか」
「うん」
「いつもどこで訓練してるのか、とか」
「それから?」
「誰でも習えるのか、とか」
礼は。
数日前のことを思い出した。
ギルド長。
訓練場の見物人。
魔術師。
「ギルドの人じゃない?」
「俺もそう思ったんですけど」
「違った?」
「たぶん」
ノアが頷く。
「ギルドの人かって聞いたら、違うって言ってました」
「…………」
リオの顔から。
少しずつ笑みが消えていく。
「他には?」
「礼さんのこと」
「俺?」
「はい」
ノアは礼を見る。
「どんな人なのかって」
「…………」
「何で童術を教えてるのかとか。どこに住んでるのかとか」
「住んでる場所まで?」
「はい」
礼は少し眉を寄せた。
童術について聞かれること自体は。
もう珍しくない。
最近。
見物人も増えた。
興味を持つ冒険者も。
魔術師もいる。
だから。
それだけなら。
気にしなかったと思う。
「……何だったんだろう」
「礼」
リオが小さく呼ぶ。
「うん」
「それ」
「俺も」
別の声がした。
全員が振り向く。
ディンだった。
「何が?」
礼が尋ねる。
「俺も声かけられた」
空気が。
ほんの少しだけ変わった。
「いつ?」
「三日前」
「ノアと同じ人?」
「いや」
ディンは首を振った。
「女だった」
「…………」
「二十代くらい。たぶん」
「何を聞かれた?」
「だいたい同じ」
ディンは答える。
「童術師が何人いるのか」
「…………」
「どうやって習ったのか」
「…………」
「それと」
ディンの目が。
礼へ向いた。
「礼さんは、全員に何を教えてるのか」
誰も。
すぐには話さなかった。
訓練場では。
他の冒険者が片付けをしている。
遠くでは。
木剣の音がまだ聞こえている。
夕暮れの風が。
土の匂いを運んでくる。
何も。
変わったことは起きていない。
それでも。
「……偶然かな」
礼が言った。
「別の日に」
リオが答える。
「別の場所で」
「うん」
「別の人間から」
「…………」
「同じようなこと聞かれた」
リオは。
ノアとディンを見る。
「俺は、偶然じゃないと思う」
礼は黙った。
怖いとは。
思わなかった。
ただ。
分からなかった。
「何のために?」
「それが分からない」
リオが答える。
「でも」
少しだけ声を落とす。
「しばらく気をつけた方がいいかもな」
「……うん」
礼は頷いた。
◇
その夜。
宿の部屋には。
ペンが紙を擦る音だけが響いていた。
礼は今日の記録を整理していた。
『ノア』
『局所移動速度――高』
『一点集中――適性あり』
『全身循環よりも局所強化を優先した訓練を検討』
次。
『ディン』
『外部感知――高適性』
『他者の童力変化を遠距離から識別』
『感知範囲――要検証』
『戦闘時における索敵・異常察知への応用可能性』
礼は。
そこで一度ペンを止めた。
「…………」
今日。
面白かった。
ノアに得意なことが見つかった。
ディンにも。
皆。
同じではなかった。
だからこそ。
もっと調べたい。
もっと。
その人に合った使い方を見つけたい。
礼は新しいページを開いた。
『童術訓練体系について』
『基礎訓練――共通化』
『発展訓練――個人適性に応じて分岐』
『適性分類――要検討』
書き終える。
ページをめくろうとして。
手が止まった。
昼間の。
ノアとディンの話を思い出す。
「…………」
もう一行。
書く。
『童術師に対する外部からの接触――複数確認』
少し考える。
『接触者――少なくとも二名』
『ギルド関係者ではないと証言』
『質問内容――童術師の人数、訓練場所、教授方法、如月礼について』
最後。
礼は。
少し長くペンを止めていた。
何と書けばいいのか。
分からない。
だから。
『目的――不明』
そう書いた。
「礼」
ベッドから。
リオの声がした。
「何?」
「まだやる?」
「もう終わる」
「本当に?」
「本当」
礼はノートを閉じた。
灯りを消す。
暗くなる。
「おやすみ」
「おやすみ」
礼はベッドへ入った。
少しだけ。
今日のことを考えた。
ノア。
ディン。
バルト。
ハイン。
リオ。
皆。
違う。
それが。
今は。
とても面白かった。
だから。
ノートの最後に書いた一行についても。
このときの礼は。
まだ。
それほど深くは考えていなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
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皆様からの評価や感想は、今後の執筆活動の大きな励みになります。
これからも『童貞にして最強』をよろしくお願いいたします!




