第四十四話 同行者
数日後の朝。
ローデン冒険者ギルドは、いつもと変わらない喧騒に包まれていた。
酒の匂いがわずかに残る広間を冒険者たちが行き交い、壁一面の掲示板には新しい依頼書が並んでいる。受付では早くも報酬のことで揉めている者がいて、その隣では昨夜の討伐について大声で自慢している男がいた。
礼はそんな人々の間を抜けながら、掲示板に貼られた依頼書を一枚ずつ眺めていた。
「……これかな」
目に留まった一枚を剥がす。
ローデンから北東へ半日ほど進んだ丘陵地帯で、《鎧牙狼》の群れが確認されたという討伐依頼だった。
通常の狼より一回り大きく、頭部から背中にかけて硬質化した皮膚を持つ魔物である。確認されている数は八体。ただし群れが移動しているため、多少増減している可能性があるらしい。
横から依頼書を覗き込んだリオが、顎に手を当てる。
「八体か。どうする?」
「ちょうどいいと思う」
「何に?」
「実戦訓練」
即答すると、リオは一瞬だけ黙り、それから呆れたように笑った。
「お前、魔物の群れを見て最初に考えることがそれになったよな」
「八体くらいなら、役割分担の練習もできるでしょ」
「まあ、そうだけどさ」
今回連れていく予定なのは、礼とリオ、それにバルトとハイン。さらに、童術を覚えてまだ日の浅い二人を加えた六人だった。
新人二人に無理をさせるつもりはない。まずは実戦の空気に慣れてもらい、余裕があるようなら実際に童術を使わせる。その程度でいい。
礼は依頼書を持って受付へ向かった。
「これ、お願いします」
「はい。鎧牙狼の討伐ですね」
顔馴染みになった受付嬢が依頼書を受け取り、内容を確認する。
いつもなら、それで終わる。
だが今日は、彼女の手が途中で止まった。
「あ……如月さん。少々お待ちいただけますか?」
「はい?」
何か問題があっただろうか。
礼が首を傾げている間に、受付嬢は奥へ消えていった。ほどなくして戻ってきた彼女の後ろには、別の職員がいる。
「如月礼さん。今回の依頼について、一つお願いがあるのですが」
「何ですか?」
「もう一組、同行させていただいても構いませんか?」
「もう一組?」
隣にいたリオと顔を見合わせる。
「合同依頼に変わったんですか?」
「いえ、依頼そのものに変更はありません。ただ、同じ方面へ向かうパーティーがおりまして、可能であれば同行したいとのことです」
礼には断る理由がなかった。
もともと共同訓練場で他の冒険者と一緒になることもある。討伐先まで同行者が増えたところで、大した問題ではない。
「俺は大丈夫です」
「ありがとうございます。では正門前で合流するよう伝えておきます」
職員が頭を下げる。
礼は受理された依頼書を受け取ると、そのままリオとギルドを出た。
そのときは、それ以上気に留めることもなかった。
◇
正門前に着くと、すでに四人の冒険者が待っていた。
全員、礼よりかなり年上だ。
先頭に立つ三十歳ほどの男は長剣を腰に提げ、使い込まれた鎖帷子の上から革の外套を羽織っている。その後ろには槍を背負った男、弓使い、そして杖を持った女性魔術師がいた。
装備には細かな傷が刻まれているが、手入れは行き届いていた。
少なくとも、駆け出しではない。
「《銀梟》のダグだ」
先頭の男が右手を差し出した。
「急に同行することになって悪いな」
「如月礼です。よろしくお願いします」
礼もその手を握る。
続けてリオ、バルト、ハイン、それから新人二人を紹介した。ダグも自分の仲間を紹介してくれたが、やはり全員がそれなりの経験を積んだ冒険者らしい。
「俺たちは基本、お前たちに合わせるつもりだ」
一通りの挨拶を終えたところで、ダグがそう言った。
礼は少しだけ不思議に思った。
「いいんですか?」
「何がだ?」
「俺たちに合わせて」
合同で依頼を受けるなら、普通は先に役割を決めるものだ。
どちらが前衛を担当するのか。誰が戦況を見て指示を出すのか。撤退の判断は誰がするのか。
だがダグは、最初からその主導権を礼たちへ渡そうとしている。
「構わんよ。今回はお前たちが受けた依頼だからな」
「……そうですか」
多少の違和感はあった。
けれど、それだけだった。
「じゃあ、危なくなったら手伝ってください」
「ああ。そのつもりだ」
ダグは笑った。
悪意のある顔には見えなかった。
◇
ローデンを出てしばらくすると、街道沿いの景色は緩やかな草原へ変わった。
春の風が若い草を波のように揺らし、その向こうには低い丘が幾重にも重なっている。雲は高く、旅をするには申し分のない天気だった。
礼たち六人が前を歩き、《銀梟》の四人が少し離れて後ろをついてくる。
最初のうちは互いに雑談もしていた。
どの宿の飯がうまいだとか、最近南の街道で盗賊が増えているらしいだとか、冒険者同士なら珍しくもない話だった。
だが、しばらく歩いているうちに、礼は妙な感覚を覚え始めた。
視線だ。
振り返ると、ちょうどダグと目が合った。
「どうした?」
「あ……いや、何でもないです」
礼は再び前を向く。
訓練場で感じるようになった視線とは、少し違う。
嫌な感じはしない。
ただ、見られている。
何を話しているのか。
どう歩いているのか。
誰が誰に指示を出しているのか。
そんな細かなところまで、観察されているような気がした。
「リオ」
「ん?」
声を落とす。
「……いや。やっぱり何でもない」
「何だよ、気になるだろ」
「気のせいかもしれないから」
「変なの」
リオはそれ以上追及しなかった。
礼も忘れることにした。
◇
丘陵地帯へ入ってから一刻ほど経った頃だった。
「待ってくれ」
声を上げたのは、《銀梟》の弓使いだった。
全員が足を止める。
男は街道脇の柔らかな地面へ屈み込み、そこに残された跡を指でなぞった。
「足跡がある。新しい」
礼も近づいてみる。
獣のものらしい大きな足跡が、いくつも重なっていた。
「鎧牙狼か?」
ダグの問いに、弓使いが頷く。
「ああ。ただ……八じゃないな」
少し離れた場所へ移り、別の足跡を確認する。
「十二……いや、もっといる。十五はいるぞ」
「増えてるな」
リオが眉を寄せた。
依頼に記されていた数の、ほぼ倍。
ここで引き返しても問題はない。事前情報と実態が大きく異なる場合、無理に討伐を続ける必要はないからだ。
「どうする?」
ダグが礼を見た。
「……俺が決めるんですか?」
「お前たちの依頼だろう?」
また、それだ。
礼は少しだけ迷ったが、周囲を見渡した。
緩やかな丘。
木は少なく、視界は広い。
奇襲を受けにくい地形だった。
「十五くらいなら、たぶん大丈夫です」
「そうか」
「ただ、新人二人は戦わせません。ハイン」
「ああ。二人は俺が見る」
「お願い」
礼がそう答えると、ハインは当たり前のように頷いた。
「バルトは前に出て。リオはいつも通りで」
「おう」
「了解」
短い言葉だった。
それだけで三人は自分の位置へ動き始める。
礼にとっては、いつものことだった。
だから気づかなかった。
少し離れたところで、ダグたち四人がその様子を黙って見ていたことに。
◇
鎧牙狼の群れを見つけたのは、それから間もなくのことだった。
丘と丘の間にできた浅い窪地。
灰褐色の毛並みを持つ獣たちが、点々と身体を休めている。
礼は身を低くしながら、一頭ずつ数えた。
「十四……十五……」
「十七」
隣のリオが小声で訂正した。
「奥に二頭いる」
「あ、本当だ」
しかも、そのうち一頭は明らかに大きい。
他の個体より頭一つほど体高があり、頭部を覆う外皮も分厚い。群れの長だろう。
「どうする?」
ハインが尋ねる。
礼はすぐには答えなかった。
八体のつもりで来た。
実際には十七。
新人を連れている以上、無理をする理由はない。
けれど今日は、自分たちだけではなかった。
「ダグさん」
「何だ?」
「《銀梟》は、どのくらい戦えます?」
その問いを聞いたダグが、なぜか少し笑った。
「ようやく聞いたな」
「え?」
「こっちの話だ」
腰の長剣へ手を添える。
「俺と槍が前衛。弓が中距離。魔術師は火と土を使う。十体程度なら俺たちだけでも問題ない」
それなら。
礼は窪地を見た。
「一緒にやりましょう」
「ああ」
その一言で、初めて二つのパーティーが一つの戦力になった。
◇
戦闘の始まりを告げたのは、リオの矢だった。
弦が鳴る。
放たれた矢には薄く童力が纏わりつき、朝の光を受けて一瞬だけ輪郭が揺らいだ。
矢は群れの端にいた鎧牙狼の肩口へ突き刺さる。
本来なら矢を弾くほど硬い外皮を貫き、鏃が深く沈んだ。
「……!」
《銀梟》の弓使いが息を呑む。
だが、驚いていたのはほんの一瞬だった。すぐに彼も弓を引き絞り、逃げ道を塞ぐように二本の矢を続けて放つ。
鎧牙狼たちが一斉に立ち上がった。
低い唸り声が重なり、十数頭の脚が地面を蹴る。
土煙が上がった。
「来るぞ!」
バルトが前へ出る。
腰に下げた小袋へ一瞬だけ手を触れた。
中に入っているのが何なのか、礼たちはもう知っている。
灰色の石。
本人は絶対に《童石》とは認めない。
バルトが短く息を吸う。
身体の内側を巡る童力が、目に見えないまま密度を増した。
一頭の鎧牙狼が真正面から飛びかかる。
バルトは避けなかった。
全身へ童力を巡らせ、半歩踏み込む。振るった剣の腹が鎧牙狼の頭部を捉えた瞬間、鈍い衝撃音が響いた。
巨体が横へ吹き飛び、草の上を転がる。
「おいおい……」
《銀梟》の槍使いが思わず声を漏らした。
「見てる場合じゃないぞ!」
ダグの怒声が飛ぶ。
「分かってる!」
槍使いも前へ出た。
長い穂先が、別の鎧牙狼の喉元へ伸びる。
そこへ女性魔術師の詠唱が重なった。
魔力が集まる。
杖の先に小さな魔法陣が生まれ、赤い光が形を持つ。
「《火矢》!」
炎が飛んだ。
鎧牙狼の側面へ突き刺さり、毛と草を巻き込んで火花が散る。
礼は一瞬、その光を目で追った。
魔術。
昔、自分が使いたくて仕方がなかったもの。
どうすれば魔力を感じられるのか。
どうすれば火を生み出せるのか。
セイルに何度も尋ねた。
あの頃は、こんなふうに自分が魔術師の隣で戦う日が来るとは思っていなかった。
「礼!」
リオの声が思考を断ち切った。
右。
視線を向けた瞬間、群れから離れた一頭が大きく回り込んでくるのが見えた。
考えるより早く、礼の身体が動いた。
脚へ童力を集める。
踏み込んだ地面が僅かに沈み、次の瞬間には景色が後ろへ流れた。
鎧牙狼の進路へ割り込む。
剣を抜きながら刃へ童力を流す。
硬い外皮へ斬撃が触れた瞬間、一瞬だけ重い抵抗が返ってきた。
その抵抗ごと、振り抜く。
鮮血が草を濡らした。
鎧牙狼が崩れ落ちる。
礼は止まらない。
次の気配を探す。
童力。
足音。
声。
自分だけではない。
右ではバルトが戦っている。
後方にはハイン。
さらにその後ろに新人二人。
リオの矢が飛び、《銀梟》の弓がそれを追う。
魔術の炎が上がり、その炎を避けた鎧牙狼へ槍が伸びる。
最初は二つだった戦い方が、少しずつ混ざり始めていた。
「三頭、左へ抜ける!」
《銀梟》の弓使いが叫んだ。
「ハイン!」
「見えてる!」
ハインが両足を踏ん張り、手を前へ向ける。
身体から放たれた童力が空間へ広がり、薄い面となって固定された。
先頭を走っていた鎧牙狼が、何もない空中へ激突する。
鈍い音。
獣の身体が弾かれた。
見えない障壁が大きく軋む。
「長くは保たない!」
「それで十分!」
女性魔術師が杖を地面へ向けた。
「《土槍》!」
障壁に阻まれて足を止めた鎧牙狼の真下から、鋭い岩が突き上がった。
獣が悲鳴を上げる。
ハインはすぐに障壁を消した。
無理に維持しない。
必要な瞬間だけ止める。
礼たちが何度も失敗しながら身につけた使い方だった。
「……そう使うのか」
女性魔術師が、思わず呟いていた。
一方では、バルトと《銀梟》の槍使いが背中合わせになっていた。
「合わせられるか?」
槍使いが尋ねる。
バルトが笑う。
「やってみろ!」
「言ったな!」
槍が伸びる。
鎧牙狼が身を捻って避ける。
だが、それは槍使いも承知していた。
避けた先に、バルトがいる。
「おらぁ!」
童力を纏った拳が横腹へ叩き込まれた。
鎧牙狼の身体が浮く。
「無茶苦茶だな、お前!」
「うるせえ!」
初めて組んだ相手だ。
それでも。
戦える。
礼はそれが少し嬉しかった。
童術だから。
魔術だから。
そんなことは関係ない。
足りないところを誰かが埋める。
それでいい。
そう思った、そのときだった。
腹の底へ響くような咆哮が上がった。
群れの長が動いた。
巨体が草を蹴り飛ばし、一直線にこちらへ突進してくる。
「俺が止める!」
ダグが前へ出た。
「待って!」
礼が叫ぶ。
遅い。
通常の個体とは速度が違う。
ダグが剣を構えるより早く、巨体が間合いへ入る。
礼は反射的に手を突き出していた。
外へ。
童力を集める。
圧縮。
ただし、深くは溜めない。
童貞破ほどの威力はいらない。
必要なのは倒すことではなく――軌道を変えること。
「――そこ!」
圧縮された童力が弾けた。
白い衝撃が群れの長の顔面を横から叩く。
巨体の頭が跳ね上がり、突進の軌道が僅かに逸れた。
ダグの横を、牙が通り過ぎる。
「今!」
「おおっ!」
ダグが踏み込んだ。
長剣が首筋へ入る。
浅い。
分厚い外皮に刃を止められた。
「硬い!」
「リオ!」
「分かってる!」
矢が飛んだ。
外皮ではない。
右目。
鏃が突き刺さる。
群れの長が絶叫し、巨体を振り回した。
「バルト!」
「任せろ!」
横からバルトが突っ込む。
全身へ巡らせた童力を脚と肩へ集中させ、そのまま巨体へ体当たりした。
さすがに吹き飛ばすことはできない。
それでも。
一瞬だけ。
群れの長の身体が傾く。
「ダグさん!」
「ああ!」
二度目の斬撃。
今度は。
深く入った。
刃が首筋を裂く。
大量の血が噴き出し、巨体が二歩、三歩とよろめいた。
そして。
地面が揺れた。
群れの長が倒れた。
◇
静寂が戻ったのは、それからしばらく後だった。
礼は荒くなった呼吸を整えながら、周囲を見回した。
倒れた鎧牙狼。
荒れた草。
地面には火と土魔術の痕跡が残り、ところどころに矢が刺さっている。
「……終わった?」
後方にいた新人が、不安そうに尋ねた。
「まだ待って」
礼はすぐには剣を収めなかった。
「リオ」
「こっちは動いてない」
「ハイン」
「俺の方も大丈夫だ」
「怪我は?」
「新人二人は無傷」
そこでようやく。
礼は《銀梟》へ目を向けた。
「ダグさんたちは?」
「擦り傷が一つ二つ。それだけだ」
「……よかった」
胸の奥から息を吐く。
誰も大きな怪我をしていない。
その事実を確認してから、礼はようやく剣を鞘へ戻した。
「如月」
ダグに呼ばれた。
「はい?」
「さっきの白いやつ。あれも童術なのか?」
「はい」
「……あれが、お前の一番強い攻撃か?」
「いや」
「違うのか?」
「もっと強いのがあります」
ダグの眉が動いた。
「名前は?」
「童貞破です」
「…………」
風が吹いた。
草が揺れた。
ダグは何も言わなかった。
「……今、何て?」
「童貞破」
「…………」
隣で。
《銀梟》の槍使いが顔を背けた。
肩が震えている。
「笑いました?」
「笑ってない」
「笑ってますよね」
「名前を決めたのは俺だからな」
リオが妙に誇らしげに胸を張った。
バルトが振り返る。
「お前は少し反省しろ!」
「何でだよ! 定着しただろ!」
「定着すりゃ何でもいいわけじゃねえ!」
「でもバルト、お前も普通に童貞破って呼んでるじゃん」
「他に名前がねえからだよ!」
張り詰めていた空気が、一気に崩れた。
最初に吹き出したのは《銀梟》の弓使いだった。
それを見て槍使いも耐えきれなくなり、ついにはダグまで笑い出す。
礼も。
気づけば笑っていた。
戦いが終わった谷に、しばらく笑い声が響いていた。
◇
帰り道。
行きにあった二つの集団の距離は、ほとんどなくなっていた。
「童術って、思ってたより色々できるんだな」
《銀梟》の槍使いが言った。
隣を歩くバルトが振り返る。
「そうか?」
「だってお前、前で殴ってただろ。身体も強くなってるんだよな?」
「ああ」
「ハインは壁を出す。リオは矢を強くする。それで如月は……」
男の視線が礼へ向いた。
「……何でもやってたな」
「礼は基準にしない方がいい」
リオが真顔で言った。
「なんで?」
「こいつ、童力量がおかしいから」
「聞こえてるよ」
「聞かせてる」
「ひどいな」
また笑いが起きた。
その声を聞きながら、礼はどこか安心していた。
数日前。
訓練場で「気味が悪い」と言われた。
昨日も。
童術を危険視する魔術師と話した。
けれど。
一緒に戦えば。
話せば。
こうして笑える。
分かってもらえる。
世界中の人間が童術を嫌っているわけではない。
当たり前のことなのに。
礼は少しだけ嬉しかった。
「また一緒に依頼やりたいですね」
礼が言うと。
ダグは一瞬だけ返事に詰まった。
「……ああ」
それでも。
最後には笑った。
「機会があればな」
「はい」
礼は。
その一瞬の間を。
深く考えなかった。
◇
ローデンへ戻った頃には、空が茜色に染まり始めていた。
ギルドへ討伐証明を提出し、依頼書に記されていた数より大幅に群れが増えていたことを報告する。
素材の確認。
報酬の計算。
いつもの手続き。
「お疲れさまでした」
「ありがとうございます」
礼が報酬の入った袋を受け取る。
「よし、飯行こうぜ」
バルトが言った。
「賛成」
リオが即答する。
「ダグさんたちも行きます?」
礼が振り返った。
その問いに。
ダグはほんの一瞬、黙った。
「……悪い。俺たちは少し用事がある」
「そうなんですか」
「ああ。また今度な」
「分かりました」
礼は笑って手を上げた。
「じゃあ、また」
「ああ」
バルトたちと一緒に。
礼はギルドを出ていった。
扉が閉じる。
外から聞こえていた声が遠ざかっていく。
ダグはしばらく。
閉じた扉を見つめていた。
「ダグさん」
受付の奥から、職員が声をかける。
「……ああ」
「ギルド長がお待ちです」
ダグの顔から。
先ほどまでの笑みが消えた。
◇
「ご苦労だった」
二階の部屋。
机の向こうで、グレイグが待っていた。
ダグたち四人が椅子へ腰を下ろす。
数日前。
礼とリオが座っていたのと同じ場所だった。
「まず、依頼そのものについて聞こう」
「鎧牙狼十七体。うち大型個体一体」
ダグが答える。
「全個体を討伐。重傷者なし」
「依頼書では八体だったはずだが」
「現地で増えていた」
「撤退は考えなかったのか?」
「如月が戦力を確認した。その上で続行を決めた」
グレイグが羽根ペンを動かす。
紙を擦る音だけが部屋に響く。
「如月たちだけだった場合は?」
「…………」
ダグは少し考えた。
十七体。
大型個体。
今日の戦い。
自分たちがいなかった場合を頭の中で組み直す。
「時間はかかっただろうが」
やがて答えた。
「たぶん、やれた」
グレイグのペンが一瞬だけ止まった。
「そうか」
それ以上は何も言わない。
紙を一枚めくる。
「では――頼んでいた方を聞こう」
その言葉で。
部屋の空気が変わった。
ダグは背もたれへ身体を預け、小さく息を吐いた。
「童術の実戦運用について、だな」
「ああ」
「正直に言う。事前に聞いていたより完成度が高い」
「具体的には?」
「身体能力の強化。武器の強化。矢への付与。障壁。それから、童力そのものを放つ攻撃」
「治療は?」
「今回は確認できなかった」
「各人の習熟度は?」
「差がある。まだ戦闘に出せない奴もいる」
「如月礼は?」
その名前が出たとき。
ダグはすぐに答えなかった。
谷で見たものを思い出す。
走る速度。
剣。
状況判断。
あの白い衝撃。
「……別格だ」
グレイグが顔を上げた。
「どの程度?」
「分からん」
「分からない?」
「あいつ、本気じゃなかった」
グレイグの目が僅かに細くなる。
「大型個体を相手にしても、自分で倒そうとしなかった。俺が斬れるように軌道を変えた。たぶん、俺たちがいたからそうしたんだ」
「それ以上の攻撃手段があると?」
「ある」
ダグは答えた。
「……童貞破とかいうらしい」
「…………」
今度は。
グレイグが完全に止まった。
「何?」
「俺に聞くな」
ダグは額を押さえた。
「本人がそう言ったんだ」
「どういう技だ?」
「見てない。ただ、今日使ったものより強いと言っていた」
「…………そうか」
グレイグは再び羽根ペンを動かした。
紙の上に。
ゆっくりと。
《童貞破》
と書く。
その文字を一度見つめたものの、何も言わなかった。
「連携については?」
問いが続く。
ダグは、そこで少し考えた。
「……いい」
「いい?」
「少なくとも、寄せ集めじゃない」
今日。
礼が名前を呼んだだけで。
バルトが前へ出た。
リオが矢を放った。
ハインは新人を守った。
誰も。
次に何をすればいいのか尋ねなかった。
「役割が決まっている?」
「いや」
ダグは首を振る。
「決められてるって感じじゃない」
「では?」
「分かってるんだ」
「何を?」
「自分が何をすればいいのかを」
それは。
冒険者パーティーにも必要なものだ。
長く組んだ仲間なら。
目を合わせただけで互いの意図が分かることもある。
だから。
それだけなら。
珍しい話ではない。
だが。
「全員が同じ力を使う」
ダグは続けた。
「同じやり方で基礎を覚えて、そこから自分に合った戦い方を作ってる。前に出る奴もいれば、後ろから撃つ奴もいる。守る奴もいる」
「…………」
「それを教えたのが」
窓の外へ視線を向ける。
もう日が落ちかけている。
今頃。
礼たちは飯でも食っているのだろう。
あの馬鹿みたいな名前の技について笑いながら。
「如月礼なんだろ?」
「そう聞いている」
グレイグは答えた。
部屋が静かになった。
やがて。
グレイグが最後の質問をした。
「危険だと思うか?」
ダグは。
すぐには答えられなかった。
力について聞かれているのか。
人について聞かれているのか。
「力は強い」
「それは分かった」
「でも」
ダグは今日のことを思い返した。
新人を前へ出さなかった礼。
戦いが終わった瞬間、真っ先に負傷者を確認した礼。
自分たちと笑っていたリオ。
石を馬鹿にされて怒っていたバルト。
あれを。
危険な集団と呼ぶのか。
「……あいつらが危険かって聞かれたら」
ダグは首を振った。
「今の俺には、そうは見えない」
グレイグは何も言わなかった。
「ただ」
ダグが続ける。
「ギルド長」
「何だ?」
「一つだけ、分かった」
今日の戦場。
礼の声。
その声に。
当たり前のように動いた者たち。
「これはもう」
ダグはゆっくりと言葉を選んだ。
「変わった力を使う冒険者が、十三人いるってだけの話じゃない」
「…………」
「あいつらには、あいつらの戦い方がある」
ダグはそう言ってから。
少し迷った。
「……もう、一つのパーティーって呼ぶには大きすぎるんじゃないか」
グレイグの目が。
僅かに細くなった。
ダグ自身。
では何と呼べばいいのかは分からなかった。
ただ。
今日一日を共にして。
一つだけ確かなことがある。
如月礼は。
強い冒険者を集めたのではない。
何もなかったところから。
自分と同じ力を扱う人間を。
一人ずつ。
育てている。
◇
その頃。
礼はいつもの店にいた。
「だから見せねえって言ってんだろ!」
「ちょっとだけでいいじゃないですか!」
「ただの石だぞ!?」
「だったら見せてもいいじゃないですか!」
「嫌だ!」
バルトが腰の小袋を両手で守っている。
新人二人が、それをどうにか見ようとしていた。
「もう有名なんですよ、バルトさんの石」
「誰が広めた!?」
「リオじゃない?」
礼が言う。
「何で俺なんだよ!」
「童貞破の前例があるから」
「関係ないだろ!」
笑い声が上がる。
皿が置かれる。
湯気の立つ料理の匂いが、店の中へ広がった。
礼はパンを一つ取る。
「今日、楽しかったな」
隣に座ったリオが言った。
「うん」
「銀梟、いい人たちだった」
「うん」
礼もそう思う。
最初は少し変な感じがした。
でも。
一緒に戦った。
一緒に笑った。
帰り道では普通に話せた。
「また一緒にやれるといいね」
「そうだな」
礼はパンをちぎった。
温かかった。
目の前には仲間がいる。
誰かが笑っている。
明日はまた訓練だ。
新しく童術を習いたいと言っていた少年も来る。
やることはたくさんある。
けれど。
今は。
それが嫌ではなかった。
礼は知らない。
今日。
共に戦った《銀梟》が。
偶然、同じ場所へ向かっていたわけではないことを。
彼らがギルドから内密に頼まれていたことを。
――童術師が、実戦でどのように戦うのか。
――如月礼が、どの程度の力を持っているのか。
――彼らが、本当に危険な存在なのか。
それを。
自分たちの目で確かめるようにと。
同じ夜。
ローデン冒険者ギルドの二階。
一枚の新しい報告書が。
鍵のかかった棚へ収められた。
そしてその頃。
何も知らない礼は。
リオたちと笑いながら。
明日の話をしていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
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皆様からの評価や感想は、今後の執筆活動の大きな励みになります。
これからも『童貞にして最強』をよろしくお願いいたします!




