第四十三話 視線
翌朝。
礼が訓練場へ着いたとき、すでに何人かが集まっていた。
「おはようございます!」
「おはよう」
「礼、遅いぞ」
「まだ時間前だよ」
入口近くで腕を組んでいたバルトへ返しながら、礼は空を見上げた。
雲は少ない。
風も弱い。
訓練にはちょうどいい日だった。
「今日は外部放出から?」
ハインが尋ねる。
「その前に循環を確認する。昨日休んだから」
「一日休んだくらいで変わらないだろ」
バルトが言う。
「変わるかもしれない」
「変わらねえよ」
「だから確認するんだよ」
「相変わらずだな……」
呆れた声。
礼は気にしなかった。
昨日は本当に何もしなかった。
昼にギルドへ呼ばれはしたが、訓練も研究もしていない。
夜もノートを開かなかった。
いつ以来だろう。
思い出せない。
「全員いる?」
「まだ二人来てない」
リオが答えた。
「じゃあ待とう」
礼は訓練場を見渡した。
ローデンの外れに設けられた共同訓練場。
冒険者なら誰でも使用できる広い空き地で、端には剣術用の木人や弓の的が並んでいる。
以前は、礼とリオだけで使うことも多かった。
今は違う。
礼。
リオ。
バルト。
ハイン。
その後ろに、何人もの童術師がいる。
まだ童力を感じ取ることしかできない者もいた。
循環まで進んだ者。
身体の一部へ集められるようになった者。
外部放出を練習している者。
進み方は、それぞれ違う。
礼は、それでいいと思っていた。
「先生」
「先生じゃない」
「礼さん」
「何?」
「昨日言ってたやつなんですけど」
若い男が自分の右腕を指す。
「童力をここに集めると、どうしても肩のところで止まるんです」
「やってみて」
「はい」
男が目を閉じる。
礼も意識を集中した。
僅かな童力の流れ。
胸の奥から肩。
そこから腕へ。
確かに。
肩の辺りで流れが乱れている。
「力入れすぎてる」
「え?」
「童力を押そうとしてるでしょ」
「……はい」
「押すんじゃなくて、流す感じ」
「流す……」
「川みたいに」
「川」
その言葉に。
少し離れた場所にいたバルトが振り向いた。
「俺を見るな」
「見てないよ」
「絶対見た」
「被害妄想だろ」
リオが笑う。
周囲からも笑い声が上がった。
男は苦笑しながら、もう一度目を閉じる。
「肩の力抜いて」
「はい」
「無理に動かさなくていい。最初は流れを感じるだけで――」
そのとき。
礼は気づいた。
「…………」
訓練場の外。
柵の向こう。
三人ほどの男が立っていた。
冒険者だろう。
装備を身につけている。
こちらを見ていた。
「礼?」
リオの声。
「ん?」
「どうした?」
「いや」
礼は視線を戻した。
「続けよう」
珍しいことではない。
共同訓練場なのだから。
他の冒険者がいることもある。
そう思った。
◇
一時間後。
「――そこ!」
リオが弦を離した。
矢が飛ぶ。
鏃には薄く童力が纏われている。
的へ命中した瞬間。
乾いた音とともに、矢が深く食い込んだ。
「おお……!」
新人たちから声が上がる。
「今の見えた?」
リオが振り返る。
「矢は見えました」
「そっちじゃない」
「童力は……少し」
「なら十分。最初はそれでいい」
リオが次の矢を取る。
以前は。
放った瞬間に童力が消えていた。
今では違う。
矢が標的へ届くまで、童力を維持できる。
しかも。
余計な量を使わない。
礼よりもずっと効率がいい。
「次、誰かやる?」
「はい!」
一人が手を上げる。
リオが指導を始めた。
礼は少し離れたところで、それを見ていた。
教え方も。
いつの間にか上手くなった。
最初は。
二人で何も分からず試していたのに。
「礼」
「ん?」
今度はハインだった。
「障壁の練習、やっていいか?」
「いいよ。ただし薄くね」
「分かってる」
「割れる直前まで耐えようとしないで」
「それも分かってる」
「あと――」
「礼」
「何?」
「俺、もう半年やってる」
「……そうだった」
ハインが笑う。
「信用してくれ」
「してるよ」
「なら任せろ」
そう言って離れていく。
礼は少しだけ困った。
最近。
こういうことが増えた。
自分が言わなくても。
皆が自分で考える。
危険なことも理解している。
新人へ教えることもできる。
嬉しい。
でも。
少しだけ寂しい。
「…………」
何を考えているんだろう。
礼は自分でも可笑しくなった。
そのとき。
「すげえな」
声が聞こえた。
訓練場の外。
さっきの三人とは別に。
人が増えていた。
冒険者。
町の人間。
合わせて十人ほど。
「何だ、あれ」
「童術だろ?」
「本当に魔力使ってねえのか?」
「らしいぞ」
「どうやってんだ?」
小さな声。
でも。
聞こえる。
礼は瞬きをした。
「……見られてるな」
隣へ来たリオが言った。
「うん」
「昨日の今日でこれか」
「たまたまじゃない?」
「どうだろうな」
礼は再び訓練へ視線を戻した。
別に。
見られて困ることはない。
隠しているわけでもない。
「続けよう」
「いいの?」
「うん」
礼は頷いた。
「見られて困ること、してないから」
「……そっか」
リオも頷いた。
◇
昼前。
見物人はさらに増えていた。
「礼さん!」
一人の少年が声を上げた。
十七、八歳くらいだろうか。
装備はない。
町の人間らしい。
「はい?」
「俺にも童術、教えてください!」
突然だった。
礼は目を丸くした。
「今?」
「はい!」
「えっと……」
周囲の童術師たちがこちらを見る。
リオが笑いを堪えている。
礼は小さく息を吐いた。
「まず確認したいことがあるんだけど」
「何ですか?」
「童貞ですか?」
「…………」
少年の顔が固まった。
周囲も静かになる。
「え?」
「童貞?」
「は、はい!」
「じゃあ次」
礼は手を伸ばした。
「目を閉じて」
「え?」
「童力を感じられるか確認するから」
「は、はい!」
少年が慌てて目を閉じる。
礼は自分の童力を、ごく僅かに外へ流した。
「何か感じる?」
「…………」
少年が眉を寄せる。
「分からないです」
「じゃあ、もう少し」
ほんの少し。
童力を強める。
「…………あ」
少年の表情が変わった。
「何か……変なの、あります」
礼の目が僅かに見開かれる。
「どんな感じ?」
「分かんないです。でも……何かある」
「リオ」
「うん。たぶん感じてるな」
礼は頷いた。
「適性あると思う」
「本当ですか!?」
「まだ分からないけど」
「教えてもらえますか!?」
「いいよ」
少年の顔が輝いた。
「ありがとうございます!」
深く頭を下げる。
礼は少し笑った。
「明日の朝、ここに来て」
「はい!」
少年が去っていく。
その背中を。
礼は見送った。
「十四人目?」
リオが言う。
「まだ分からないよ」
「でもたぶん来るだろ」
「うん」
「ギルド長に報告する?」
「一人増えただけで?」
「人数が増えたら言ってくれって言われただろ」
「大きく増えたら、でしょ」
「まあな」
二人で話していると。
柵の向こうから声が聞こえた。
「……誰にでも教えてんのかよ」
礼の耳が拾った。
男の声。
「いいんじゃねえの? 本人がいいって言ってんだから」
「でもよ」
別の声。
「あれ、本当に大丈夫なのか?」
礼の視線が動く。
三人の冒険者。
そのうち一人。
腕に杖を抱えた男が、こちらを見ていた。
「魔力もないのに、あんなことできるんだろ?」
「らしいな」
「気味悪くねえか?」
礼の動きが。
ほんの少し止まった。
「…………」
気味が悪い。
自分のことだろうか。
童術のことだろうか。
分からない。
「礼」
リオが小さく呼んだ。
「聞こえた?」
「……うん」
「気にするな」
「別に気にしてないよ」
そう答えた。
本当に。
それほど気にはならなかった。
知らない人間だ。
何を言われても。
童術が変わるわけではない。
「次やろう」
礼は皆へ向き直った。
「外部放出できる人、こっち」
訓練が再開する。
笑い声。
掛け声。
童力が巡る。
いつもと同じだった。
◇
午後。
訓練が終わる頃。
一人の男が礼へ近づいてきた。
先ほどの冒険者ではない。
四十歳前後。
灰色の長衣。
杖を持っている。
冒険者というより。
魔術師らしい。
「君が如月礼か」
「はい」
「少し話を聞いてもいいか?」
「何ですか?」
「私は魔術研究をしている」
男は名乗った。
王都ではなく、別の都市にある魔術研究機関に所属しているらしい。
「童術について、いくつか確認したい」
「いいですよ」
礼は素直に答えた。
男は少し意外そうな顔をした。
「構わないのか?」
「隠してないので」
「そうか」
質問が始まった。
「童術は魔力を使用しない?」
「はい」
「術式は?」
「ありません」
「詠唱は?」
「ないです」
「触媒は?」
「使いません」
「魔法陣は?」
「必要ないです」
男の眉間に。
少しずつ皺が寄っていく。
「では、どうやって現象を発生させている?」
「童力を動かします」
「だから、その童力とは何だ?」
「……まだ分かりません」
「分からない?」
「はい」
「君が発見したのだろう?」
「発見したからって、全部分かるわけじゃないですよ」
礼は普通に答えた。
男は黙った。
「どうやって発生させる?」
「身体の中にあります」
「器官が?」
「たぶん違います」
「魔力との相互作用は?」
「ほとんどないと思います」
「思う?」
「調べてる途中なので」
「では安全性は?」
「それも調べてます」
「危険性が完全に判明していない力を、他人へ教えているのか?」
礼は。
そこで初めて。
少しだけ引っかかった。
「危険なことは教えてません」
「だが、先ほど君たちは武器を強化していた」
「段階があります」
「大型魔獣を一撃で倒したという話も聞いた」
「それは俺です」
「他の者も、いずれ使えるようになる?」
「分かりません」
「可能性はある?」
「……あると思います」
男が黙った。
その視線が。
礼から。
訓練場へ移る。
バルト。
ハイン。
リオ。
他の童術師たち。
「危険だとは思わないのか」
礼は眉を寄せた。
「何が?」
「この力だ」
「…………」
「原理も分からない。限界も分からない。何が起きるかも分からない。それを君は広めている」
「広めてるつもりはないです」
「結果として広がっている」
「…………」
昨日。
グレイグにも似たようなことを聞かれた。
なぜ教えるのか。
礼の答えは変わらない。
「使いたい人がいて」
礼は言う。
「その人に適性があるなら、俺は教えます」
「なぜ?」
「使えるから」
「それだけか?」
「それだけです」
男は礼を見た。
礼も。
男を見る。
敵意はなかった。
少なくとも。
礼にはそう見えた。
ただ。
理解できないものを見る目だった。
「……そうか」
男は杖を持ち直した。
「今日はありがとう」
「もういいんですか?」
「ああ」
男が背を向ける。
数歩。
歩いて。
止まった。
「一つだけ」
「はい?」
「魔術は」
男は振り返らなかった。
「何百年もの失敗と犠牲の上に、今の体系がある」
「…………」
「君たちも、同じものを払うことにならなければいいが」
それだけ言って。
男は去っていった。
礼は。
その背中を見ていた。
◇
「嫌な奴だったな」
帰り道。
バルトが言った。
「そう?」
「そうだろ。ずっと上からだったじゃねえか」
「でも、言ってることは分かるよ」
礼は歩きながら答えた。
「童術に危ないところがあるのは本当だし」
「だからってよ」
「知らないんだから、気になるのは普通じゃない?」
「お前は気にしなさすぎなんだよ」
バルトが呆れる。
少し前を。
リオが歩いていた。
「リオはどう思う?」
礼が尋ねる。
「んー?」
リオが振り返る。
「さっきの人」
「ああ」
少し考える。
「別に間違ったことは言ってないと思う」
「だよね」
「でも」
リオが続ける。
「俺は、あの目は好きじゃない」
「目?」
「俺たちを見てた目」
「…………」
「危険かどうか調べたいっていうより」
リオは言葉を探した。
「危険だって答えを探してるみたいだった」
礼は。
何も言わなかった。
自分には。
そこまで分からなかった。
「考えすぎじゃない?」
「だったらいいけどな」
リオが笑う。
礼も。
少し笑った。
◇
その夜。
礼は机に向かっていた。
「……おい」
「何?」
「今日は休みじゃないから止めないけど」
ベッドに寝転がったリオが言う。
「何書いてんの?」
「今日聞かれたこと」
「魔術師の?」
「うん」
礼はペンを動かす。
『外部からの質問』
『童術の安全性』
『童力の発生原理』
『魔力との相互作用』
『教授対象の選定』
『技術拡散による危険性』
最後の一行。
礼のペンが止まった。
「……技術拡散」
口に出してみる。
「俺たち、そんな大げさなことしてるのかな」
「礼」
「ん?」
「十三人だぞ」
「うん」
「今日一人増えた」
「まだ十四人って決まってないよ」
「たぶん増える」
「…………」
「最初は二人だった」
礼が振り返る。
リオは。
天井を見ていた。
「俺と礼だけだったじゃん」
「うん」
「それが十四人になった」
「…………」
「俺たちからしたら、ちょっとずつ増えただけだけど」
リオが顔を向ける。
「外から見たら、違うのかもな」
礼は。
机へ向き直った。
ノートを見る。
二人。
三人。
六人。
十人。
十三人。
確かに。
増えた。
「……悪いことなのかな」
礼が呟いた。
「何が?」
「増えること」
「俺はそう思わない」
リオは即答した。
礼が振り返る。
「少なくとも俺は」
リオは笑った。
「礼に教えてもらえてよかったよ」
「…………」
「だから俺は、二人目でよかった」
礼は。
少しだけ目を伏せた。
「そっか」
「うん」
「……じゃあ」
礼はノートへ戻る。
「もう少し続けてみる」
「そこ、俺に確認することか?」
「なんとなく」
「変なの」
「リオに言われたくない」
「何でだよ」
笑い声が。
小さな部屋に響いた。
礼は再びペンを動かした。
新しい一行を書く。
『童術の教授について――現状、変更の必要なし』
その文字を。
しばらく見つめる。
そして。
ノートを閉じた。
◇
翌日。
訓練場には。
昨日より多くの人間が集まっていた。
童術を習いたい者。
見物に来た者。
ただ興味がある者。
魔術師。
冒険者。
町の人間。
礼には。
その違いがまだ分からなかった。
誰が好意で見ていて。
誰が疑っていて。
誰が恐れているのか。
ただ。
一つだけ。
昨日までと違うことがあった。
礼が訓練場へ入ると。
それまで話していた人々の何人かが。
一斉に。
礼を見た。
ほんの一瞬だった。
「礼!」
リオが手を上げる。
「こっち!」
「今行く!」
礼は。
いつも通り。
仲間たちのところへ走っていった。
その背中を。
何人もの人間が。
黙って見ていた。
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