第三十八 話 揺れる力
いつも『童貞にして最強 ―穢れなき力を手にした男の黙示録―』をお読みいただき、本当にありがとうございます!
日頃から作品を読んでくださっている皆様への感謝の気持ちを込めて、今週も1日3話ずつ投稿していきたいと思います!
如月礼の物語は、まだまだ続いていきます。
これからも礼の成長と、その先に待ち受ける物語を楽しんでいただけたら嬉しいです!
引き続き『童貞にして最強』をよろしくお願いいたします!
その日の夕方。
礼は、ローデンの歓楽街にいた。
「……帰ろう」
隣でリオが言った。
「まだ入ってないよ」
「だから今なら帰れる」
「何しにここまで来たの?」
「俺が聞きたいよ!」
日が沈み始めたローデンの南区は、昼間とはまるで違う顔を見せていた。
大通りには次々と灯りがともり、開け放たれた酒場の扉からは笑い声と音楽が流れてくる。仕事を終えた職人や冒険者たちが肩を並べて歩き、香辛料の匂いに酒の匂いが混じっていた。
その一角。
礼とリオは、一軒の店の前で立ち止まっていた。
酒を飲みながら、女性が客の隣について話をする店。
娼館ではない。
少し値段の高い酒場に近いらしい。
店の前には柔らかな色の灯りが下がり、扉の向こうから女性たちの笑い声が聞こえていた。
「条件としてはちょうどいいと思う」
「何がだよ」
「女性がいる。会話できる。触れられる可能性もある。でも性交はしない」
「真顔で言うなよ……」
リオが額を押さえる。
礼はノートを確認した。
表紙の次には、今日の実験項目が書いてある。
『性的刺激存在下における童力変動試験』
「昨日は性的刺激がない状態で身体だけ反応した場合を調べた」
「石な」
「うん」
「改めて言うと本当に意味分かんねえな」
「でも童力は増えた」
「それが一番意味分かんねえんだよ」
礼はページをめくる。
バルト。
石を見ながら身体的な反応を再現。
童力量、増加。
操作速度、向上。
安定性、低下せず。
性的興奮の自覚、なし。
結果は明確だった。
だからこそ、反対側を調べる必要がある。
性的な刺激がある場合。
童力はどうなるのか。
「比較しないと分からない」
「それは分かったよ」
「じゃあ入ろう」
「理屈が分かるのと覚悟が決まるのは別なんだよ!」
リオが抵抗したが、結局は入った。
◇
「いらっしゃいませー」
扉を開けた瞬間。
リオの身体が固まった。
「…………」
「どうした?」
「帰りたい」
「まだ入ったばっかりだよ」
「だからだよ」
店内は、普通の酒場より静かだった。
丸いテーブルがいくつも並び、それぞれに客と女性が座っている。
派手すぎない衣服。
酒を注ぎ、笑い、話を聞く。
奥では弦楽器の柔らかな音が流れていた。
「二名様?」
受付にいた女性が尋ねる。
「いや」
礼は答えた。
「今日は六人です」
「六人?」
リオが振り返った。
「聞いてないぞ!?」
「人数が必要だから」
「お前……!」
少し遅れて。
バルト。
ハイン。
そして、新しく童力を感知した被験者のうち二人。
計六人が店の前へやってきた。
「ここで何すんだ?」
バルトが看板を見上げる。
「実験です」
「……また?」
「はい」
「今度は何見て反応すればいいんだ」
「今日は普通でいいです」
「普通って何だよ」
「女性と話してください」
「それだけ?」
「はい」
バルトは怪訝そうな顔をした。
「……昨日よりまともじゃねえか」
リオだけが知っている。
礼がノートを持っている時点で、まともな夜にはならない。
◇
「じゃあ、始めます」
「待って」
席についたリオが言った。
「何?」
「お前、何する気?」
「童力を観察する」
「ずっと?」
「うん」
「俺たちが女の人と話してる間?」
「うん」
「…………」
リオは両手で顔を覆った。
「最悪だ……」
「なんで?」
「分からないならいい」
礼たちは二つのテーブルへ分かれた。
一人につき一人、女性が隣につく。
礼の横にも、二十代半ばほどに見える女性が座った。
「ずいぶん若いお客さんね」
「十八です」
「あら、本当に若い」
女性が笑う。
礼はノートを開いた。
「お名前、聞いてもいいですか?」
「ミアよ」
「ミアさん」
「なあに?」
「できれば普段通りに接客してください」
「…………普段通り?」
「はい」
「あなた、何しに来たの?」
「研究です」
「研究?」
「童力の」
「ドウリョク?」
ミアは首を傾げた。
説明すると長くなる。
「とりあえず、普通にお願いします」
「変な子ねえ」
そう言いながら、ミアは礼の杯へ酒を注いだ。
礼は酒には手をつけなかった。
今回は酒の影響まで混ざると、条件が増えてしまう。
水を頼んでいる。
「……本当に研究する気なんだな」
向かいのリオが呟いた。
「そのために来たんだから」
「俺、酒飲んでいい?」
「駄目」
「なんで!?」
「酒で童力が変化したら分からなくなる」
「俺に逃げ道をくれ!」
隣の女性が笑った。
「仲いいのね、二人」
「よくないです」
「一緒に旅してます」
「礼!」
「何?」
「そういうところだぞ!」
何が悪かったのか、礼には分からなかった。
◇
最初の十分。
大きな変化はなかった。
礼自身も、童力は平常時とほぼ同じ。
ハインも同様。
だが。
「……リオ」
「何?」
「少し増えてる」
「何が?」
「童力」
リオの顔が引きつった。
「俺の?」
「うん」
「言うなよ!」
「記録しないと」
「黙って書け!」
礼は書いた。
『リオ――童力量、微増』
「書くなって意味じゃないんだよな……」
リオが遠い目をした。
その隣では、女性が楽しそうに笑っている。
「あら、私のせい?」
「違います!」
「でも増えたって」
「何が増えたか分かってないですよね!?」
「分からないけど、面白そう」
女性がリオへ少し身体を寄せた。
「…………!」
その瞬間。
「増えた」
「礼!!」
「でも……」
礼は眉を寄せた。
「揺れてる」
「何が!?」
「童力」
増えた。
確かに量は増えている。
しかし、一定ではない。
身体の中心に集まったと思えば、散る。
腕へ流れかけて戻る。
呼吸に合わせるように、不規則に強弱を繰り返していた。
「リオ。右手に集めてみて」
「今!?」
「今じゃないと意味ない」
「くそっ……」
リオが集中する。
右手へ童力を移動させる。
だが。
「あれ?」
「どうした?」
「……やりにくい」
「どんな感じ?」
「動く。でも……なんか引っかかる。いつもならもっと簡単なのに」
礼は記録する。
『童力量――増加』
『操作精度――低下』
『循環――不安定』
「もう一回」
「分かった」
リオが集中する。
今度は少し安定した。
だが。
「ねえ」
隣の女性が、リオの肩へ軽く触れた。
「っ!?」
途端に童力が跳ねた。
「おお」
「おお、じゃねえよ!」
「今かなり増えた」
「実況するな!」
同時に。
右手へ集めていた童力が一気に散った。
礼の目が変わる。
「……なるほど」
「何がなるほどなんだよ!」
「やっぱり増える。でも制御できてない」
「俺を見ながら冷静に分析すんな!」
礼は急いで書き込んだ。
これは昨日とは違う。
バルトが石を見ながら身体反応を再現したとき。
童力量は増えた。
しかし、制御は乱れなかった。
むしろ操作は普段より速かった。
今のリオは。
童力量は増えている。
だが、操作精度が落ちている。
「……精神状態?」
礼は呟いた。
「何?」
「昨日のバルトは落ち着いてた」
「石だったからな」
「でも今のリオは落ち着いてない」
「こんな状況で落ち着けるか!」
「だからかもしれない」
「何が?」
「童力そのものじゃなくて、操作の方」
礼はページをめくった。
以前の記録。
疲労。
集中。
射精後の一時的な不安定。
そして今日。
もしかすると。
童力の量と。
童力を制御する能力は。
別々に考えなければならない。
◇
「バルトさんもお願いします」
「俺もかよ」
「比較したいので」
「何すればいい?」
「普通に話してください」
「それだけ?」
「はい」
バルトは隣の女性へ向き直った。
「……よろしく」
「よろしくね」
会話が始まる。
出身地。
冒険者の仕事。
昨日の討伐。
最初は普通だった。
やがて女性が笑いながらバルトの腕へ触れた。
礼は童力を見る。
「……増えた」
「やっぱりか?」
「はい。でも」
バルトが童力を右手へ動かす。
動く。
しかし昨日ほど滑らかではない。
「昨日より遅いです」
「俺もそう思う」
「石のときより?」
「……石と比べられる人生になるとは思わなかった」
バルトは天井を見上げた。
礼は記録する。
次。
ハイン。
同じ傾向。
童力量は僅かに増える。
しかし緊張が強くなると操作が乱れる。
新しい二人にも試してもらう。
一人はほとんど変化なし。
もう一人は童力量が大きく増えたものの、童力を腕へ移動させることすらできなくなった。
個人差はある。
だが。
傾向は見えてきた。
「……面白い」
礼は呟いた。
「お前だけな」
リオが疲れ切った顔で答える。
「これ、結構重要かもしれない」
「俺の尊厳と引き換えにな」
「なんで?」
「もういい」
礼はノートへ視線を落とした。
昨日。
非性的な対象。
身体反応のみ。
童力量、増加。
安定性、維持。
今日。
明確な性的刺激。
童力量、増加傾向。
しかし。
精神状態が大きく動く。
緊張。
興奮。
羞恥。
それらに引っ張られるように、童力の循環が乱れる。
ならば。
「……性的に興奮すること自体が、童力を強くしてるわけじゃない?」
礼が呟く。
リオが顔を向ける。
「違うのか?」
「分からない。でも」
礼は昨日の記録と今日の記録を並べた。
「昨日のバルトは性的に興奮してない。でも童力は増えた」
「うん」
「今日は性的な刺激がある。童力は増えた。でも操作が悪くなった」
「……そうだな」
「だったら、性的な対象そのものは必要じゃない」
礼はペンを取った。
『性的刺激存在下における童力変動試験』
『被験者――五名』
『童力量――四名に増加傾向、一名変化小』
『循環安定性――複数名で低下』
『操作精度――複数名で低下』
『精神的動揺が大きいほど、操作精度低下の傾向あり』
続けて、昨日の結果を書く。
『非性的対象を用いた身体反応再現試験』
『童力量――増加』
『操作精度――低下確認されず』
『精神状態――平静』
そして。
『仮説』
『童力の増加と性的興奮は、必ずしも同一の現象ではない』
『性的対象そのものは、童力増加に必須ではない可能性』
『身体状態と精神状態を分離して検討する必要あり』
礼はそこまで書き、手を止めた。
「……じゃあ」
リオが言う。
「女の人を見て興奮するより、石見てた方が強いってこと?」
「違う」
「違うの?」
「今のデータだけなら」
礼は少し考える。
「童力が増えた状態でも、平静でいられる方が使いやすい、だと思う」
「それが石なんだろ?」
「バルトの場合は」
「ほぼ同じじゃねえか」
「違うよ」
「お前、そこだけ妙に厳密だな」
当然だった。
石そのものに意味があるとは限らない。
川でも。
草でも。
木でも。
結果は違った。
大事なのは対象ではないのかもしれない。
身体の状態。
精神の状態。
そして童力。
この三つが、どう繋がっているのか。
「もっと調べたい」
「今日はもうやめよう」
「でも――」
「頼むから!」
リオが礼の肩を掴んだ。
「今日くらい普通に帰ろう!」
「まだ時間あるけど」
「もう十分だ!」
その声に、店の女性たちが笑った。
礼は仕方なくノートを閉じる。
◇
「ねえ」
帰ろうとしたときだった。
礼の隣についていたミアが声をかけてきた。
「はい?」
「あなた、ずっと人のこと調べてたけど」
「はい」
「自分は?」
「……え?」
礼は止まった。
リオも止まった。
バルトたちも振り返る。
「みんなに色々やらせてたでしょう?」
ミアは笑っている。
「あなた自身はどうだったの?」
「…………」
礼は、自分の童力へ意識を向けた。
言われてみれば。
今日は他人の童力ばかり見ていた。
自分自身を細かく観察していない。
「礼」
リオが嫌な笑みを浮かべた。
「実験だよな?」
「……うん」
「比較が必要なんだろ?」
「……うん」
「じゃあやれよ」
「何を?」
「普通に接客してもらえよ」
「してもらってたけど」
「お前ずっとノート見てただろ!」
確かに。
礼はミアを見る。
ミアも礼を見る。
「じゃあ」
彼女が少しだけ距離を詰めた。
「今度は研究じゃなくて、普通のお客さんだと思って話してみる?」
「……お願いします」
「そこも真面目なのね」
ミアが笑った。
顔が近い。
いい匂いがした。
柔らかな声。
綺麗な人だとは思う。
少し緊張もする。
礼は、自分の身体の内側を見る。
「…………」
「どう?」
リオが聞く。
「ちょっと増えた」
「おお」
「でも」
「でも?」
「普通に動かせる」
「…………」
礼は右手へ童力を集めた。
問題ない。
循環させる。
これも問題ない。
リオが眉を寄せた。
「なんでお前だけ平気なんだよ」
「分からない」
礼は考える。
緊張はしている。
けれど、童力を乱すほどではない。
「礼って、女の人に慣れてるの?」
ハインが聞いた。
「全然」
「じゃあなんで?」
「……分からない」
「またそれか」
笑いが起きた。
礼も少しだけ困って笑った。
だが。
ノートを開く。
「おい」
「これは書く」
「やっぱりかよ」
礼は自分自身の結果を追加した。
『如月礼――童力量、微増』
『循環――安定』
『操作精度――変化なし』
『精神的動揺――軽微』
その下。
少し考えて。
『個人差、大』
と書いた。
まだ。
分からないことばかりだった。
◇
宿へ戻ったあと。
礼は机に向かっていた。
今日の結果を、もう一度整理する。
童貞であること。
童力を感知できること。
身体反応。
性的刺激。
精神状態。
操作精度。
一つの力を調べているだけなのに、条件が次々と増えていく。
だが。
だからこそ面白かった。
礼は新しいページを開いた。
『童力出力と身体・精神状態について』
その下へ、今日までに分かったことを書く。
『一、性的刺激は童力量を増加させる場合がある』
『二、性的刺激が存在しなくても、同様の増加を確認』
『三、精神的動揺は童力操作を不安定化させる可能性がある』
『四、高出力状態と平静を両立できれば、操作能力を維持したまま童力量を増加させられる可能性』
四つ目。
礼は、その一文を長く見つめた。
もし、これが正しいなら。
訓練できる。
偶然、身体がそうなるのを待つ必要はない。
意図的に。
自分の意思で。
身体の状態と精神の状態を切り離すことができれば。
「…………」
礼はペンを取った。
『今後の課題』
『性的興奮を伴わず、任意に身体反応を発生させる訓練法の確立』
書いてから。
昨日の記録を思い出した。
川。
草。
木。
石。
「……石か」
礼は呟いた。
ベッドへ横になっていたリオが反応する。
「やめろ」
「まだ何も言ってないけど」
「明日、石持ってくる気だろ」
「比較するなら――」
「寝ろ!」
枕が飛んできた。
礼はそれを受け止める。
「何するんだよ」
「頼むから今日は研究終わり!」
「分かったよ」
礼は苦笑してノートを閉じた。
灯りを消す。
暗くなった部屋で、リオが布団を被る。
礼もベッドへ横になった。
目を閉じる。
だが頭の中では、今日の結果がまだ巡っていた。
童力。
身体。
精神。
その三つを、自由に切り離すことができたなら。
もっと安定して。
もっと強く。
童力を扱えるようになるかもしれない。
そして礼はまだ知らなかった。
この日の実験から始まった、あまりにも奇妙な訓練法が。
長い年月の中で改良され、体系化され。
いつか童術師たちの間で、真面目な修行法の一つとして扱われることになるなど――。
このときは、まだ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
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これからも『童貞にして最強』をよろしくお願いいたします!




