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童貞にして最強 ―穢れなき力を手にした男の黙示録―  作者: 忠犬むつ公
第一部

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第三十七話 反応

童力を感知できる者と、できない者。


 その違いに「童貞であるかどうか」が関係している可能性がある。


 礼がその仮説を書き残した翌日。


「人数が足りない」


 朝食の席で、礼は言った。


 向かいでパンを齧っていたリオの手が止まる。


「……朝一番にする話か?」


「何が?」


「いや、いい」


 リオは諦めたようにパンを齧り直した。


 礼はテーブルの上にノートを広げている。


 昨日までに集めた記録が、何ページにもわたって並んでいた。


 自分とリオ。


 ハインとバルト。


 そして、カイルとエド。


 童力を感知できた四人は、全員が童貞。


 感知できなかった二人には、性交経験があった。


 結果だけを見れば、あまりにも綺麗に分かれている。


 だが、六人。


 それも、感知できなかった者は二人しかいない。


「これだけで条件だって決めるのは早いと思う」


「それは俺も分かるけどさ」


 リオは水を飲んだ。


「だからって、どうするんだ?」


「増やす」


「何を?」


「人数」


 礼は当然のように答えた。


「……また聞くの?」


「何を?」


「童貞かどうか」


「必要だから」


「お前、昨日より強くなってない?」


「何が?」


「覚悟が」


 礼にはよく分からなかった。


 分からないことがある。


 調べる方法がある。


 なら、調べればいい。


 それだけだった。



          ◇



 問題は、被験者をどう集めるかだった。


 昨日までの四人は、自分から童術を学びたいと言ってきた。


 だが、今度は人数そのものが必要になる。


 ギルドの掲示板へ、


『童術の研究に協力してくれる童貞募集』


 などと書くわけにもいかない。


「絶対やめろよ」


「まだ何も言ってないけど」


「顔で分かる」


 結局、昨日の討伐に参加していた者や、童術について興味を示していた冒険者へ個別に声をかけることになった。


 もちろん最初から性交経験を聞いたわけではない。


 まず童力の感知を試す。


 その後、年齢や魔力量、戦闘経験などと一緒に聞き取りを行う。


 数日かけて、新たに八人が実験へ参加した。


 年齢は十代後半から三十代前半。


 剣士。


 斥候。


 弓使い。


 魔術師。


 冒険者になったばかりの者もいれば、十年近い経験を持つ者もいる。


 魔力量もばらばらだった。


 礼は以前と同じ方法で、まず身体の内側へ意識を向けてもらった。


 結果。


 八人中、五人。


 童力らしきものを感知。


 三人。


 感知できず。


 翌日も試した。


 結果は変わらない。


 三日目。


 感知した五人のうち二人が、微弱ながら童力を動かすことに成功した。


 感知できない三人には、やはり何の変化もなかった。


 そこで礼は、一人ずつ聞き取りを行った。


 そして。


「…………」


 礼はノートを見つめていた。


 隣から、リオも覗き込んでいる。


 新たに童力を感知した五人。


 性交経験――なし。


 感知できなかった三人。


 性交経験――あり。


「……まただな」


 リオが呟いた。


「うん」


 偶然。


 まだ、その可能性を捨てることはできない。


 だが、最初の六人と合わせれば十四人。


 童力を感知した九人。


 全員、童貞。


 感知できなかった五人。


 全員、非童貞。


 年齢は一致しない。


 職業も一致しない。


 魔力量も一致しない。


 出身も、武器も、魔術適性も違う。


 それなのに、この一点だけは一致している。


 礼は以前書いた一文を見つめた。



『仮説――童力の発現と童貞状態に相関が存在する可能性』



 その下へ、新しい記録を書き加える。



『追加被験者――八名』


『童力感知成功――五名』


『性交経験――全員なし』


『童力感知不能――三名』


『性交経験――全員あり』



 ペン先が止まる。


 少し考えてから、以前より一歩だけ踏み込んだ。



『童力発現条件――童貞である可能性、高』



「……まだ可能性なんだな」


「まだ十四人だから」


「礼って、こういうところ妙に慎重だよな」


「間違ってたら困るだろ」


「まあ、それはそうだけど」


 礼はノートを閉じかけた。


 そこで、別のページが目に入った。


 バルト。


 現在、礼とリオを除けば最も童力の操作習得が速い男。


 保有する童力量も、他の被験者より明らかに多い。


 そして。



『最初の観測例――川』



「…………」


「見るなよ、それ」


「リオ」


「何?」


「もう一つ調べたい」


「嫌な予感しかしない」


 礼はノートを開き直した。


「童貞かどうかと、童力を持ってるかどうかは関係してる可能性が高くなった」


「うん」


「でも、童力量が変化する条件は分からない」


「……ああ」


「前にリオが――」


「待て」


 リオが手を上げた。


「その話をするなら、俺は帰る」


「大事な記録なんだけど」


「俺の尊厳も大事にしてくれ」


 礼は仕方なく名前を出すのをやめた。


 以前の実験では、射精後に童力そのものが消えたわけではない。


 ただし、細かな制御が一時的に不安定になった。


 一方でバルトには、性的な対象が存在しないにもかかわらず、身体だけが性的な反応を示した経験がある。


 そしてバルトは、童力量が多い。


「……もしかしたら」


 礼は言った。


「興奮することと、身体が反応することは、別々に考えた方がいいのかもしれない」


 リオが眉を寄せる。


「どういう意味?」


「例えばバルトは、川に興奮したわけじゃない」


「本人はそう言ってたな」


「でも身体は反応した」


「……うん」


「だったら、性的に興奮したから童力に何か起きるんじゃなくて、身体の状態そのものが童力に影響する可能性がある」


 リオはしばらく黙っていた。


「……それ、どうやって調べるんだ?」


 礼も黙った。


「…………」


「考えてなかったのかよ」


「今考えてる」


「嫌な予感しかしないんだけど」


 礼は考えた。


 性的な刺激を使えば、身体反応と性的興奮が同時に起きてしまう。


 それでは二つを分けて調べられない。


 必要なのは、性的ではない刺激。


 それを見ながら、身体だけを同じ状態にできるかどうか。


 礼は顔を上げた。


「川に行こう」


「なんでそうなるんだよ」



          ◇



 ローデンの南を流れる川は、町の生活用水としても使われている。


 幅はそれほど広くない。


 澄んだ水が石の間を流れ、岸には背の低い草が生えている。


 天気も良く、遠くでは鳥が鳴いていた。


 普通なら、のんびり昼寝でもしたくなるような場所だった。


 その岸辺に。


 礼。


 リオ。


 そしてバルトが立っていた。


「…………」


 バルトは川を見ている。


 礼も川を見ている。


 リオも川を見ている。


 しばらく誰も喋らなかった。


 水が流れていく。


「……なあ」


 やがてバルトが口を開いた。


「はい」


「何してんだ、俺たち」


「実験です」


「それは聞いた」


「前と同じ状態を再現できるか確認します」


「こんな真昼間に?」


「時間帯も合わせた方がいいですか?」


「そういう問題じゃねえよ」


 バルトが頭を抱えた。


 礼は真面目にノートを開く。


「前回はどの辺を見てたんですか?」


「覚えてねえよ!」


「水面?」


「たぶん」


「流れ?」


「知らん!」


「石とか――」


「川だよ! 普通に川見てただけだよ!」


 リオが背を向けた。


 肩が震えている。


「笑うな!」


「ごめん……でも……」


 礼だけは笑わなかった。


「じゃあ、お願いします」


「何をだよ」


「前回と同じように」


「それができたら苦労しねえよ!」


 それでもバルトは協力した。


 川を見る。


 意識を集中する。


 礼は童力の変化を確認する。


 五分。


 十分。


「……どうですか?」


「何も起きねえ」


「童力も変わってません」


「だろうな!」


 礼は記録する。



『河川――再現失敗』


『童力量――変化なし』



「これで帰れるな?」


「まだです」


「なんで!?」


「川そのものが条件じゃない可能性があります」


「当たり前だろ!」


「別のものも試します」


「嫌な予感しかしねえ」


 礼は周囲を見回した。


 川。


 草。


 木。


 石。


 どれも性的な対象ではない。


 だからこそ、実験には都合がいい。


「次、草で」


「…………」


「お願いします」


「俺は何を目指してるんだ?」


「童力との関係を――」


「そうじゃねえよ!」


 それでもバルトは草を見た。


 何も起きなかった。


 次に木。


 やはり何も起きない。


 礼は一つずつ記録した。



『草――反応なし』


『樹木――反応なし』



「……やっぱり偶然だったんじゃないか?」


 リオが言う。


「可能性はある」


「だったら――」


「もう一つだけ」


 礼は足元へ視線を落とした。


 河原に転がっていた、掌ほどの石を拾う。


 灰色。


 少し丸い。


 どこにでもある石だった。


 礼はそれをバルトへ差し出した。


「次、これで」


「…………」


 バルトは石を見る。


 礼を見る。


 もう一度、石を見る。


「石だぞ?」


「はい」


「分かってる?」


「石ですね」


「なんで俺が石で試されてんの?」


「性的じゃないからです」


「川も草も木もそうだろ!」


「だから比較できます」


「理屈だけは通ってるのが腹立つな!」


 リオが河原にしゃがみ込み、笑いを堪えていた。


 バルトは深く息を吐いた。


「……やればいいんだろ」


「お願いします」


「石見てればいいのか?」


「できれば、身体だけ前と同じ状態に」


「簡単に言うな!」


 バルトは石を睨んだ。


 礼はその身体の中にある童力へ意識を向ける。


 最初は変化がない。


 一分。


 二分。


「…………」


 バルトの顔が妙に真剣になっていく。


 呼吸は平静だった。


 性的に興奮しているようには見えない。


 ただ石を見ている。


 やがて。


「……待って」


 礼が言った。


 リオが顔を上げる。


「何?」


「童力」


「え?」


「増えてる」


 笑っていたリオの表情が止まった。


 礼はさらに集中する。


 間違いない。


 バルトの身体を巡る童力が、先ほどより明らかに強くなっている。


 僅かな差ではない。


 感知できる程度には、はっきりと。


「バルトさん」


「……何だ」


「今、どんな感じですか?」


「どんなって……」


 バルトが言葉を濁す。


 礼は待った。


「…………前と同じ」


 リオが立ち上がった。


「マジで?」


「マジだよ! 言わせんな!」


「石だぞ!?」


「俺が一番分かってるよ!!」


 バルトが石を投げそうになった。


「待って!」


 礼が止める。


「まだ持っててください!」


「なんでだよ!」


「童力を動かしてみて」


「……は?」


「右手に集めてください。いつもの練習と同じです」


 バルトは文句を言いながらも、石を左手へ持ち替えた。


 右手へ意識を集中する。


 礼は、その動きを追った。


「……動いてる」


「いつもより?」


「待って」


 速い。


 普段より、明らかに速かった。


 しかも。


「……安定してる」


 礼は呟いた。


「本当に?」


 リオもバルトの近くへ寄る。


「俺には量までは分からないけど……」


「増えてる。なのに、操作が乱れてない」


 礼の声から、次第に別の熱が滲み始めた。


 興奮。


 ただし、バルトとは違う。


 新しいことを見つけたときの、礼自身の興奮だった。


「もう一回」


「まだやるの!?」


「お願いします」


 童力を戻す。


 もう一度、右手へ。


 成功。


 左手。


 成功。


 右脚。


 少し遅れる。


 だが成功した。


「……すごい」


 礼はノートへ書き込む。


「普段より操作がいい」


「石で?」


 リオが聞く。


「石で」


「なんで?」


「分からない」


「やっぱりそれか」


 礼はペンを止めなかった。



『非性的対象を用いた身体反応再現試験』


『被験者――バルト』


『河川――再現失敗』


『草――再現失敗』


『樹木――再現失敗』


『石――再現成功』



 そこで一度、手を止める。


 書いている自分でも、何の研究なのか分からなくなりそうだった。


 だが結果は結果だ。


 さらに続ける。



『反応発生後――童力量増加』


『童力操作速度――向上』


『操作安定性――低下確認できず』


『被験者本人――性的興奮の自覚なし』



 礼は最後の一文を何度か読み返した。


「……やっぱり」


「何か分かった?」


「少なくとも、性的なものを見て興奮する必要はないのかもしれない」


 礼は石を持ったままのバルトを見る。


「身体の反応だけでも、童力は変わる可能性がある」


 リオの顔から、笑いが消えた。


「それって結構すごくないか?」


「うん」


 礼は頷く。


 もし再現できるなら。


 戦闘前に意図的に童力量を増やせる可能性がある。


 しかも、精神的な興奮を必要としない。


 平静なまま。


 童力だけを高める。


 使い方次第では、大きな意味を持つ。


「他の人でも試したい」


「やっぱりそうなるよな」


「バルトさんだけの体質かもしれないから」


 礼はノートへ書き足す。



『仮説』


『童力量の増加に、性的対象そのものは必要ではない可能性』


『身体的反応のみでも童力量が変化する可能性』


『追加被験者による再現試験が必要』



「よし」


 礼が顔を上げる。


 バルトはまだ石を持っていた。


「……これ、いつまで持ってればいい?」


「あ。もう大丈夫です」


「返すぞ」


「それ、俺のじゃないです」


「じゃあなんで渡したんだよ!」


 バルトは石を地面へ投げた。


 小さな音を立てて、石が転がる。


 どこにでもある。


 ただの石。


 礼は、その石をしばらく見つめていた。


「……次は人数を増やそう」


 リオが嫌そうな顔をする。


「また石で?」


「石だけじゃない」


「嫌な予感するな」


「もっといろんなものを試した方がいい」


「例えば?」


 礼は周囲を見た。


「川、草、木、石……食器とか、椅子とか、剣とか」


「どこまでやる気だよ」


「何が一番安定するか分からないから」


「頼むから『石派』とか『椅子派』とか作るなよ」


「何それ?」


「こっちの台詞だよ」


 礼は首を傾げながら、ノートを閉じた。


 だが数歩歩いたところで、不意に立ち止まった。


「……リオ」


「今度は何?」


「逆も調べないと駄目だ」


「逆?」


「うん」


 礼は振り返った。


「今やったのは、性的に興奮しない状態で身体だけ反応させた場合だろ」


「……そうだな」


「だったら今度は、ちゃんと性的な刺激がある状態で童力がどうなるか調べないと、比較できない」


「…………」


 リオの顔が固まった。


「礼」


「何?」


「それ、つまり?」


「女性を見た場合とか」


「…………」


 沈黙。


 川の音だけが聞こえる。


「いや」


 リオが一歩下がった。


「俺は行かないぞ」


「まだ何も言ってないけど」


「分かるよ!」


「比較実験だよ」


「絶対嫌だ!」


「でも――」


「嫌だ!!」


 リオの声が河原へ響いた。


 礼は困ったように眉を寄せる。


 別に何か悪いことをしようとしているわけではない。


 ただ。


 性的な刺激が存在する場合。


 そして、存在しない場合。


 その二つで童力がどう変化するのか。


 それを比較したいだけだった。


 礼はノートをもう一度開いた。


 新しいページの上に、次の実験項目を書く。



『性的刺激存在下における童力変動試験』



 その文字を見たリオは、心底嫌そうな顔をした。


「……どこでやる気だよ」


「それなんだけど」


「うん」


「女性がいて、話したりできる店ってある?」


「…………」


 リオは空を仰いだ。


「帰りたい」


「宿に?」


「この研究から」


「なんで?」


「お前と童術作り始めたとき、こんなことになると思ってなかったんだよ!」


 礼は首を傾げた。


 童術について分からないことを調べているだけなのだから、最初から何も変わっていないと思う。


 ただ。


 調べる対象が、少しだけ妙な方向へ広がっているだけだった。

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