第三十五話 教えてくれ
翌朝。
ローデンの冒険者ギルドへ足を踏み入れた瞬間、礼は足を止めた。
いつもと同じはずの場所だった。
壁には依頼書が並び、受付では職員が冒険者と言葉を交わしている。酒場の方からは朝だというのに木杯のぶつかる音が聞こえ、掲示板の前では何人かの冒険者が今日の仕事を探していた。
何も変わっていない。
少なくとも、建物そのものは。
「……なんか、見られてない?」
隣を歩いていたリオが、小声で言った。
「……見られてるな」
礼も同じように声を落とす。
視線が集まっていた。
一人や二人ではない。
依頼書を眺めていた男が、こちらを振り返る。受付にいた女冒険者が仲間との会話を止める。奥の席では、昨日の討伐に参加していた顔もいくつか見えた。
露骨に指を差す者はいない。
だが、明らかにこちらを意識している。
「……昨日のせいだよな」
「たぶん」
「礼、最後に変なのまで出してたし」
「俺が出したのかも、まだ分からないけど」
「そこが一番怖いんだよ」
リオはそう言って笑ったが、礼は笑えなかった。
昨夜も結局、あの黒い人影の正体は分からなかった。
自分の童力に似ていた。
けれど、自分のものとは思えなかった。
そして何より――あの感覚。
初めて見たはずなのに、どこか懐かしかった。
考えても答えは出ない。
だから、昨夜はノートに分かることだけを書いて眠った。
いつも通りだ。
分からないことを、分からないまま記録する。
今の自分にできるのは、それだけだった。
「とりあえず報酬だけ受け取ろう」
「賛成。昨日ので矢も減ったしな」
二人で受付へ向かう。
その途中だった。
「君」
呼び止められた。
振り向くと、昨日の討伐に参加していた魔術師が立っていた。
グランドラとの戦いで、礼が展開した障壁を間近で見ていた男だ。
年齢は三十前後だろうか。紺色のローブを着て、腰には細身の杖を下げている。
「あ……昨日の」
「ああ。少しいいか?」
礼はリオと顔を見合わせてから頷いた。
「はい」
「昨日から気になっていたんだ」
魔術師の男は礼を見る。
その目に敵意はなかった。
むしろ、好奇心。
セイルが珍しい魔術書を見つけたときに似た目だ、と礼は思った。
「君が使っていた魔術について聞きたい」
「……魔術じゃないです」
答えると、男の眉がわずかに動いた。
「やはりか」
「分かるんですか?」
「分かる、というほどではない。分からなかったから聞いている」
男は苦笑した。
「私は魔術師として十五年ほど活動している。大した腕ではないが、魔力の動きくらいは分かるつもりだ。昨日、君があの竜の突進を止めたときも見ていた」
礼は黙って話を聞く。
「あれほどの現象を起こせば、普通なら相応の魔力が動く。だが、ほとんど感じなかった」
「……はい」
「矢を使っていた彼もだ」
視線がリオへ向く。
「俺?」
「あの竜の甲殻に刺さった矢だ。何かを纏わせていたように見えたが、魔力ではなかった」
「まあ……そうですね」
リオが頭を掻く。
男は再び礼へ視線を戻した。
「では、何なんだ?」
周囲が静かになった気がした。
いや。
本当に静かになっていた。
近くにいた冒険者たちが、こちらの会話へ耳を傾けている。
礼は一瞬だけ迷った。
以前なら、答えることにもっと抵抗があったかもしれない。
けれど、昨日は二十人以上が見ている。
今さら隠せるものでもない。
「……童術です」
「ドウジュツ?」
「はい」
「聞いたことがないな。どこの術式だ?」
「どこっていうか……」
礼は頬を掻いた。
「俺が作ったので」
「…………」
男が黙った。
近くで誰かが木杯を置く音がした。
「……作った?」
「はい」
「魔術を?」
「いや、だから魔術じゃないんです」
「そうではなくてだな」
男は額へ手を当てた。
「君は、新しい術式体系を作ったと言っているのか?」
「体系って言えるほどなのかは、まだ……」
「礼」
リオが横から口を挟む。
「たぶんもう、言っていいと思うぞ」
「え?」
「俺も使えてるし。やり方もいくつか分かってる。記録もしてるだろ?」
「……まあ」
「それ、十分体系じゃない?」
言われてみれば、そうなのかもしれない。
感知。
移動。
強化。
循環。
放出。
武器への付与。
障壁。
治癒。
そして、まだ名前すらつけていない現象もある。
最初はただ、自分の身体の中にある変な力を調べていただけだった。
それが今では、他人に教えることもできる。
礼は少し考えてから答えた。
「……じゃあ、たぶん」
「たぶん?」
「作りました」
魔術師はしばらく礼の顔を見つめていた。
「……君、いくつだ?」
「十八です」
「…………そうか」
なぜか遠い目をされた。
リオが吹き出す。
「俺も最初そんな感じだった」
「笑うなよ」
「いや、だって礼、自分が変なことしてる自覚ないだろ」
「あるよ」
「絶対ない」
そんなやり取りをしていると、別の声が飛んできた。
「なあ」
今度は、少し若い男だった。
昨日の討伐で前衛にいた冒険者の一人だ。
二十歳を少し過ぎたくらいだろう。短く刈った黒髪に、使い込まれた革鎧。腰には片手剣を下げている。
顔は覚えていた。
グランドラが変異したあとも逃げず、ダリオの指示に従って右脚を攻撃していた男だ。
「昨日の、俺も見てた」
「はい」
「その……童術、だったか」
「はい」
男は一度口を閉じた。
何かを迷っているようだった。
やがて、意を決したように礼を見る。
「それって、誰でも使えるのか?」
礼はすぐには答えなかった。
答えられなかった、という方が正しい。
「……分かりません」
「分からない?」
「俺とリオは使えます。でも、それ以外の人で試したことがないので」
「生まれつき持ってた力じゃないのか?」
「少なくとも俺は、十七歳まで知りませんでした」
礼は自分の手を見る。
「ある日、感じたんです。それから、どうやったら動かせるのかを調べました」
「こいつも同じ」
リオが自分を指差した。
「礼にやり方聞いて、練習したら感じるようになった」
男の目が変わった。
その変化を、礼は見逃さなかった。
「……じゃあ」
男が一歩、こちらへ近づく。
「俺にも教えてくれないか」
今度は、ギルドが本当に静かになった。
「え?」
礼は思わず聞き返した。
「その童術を、俺にも教えてほしい」
「……俺が?」
「他に誰がいるんだよ」
もっともだった。
だが、礼には奇妙な感覚があった。
リオに教えたときとは違う。
リオは、自分と同じように魔術が苦手だった。
だから放っておけなかった。
最初は、それだけだった。
それから二人で試して、失敗して、考えて。
いつの間にか、教える側と教わる側というより、一緒に童術を作る仲間になっていた。
けれど、目の前の男は違う。
童術を見て。
童術を知って。
その上で、自分から求めてきた。
「……どうして?」
礼は尋ねた。
男は少しだけ目を伏せた。
「俺は魔力が少ない」
その言葉で、礼は少しだけ察した。
「魔術は?」
「使える。火をつけるくらいならな」
男は自嘲するように笑った。
「冒険者になった頃は、それでも何とかなると思ってた。剣を覚えればいい。身体を鍛えればいい。魔術なんかなくても戦えるって」
腰の剣へ手を置く。
「実際、それなりには戦えるようになった。昨日だって逃げなかった」
「見てました」
「でも、分かったんだよ」
男は昨日の戦いを思い出すように、一度息を吐いた。
「あの竜に、俺の剣はほとんど通らなかった」
礼も覚えている。
自分の鉄剣でさえ、童力を纏わせなければ岩甲竜の甲殻をまともに斬れなかった。
「もっと強くなりたい」
男は言った。
「別に、英雄になりたいわけじゃない。ただ……次にああいうのが出たとき、仲間の後ろで何もできないのは嫌なんだ」
礼は男を見る。
嘘を言っているようには見えなかった。
それでも、すぐに頷くことはできない。
「……使えるかどうか、本当に分かりませんよ」
「それでもいい」
「危険がないとも言えない」
「昨日、命懸けで竜と戦った」
「それとこれとは――」
「分かってる」
男は笑った。
「だから、無茶はしない。君の言う通りにする。それで駄目なら諦める」
困った。
礼は横を見る。
リオがいた。
目が合う。
「……なんで俺を見るんだよ」
「いや」
「決めるのは礼だろ」
「そうだけど」
「教えたいなら教えればいいんじゃない?」
簡単に言う。
だが、リオはそこで少し笑った。
「俺に教えたみたいにさ」
その言葉に、礼は黙った。
リオに教えた。
その結果、自分以外にも童力を感じられる人間がいると分かった。
二人で研究するようになった。
一人では思いつかなかったことを、リオが思いついた。
矢への応用もそうだ。
剣への循環も、治癒の研究も、一人だったらもっと時間がかかったかもしれない。
なら。
三人目がいたら、何が分かるのだろう。
「……分かりました」
礼は答えた。
「本当か?」
「ただし、無理はしないでください。体調がおかしくなったらすぐやめます。それと、俺も教え方がちゃんとしてるわけじゃないので」
「構わない」
男の顔が明るくなる。
「俺はカイル。よろしく」
「如月礼です」
「知ってる」
「……そうなんですか?」
「昨日、ダリオさんが何回も呼んでただろ」
「ああ……」
そうだった。
握手を求められ、礼も手を差し出した。
その瞬間だった。
「ちょっと待ってくれ」
別の声が上がった。
三人が振り向く。
今度は壁際にいた若い冒険者だった。
「そいつだけなのか?」
「え?」
「俺も、試してみたい」
「おい」
「だったら俺もいいか?」
さらに声が増えた。
礼は目を瞬いた。
一人。
二人。
気づけば、何人かがこちらを見ている。
全員が昨日の討伐参加者というわけではない。話を聞いていただけの者もいる。
「待って、待ってください」
礼は慌てて手を上げた。
「一度にそんなに教えられません」
「別に今日全員じゃなくていい」
「でも――」
「礼」
リオが袖を引いた。
「……これ、逆にいいんじゃない?」
「何が?」
「調べられる」
その一言で、礼の意識が切り替わった。
「……あ」
そうだ。
リオは一人しかいなかった。
自分とリオ。
たった二人。
二人とも童力を感じることができた。
だから今まで、何が共通していて、何が違うのかを詳しく比較することはできなかった。
もし人数が増えれば。
年齢。
体格。
魔力量。
職業。
戦闘経験。
得意な武器。
魔術適性。
それぞれを比較できる。
「……やってみたい」
礼が呟いた。
「だろ?」
リオが笑う。
礼は希望者たちを見る。
「全員に使えるようになるとは約束できません」
念を押す。
「俺たち自身、まだ分かってないことだらけです。それでもいいなら……試すだけなら」
何人かが頷いた。
こうして、その日の午後。
町外れの空き地に、礼とリオを含めて六人の男が集まった。
◇
「じゃあ、まず……魔力を感じるときと似たやり方から始めます」
礼は地面に座った四人を前に説明した。
最初に教えるのは、リオのときと同じだった。
呼吸を整える。
身体の内側へ意識を向ける。
魔力とは違う何かを探す。
「分かろうとしすぎると、逆に分からなくなることがあります。力を入れないで、自分の中に何があるかを探す感じで」
「相変わらず説明ふわふわだな」
後ろに立っていたリオが言う。
「じゃあリオが説明してよ」
「俺?」
「二人目なんだから」
「そういうときだけ二人目扱いするなよ」
座っていた男たちから小さな笑いが起こった。
緊張が少し抜ける。
礼は一人ずつ様子を見ることにした。
最初の十分。
変化なし。
二十分。
まだ誰も何も言わない。
三十分ほど経ったところで、一人が眉をひそめた。
「……なあ」
「はい?」
「なんか……ある」
礼が近づく。
「どんな感じですか?」
「分からん。腹の奥っていうか……熱くはない。でも、何か動いてるような」
礼とリオが顔を見合わせた。
「俺のときと似てる」
リオが言った。
礼は男の正面へしゃがむ。
「それを動かそうとしないでください。まず場所だけ覚えて」
「分かった」
さらに時間を置く。
やがて、もう一人も何かを感じたと言った。
だが、カイルを含む残り二人には変化がない。
一時間。
休憩を挟んで、もう一度。
姿勢を変える。
呼吸を変える。
今度はリオが説明する。
それでも結果は同じだった。
「……何も分からない」
カイルが悔しそうに言った。
「まだ一日目です」
礼はすぐに答えた。
「リオだって、すぐ全部できたわけじゃないです」
「まあな」
「今日はこれ以上やらない方がいいです。疲れてる状態で続けても比較できないので」
礼はノートを開いた。
名前。
年齢。
職業。
使用武器。
魔力量。
魔術経験。
戦闘経験。
分かる範囲で、一人ずつ記録していく。
そして、結果。
四人中二人。
感知らしき反応あり。
二人。
反応なし。
まだ何も言えない。
偶然かもしれない。
適性かもしれない。
単純に時間が必要なだけかもしれない。
礼はそう考えながら、ページへ線を引いた。
「明日もやってみましょう」
「いいのか?」
「一回で決めても意味ないので」
カイルが少し安心したように頷いた。
その横で、リオがノートを覗き込む。
「何か違いあった?」
「まだ分からない」
礼は答えた。
「魔力量もバラバラだし、剣士もいる。年齢もそんなに離れてない。もう少し試さないと」
「そっか」
ページを眺める。
二人。
二人。
たった四人の結果だ。
何の意味もないかもしれない。
それでも。
礼は、少しだけ胸が高鳴っていた。
自分だけだったものが、リオへ渡った。
そして今、その先へ渡ろうとしている。
どこまで広がるのか。
誰に使えて、誰に使えないのか。
そもそも、なぜ自分たちには使えるのか。
分からないことが、また増えた。
けれど、それが嫌ではなかった。
むしろ――知りたかった。
「礼」
「ん?」
「楽しそうだな」
顔を上げると、リオが笑っていた。
「……そう?」
「うん」
礼は少し考えて、自分のノートへ視線を戻した。
確かに、そうかもしれない。
ページの下。
礼は新しい項目を書き加えた。
『童術適性について』
『被験者――四名』
『童力感知――二名』
『感知不能――二名』
『原因――不明』
そこまで書いて、ペンを止める。
まだ、答えを出すには早い。
だから最後に、もう一行だけ加えた。
『継続観察が必要』
ノートを閉じる。
そのときの礼は、まだ知らなかった。
四人の違いを調べ続けた先で。
自分とリオが、ずっと当たり前すぎて見落としていた一つの共通点へ――やがて辿り着くことになる。




