第二十四話 外へ
雨上がりの森には、まだ湿った土の匂いが残っていた。
枝葉に溜まった雫が、風に揺られるたびにぱらぱらと落ちてくる。時折それが首筋に当たり、冷たさに肩を竦めながら、礼は膝の上に広げたノートへ視線を落としていた。
少し離れたところでは、リオが右腕へ童力を巡らせている。
以前のように目を閉じて長い時間集中する必要はなくなった。まだ礼ほど自然に扱えるわけではないものの、胸の奥にある童力を捉え、肩から腕、指先へと動かす一連の流れはかなり安定している。
「どう?」
「もう少し待って」
返事をしたリオは右手を何度か握り直した。
今日試しているのは、同じ量の童力を使い続けた時に、どの程度の時間まで身体強化を維持できるかという実験だった。
礼自身は、一年前から何度も童力を使っている。
だが最初の頃は生き残ることに必死で、正確な記録などほとんど残せていない。後から調べようとしても、すでに身体が童力に慣れてしまっている以上、初心者だった頃の状態を再現することはできなかった。
その点、リオは違う。
童力を扱い始めたばかりだからこそ、今しか残せない記録がある。
もっとも、そのことを本人に説明したところ、
『やっぱり俺、実験動物じゃねえか』
と文句を言われたのだが。
「……そろそろきつい」
リオの声に、礼は顔を上げた。
「腕?」
「いや。腕っていうより、童力を流し続けるのが疲れる」
「痛みは?」
「ない」
「じゃあ止めていいよ」
リオが息を吐く。
右腕に流していた童力を戻すというより、流れそのものを止めたらしい。すぐに右手をぶらぶらと振り、確かめるように何度か指を動かした。
「身体は平気?」
「ああ。前みたいな痛みはない」
「なら今日はここまでかな」
礼は経過時間を確認し、ノートへ書き込んだ。
感知。
移動。
局所的な強化。
全身への循環。
この数日間、リオという比較対象を得たことで、礼のノートには急速に新しい記録が増え始めていた。
一人では分からなかったことがある。
礼にとって簡単なことが、リオには難しい場合がある。その逆もある。
童力量にも違いがある。
習得速度にも違いがある。
同じ童力を持っていても、二人がまったく同じではない。
そんな当たり前のことさえ、礼一人では知りようがなかった。
「なあ、礼」
「ん?」
ペンを走らせながら返事をする。
リオはまだ右手を眺めていた。
「童力って、身体の外には出せないのか?」
礼のペン先が止まった。
顔を上げる。
「外?」
「ああ」
リオは近くに落ちていた小石を拾った。
「俺たちがやってるのって、ずっと身体の中だけだろ。腕に流したり、脚に流したり」
「全身にも巡らせるよ」
「それも身体の中じゃん」
「……まあ」
「だったら、外に出したらどうなるんだ?」
小石が放られ、弧を描いて草むらへ落ちた。
礼はすぐには答えなかった。
身体の外。
その発想自体がなかったわけではない。
「試したことはある」
「あるのか?」
「一年くらい前に」
礼は周囲を見回し、地面から細い枝を一本拾った。
「こういうのに童力を流せないか試した」
「枝?」
「他に手頃なものがなかったんだよ」
「剣とかは?」
「壊れたら困るだろ。当時そんなに金なかったし」
今でこそ冒険者として安定した収入を得られるようになったが、パーティーを離れたばかりの頃は宿代と食費を確保するだけでも気を遣っていた。
実験のために武器を駄目にする余裕などなかった。
「それで?」
「駄目だった」
枝を握り、当時と同じように童力を右腕へ流す。
肩から肘へ。
肘から掌へ。
そこまでは何の問題もない。
しかし、枝へ入れようと意識した瞬間、童力は掌で止まった。
「ほら」
「……俺には分からない」
「そうだった」
「でも入らないのか?」
「入らない。何回やっても同じだった」
枝を放り捨てる。
それで話は終わると思った。
だが、リオは地面へ落ちた枝を見ながら首を傾げていた。
「それ、俺が言ってるのとちょっと違わない?」
「何が?」
「礼がやったのは、身体から枝に童力を移そうとしたんだろ?」
「そうだけど」
「俺が言ってるのは、何にも入れないで、そのまま外に出すってこと」
礼は瞬きをした。
リオが右手を前へ伸ばす。
「ほら、魔術師ってこうやって火を飛ばしたりするじゃん」
「それは魔力を――」
そこまで言って、礼は黙った。
魔力。
身体の外。
火球。
頭の中で何かが繋がりかける。
「……ちょっと待って」
「何?」
礼は自分の鞄を引き寄せ、中を探った。
ノートの下。
布に包んで持ち歩いている一冊の本を取り出す。
セイルから別れ際にもらった『初級魔術理論』だった。
何度も読み返したせいで、表紙の端は少し擦れている。
「それ、魔術の本?」
「うん」
礼は記憶を頼りにページをめくった。
魔力の感知。
制御。
術式。
現象化。
最初に読んだ頃は、意味を理解するだけでも時間がかかった。文字を読むこと自体に慣れていなかったこともある。
今では違う。
ページをめくる指が、目的の箇所で止まった。
魔術師は自身の魔力を制御し、体外へ展開する。
そこへ術式による性質変化を与え、炎や水、風といった現象として発現させる。
礼はその記述を二度読み返した。
「どうした?」
「……俺たち、ここまでしかやってない」
自分のノートを開き、リオにも見えるよう地面へ置いた。
これまで確認してきた童力の扱い方を指で追う。
「童力を感じる。動かす。身体の一ヶ所に集める。全身へ巡らせる。それで身体能力を上げる」
「うん」
「全部、身体の中だ」
「だから言っただろ?」
「魔術は、その先がある」
礼は『初級魔術理論』の該当箇所を指した。
「魔力を身体の外へ出してから、術式で別の現象に変えてる」
リオの目が輝いた。
「じゃあ童力も――」
「待って」
礼はすぐに止めた。
「同じだとは限らない。魔力と童力は別物だ」
「でも試す価値はあるだろ?」
「それは……ある」
認めると、リオが笑った。
「やろうぜ」
こういう時だけ、妙に行動が早い。
礼は苦笑した。
「少しずつだからな」
「分かってるって」
「お前の『分かってる』、信用ないんだよ」
「まだ右腕のこと言ってんの?」
「数日前の話だろ」
二人は荷物を持って立ち上がった。
◇
少し開けた場所を選んだのは、何が起こるか分からなかったからだ。
とはいえ、礼自身も大したことが起きるとは思っていなかった。
一年前に枝への移動を何度も試して失敗している。
童力は肉体の中でのみ存在できる。
そんな可能性も十分にある。
最初に試すのは礼だった。
右腕を前へ伸ばし、掌を開く。
呼吸を整える必要すらない。
意識を身体の内側へ向ければ、慣れ親しんだ感覚がすぐに見つかった。
胸の奥から童力を動かす。
肩を通し、腕を抜け、掌へ。
ここまでは、いつもと変わらない。
「来てる?」
「うん」
「じゃあ出してみて」
「簡単に言うなよ」
苦笑しながら、礼は掌の先へ意識を向けた。
枝はない。
流す対象もない。
ただ空気があるだけだ。
掌に集めた童力を、そのまま前へ押し出す。
「…………」
何も起きない。
もう少し強く意識する。
童力は掌に留まったままだ。
押せば押すほど、むしろ腕の中で詰まっていくような感覚がある。
礼はすぐに力を抜いた。
「駄目だ」
「もう一回」
「やるよ」
二度目。
三度目。
量を変えても結果は同じだった。
掌までは来る。
だが、そこから先へは進まない。
「俺もやってみていい?」
「無理に押すなよ。痛くなったらすぐやめろ」
「分かった」
今度はリオが右手を前へ伸ばす。
童力の感知は、もうかなり速い。
数日前なら数分かかっていたものを、今では少し意識を集中させるだけで見つけられるようになっていた。
「来た」
「掌まで?」
「ああ」
「じゃあ少しだけ前に――」
リオの顔が険しくなる。
肩にも力が入った。
「……出ろ」
「力みすぎ」
「出ねえんだよ」
「身体に力入れても意味ないだろ」
「じゃあどうすればいいんだよ」
「それを調べてるんだって」
結局、リオも失敗した。
腕を下ろしながら、深く息を吐く。
「難しいな」
「できるかどうかも分からないからな」
「でも、もう一回」
「休んでから」
「まだいけるって」
「右腕」
「……休みます」
以前の失敗を指摘すると、リオは素直に地面へ座った。
礼もその隣へ腰を下ろし、結果をノートへ書き込んだ。
◇
午前中は、失敗だけで終わった。
掌から。
指先から。
拳を握った状態で。
腕を振ってみようとしたリオは、礼が止めた。
童力の量を増やしてみても、腕の中で圧迫感が強くなるだけで外には出ない。
昼になる頃には、二人ともさすがに疲れていた。
木陰へ移動し、持ってきた昼食を広げる。
礼は黒パンをちぎりながら、膝の上のノートを眺めていた。
「飯くらい研究やめたら?」
「忘れる前に書いときたい」
「真面目だなあ」
「お前が適当すぎるんだよ」
「適当じゃない。柔軟って言え」
リオは干し肉を一枚口へ放り込んだ。
今日は自分の分だったので、礼も何も言わない。
ノートには失敗した条件が並んでいる。
力を強めても駄目。
速く動かそうとしても駄目。
ゆっくりでも駄目。
魔術の真似をして掌を前へ向けても、当然ながら何も起こらない。
「やっぱり外には出せないのかな」
干し肉を噛みながら、リオが言った。
「かもしれない」
「珍しいな。礼が諦めるの」
「諦めてないよ。可能性の話」
「でもできた方が面白いだろ?」
礼はノートから顔を上げた。
「面白い?」
「だって、誰も知らない力なんだぞ。何ができるか決まってないんだろ?」
以前にも似たようなことを言われた。
礼は手に持っていたパンへ視線を落とした。
童力を研究し始めた理由は、生きるためだった。
あの遺跡で。
誰も助けてくれない場所で。
自分が死なないために見つけた。
それから一年。
今は、一人で魔物を倒せる。
冒険者として金を稼ぎ、宿代を払い、食事をして生きていける。
それでも研究をやめなかった。
生きるためだけなら、もう十分だったのかもしれない。
それでも続けている。
昨日まで分からなかったことが分かる。
できなかったことができる。
誰も答えを持っていないから、自分で確かめるしかない。
それが、いつの間にか楽しくなっていた。
「……まあ、できた方が面白いな」
「だろ?」
「だから午後もやる」
「おう」
「でも食ったら少し休む」
「ええ?」
「集中切れてるだろ」
リオが不満そうな声を上げた。
礼は笑いながら、残りのパンを口へ運んだ。
◇
午後になっても成功しなかった。
同じことを何度も繰り返しているうちに、掌へ童力を集めること自体が作業のようになってくる。
太陽が傾き始める頃には、礼の右腕にも鈍い疲労が残っていた。
痛みになる前にやめた方がいい。
「今日は終わろう」
礼が言うと、リオもさすがに反対しなかった。
「結局、出なかったな」
「そうだな」
「明日もやる?」
「もちろん」
「やっぱり諦めてないじゃん」
「だから最初からそう言ってるだろ」
荷物を片づけながら、礼は今日最後の記録を書いた。
『体外放出――成功例なし』
続けて、
『童力は肉体外では維持できない?』
と書く。
疑問符を付けたところで、ペンが止まった。
何となく。
引っかかった。
礼は書いたばかりの一文を読み返す。
「……肉体外で、維持できない」
「何?」
少し離れた場所で荷物をまとめていたリオが振り返る。
「いや……」
外で維持できない。
本当にそうなのだろうか。
そもそも、今日の実験では一度も外へ出ていない。
外へ出た後に消えたのか。
最初から出ていないのか。
そこすら区別できていない。
そして、もう一つ。
礼は今日一日の自分の動きを思い返した。
何度も。
何度も。
掌へ童力を集めて。
そこから押した。
力任せに。
外へ押し出そうとした。
「……押す?」
口に出した瞬間。
別の記憶が蘇った。
一年前。
童力を全身へ巡らせようとしていた頃。
右腕。
左腕。
脚。
一ヶ所ずつに童力を押し込もうとして、何度も流れを途切れさせた。
どうすればいいのか分からなくなって。
森の中で。
水の流れを見た。
川は。
誰かに押されて進んでいるわけではない。
道があるから流れる。
「リオ」
「ん?」
「もう一回だけやる」
「さっき終わるって」
「これだけ」
礼は荷物から離れた。
リオは何か言いたそうだったが、礼の表情を見て口を閉じた。
右手を前へ伸ばす。
童力を感じる。
肩へ。
腕へ。
掌へ。
そこまでは同じ。
だが、今度は押さない。
掌に集まった童力を、無理やり外へ追い出そうとしない。
身体の中では。
流れている。
なら。
その流れを。
掌で終わらせなければいい。
礼はゆっくりと息を吐いた。
腕の力を抜く。
掌の向こうに何かがあると想像するのではない。
身体の内と外を、別のものとして考えるのをやめる。
胸から肩へ。
肩から腕へ。
腕から掌へ。
そして。
その先へ。
流れを繋げる。
ふっと。
掌から何かが抜けた。
「――っ」
直後。
乾いた音が森に響いた。
目の前の枯葉が一斉に舞い上がり、礼は反射的に顔を庇った。予想していなかった反動に身体が揺れ、一歩、二歩と後ろへ下がる。
何が起きたのか理解できないまま、礼は腕の隙間から前を見た。
舞い上がった葉が、雨のように落ちてくる。
一本の細い枝が地面を転がった。
それだけだった。
火はない。
煙もない。
魔術を使った時のような光もない。
けれど、さっきまで自分の中にあった童力が、確かに減っている。
「……礼」
リオの声がした。
礼は右手を下ろした。
「今の……見た?」
「見た。何した?」
「分からない」
「分からないって、お前がやったんだろ!」
「流しただけだよ!」
「どこに!?」
「外に!」
答えながら、自分でも何を言っているのか分からなくなる。
リオが駆け寄ってきた。
「もう一回できる?」
「待って。今の感覚忘れたくない」
礼は慌ててノートを開いた。
押していない。
流した。
掌を出口にした。
身体の内側から外側まで、一つの流れとして考えた。
思いつくまま書き殴る。
「俺もやる」
「ちょっと待って」
「今なら覚えてるだろ?」
「だから説明できるようにしてるんだよ」
「早く!」
「急かすな!」
言い合いながらも、二人とも笑っていた。
◇
日が沈むまで、二人は森に残った。
礼自身も、すぐに完全な再現ができたわけではない。
同じように意識したつもりでも、童力が掌で止まることがある。
少しだけ抜けたと思った瞬間に消えてしまうこともあった。
何度か繰り返して、ようやく分かった。
力を込めすぎると駄目だった。
外へ出そうと強く意識するほど、童力は掌に集まり、そこで滞る。
身体の中を循環させる時と同じように、流れを途切れさせない。
それが今のところ、最も成功しやすかった。
そして。
次はリオだった。
「掌までは?」
「来てる」
「そこから押さない」
「分かってる」
「身体の中の流れが、そのまま前まで続いてる感じ」
「前ってどこまで?」
「……分からない」
「おい」
「俺だって今日初めてできたんだよ!」
リオが目を閉じた。
失敗。
もう一度。
失敗。
三度目も何も起きなかった。
「……難しいな」
「今日はやめる?」
「あと一回」
礼は少し迷ったが、リオの腕に痛みがないことを確認して頷いた。
右手が前へ伸びる。
リオの呼吸がゆっくりになる。
以前のように身体全体へ力を入れてはいない。
掌まで童力を運び。
その先へ。
流す。
しばらく何も起きなかった。
礼が失敗かと思った時。
小さな音がした。
ぱふっ、と。
二人の間に積もっていた枯葉が揺れた。
一枚が裏返り。
もう一枚が横へ滑る。
少し離れていた一枚も、風に押されたように転がった。
リオが目を開けた。
礼は地面を見た。
三枚。
顔を上げると、リオと目が合った。
「……出た?」
「出た」
「俺も?」
「うん」
「…………」
「…………」
礼は口元を押さえた。
「おい」
「違う」
「何が?」
「笑ってない」
「じゃあ何で顔逸らしてんだよ」
「いや……ちゃんと成功してる。成功してるんだけど……」
「何だよ」
「三枚……」
「出たんだからいいだろ!」
耐えられなかった。
礼が吹き出すと、リオが怒ったように肩を押してくる。
「お前の時だけ派手だったのずるいだろ!」
「俺に言うなよ!」
「次は絶対もっと飛ばす」
「いきなり量増やすなって!」
「分かってる!」
「その言葉が信用できないんだよ!」
ひとしきり笑ってから。
二人はもう一度、地面を見た。
転がった三枚の枯葉は、そのままそこにある。
ただの枯葉だ。
それでも礼は、そのうちの一枚を拾い上げた。
「……リオ」
「ん?」
「お前も出せたってことは、俺だけの現象じゃない」
リオも自分の掌を見た。
「ああ」
「やっぱり童力は、身体の外へ出せる」
「じゃあ次は?」
「まず安定させる」
「その次」
「安全な量を調べる」
「その次は?」
「距離かな」
「その次」
「……何でそんなに急ぐんだよ」
呆れて笑いながら、礼は手に持っていた枯葉を離した。
夕方の風に乗り、葉は少しだけ宙を舞って地面へ落ちた。
「でも、調べることは増えたな」
「だろ?」
リオは満足そうに笑った。
◇
宿へ戻った頃には、すっかり夜になっていた。
夕食を済ませた礼は自室へ戻ると、机の上に油灯を置き、今日の記録を整理し始めた。
失敗した方法。
最初に成功した時の感覚。
力を込めすぎると童力が掌で滞ること。
放出後、体内の童力が減少している感覚。
腕に痛みはない。
リオでも再現できた。
威力には差がある。
一つずつ、できるだけ正確に書いていく。
記憶だけに頼れば、明日には細かな部分を忘れてしまうかもしれない。
書き終えたところで、礼は以前作った一覧のページを開いた。
『感知』
『移動』
『強化』
『循環』
その下に、少し間を空ける。
今日まで空白だった場所へ、ペン先を置いた。
『放出』
書いた文字を見ながら、礼は今日の光景を思い返した。
自分の掌から童力が抜けた瞬間。
舞い上がった枯葉。
三枚しか動かせず、悔しそうにしていたリオ。
思い出すと、また少し笑ってしまう。
「……三枚」
明日その話をしたら怒るだろう。
礼は笑いを収め、次のページを開いた。
『距離は伸ばせるか』
『放出量と身体への負担』
『一点に集中できるか』
書いているうちに、次々と疑問が浮かんでくる。
放った後の童力を動かすことはできるのか。
形を持たせることはできるのか。
何かにぶつけた場合、どれほどの力になるのか。
以前失敗したように、物へ直接流すことはできなくても、一度放出した童力を外側から物へ触れさせることならできるのではないか。
そこまで考えたところで、礼の視線が机の端へ移った。
鞘に収めた鉄剣が、壁へ立てかけてある。
「…………」
礼は剣を見た。
ノートを見る。
また剣を見る。
そして、新しい一行を書いた。
『剣に纏わせることは可能か』
ペン先を離してからも、礼はその文字を眺めていた。
身体から直接流すのではなく、一度外へ出して、そのまま剣の表面に留める。
できるかどうかは分からない。
むしろ、今日ようやく外へ出せたばかりなのだから、失敗する可能性の方が高い。
それでも、試してみる価値はある。
礼はその一文の横へ丸を付けた。
明日、最初に試す。
そう決めたところで、階下から椅子を引く音が聞こえた。女将が店を閉め始めたのだろう。
もう随分遅い。
礼は名残惜しさを感じながらもノートを閉じた。
さすがに宿の中で試すわけにはいかない。もし今日のように何かを吹き飛ばして壁でも壊せば、研究どころではなくなる。
油灯を消し、寝台へ横になる。
目を閉じると、今日のことより先に、明日試すことが頭へ浮かんだ。
剣に纏わせる。
駄目なら、別の方法を考える。
それでも駄目なら、リオにも意見を聞いてみる。
一人だった頃なら、最後の選択肢はなかった。
礼は薄暗い天井を見つめながら、そのことに気づいた。
明日になれば、また試せる。
また失敗できる。
そして、また二人で考えられる。
そう思うと、不思議と眠るのが少し惜しかった。
それでも明日のためには休まなければならない。
礼は布団を肩まで引き上げ、目を閉じた。
机の上では、閉じられたノートの隣に一本の剣が立てかけられていた。




