第二十二話 教えるということ
翌朝、礼が森へ着いた時には、リオはすでに昨日と同じ場所に座っていた。
目を閉じ、両手を膝の上に置いている。
まだ朝露の残る草の上に座っているせいで、革のズボンは少し濡れていた。本人は気にしていないらしく、礼が近づいてもすぐには目を開けなかった。
何をしているのかは、聞かなくても分かった。
「……見つかった?」
声をかける。
リオの眉間に寄っていた皺が緩み、ゆっくりと目が開いた。
「分からん」
「分からんのか」
「昨日のやつを探してた。でも、これだっていうのがない」
「そっか」
礼は隣へ荷物を下ろした。
少しだけ期待していた。
昨日、一度だけとはいえ、リオは魔力とは違う何かを感じた。
朝になれば、もう一度簡単に見つけられるかもしれない。
そんな期待があった。
どうやら、甘かったらしい。
「いつからやってた?」
「日の出くらい」
「早すぎだろ」
「昨日、帰ってからもやった」
「え?」
「宿で寝る前に」
礼は思わずリオを見る。
「見つかった?」
「いや。だから朝からやってる」
「……真面目だな」
「強くなりたいからな」
また、その言葉だった。
どうしてそこまで強くなりたいのか。
礼はまだ聞いていない。
リオも話さない。
だから礼も、それ以上は聞かなかった。
「じゃあ、昨日と同じところからやろう」
「ああ」
礼も地面へ座った。
今日は、昨日までとは違う。
自分が童力を使うための練習ではない。
目の前の人間に、童力を見つけさせるための練習だ。
昨夜、礼は遅くまでノートと向き合っていた。
新しく作ったページ。
『童術――感知法』
そこへ、これまで自分が無意識にやっていたことを、思いつく限り書き出した。
呼吸。
姿勢。
魔力の感知。
意識の向け方。
身体のどこを探しているのか。
どの時点で魔力とは違うと判断するのか。
書けば書くほど、自分が感覚だけでやっていることの多さに気づいた。
それでも。
昨日よりはましだ。
「まず魔力を探して」
「分かった」
リオが目を閉じる。
「見つかったら言って」
しばらくして、リオが小さく頷いた。
「ある」
「どんな感じ?」
「どんなって?」
「温かいとか、重いとか、流れてるとか」
「……温かい、かな」
「場所は?」
「胸の辺り」
「じゃあ、その感覚を覚えて」
「覚える?」
「うん。童力が本当に別の力なら、同じ感じじゃないはずだから」
リオが目を閉じたまま、「なるほど」と呟いた。
昨日までの礼は、童力を探させようとしていた。
だが、それでは駄目なのかもしれない。
知らないものを探せと言われても、何を探せばいいのか分からない。
なら。
先に、知っているものをはっきりさせればいい。
魔力がどんなものなのか。
それを認識した上で。
**それではないものを探す。**
「魔力から意識を離して」
「……うん」
「消そうとしなくていい。あるのは分かってる。でも触らない」
リオの呼吸がゆっくりになる。
礼は黙って待った。
急かさない。
答えを教えない。
そもそも礼にも、答えを教えることはできない。
これは。
リオ自身が見つけなければならない。
十分ほど経った。
「……駄目だ」
リオが目を開けた。
「何もない?」
「魔力は分かる。でも、昨日のやつが分からない」
「じゃあ休憩」
「もう?」
「焦って見つかるなら昨日見つかってる」
「……それもそうか」
二人は立ち上がった。
礼は軽く身体を伸ばす。
リオも真似をした。
こういうところは妙に素直だ。
「なあ、礼」
「ん?」
「お前は今も分かるのか?」
「童力?」
「ああ」
「分かるよ」
「ずっと?」
「意識すれば」
「やってみて」
「いいけど」
礼は目を閉じる必要もなかった。
意識を自分の内側へ向ける。
魔力とは違う。
もっと馴染んだもの。
一年間。
何度も触れ。
動かし。
失敗し。
今では身体の一部のように扱えるようになった力。
――ドクン。
ある。
「あるよ」
「早っ」
「慣れてるから」
「俺もそうなる?」
「知らない」
「そこはなるって言えよ」
「嘘ついてどうすんだよ」
リオが笑った。
礼も少し笑う。
「じゃあ、もう一回やろう」
「ああ」
◇
午前中。
何度繰り返しても、昨日の感覚は戻らなかった。
礼は説明を変えた。
座る場所も変えた。
呼吸の速さも変えた。
一度歩かせ、身体を動かした直後に試した。
逆に、しばらく何もせず休んでから試した。
それでも。
リオは首を横に振る。
「……ない」
「そっか」
礼はノートへ書き込んだ。
『午前。再現できず』
その横へ。
『疲労? 環境? 集中?』
少し考え。
『そもそも昨日の感覚が童力ではなかった可能性』
とも書く。
リオが横から覗き込んだ。
「疑ってる?」
「何を?」
「俺が感じたって言ったこと」
「それは疑ってない」
「じゃあ何で」
「お前が感じたものが何なのか分からないから」
礼はペン先をノートへ向ける。
「俺が童力だって決めたら、そこから間違うかもしれないだろ」
「……慎重なんだな」
「一年失敗したから」
「なるほど」
リオは妙に納得した顔で頷いた。
礼はノートを閉じる。
「飯にしよう」
「待ってました」
「それが一番元気じゃん」
「腹減ったんだよ」
木陰へ移動し、二人で昼食を広げる。
今日も礼の宿の女将が持たせてくれた弁当だった。
黒パン。
干し肉。
豆と野菜を煮込んだもの。
派手な食事ではない。
それでも。
一年前なら。
こうして誰かと昼食を食べていること自体を、礼は意識していただろう。
今は。
リオが勝手に干し肉へ手を伸ばしたことの方が気になった。
「それ俺の」
「一枚くらいいいだろ」
「自分のあるだろ」
「そっちの方がでかい」
「返せ」
「もう食った」
「お前な……」
リオが笑う。
礼は呆れながら黒パンをちぎった。
変な奴だ。
まだ出会って三日ほどしか経っていない。
なのに。
ずっと前から知っているような顔で隣にいる。
「礼」
「何?」
「童術って、どこまでできる?」
「どこまで?」
「昨日のグランドベアみたいに、身体を強くする以外」
「今のところ、それが中心かな」
「今のところ?」
「まだ研究してるから」
礼は自分の右手を見る。
「脚に集めれば速くなる。腕に集めれば力が上がる。でも一ヶ所に集めすぎると身体がついてこない。だから今は、全身に薄く巡らせる使い方を練習してる」
「それが昨日の?」
「うん」
「他には?」
「まだない」
「じゃあ、これから増えるかもしれない?」
礼は少し考えた。
「……たぶん」
「すげえな」
何気なく言われた言葉だった。
礼は黒パンを持ったまま、リオを見る。
「何が?」
「だって、誰も知らないんだろ?」
「今のところは」
「なら、何ができるかも決まってないってことじゃん」
礼は答えなかった。
考えたことがなかったわけではない。
この力で。
他に何ができるのか。
身体を強くするだけなのか。
外へ出せるのか。
物へ流せるのか。
魔力と何か関係するのか。
まだ。
何も分からない。
「……そうだな」
礼は自分の掌を見た。
「まだ、何も決まってない」
「じゃあ面白そうじゃん」
リオは笑った。
「俺も使えるようになったら、何か考えていい?」
「使えるようになったらな」
「絶対なる」
「自信あるな」
「ないと三日も森で座ってられないだろ」
確かに。
礼は少し笑った。
◇
午後。
訓練を再開した。
だが。
状況は変わらなかった。
見つからない。
昨日。
一度だけ感じた何か。
それが。
どこにもない。
リオの顔にも。
少しずつ焦りが出始めた。
「……もう一回」
「休んだ方がいい」
「まだできる」
「集中切れてるだろ」
「大丈夫」
「大丈夫じゃない」
礼は少し強めに言った。
リオが黙る。
「焦っても意味ない。俺だって最初からできたわけじゃない」
「でも、お前は一人で見つけた」
「死にかけてな」
「…………」
「同じことする?」
「嫌だ」
「俺も嫌だよ」
礼は水筒を渡した。
「休め」
リオは渋々受け取り、水を飲んだ。
その姿を見ながら。
礼は考える。
何が違う。
昨日と今日。
昨日。
リオが初めて何かを感じたのは。
訓練が終わった後だった。
力を抜いた瞬間。
探すことをやめた直後。
「……探しすぎてる?」
「ん?」
礼が呟く。
「もしかして、見つけようとしすぎてるのか」
「どういうこと?」
「俺が最初に見つけた時も……」
思い出す。
あの遺跡。
追い詰められ。
助けを求め。
誰もいないことを理解して。
最後に。
自分で何とかするしかないと決めた。
魔力を探した。
その時。
何かがあった。
意識して作ったわけではない。
そこにあったものへ。
ようやく気づいただけだった。
「リオ」
「何?」
「今から童力探すのやめよう」
「は?」
「何もしなくていい」
「何しに来たんだよ」
「いいから」
礼はリオの正面へ座った。
「目も閉じなくていい。普通にして」
「普通って」
「何でもいい。ぼーっとして」
「それ練習なの?」
「俺にも分からない」
「おい」
「試すんだよ」
リオは納得していない顔だった。
それでも。
言われた通り、木にもたれた。
二人で。
何もしない。
風が吹く。
木漏れ日が揺れる。
虫が飛ぶ。
遠くから。
何か小さな動物が草を踏む音がした。
しばらくして。
「暇だな」
リオが言った。
「うん」
「これ意味ある?」
「分かんない」
「帰る?」
「もうちょっと」
「腹減った」
「さっき食っただろ」
「干し肉一枚しかもらってない」
「俺の食っただろ」
「それ込みで」
「知らないよ」
また。
どうでもいい会話をする。
訓練でも。
研究でもない。
ただ。
二人で森に座っている。
その時。
リオの言葉が止まった。
「…………」
礼は気づいた。
でも。
声をかけなかった。
リオの視線が。
ゆっくりと。
自分の胸へ落ちる。
「……礼」
「うん」
「いる」
小さな声だった。
「昨日の?」
「たぶん」
「目閉じて」
リオが従う。
「捕まえようとしなくていい」
「……うん」
「そこにあるってことだけ覚えて」
「…………」
礼も。
呼吸を小さくする。
邪魔をしたくなかった。
しばらく。
何も言わない。
やがて。
リオが目を開けた。
「……まだある」
「本当に?」
「ああ」
「魔力は?」
「魔力もある」
「同時に?」
「うん」
礼の胸が。
少しだけ速くなる。
「違いは分かる?」
「……分かる」
「どんな?」
「魔力は温かい」
「もう一個は?」
リオは。
言葉を探した。
「……重いっていうか」
「重い?」
「いや、違うな。何か……」
胸元へ手を置く。
「ここにあるっていうより、自分そのものに近い感じ」
礼は息を止めた。
似ている。
自分が。
童力を感じる時の感覚に。
「リオ」
「うん」
「明日、もう一回できたら――」
「今やろう」
「え?」
「動かすんだろ?」
「いや、まだ」
「あるうちにやりたい」
礼は迷った。
焦るな。
そう言ったばかりだ。
だが。
昨日は消えた。
今も。
いつ消えるか分からない。
「……分かった」
礼はリオの前へ座り直す。
「でも、少しだけ」
「どうすればいい?」
そこで。
礼は。
また困った。
どうやって。
童力を動かしている。
「…………」
「礼?」
「ちょっと待って」
「また説明できない?」
「うるさい」
自分の右手を見る。
童力を流す。
どうやっている。
動け。
そう思う。
すると動く。
それだけ。
でも。
リオには。
それでは伝わらない。
「水」
「水?」
「川みたいに考えてみて」
礼は地面へ指で線を引いた。
「ここにある」
一ヶ所を指す。
「それを、腕の方へ流す」
線を伸ばす。
「無理に押さなくていい。道を作る感じ」
「道」
「俺は最初、無理やり脚に押し込んで失敗した。だから本当に少しだけでいい」
「分かった」
「右手にしよう」
「何で?」
「失敗しても走って木に突っ込まないから」
「経験談?」
「経験談」
リオが笑った。
そして。
目を閉じる。
礼も笑うのをやめた。
「感じる?」
「……ある」
「じゃあ、右肩」
「…………」
「そこまで」
「…………」
「急がなくていい」
時間が過ぎる。
リオの眉間に。
汗が滲んだ。
「力入れすぎ」
「難しいんだよ」
「一回抜いて」
「消えそう」
「大丈夫。消えてもまた探せばいい」
リオの肩から。
少し力が抜ける。
「流すんじゃなくて……通る場所を作る感じ」
「…………」
「右肩から、腕」
「…………」
「ゆっくり」
その時。
リオの右腕が。
僅かに震えた。
「……今」
礼が言う。
「分かった?」
「何か……動いた」
「もう一回」
リオが集中する。
礼は。
その右腕を見つめる。
外から見れば。
何も変わらない。
光らない。
魔力のような輝きもない。
音もない。
それでも。
リオ自身には。
分かっている。
「……来た」
「どこ?」
「肘」
「そのまま」
「……腕」
「ゆっくり」
「……手」
リオの右手が。
ぎゅっと握られた。
「…………」
二人とも。
しばらく。
何も言わなかった。
リオが。
目を開ける。
自分の右手を見る。
「……これ」
声が震えていた。
「俺、今」
「うん」
礼は。
笑っていた。
「動かした」
「……うん」
「童力を?」
礼は。
今度は。
迷わなかった。
「たぶん」
「そこは言い切れよ!」
「だってまだ――」
「今くらい言い切ってくれよ!」
リオが笑った。
礼も笑った。
森の中に。
二人の声が響いた。
◇
その日の夜。
礼は。
いつもより長く。
ノートへ向かっていた。
『再現成功』
『魔力と異なる感覚を再び確認』
『本人は両者を同時に認識可能』
『右腕への移動に成功』
そこまで書き。
礼は。
少し考える。
そして。
『童力である可能性――極めて高い』
と書いた。
まだ。
完全に断定はしない。
自分が他人の童力を直接確認する方法がない。
それは。
これから考えればいい。
次のページ。
『感知法』
昨日までは。
題名しかなかった。
そこへ。
今日分かったことを書いていく。
『一、魔力を先に認識する』
『二、魔力の感覚を覚える』
『三、魔力を消そうとせず、それとは異なる感覚を探す』
途中で。
礼はペンを止めた。
今日。
何度も探させて。
何度も失敗した。
最後に見つかったのは。
二人で何もせず。
馬鹿な話をしていた時だった。
『四、過度に集中しすぎない』
少し考えて。
横へ。
『?』
を付けた。
まだ分からない。
仮説だ。
礼は次へ進む。
『感知後、身体の一部へ少量を移動させる』
『最初は脚を避ける』
『暴走した場合、転倒の危険あり』
そこまで書いて。
一年前。
自分が木へ突っ込みかけたことを思い出した。
「……あれ、結構危なかったな」
今さらだった。
礼は続きを書く。
自分が失敗したこと。
危険だったこと。
痛かったこと。
全部。
書いていく。
リオには。
同じ失敗をさせなくていい。
そのための。
記録だった。
やがて。
礼は別のページを開いた。
『確認済み童力保有者』
そう書く。
その下へ。
『如月礼』
そして。
少し間を空け。
『リオ』
と書いた。
二つの名前。
礼は。
しばらく眺めた。
一年前。
自分しか知らなかった力。
自分しか使えなかった力。
それが。
今日。
初めて。
自分以外の人間の中で動いた。
まだ。
右腕まで。
ほんの僅かに。
それだけだった。
魔物を倒すこともできない。
速く走ることも。
強く殴ることも。
何もできない。
けれど。
礼には。
その小さな一歩が。
昨日グランドベアを倒したことよりも。
ずっと大きな出来事のように思えた。
自分だけの力ではない。
なら。
童術は。
自分一人で終わるものではないのかもしれない。
礼は。
新しいページを開いた。
何を書くか。
少し迷った。
そして。
『次の課題』
と書く。
『童力を安定して感知する』
『右腕以外へ動かす』
『全身へ巡らせる』
『安全な量を調べる』
最後に。
『他の人間でも可能か確認する』
と書き加えた。
そこまで書いて。
礼はペンを置いた。
明日も。
森へ行く。
リオが来る。
また。
二人で試す。
失敗する。
考える。
そして。
少しずつ。
できることを増やしていく。
それでいい。
礼はノートを閉じた。
この日。
《童術》を使う人間が。
一人から。
二人になった。




