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童貞にして最強 ―穢れなき力を手にした男の黙示録―  作者: 忠犬むつ公
第一部

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第十一話 置いていかないで

守護者が一歩踏み出すたび、遺跡全体が低く震えた。


 黒い脚が床を踏み砕き、細かな石片が跳ねる。その身体は人の形に近い。だが、人間と呼ぶにはあまりにも大きかった。ボルグより頭二つどころではない。天井近くまで届く巨体を覆う黒い外殻は、鎧なのか、それとも最初からそういう身体なのかすら分からない。


 胸には、あの巨大な扉と同じ紋様。


 二つの赤い光だけが、顔のあるべき場所で揺れていた。


 礼は短剣を握りしめた。掌に汗が滲み、革を巻いた柄がひどく頼りなく感じられる。


 怖い。


 黒牙獣に襲われた時とも、洞窟狼に飛びかかられた時とも違った。


 目の前のものを見た瞬間に、身体のどこかが理解していた。


 これは、戦ってはいけないものだ。


「礼、下がれ」


 ガルドが前へ出た。


 その背中を見た瞬間、わずかに呼吸が楽になる。


 この世界に来てから何度も見てきた背中だった。魔物が現れた時も、危険な道を進む時も、礼が何をすればいいか分からなくなった時も、いつも一番前にいた。


 礼は一歩下がった。


「……勝てる?」


 問いかけると、ガルドは守護者から目を離さないまま答えた。


「分からん」


 それだけだった。


 大丈夫だとは言わなかった。


 だからこそ怖かった。


「ボルグ。受けられるか」


「やってみる!」


「無理ならすぐ離れろ。ミレナ、関節を狙え。セイルは攻撃より解析を優先。弱点が分かったらすぐ言え」


「了解」


「分かったわ」


「ああ」


 ガルドが剣を構える。


「礼」


「うん」


「絶対に前へ出るな」


 礼は頷いた。


「……分かった」


 守護者が止まった。


 一瞬だけ、静寂が訪れる。


 次の瞬間。


 巨体が消えた。


「――っ!?」


「ボルグ!!」


「おおおおおおッ!!」


 轟音。


 守護者の腕と、ボルグの大盾が衝突した。


 礼の耳が痺れた。


「ぐっ……!」


 ボルグの身体が沈む。


 両脚が床を滑り、石を削りながら後ろへ押されていく。


「ボルグさん!」


「来るな!」


 ボルグが叫んだ。


 普段なら笑いながら魔物の攻撃を受け止める男が、歯を食いしばっていた。


「ぬ……おおおおおお!!」


 押し返す。


 ほんのわずか。


「今だ!」


 ガルドが飛び込む。


 剣が守護者の脇腹へ走った。


 甲高い音。


「……硬っ!」


 刃が弾かれた。


「ガルド!」


 ミレナの矢が飛ぶ。


 一本。


 二本。


 三本。


 赤い目。


 首。


 膝。


 すべて正確だった。


 そして、すべて弾かれた。


「嘘でしょ……!」


「離れろ!」


 セイルの声。


 杖の先に炎が集まる。


「《炎槍》!」


 赤い閃光が守護者の胸へ直撃した。


 爆発。


 熱風が通路を走る。


 礼は腕で顔を覆った。


「やった……?」


「礼!」


 ガルドの声。


「そういうのは倒れたのを確認してから言え!」


「一回言ってみたかったんだよ!」


「今じゃねえ!」


 煙が晴れる。


 守護者は立っていた。


「…………」


 礼の笑いが消えた。


 胸の外殻がわずかに黒く焦げている。


 それだけだった。


「効いてないじゃん……」


「完全に無効ではない」


 セイルの額に汗が浮かんでいる。


「だが、魔力を散らされている。外殻そのものに何らかの防御機構がある」


「壊せる?」


「時間があれば」


「どのくらい」


「分からん」


「今は?」


 セイルは答えなかった。


 守護者が腕を振り上げる。


「ボルグ、避けろ!!」


 振り下ろされた。


 盾。


 衝撃。


 今度は。


 ボルグの身体が浮いた。


「――っ!」


「ボルグ!!」


 巨体が壁へ叩きつけられる。


 鈍い音。


 盾が床を転がった。


「ボルグさん!」


 礼が走り出しかける。


「来るな!!」


 ガルドの声で止まった。


「ミレナ!」


「分かってる!」


 矢が守護者の顔へ集中する。


 赤い光がミレナへ向いた。


「こっちよ!」


 走る。


 守護者が追う。


「セイル!」


「《岩槍》!」


 床から石の槍が突き出す。


 守護者の脚がわずかに止まった。


「ガルド!」


「ああ!」


 二人が同時に動く。


 剣。


 魔術。


 矢。


 何度も。


 何度も。


 しかし。


 倒れない。


「……何なんだよ、あれ」


 礼は呟いた。


 四人が弱いわけではない。


 礼は知っている。


 一か月。


 何度も見てきた。


 ガルドは強い。


 ミレナはほとんど矢を外さない。


 セイルの魔術は何度も魔物を焼いた。


 ボルグの盾を抜けた敵は、ほとんどいなかった。


 その四人が。


 押されている。


「礼!」


 ミレナの声。


「ボルグを見て!」


「え?」


「早く!」


「分かった!」


 礼は走った。


 壁際。


 ボルグが身体を起こそうとしている。


「ボルグさん!」


「おお……礼か」


「大丈夫!?」


「問題ない!」


「その顔で言うなよ!」


 額から血。


 呼吸も荒い。


「立てる?」


「当然だ!」


 立とうとする。


「ぐっ……!」


「ボルグさん!」


 右脚。


 力が入っていない。


「……足?」


「少し捻っただけだ!」


「少しじゃないだろ!」


「男は多少の怪我なら――」


「そういうのいいから!」


 礼は荷物を開いた。


 包帯。


 薬。


 この一か月で覚えた。


 礼にできること。


「痛いところ」


「右脚だ」


「やっぱりじゃん!」


「すまん!」


「謝らなくていいから!」


 固定。


 強く。


「これで立てる?」


「やってみる」


「ゆっくり!」


 その時。


「礼!!」


 ガルド。


 顔を上げる。


 守護者。


 こちらへ。


「――っ!」


 目の前に。


 黒。


 ボルグが礼を突き飛ばした。


「うわっ!」


 床へ転がる。


 直後。


 轟音。


「ボルグさん!!」


 盾。


 守護者。


 再び。


 受け止める。


「ぬおおおおおおおお!!」


 だが。


 右脚が。


「ぐっ……!」


 崩れる。


「ボルグ!」


 ガルドが守護者の腕へ剣を叩き込む。


「離れろ!」


 セイルの炎。


 ミレナの矢。


 守護者が後退する。


「ボルグさん!」


「平気だ!」


「平気じゃねえよ!」


「礼!」


 ガルドが叫ぶ。


「荷物持て!」


「え?」


「撤退する!!」


 礼は一瞬。


 動けなかった。


「……逃げる?」


「ああ!」


 ガルドは守護者を睨んだまま言った。


「こいつは駄目だ!」


 迷いのない声だった。


「倒す必要はない! 生きて帰るぞ!」


 礼の身体が動いた。


「分かった!」


 荷物。


 拾う。


 背負う。


 ボルグの腕を肩へ回す。


「ボルグさん、行ける?」


「走れる!」


「絶対嘘だろ!」


「なら歩く!」


「それも怪しい!」


「礼!」


 ミレナが反対側へ入る。


「私も持つ!」


「頼む!」


「ガルド!」


 セイル。


「三秒止める!」


「十分だ!」


 杖。


 魔法陣。


「《氷縛》!」


 床から氷が伸び、守護者の脚を覆う。


「走れ!!」


 五人は走った。


     ◇


 行き先は分からなかった。


 出口は塞がれている。


 道は動く。


 それでも。


 立ち止まれば死ぬ。


「右!」


 ミレナが叫ぶ。


「風がある!」


「行け!」


 ボルグを支えながら走る。


 重い。


 息。


 苦しい。


 後ろ。


 轟音。


 氷が砕けた。


「来る!」


「分かってる!」


 ガルドが最後尾。


 時折振り返り。


 守護者の攻撃を受け流す。


「礼!」


「何!?」


「荷物捨てろ!」


「でも!」


「命と荷物なら!?」


 礼は。


 一瞬だけ。


 止まりそうになった。


 あの日。


 森へ初めて入る前。


 ガルドに教えられた言葉。


「……命!」


「なら捨てろ!」


「分かった!」


 背負っていた袋を外す。


 投げる。


 食料。


 道具。


 報酬になるかもしれなかったもの。


 全部。


 床へ。


 身体が軽くなる。


「行くぞ!」


 走る。


「ボルグさん、もうちょい!」


「すまん!」


「謝んなって!」


「礼!」


「今度は何!?」


「前!」


「え?」


 壁。


「止まれ!!」


 五人。


 急停止。


「行き止まり!?」


「違う!」


 セイルが壁へ走る。


「魔力反応がある!」


「開く?」


「待て!」


 杖。


 光。


 紋様。


「扉だ!」


「開けられるか!?」


「やる!」


 後ろ。


 ドン。


 ドン。


 ドン。


「セイル!」


「急かすな!」


「急ぐ状況だろ!」


「分かっている!」


 礼は後ろを見る。


 暗闇。


 赤い目。


「来る……!」


「ガルド!」


 ミレナ。


「ああ」


 二人。


 構える。


「礼!」


「何!?」


「セイルを手伝え!」


「俺魔法使えない!」


「明かり持て!」


「それならできる!」


 松明。


 セイルの手元。


「ここ」


 紋様。


「これ押せ」


「これ?」


「違う、その横!」


「どっちだよ!」


「右!」


「俺から見て!?」


「俺から見てだ!」


「最初に言え!」


「早くしろ!」


 押す。


 何も。


「違う!」


「やっぱり!?」


「その下!」


「これ!?」


「そう!」


 押す。


 ゴゴゴゴゴ。


「開いた!」


 黒い壁。


 隙間。


「全員入れ!!」


 ミレナ。


 礼。


 セイル。


 ボルグ。


 ガルド。


 最後。


 守護者の腕。


「ガルド!!」


「っ!」


 剣。


 受ける。


 吹き飛ぶ。


「ガルドさん!」


 礼が手を伸ばす。


 ガルドの腕。


 掴む。


「引け!」


「うおおおっ!」


 ミレナも掴む。


 三人。


 引く。


 ガルドが扉の内側へ転がり込んだ。


「閉めろ!」


「分かってる!」


 セイル。


 紋様。


 壁が閉じる。


 守護者の腕。


 隙間。


 あと。


 少し。


 ゴン。


 閉じた。


「…………」


 静か。


 誰も。


 動かない。


「はぁ……はぁ……」


 礼は床へ座り込んだ。


「……助かった?」


「まだだ」


 ガルド。


「でも」


 礼は笑った。


「今のは助かっただろ」


「……そうだな」


 ガルドも。


 少しだけ笑った。


「よく引っ張った」


「この前のお返し」


「何の?」


「落ちた時」


「ああ」


 ガルドが。


 礼の頭を軽く叩いた。


「ありがとな」


「……うん」


 礼は笑った。


     ◇


「ボルグの脚は?」


「骨は折れてないと思う」


 礼が包帯を巻き直しながら答える。


「でも走るのは無理」


「すまん」


「だから謝るなって」


 守護者は。


 扉を突破してこない。


 少なくとも。


 今は。


 休める。


「ここは何だ?」


 ミレナ。


「分からん」


 セイルが周囲を調べる。


 これまでの黒い通路とは違った。


 狭い部屋。


 奥に。


 もう一つ扉。


「向こうへ行ける?」


 礼。


「恐らく」


「出口だといいな」


「そうね」


「…………」


 セイルは。


 答えなかった。


「セイル?」


「これ」


 壁。


 紋様。


「何?」


「構造が分かる」


「読めるの?」


「文字ではない」


 セイルの表情。


 硬い。


「魔術式に近い」


 ガルドが立つ。


「何が書いてある」


「少し待て」


 指。


 紋様を追う。


「これは……隔壁だ」


「隔壁?」


「非常時に区画を切り離すためのものだと思う」


 礼は首を傾げる。


「つまり?」


「さっきの守護者を閉じ込められるかもしれない」


「…………」


 全員。


 扉を見る。


「できるのか?」


 ガルド。


「可能性はある」


「どうする」


「この部屋の向こう側にもう一つ通路がある。恐らくそこから上層へ戻れる」


「なら行こう」


「待て」


 セイル。


「問題がある」


 礼の胸に。


 小さな嫌なものが生まれた。


「何?」


「隔壁は」


 セイルが紋様を見る。


「こちら側からしか操作できない」


 沈黙。


「……どういうこと?」


 礼。


「守護者が入ってきた後、この扉を閉じれば」


 セイルが。


 ゆっくり。


 言葉を選ぶ。


「恐らく、ここへ閉じ込められる」


「じゃあ」


 礼は。


 まだ理解していなかった。


「閉じればいいじゃん」


「礼」


 ミレナ。


 声が。


 違った。


「何?」


「…………」


 誰も。


 答えない。


「何?」


 礼は笑った。


「なんで黙るんだよ」


 セイルが目を伏せる。


「……操作盤は、この部屋にある」


「うん」


「扉を閉じるには」


 礼の笑みが。


 少し。


 消える。


「誰かが」


 セイルは。


 そこで一度。


 言葉を止めた。


「ここに残る必要がある」


「…………」


 礼は。


 壁を見る。


 操作盤。


 扉。


 向こう側。


「……ああ」


 やっと。


 意味が分かった。


「そういうこと」


     ◇


「俺が残る」


 ガルドが言った。


 早かった。


 誰かが反応するより。


 ずっと。


「ガルド!」


 ミレナ。


「駄目だ!」


「他にない」


「あるでしょ!」


「何が」


「今から探す!」


「時間がない」


「だからって!」


「ミレナ」


「嫌よ!」


 ミレナが。


 初めて。


 ガルドへ怒鳴った。


「何勝手に決めてんのよ!」


「俺がリーダーだ」


「そういう時だけリーダー面しないで!」


「いつもしてるだろ」


「ふざけないで!」


「ふざけてない」


 ガルドは。


 笑っていなかった。


「セイル」


「……何だ」


「向こうへ出た後、出口まで行けるか」


「分からない」


「可能性は」


「ある。魔力の流れは上へ続いている」


「なら」


「待て」


 セイルがガルドを見る。


「まだ方法があるかもしれない」


「探せ」


「言われなくても!」


 セイルは。


 壁へ向かう。


 杖。


 魔力。


 紋様。


「遠隔操作は?」


「試している!」


「反対側からは?」


「術式が繋がっていない!」


「壊して固定!」


「壊せば閉じなくなる可能性が高い!」


「じゃあ!」


「待て!」


 声。


 珍しく。


 セイルが叫んだ。


「考えている!」


 静かになった。


 セイルの手も。


 震えていた。


 礼は。


 初めて見た。


 いつも。


 分からないものは分からないと言う男。


 冷静な。


 セイル。


 その男が。


 焦っている。


「俺が残る!」


 ボルグ。


「駄目だ」


 ガルド。


「なぜだ!」


「その脚でどうやって守護者を引きつける」


「立てる!」


「走れないだろ」


「なら盾で止める!」


「お前が倒れたら閉じる前に全員死ぬ」


「しかし!」


「ボルグ」


「…………」


「お前はミレナに支えてもらえ」


「ガルド!」


「命令だ」


「…………っ」


 ボルグの拳が。


 震える。


「嫌だ」


 低い声。


「……嫌だ」


 礼は。


 ボルグがそんな声を出すのを。


 初めて聞いた。


「俺は」


 ボルグは歯を食いしばる。


「全員で帰る方がいい」


「俺もだ」


 ガルドが答える。


「なら!」


「俺もだ!」


 ガルドが怒鳴った。


 部屋が。


 静かになる。


「……俺だって」


 ガルドの声が。


 少し。


 掠れた。


「全員で帰りたい」


「…………」


「だから探してる」


 ガルドが。


 セイルを見る。


「まだ何かあるか」


「…………」


 セイルは。


 答えない。


「セイル」


「……少し待て」


「あとどれくらい」


「分からない」


 その時。


 ――ドン。


 全員。


 扉を見る。


 守護者。


「…………」


 ――ドン。


 黒い扉。


 僅かに。


 震えた。


「……突破される」


 セイル。


「どのくらい持つ」


「分からん」


 ――ドン。


「長くはない」


     ◇


 それから。


 何分だったのか。


 礼には分からなかった。


 セイルは。


 何度も。


 何度も。


 術式を調べた。


 ミレナも。


 壁を探した。


 隠し通路。


 別の出口。


 何もない。


 ボルグは。


 何度も立とうとした。


 そのたび。


 右脚が崩れた。


 ガルドは。


 黙っていた。


 礼も。


 探した。


 壁。


 床。


 天井。


 何か。


 何でもいい。


 いつも。


 礼は違和感を見つけた。


 森でも。


 遺跡でも。


 だから。


 今回も。


 見つければいい。


「…………」


 ない。


 探す。


「…………」


 ない。


 もっと。


 探す。


「……何か」


 礼は。


 壁へ触れる。


「何かあるだろ……」


 ――ドン。


 扉。


 揺れる。


「礼」


 ガルド。


「まだ」


 礼は振り返らない。


「まだ探してる」


「礼」


「俺こういうの見つけるの得意なんだよ」


「…………」


「前も見つけただろ」


 亀裂。


 床。


 道。


「だから」


 探す。


「絶対何かあるって」


「礼」


「ちょっと待って」


 声が。


 自分でも分かるくらい。


 震えていた。


「もうちょっと」


 ガルドの手が。


 礼の肩へ。


「触んな!」


 礼は。


 その手を払った。


「…………」


 自分でも。


 驚いた。


「……ごめん」


 礼は。


 すぐ言った。


「ごめん。違う」


「いい」


「探すから」


「ああ」


「俺も探すから」


「……ああ」


 ――ドン。


 亀裂。


 扉に。


 小さな亀裂。


「ガルド」


 セイルが。


 立ち上がった。


 顔を見れば。


 分かった。


「…………」


「無理か」


「……すまない」


「謝るな」


「俺には」


 セイルが。


 拳を握る。


「他の方法が見つけられない」


「そうか」


 ガルドは。


 目を閉じた。


 一度。


 深く。


 息を吸った。


「分かった」


「ガルド」


 ミレナ。


「俺が残る」


「…………」


「俺が守護者を引きつける。全員が向こうへ行ったら閉じる」


「嫌」


「ミレナ」


「嫌だって言ってるでしょ!」


「聞け」


「聞きたくない!」


「聞け!」


「嫌!」


「ミレナ!」


「ガルド!!」


 二人。


 睨み合う。


「…………」


 そして。


 セイルが。


 小さく。


「駄目だ」


 と言った。


「何?」


 ガルド。


「お前は残れない」


「何言ってる」


「向こう側」


 セイルは。


 地図を出す。


 簡単な。


 ここまでの記録。


「上層へ戻るには、この先に未調査区画がある」


「だから?」


「俺は魔術式を見られる。だが」


 セイルは。


 ガルドを見る。


「前を歩けない」


「…………」


「俺たちの中で、未知の区画を先頭で進めるのはお前だけだ」


「ミレナがいる」


「ボルグを支える必要がある」


「礼が支えればいい」


「礼の体格で?」


「…………」


「それに」


 セイルは。


 言いたくないものを。


 無理やり。


 口にしていた。


「守護者が、この個体だけとは限らない」


「…………」


「この先で戦闘になった場合、お前がいなければ」


 言葉が。


 止まる。


「……全滅する可能性が高い」


「俺が残らなければ、誰が残る」


 誰も。


 答えなかった。


 礼は。


 壁を見ていた。


 聞いていた。


 でも。


 考えないようにした。


 何か。


 他の方法。


 ある。


 絶対。


 ある。


「俺が残る」


 ボルグ。


「お前は閉じる前に守護者に追いつかれる」


 セイル。


「ならミレナ!」


「私が残る!」


「駄目だ」


 ガルド。


「なんで!」


「ボルグを誰が運ぶ」


「礼とセイルで!」


「無理だ」


「やってみないと!」


「時間がない!」


 ――ドン!!


 亀裂。


 広がる。


「…………」


 礼は。


 振り返った。


 四人。


 ガルド。


 ミレナ。


 セイル。


 ボルグ。


 誰も。


 礼を見ていなかった。


 だから。


 分かってしまった。


 まだ。


 誰も口にしていない。


 なのに。


 分かった。


「…………」


 心臓が。


 速くなる。


「……ねえ」


 誰も。


 答えない。


「待って」


 ガルドが。


 ゆっくり。


 礼を見る。


「…………」


 その顔。


 礼は。


 見たことがなかった。


「……何?」


「礼」


「何?」


 返事が。


 ない。


「ガルドさん?」


「…………」


「なんで」


 喉が。


 乾いていた。


「なんで俺見てるんですか」


「礼」


「俺」


 笑おうとした。


 できなかった。


「俺、ボルグさん運べるよ」


「…………」


「二人なら」


「礼」


「セイルさんと二人ならいけるって」


「…………」


「だからミレナが残れば」


「礼」


「それか」


 考える。


「俺、先頭でも行ける」


「…………」


「剣は使えないけど」


 腰。


 短剣。


「これあるし」


「礼」


「ガルドさんに教えてもらったことも覚えてる」


「…………」


「罠も見つけられる」


 言葉が。


 速くなる。


「道も覚えてるし」


「礼」


「走れる」


「…………」


「俺、走れます」


 声が。


 敬語に戻った。


「荷物も捨てました」


「…………」


「さっきより速く走れますから」


「礼」


「戦えないなら」


 何か。


 何か。


 自分にできること。


「覚えます」


「…………」


「剣も」


 ガルド。


 教えてくれた。


「もっと練習します」


 木剣。


 何度も。


 振った。


「魔法は……」


 使えない。


「魔法は無理かもしれないけど」


 でも。


「他のこと」


 ある。


「探しますから」


 自分は。


 役に立つ。


「もっと」


 役に立てる。


「もっと役に立ちますから」


「違う」


 ガルド。


「…………」


「違う、礼」


「何が」


「お前は」


 ガルドの顔が。


 歪んだ。


「お前は役に立ってる」


「…………」


 礼の中で。


 何かが。


 切れた。


「だったら!!」


 声が。


 部屋へ響いた。


「だったら何で俺なんだよ!!」


「…………」


「役に立ってるなら!」


 息。


 できない。


「仲間なら!」


 目。


 熱い。


「なんで!」


 言いたくない。


 分かりたくない。


「なんで俺を置いていこうとしてんだよ!!」


「礼……」


 ミレナ。


「ミレナも!」


 礼は。


 彼女を見る。


「俺がいてよかったって言ったじゃん!」


「…………っ」


「言っただろ!」


「言った」


 ミレナの声が。


 震える。


「本当にそう思ってる」


「じゃあ!」


「だから嫌なのよ!!」


 ミレナが。


 泣いていた。


「私だって嫌なの!」


「…………」


「置いていきたくない!」


「なら!」


「でも!」


 言葉。


 続かない。


 礼は。


 セイルを見る。


「セイルさん」


「…………」


「何かあるだろ」


「礼」


「頭いいじゃん」


「…………」


「魔法詳しいじゃん」


「……すまない」


「それやめて」


「…………」


「謝らないで」


 礼は。


 笑おうとした。


「まだ何も決まってないだろ」


「…………」


「ね?」


 セイルは。


 答えなかった。


「ボルグさん」


「…………」


「ねえ」


 大男は。


 顔を伏せていた。


「なんか言ってよ」


「……礼」


「うん」


「すまん」


「だから!!」


 ――ドン!!


 扉。


 大きく。


 歪んだ。


「時間がない!」


 セイル。


 ガルドが。


 礼を見る。


「…………」


 そして。


 目を閉じた。


「礼」


「嫌だ」


「聞け」


「嫌だ」


「礼」


「嫌だって言ってるだろ!」


「すまない」


「謝んな!!」


 ガルドが。


 礼の肩を掴む。


「離せ!」


「礼!」


「離せよ!」


「聞け!」


「嫌だ!!」


 暴れる。


「俺も行く!」


「…………」


「五人で帰るって言っただろ!」


 ガルドの手。


 強い。


「次も五人で帰るって!」


「……ああ」


「言ったじゃん!」


「言った」


「だったら!」


「すまない」


「それしか言えねえのかよ!!」


 礼は。


 ガルドを睨む。


 涙。


 もう。


 隠せない。


「嘘つき」


「…………」


「嘘つき!!」


 ガルドの手が。


 一瞬。


 緩んだ。


「……そうだな」


「…………」


「すまない」


「だから……」


 声が。


 出ない。


 ガルドが。


 礼の肩から。


 手を離した。


「ミレナ」


「…………」


「ボルグを」


「嫌」


「頼む」


「…………」


 ミレナは。


 唇を噛んだ。


 血が滲むほど。


 それでも。


 ボルグの肩を取った。


「セイル」


「…………」


「先に行け」


「ガルド」


「行け」


 セイルは。


 動かない。


「セイル!」


「……くそっ」


 初めて。


 礼は。


 セイルがそんな言葉を吐くのを聞いた。


 奥の扉。


 開く。


 ミレナ。


 ボルグ。


 向こうへ。


「待って」


 礼。


「待ってよ」


 セイルも。


 向こうへ。


「セイルさん!」


 振り返る。


 眼鏡の奥。


 目。


 赤い。


「……すまない」


「待って!」


 礼は。


 走る。


 ガルドが。


 前に立った。


「どいて!」


「礼」


「どけよ!」


「…………」


「俺も行くんだよ!」


「…………」


「ガルドさん!!」


 礼が。


 押す。


 動かない。


「どいてよ!」


「…………」


「俺も!」


 ガルドの腕を掴む。


「俺も帰るんだよ!!」


 ガルドは。


 礼を見た。


 長い。


 長い。


 一瞬。


「……礼」


「何だよ!」


「お前と会えて」


「やめろ」


「よかった」


「やめろ!!」


 ガルドが。


 礼の身体を。


 押した。


「え」


 後ろ。


 よろける。


 部屋。


 ガルドは。


 反対側へ。


「待って」


 扉。


 動く。


「……え?」


 ガルドが。


 向こう。


「待って」


 礼は走った。


「待って!!」


 隙間。


 狭くなる。


「ガルドさん!!」


 手。


 伸ばす。


「開けて!!」


 向こう側。


 ガルド。


 見ている。


「俺もそっち行くから!!」


 扉。


 さらに。


「待ってよ!!」


 指。


 届かない。


「ミレナ!!」


 向こう。


 泣いている。


「セイルさん!!」


 顔を。


 背ける。


「ボルグさん!!」


 拳。


 壁。


 叩いている。


「待って!!」


 礼は。


 扉へ。


 手を入れようとする。


「礼!!」


 ガルド。


 初めて。


 叫んだ。


「手を引け!!」


「嫌だ!!」


「潰れるぞ!!」


「嫌だ!!」


「礼!!」


「俺も行く!!」


「手を引け!!」


「嫌だ!!」


 ガルドの顔。


 歪む。


「生きろ!!」


「だったら置いてくなよ!!」


 扉。


 あと。


 わずか。


「礼!!」


「置いていかないで!!」


 ガルドの顔が。


 見えなくなる。


「ガルドさん!!」


 最後。


 唇が。


 動いた。


 何を言ったのか。


 聞こえなかった。


 ただ。


 礼には。


 そう見えた。


 ――すまない。


 ゴン。


 扉が。


 閉じた。


「…………」


 礼は。


 立っていた。


「…………」


 目の前。


 黒い壁。


「……ガルドさん?」


 返事。


 ない。


「…………」


 礼は。


 壁へ触れた。


「ねえ」


 冷たい。


「開けて」


 返事。


 ない。


「……もういいから」


 壁。


「怒ってないから」


 拳。


 叩く。


「開けてよ」


 ゴン。


「俺」


 ゴン。


「ちゃんと走るから」


 ゴン。


「邪魔しないから」


 ゴン。


「飯も」


 声。


 震える。


「少なくていいから」


 ゴン。


「荷物も全部持つから」


 ゴン。


「だから」


 拳が。


 痛い。


「…………」


 血。


 滲む。


「……置いていかないでよ」


 返事は。


 なかった。


 礼は。


 額を。


 壁へつけた。


「…………」


 どれくらい。


 そうしていたのか。


 分からない。


 やがて。


 背後から。


 音がした。


 ――ドン。


「…………」


 礼の肩が。


 震えた。


 忘れていた。


 いや。


 忘れようとしていた。


 守護者。


 ――ドン。


 振り返る。


 反対側の扉。


 亀裂。


「…………」


 礼は。


 壁を見る。


 ガルドたちが。


 消えた壁。


 そして。


 守護者が来る扉。


「……そっか」


 声が。


 妙に。


 静かだった。


「俺」


 礼は。


 笑った。


 笑えているのか。


 自分でも。


 分からなかった。


「残ったんだ」


 また。


 一人。


 日本でも。


 この世界でも。


 違うと思った。


 今度は。


 違うと思っていた。


「…………」


 腰。


 短剣。


 抜く。


 小さな刃。


 震える手。


 それでも。


 握った。


 ――ドン。


 亀裂。


 広がる。


「……ふざけんなよ」


 礼は。


 涙を。


 袖で拭いた。


 怖い。


 死にたくない。


 帰りたい。


 でも。


 帰る場所は。


 もう。


 扉の向こうに行ってしまった。


 ――ドン!!


 黒い扉が。


 内側へ。


 歪んだ。


 礼は。


 一歩。


 後ろへ。


 短剣を。


 両手で構えた。


「……来いよ」


 声は。


 震えていた。


「俺だって」


 息を吸う。


「まだ」


 死ねない。


 扉が。


 砕けた。

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