第十話 五人なら
「…………」
礼は立ち止まった。
「どうした?」
先頭を歩いていたガルドが振り返る。
「いや」
礼は壁を見る。
黒い。
滑らかな壁。
来た時から何度も見ている。
何もおかしくない。
はずだった。
「…………」
「礼?」
「ちょっと待って」
松明を近づける。
壁。
床。
天井。
そして。
「ここ」
礼は壁を指差した。
「何?」
ミレナが近づく。
「来る時、ここ通った?」
「通ったでしょ」
「…………」
「何かあるの?」
「分かんない」
礼は首を傾げる。
違和感。
何か。
違う。
「礼」
セイルが言う。
「何が気になる?」
「…………」
礼は目を閉じる。
思い出す。
来た道。
黒い壁。
長い通路。
途中。
「……なかった」
「何が?」
「これ」
礼は壁の下を指差す。
小さな亀裂。
そこから。
細い植物の根が一本だけ伸びている。
「来る時はなかった」
「覚えているのか?」
「うん」
「本当に?」
「多分」
「多分かよ」
ガルドが苦笑する。
「でも」
礼は亀裂を見る。
「俺、変だなって思ったから」
「何が?」
「黒いところに入ってから、植物が一個もないなって」
「…………」
全員。
黙る。
ミレナがしゃがむ。
根。
触れる。
「……乾いてる」
「古い?」
「たぶん」
「なら、さっき生えたわけじゃない」
「そうなるわね」
礼は周囲を見る。
「じゃあ」
口にする。
「ここ、通ってない」
沈黙。
「セイル」
ガルド。
「分からん」
「まだ何も聞いてないぞ」
「道が変わったのかと聞くつもりだろう」
「そうだ」
「分からん」
「今日のお前、本当にそればっかだな」
「未知の現象に対して適当な説明をつけるよりはいい」
「それはそうだが」
ガルドは来た方向を見る。
「ミレナ」
「待って」
彼女は目を閉じる。
風。
音。
匂い。
やがて。
「……風がない」
「入口の方向は?」
「分からない」
「まずいな」
礼の喉が鳴る。
「迷った?」
「まだそうと決まったわけじゃない」
ガルドが即座に答える。
「まず現在地を確認する」
「どうやって?」
「来た道を少し戻る」
「扉の方に?」
「いや。直前の分岐までだ」
ガルドが四人を見る。
「離れるな」
「分かった」
「おう!」
「了解」
「うん」
五人は。
歩き出した。
◇
「……ない」
礼が呟いた。
「何が?」
「分岐」
十分ほど。
歩いた。
本来なら。
とっくに着いている。
「道、間違えた?」
「一本道だった」
ミレナ。
「そうだよね」
「ああ」
ガルドが剣へ手を置く。
「セイル」
「少し待て」
杖。
淡い光。
セイルは床へ膝をついた。
「…………」
「どう?」
「微弱だが、魔力が流れている」
「壁?」
「いや」
セイルが床へ触れる。
「遺跡全体だ」
「さっきまでなかったの?」
「気づかなかった」
「セイルさんでも?」
「ああ」
「…………」
礼は黒い壁を見る。
「もしかして」
言う。
「動いてる?」
「可能性はある」
「遺跡が?」
「古代魔術なら、あり得ないとは言い切れない」
「いやいや」
礼が引きつった顔になる。
「建物って動くもんなの?」
「普通は動かん」
「だよな!?」
「普通ではないということだ」
「嬉しくねえ!」
その時。
ゴゴゴゴゴゴ――。
「…………!」
音。
地面。
揺れる。
「全員壁から離れろ!」
ガルド。
五人が中央へ集まる。
目の前。
黒い壁。
ゆっくり。
動いた。
「マジかよ……」
礼が呟く。
壁が横へ滑る。
その奥。
新しい通路。
同時に。
後ろ。
ゴン。
「…………」
振り返る。
道が。
壁に塞がれていた。
「…………」
「礼」
ミレナ。
「何?」
「当たり」
「嬉しくねえよ」
◇
「目印をつけよう」
礼が言った。
「目印?」
「前やっただろ」
迷いの森。
あの時。
木に布を結んだ。
「壁に?」
「布じゃ無理だから……」
礼は荷物を探る。
「これ」
白い石。
「何それ?」
「昨日拾った」
「なんで?」
「なんとなく」
「お前は本当に……」
ガルドが呆れる。
「使える?」
「やってみる」
礼は黒い壁へ線を引いた。
ギッ。
白い跡。
「ついた」
「よし」
ガルドが頷く。
「分岐ごとに印を残す」
「方向も書こう」
「文字で?」
「俺読めない」
「自分で書くのも?」
「日本語なら書ける」
「ニホンゴ?」
「あー……」
礼は壁へ矢印を書く。
「これならいいだろ」
「何?」
「矢印」
「初めて見る」
「方向を表す印」
「便利ね」
「だろ?」
礼は少し得意になる。
「礼の国の文字か?」
ボルグ。
「文字じゃないけど……まあ、そんな感じ」
「よし!」
ボルグが石を取る。
「俺も書く!」
「待て!」
ゴリゴリゴリゴリ!!
「でかい!!」
壁いっぱい。
巨大な矢印。
「どうだ!」
「目立ちすぎだろ!」
「分かりやすいぞ!」
「魔物にもな!」
「なるほど!」
「消すな! もうそれでいい!」
こんな状況なのに。
礼は。
少し笑った。
怖い。
けれど。
まだ。
大丈夫だった。
◇
「印だ」
一時間ほど。
進んだところで。
ガルドが止まった。
「え?」
壁。
白い矢印。
「これ……」
礼。
近づく。
「俺が書いたやつ」
「戻ってきた?」
ミレナ。
「いや」
セイルが壁を見る。
「向きがおかしい」
「向き?」
「我々はこの方向へ進んできた」
セイルが指差す。
「だがこの矢印は、反対方向を示している」
「…………」
礼の背筋が冷える。
「どういうこと?」
「壁ごと移動した可能性がある」
「目印意味ないじゃん!」
「そうなる」
「困ったな」
ガルドが呟く。
だが。
声は落ち着いている。
「どうする?」
ミレナ。
「焦るな」
ガルドは即答する。
「水と食料はある」
「二日分」
礼。
「節約すれば三日」
「松明」
「あと六本」
「セイル」
「魔力は問題ない」
「ミレナ」
「矢も十分」
「ボルグ」
「元気だ!」
「それは見れば分かる」
「ガハハハ!」
「礼」
「俺?」
「ああ」
「…………元気」
「よし」
ガルドは笑った。
「なら大丈夫だ」
「そんな雑な」
「雑じゃない」
ガルドは五人を見る。
「道が動くなら、動き方を調べる」
「出口がなくなったわけじゃない」
「見つければいい」
そして。
「五人いる」
礼は。
その言葉を聞く。
「……そうだな」
◇
「来る!」
ミレナの声。
暗闇。
音。
走る。
「数は!?」
「四……いや、六!」
「ボルグ!」
「任せろ!」
巨大な盾。
衝撃。
黒い獣。
洞窟狼。
だが。
「こいつら……!」
「昨日よりでかくない!?」
礼が叫ぶ。
「礼、下がれ!」
「分かってる!」
ガルド。
剣。
一体。
「セイル!」
「《火矢》!」
炎。
二体目。
だが。
三体。
四体。
「多い!」
「ミレナ!」
「見えてる!」
矢。
命中。
「左!」
礼。
「ボルグさん左!」
「おお!」
盾。
牙。
「礼!」
ガルド。
「後ろ!!」
「え?」
振り返る。
一体。
抜けている。
「うわっ!」
礼は。
反射的に。
短剣を抜いた。
「っ……!」
怖い。
足が。
動かない。
黒い狼。
跳ぶ。
「礼!!」
ガルドが走る。
間に合わない。
「くそっ!!」
礼は短剣を前へ。
目を閉じ――。
ドン!!
「…………?」
衝撃。
ない。
目を開く。
「おおおおおお!!」
ボルグ。
盾。
狼。
壁へ。
叩きつけている。
「ボルグさん!?」
「無事か!」
「なんでそこに!?」
「走った!」
「見れば分かる!」
「礼!」
ガルド。
「下がれ!」
「う、うん!」
残り。
ガルド。
ミレナ。
セイル。
ボルグ。
戦う。
そして。
数分。
「…………」
静かになった。
礼は。
壁へ背中をつける。
「はぁ……」
短剣。
握ったまま。
手が。
震えている。
「礼」
ガルドが来る。
「怪我は?」
「ない」
「見せろ」
「ないって」
「いいから」
腕。
脚。
首。
「……本当にないな」
「だから言っただろ」
「ならいい」
ガルドが息を吐く。
「ごめん」
「何が?」
「俺」
礼は短剣を見る。
「何もできなかった」
「…………」
「せっかく買ったのに」
「礼」
「うん?」
「それでいい」
「え?」
「言っただろ」
ガルド。
短剣。
鞘へ戻させる。
「戦うために持たせたんじゃない」
「でも」
「お前が戦わなくて済むなら、その方がいい」
「…………」
「俺たちがいる」
礼は。
四人を見る。
「……うん」
◇
「見つけた!」
ミレナの声。
「何?」
「風!」
全員。
集まる。
「本当?」
「微かだけど」
ミレナが通路の奥を指差す。
「こっちから」
「外?」
「可能性はある」
礼の顔が明るくなる。
「帰れる?」
「まだ分からない」
ガルド。
「でも」
ミレナが笑う。
「少なくとも、空気が動いてる」
「行こう」
進む。
道。
黒。
長い。
途中。
壁が動く。
「走れ!」
全員。
走る。
「礼!」
「うわっ!」
床。
沈む。
崩れる。
「礼!!」
足元。
ない。
「っ――!」
落ちる。
腕。
掴まれた。
「……!」
「礼!」
ガルド。
片手。
礼の手首。
「ガルドさん!」
「掴まれ!」
「掴んでる!」
「もう片方だ!」
「無理!」
「礼!」
下。
暗闇。
底。
見えない。
「やばっ……!」
「こっちを見ろ!」
ガルド。
「下見るな!」
「でも!」
「俺を見ろ!」
「…………!」
「離さない!」
礼は。
ガルドを見る。
もう片方の手。
伸ばす。
「っ……!」
ガルドの腕を掴む。
「ボルグ!」
「おお!」
ガルドごと。
引く。
「ぬおおおおお!!」
「痛い痛い痛い!!」
「我慢しろ!」
「腕抜ける!!」
「抜けん!」
「根拠は!?」
「ない!」
「怖い!!」
ズルッ。
礼の身体が。
床へ。
「っ……!」
転がる。
「…………」
数秒。
「……生きてる?」
礼。
「生きてる」
ミレナ。
「俺」
礼は仰向けになる。
「死ぬかと思った……」
「だから勝手に動くな」
ガルド。
「動いてねえよ!」
礼が起き上がる。
「床が落ちたんだよ!」
「なら床に言え」
「無茶言うな!」
ミレナが吹き出す。
ボルグも笑う。
セイルまで。
少しだけ。
笑った。
「なんで笑うんだよ!」
「いや」
ガルド。
笑いながら。
「元気ならいい」
「…………」
礼は。
自分の手首を見る。
赤い。
ガルドに掴まれた跡。
痛い。
でも。
その痛みが。
少しだけ。
嬉しかった。
◇
「光」
礼が呟いた。
「何?」
「あれ」
通路。
先。
微か。
白。
「出口?」
「まだ分からん」
「ガルドさん今日そればっか!」
「確認するまで信じるな」
「はいはい」
近づく。
風。
強くなる。
「外よ」
ミレナ。
「外の匂いがする」
「マジ!?」
「走るな!」
「分かってる!」
歩く。
速く。
光。
大きく。
「やった……」
礼。
笑う。
「帰れる!」
「まだだ」
「もういいだろ!」
「外に出るまで仕事だ」
「先生かよ!」
「センセイって何だ?」
ボルグ。
「今説明する!?」
笑う。
こんな状況でも。
笑える。
怖かった。
何度も。
でも。
大丈夫だった。
礼一人では。
絶対に。
ここまで来られなかった。
ガルドが判断した。
ミレナが道を見つけた。
セイルが異常を調べた。
ボルグが守った。
そして。
自分も。
ほんの少し。
役に立った。
「…………」
礼は。
四人の背中を見る。
五人なら。
帰れる。
そう思った。
その時。
――ゴォン。
「…………」
音。
後ろ。
「何?」
振り返る。
暗闇。
何も。
見えない。
――ゴォン。
「また?」
礼の顔から。
笑みが消える。
「扉の音?」
ミレナ。
「違う」
セイル。
杖を構える。
「近い」
――ゴォン。
地面。
揺れる。
「何だよ……」
礼。
光。
出口。
あと少し。
「走るぞ」
ガルド。
「全員、出口へ!」
走る。
礼。
ミレナ。
セイル。
ボルグ。
ガルド。
――ゴォン。
後ろ。
――ゴォン。
近づく。
「礼!」
「走ってる!」
「前だけ見ろ!」
「分かってる!」
光。
あと。
少し。
十歩。
九。
八。
「行け!!」
ガルド。
七。
六。
五。
――ドン!!
「っ!?」
礼の身体が浮いた。
「礼!!」
衝撃。
壁。
天井。
床。
すべてが揺れる。
光。
消えた。
「…………」
礼は。
床へ倒れる。
「いっ……」
「礼!」
「大丈夫……」
顔を上げる。
出口。
あった場所。
黒い壁。
「嘘だろ……」
塞がれた。
「セイル!」
「待て!」
杖。
光。
「解除できる!?」
「これは魔術障壁じゃない!」
「じゃあ何!?」
「壁そのものだ!」
「ボルグ!」
「任せろ!」
盾を置く。
両手。
押す。
「ぬおおおおおおお!!」
動かない。
「くそっ!」
ガルドが振り返る。
暗闇。
――ゴォン。
「…………」
何か。
来る。
ミレナ。
弓。
セイル。
杖。
ボルグ。
盾。
ガルド。
剣。
「礼」
「……うん」
「後ろへ」
礼は。
立ち上がる。
短剣。
握る。
震えている。
でも。
今度は。
目を逸らさなかった。
――ゴォン。
暗闇。
奥。
二つ。
赤い光。
「…………」
目。
礼は。
息を呑む。
巨大な影。
ゆっくり。
姿を現す。
人。
ではない。
獣。
でもない。
黒い鎧のような身体。
床を砕くほどの脚。
長い腕。
その胸には。
あの巨大な扉に刻まれていたものと。
同じ紋様。
「セイル」
ガルドが低く言う。
「知ってるか」
「……いや」
「魔物か?」
「分からん」
「勝てそうか?」
「…………」
セイルは。
答えなかった。
それだけで。
十分だった。
「…………」
ガルドが。
剣を構える。
「ボルグ」
「おう」
「礼を守れ」
「任せろ」
「ミレナ」
「いつでも」
「セイル」
「準備できている」
「礼」
「…………」
「大丈夫だ」
礼は。
ガルドを見る。
ガルドは。
いつもの顔をしていた。
「五人いる」
「…………」
礼は。
短剣を握り直す。
「うん」
五人なら。
帰れる。
今まで。
そうだった。
迷っても。
魔物が出ても。
道がなくなっても。
誰かが。
誰かを助けた。
だから。
今回も。
きっと。
――そうなるはずだった。




