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童貞にして最強 ―穢れなき力を手にした男の黙示録―  作者: 忠犬むつ公
第一部

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第九話 深部

「俺は反対だ」


 ガルドの言葉に、礼は目を瞬かせた。


「え?」


 冒険者組合。


 昨日持ち帰った黒い石板と、新しく提示された依頼書が机の上に並んでいる。


 依頼内容は単純だった。


 古代遺跡の追加調査。


 前回より深い区画へ入り、内部構造を確認すること。


 可能であれば、新たな遺物や資料を回収すること。


 そして報酬は――前回の倍近い。


「こんなに高いのに?」


「だからだ」


 ガルドは依頼書を指で叩いた。


「前回より危険だと、依頼を出す側が認めてるってことだ」


「でも、前回は普通に帰ってこられたじゃない」


 ミレナが言う。


「深部は別だ」


「まあ、それはそうだけど」


「それに」


 ガルドが黒い石板を見る。


「これが何なのか分からない」


「だから調べるのでは?」


 セイルが口を挟む。


「お前は黙ってろ」


「なぜだ」


「行きたそうだからだ」


「仕事として必要なら行くべきだと言っている」


「目が完全に行く奴の目なんだよ」


「意味が分からん」


「セイルさん」


 礼が横から言う。


「昨日からずっと石板見てるじゃん」


「…………」


「宿でも見てたよね?」


「…………」


「飯食いながらも見てたわね」


 ミレナ。


「…………」


「寝る前も見ていたぞ!」


 ボルグ。


「なぜ知っている」


「部屋を覗いた!」


「やめろ」


「ガハハハ!」


 ガルドが額を押さえる。


「とにかく。報酬だけ見て飛びつく依頼じゃない」


 その声は真面目だった。


 礼も口を閉じる。


 昨日。


 遺跡は楽しかった。


 未知の場所を進み、魔物と遭遇し、罠を見つけ、五人で突破した。


 礼にとっては初めての、本当の意味での「冒険」だった。


 だから。


 また行けると聞いたとき、少し嬉しかった。


 けれど。


 ガルドが危険だと言うのなら。


「じゃあ、やめる?」


 礼が尋ねる。


「そのつもりだ」


「分かった」


「…………」


「何?」


「いや」


 ガルドが礼を見る。


「もっと行きたがると思ってた」


「行きたいけど」


 礼は肩をすくめた。


「ガルドさんが危ないって言うなら、やめた方がいいんだろ?」


「…………」


「俺、こういうの分かんないし」


 だから。


 分かる人の言うことを聞く。


 礼にとっては、それだけだった。


「そうか」


 ガルドが小さく笑う。


「悪いな」


「なんで謝るんだよ」


「楽しみにしてただろ」


「まあ」


 礼も笑った。


「ちょっとだけ」


「そうか」


 ガルドが依頼書を受付へ返そうとした。


「お待ちください」


 年配の組合職員が声を上げた。


「何だ?」


「条件について、少々説明不足がございました」


「条件?」


「はい」


 男は別の紙を取り出した。


「今回の依頼は、深部の完全調査を求めるものではありません」


 机の上へ、簡単な地図が広げられる。


 昨日、五人が歩いた場所。


 入口。


 通路。


 広間。


 罠。


 分岐。


 そして石板を発見した部屋。


「皆さんからいただいた情報をもとに、ここまでを暫定的な安全経路として登録しました」


「安全?」


 ガルドの眉が動く。


「安全と言い切れるのか?」


「失礼しました。比較的安全な経路、です」


「ならいい」


 細かい。


 礼はそう思った。


 けれど、ガルドはこういう男だった。


 命に関わることだけは。


 絶対に曖昧にしない。


「依頼達成条件は?」


「この地点です」


 男が地図の先を指す。


「前回未調査だった深部入口。そこまで到達し、周辺の構造を確認していただくだけでも、報酬の半額をお支払いします」


「その先へ行く必要は?」


「ありません」


「遺物の回収は」


「可能であれば、です。危険を冒してまで回収する必要はございません」


「撤退の判断は?」


「皆さんに一任します」


「深部入口まで行って、危険だと思ったら帰っていい?」


 礼が尋ねる。


「はい」


「それでも金出るの?」


「半額ですが」


「すげえ」


「礼」


「はい」


「金の話だけ食いつくな」


「だって大事だろ」


「否定はしない」


 ガルドは腕を組んだ。


 しばらく地図を見る。


「セイル」


「なんだ」


「どう思う?」


「前回の経路を利用できるなら、深部入口までは問題ないと思う」


「ミレナ」


「私も。ただし、昨日と何か違ったらすぐ戻る」


「ボルグ」


「行く!」


「お前には聞くんじゃなかった」


「なぜだ!」


 そして。


 ガルドが礼を見る。


「礼」


「ん?」


「お前は?」


「俺?」


「ああ」


「…………」


 礼は地図を見る。


 危険。


 正直に言えば、怖くないわけではない。


 昨日だってゴブリンが出た。


 罠もあった。


 自分一人なら。


 絶対に行かない。


「みんな行くなら」


「それじゃ駄目だ」


「え?」


「お前がどう思うかを聞いてる」


「…………」


「怖いならそう言え」


 礼はガルドを見る。


「俺が怖いって言っても?」


「当たり前だ」


「それで依頼やめることになっても?」


「ああ」


「…………」


「五人で行く仕事だ。一人でも無理だと思うなら考え直す」


 礼は少しだけ黙った。


 そして。


「じゃあ」


 答えた。


「大丈夫」


「本当か?」


「うん」


 礼は笑う。


「怖くなったら言う」


「ああ」


「その時は帰る?」


「帰る」


「分かった」


 ガルドは頷いた。


 そして。


 もう一度、依頼書を取った。


「受ける」


     ◇


「ただいま」


「何が?」


 ミレナが振り返る。


「いや」


 礼は目の前の巨大な石門を見上げた。


「昨日ぶりだなと思って」


「遺跡にただいまって言う人、初めて見た」


「いいだろ別に」


「礼!」


 ボルグが大声を上げる。


「俺も言うぞ!」


「やめろ」


「ただいま!!」


「声でけえ!」


 森の鳥が一斉に飛び立った。


「魔物を呼びたいのか、お前は」


 ガルドが呆れる。


「すまん!」


「反省してる声じゃねえな」


 昨日と同じ。


 巨大な石造りの入口。


 蔦。


 苔。


 古代文字。


「セイルさん」


「なんだ」


「あれ読めるようになった?」


「一日で読めるようになると思うか?」


「天才なら」


「なら無理だ」


「諦め早っ」


「未知の言語を一晩で解読する人間がいたら、それは天才ではなく化け物だ」


「セイルさんならいけると思ったのに」


「期待が重い」


 軽口。


 笑い。


 昨日と同じ。


「行くぞ」


 ガルドを先頭に。


 五人は再び遺跡へ入った。


     ◇


「あ」


 礼が床を指差す。


「ここ」


「何?」


「俺が見つけた罠」


 昨日。


 一枚だけ汚れていなかった床石。


「自慢?」


 ミレナ。


「いいだろ。一個くらい」


「踏むなよ」


 ガルド。


「踏まねえよ!」


「記念に踏んでみるか!」


「ボルグさんが踏めよ!」


「よし!」


「やめろ馬鹿!」


 ガルドが本気で止めた。


 昨日通った道。


 昨日倒した魔物。


 昨日開けた扉。


 昨日解除した魔術障壁。


 道を知っている。


 それだけで。


 遺跡は昨日より小さく感じた。


「ここ右」


「覚えてるの?」


「ミレナが風あるって言ったとこ」


「へえ」


「その先にボルグさんが無理やり開けた扉」


「無理やりではない!」


「力ずくだろ」


「同じでは?」


「違う!」


「何が?」


「気持ちだ!」


「意味分かんねえよ」


 やがて。


 黒い石板を発見した部屋。


 台座だけが残っている。


「ここまで問題なし」


 ガルドが言った。


「休憩するぞ」


 荷物を下ろす。


 水。


 保存食。


「礼」


「ん?」


 ミレナがパンを指差す。


「それ一口ちょうだい」


「嫌だ」


「即答!?」


「前科がある」


「一か月くらい言い続けるつもり?」


「一生」


「小さい男ね」


「食い物の恨みは怖いんだよ」


「じゃあ私のこれあげるから」


 干し肉。


「交換?」


「交換」


「いいよ」


「結局くれるんじゃない」


「交換だっつってんだろ」


 その横。


 セイルは壁を見ていた。


「…………」


「また始まった」


 礼が言う。


「何が?」


「遺跡見る顔」


「そんな顔はない」


「あるわよ」


「あるぞ!」


「お前たちは……」


 ガルドが立ち上がる。


「そろそろ行くぞ」


 空気が。


 少しだけ変わった。


 ここから先。


 昨日は進んでいない。


「礼」


「うん」


「ここからだ」


「分かってる」


「怖くなったら?」


「言う」


「よし」


 松明。


 剣。


 弓。


 杖。


 盾。


 そして。


 礼は腰の短剣へ触れた。


「行こう」


     ◇


 最初に違和感を覚えたのは。


 礼だった。


「…………?」


「どうした?」


「いや」


 振り返る。


 石の壁。


 何もない。


「何かあった?」


 ミレナ。


「分かんない」


「音?」


「いや」


「匂い?」


「違う」


「なら何だ?」


「だから分かんないって」


 礼は首を傾げた。


 何か。


 一瞬だけ。


 変だった。


 けれど。


 それが何なのか。


 説明できない。


「気になるなら言え」


 ガルド。


「うん」


 進む。


 深部。


 最初のうちは、昨日までと同じだった。


 石壁。


 床。


 古代文字。


 時折。


 崩れた柱。


 だが。


「……待て」


 セイルが止まった。


「何?」


「壁」


「壁?」


 礼が松明を近づける。


「…………」


 色が違う。


 それまで。


 灰色だった石壁。


 その先。


 黒。


「石?」


「分からん」


 セイルが近づく。


「触るなよ」


 ガルド。


「分かっている」


 杖。


 光。


「…………」


「どう?」


「分からん」


「セイルさんでも?」


「ああ」


 礼は黒い壁を見る。


 継ぎ目がない。


 石を積み上げたようには見えない。


 削った跡もない。


 ただ。


 巨大な何かを。


 そのまま壁にしたような。


 不自然なほど。


 滑らか。


「古代の建築技術か?」


 ガルド。


「可能性はある」


「魔術?」


「それも分からん」


「…………」


「少なくとも」


 セイルが黒い壁へ杖を向ける。


「俺が知る魔術建築とは違う」


 礼は。


 なぜか。


 少しだけ背筋が寒くなった。


「戻る?」


 その言葉に。


 ガルドはすぐ礼を見る。


「怖いか?」


「…………」


 礼は考えた。


「ちょっと気持ち悪い」


「なら――」


「でも」


 礼は黒い通路の先を見る。


「まだ大丈夫」


「無理するなよ」


「してない」


「本当だな?」


「うん」


「分かった」


 進む。


     ◇


 黒い通路には。


 魔物がいなかった。


 罠も。


 ない。


 それが。


 逆に。


 気持ち悪い。


「静かね」


 ミレナ。


「うん」


 足音だけ。


 五人分。


 響く。


 カツ。


 カツ。


 カツ。


 カツ。


 カツ。


「…………」


 礼は歩く。


 そして。


「……っ」


 止まった。


「礼?」


「待って」


 胸。


 いや。


 違う。


 腹?


 違う。


 もっと。


 内側。


「何だこれ」


「どうした?」


 セイルが近づく。


「今」


「何だ」


「何かした?」


「していない」


「魔術とか」


「使っていない」


「…………」


 礼は自分の胸へ手を当てた。


 何か。


 あった。


 一瞬。


 ほんの一瞬。


 自分の中を。


 何かが通ったような。


「魔力か?」


 セイルが尋ねる。


「分かんない」


「お前の魔力が反応した可能性は」


「俺、ほとんどないんだろ?」


「ほとんどないだけで、完全に存在しないわけではない」


「じゃあそれ?」


「…………」


 セイルは礼を見る。


 そして。


「分からん」


「また?」


「分からないものを分かったとは言えない」


「真面目だなあ」


「お前が適当なんだ」


 礼は笑う。


 だが。


 もう一度。


 胸へ手を当てた。


 何も。


 感じない。


「気のせいかな」


「記憶しておけ」


「え?」


「同じことが起きたら、場所と状況を教えろ」


「分かった」


 礼は頷いた。


 そして。


 歩き出す。


 誰も。


 それ以上。


 気に留めなかった。


     ◇


「ここか」


 しばらくして。


 五人は立ち止まった。


 巨大な空間。


 黒い壁。


 高い天井。


 そして。


 正面。


「扉……?」


 礼が呟く。


 巨大だった。


 ボルグが何人並んでも。


 届かないほど。


 黒い扉。


 中央には。


 見たことのない紋様。


「文字?」


「いや」


 セイル。


「少なくとも、入口にあったものとは違う」


「開く?」


「待て」


 ガルドが礼を止める。


「近づくな」


「分かってる」


 五人は。


 扉から距離を取る。


「これが深部入口か?」


 ミレナ。


「恐らく」


 ガルドが地図を見る。


「依頼条件は満たしたな」


「じゃあ帰る?」


 礼。


「ああ」


「調べなくていいの?」


「外から確認できる範囲だけだ」


 セイルが扉を観察する。


 紋様。


 壁。


 床。


「魔力反応は?」


 ガルド。


「…………ない」


「ない?」


「ああ」


 セイルが眉を寄せる。


「これだけ巨大な構造物なら、何らかの魔術式があっても不思議ではない」


「つまり?」


「分からん」


「今日そればっかだな」


「未知の遺跡なんだから当然だ」


「それもそうか」


 礼が笑った。


 その時だった。


 ――ドン。


「…………」


 全員。


 止まる。


「今の」


 礼。


「聞いた?」


「ああ」


 ガルドが剣へ手を伸ばす。


「どこ?」


 ミレナ。


 誰も答えない。


 静寂。


 そして。


 ――ドン。


「…………!」


 礼が。


 扉を見る。


「中?」


 巨大な黒い扉。


 その向こう。


 何か。


 いる。


「構えろ」


 ガルド。


 ボルグが盾を前へ。


 ミレナが弓を構える。


 セイルが杖を握る。


 礼も。


 短剣へ手をかけた。


 ――ドン。


 先ほどより。


 大きい。


「ガルド」


 ミレナ。


「どうする?」


「…………」


 ガルドは。


 扉を見る。


 依頼。


 報酬。


 未知の遺跡。


 その向こうにある。


 何か。


 そして。


 四人。


 最後に。


 礼。


「…………」


 決断は。


 早かった。


「帰るぞ」


「え?」


 礼が声を漏らす。


「調査は終わりだ」


「でも――」


「依頼条件は満たした」


 ガルドが振り返る。


「これ以上は必要ない」


 誰も。


 反対しなかった。


 セイルでさえ。


 扉を見るだけで。


 何も言わなかった。


「礼」


「……うん」


「行くぞ」


「分かった」


 五人は。


 来た道へ戻り始める。


 巨大な扉から。


 離れる。


 一歩。


 また一歩。


 ――ドン。


 背後から。


 音。


 それでも。


 振り返らない。


 ――ドン。


 遠ざかる。


 ――ドン。


 さらに。


 遠ざかる。


 そして。


 やがて。


 聞こえなくなった。


「…………」


 礼は小さく息を吐いた。


「怖かった?」


 ミレナが聞く。


「ちょっと」


「私も」


「ミレナも?」


「当たり前でしょ」


「そっか」


 礼は少し安心した。


 怖いのは。


 自分だけではない。


 それに。


 大丈夫だ。


 ガルドがいる。


 ミレナがいる。


 セイルがいる。


 ボルグがいる。


 危険なら。


 帰ればいい。


 五人で来たのだから。


 五人で帰ればいい。


 ただ。


 この時。


 礼たちは。


 まだ知らなかった。


 自分たちが歩いているその道が。


 もう。


 来た時と同じ道ではなくなっていることを。

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