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童貞にして最強 ―穢れなき力を手にした男の黙示録―  作者: 忠犬むつ公
第一部

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第百六話 四人


 石造りの部屋には、窓がなかった。


 壁に掛けられたランプが一つ、狭い室内を照らしている。


 卓を挟んで座る男は、何度目になるか分からない質問を繰り返した。


「第一童式から第六童式まで。誰から教わった」


「……友人です」


「その友人は、誰から教わった」


「知りません」


「知らない?」


「聞いたことがありません」


 椅子に座らされた若い男の声は掠れていた。


 手首には縄の跡がある。


「童師と呼ばれる人物を知っているか」


「知りません」


「如月礼という名は」


「……聞いたことはあります」


 卓の向こうの男が僅かに身を乗り出した。


「会ったことは」


「ありません」


「居場所は」


「知りません」


「本当に?」


「本当です」


 同じ答えだった。


 昨日も。


 その前も。


「では、なぜお前は童術を使える」


「だから……教えてもらったんです」


「誰に」


「友人に」


「その友人は」


「別の人から習ったって……」


「その別の人間は」


「知りません」


 質問する男が息を吐いた。


 卓の上の紙には、いくつもの名前が書かれている。


 線で結ばれているものもあれば、途中で途切れているものもあった。


「もう一度聞く」


「…………」


「童術を教えている組織は、どこにある」


「組織なんて……知りません」


「では、どうやってこれだけ広がった」


「俺に聞かれても……」


 若い男は俯いた。


「俺は、習っただけです」


 それ以上の答えを、彼は持っていなかった。



     ◇



 同じ頃。


 北の村では、朝食の支度が始まっていた。


「童師、パン取ってください」


「ああ」


 礼は卓の上にある籠を押した。


「ありがとうございます」


 鍋から湯気が上がっている。


 十三人分の朝食。


 外からは薪を割る音が聞こえていた。


「今日は村の三人の訓練を――」


 言葉が止まる。


「童師?」


 礼の手が止まっていた。


 何かが入ってくる。


 外からではない。


 身体の内側。


 自分の童力とは違うもの。


 それでも、今では間違えない。


 知らない童力だった。


 細い。


 速い。


 脚へ集め、流し、解放することを何度も繰り返したような癖が残っている。


 礼は目を閉じた。


 流れ込んできたそれが、自分の内側へ沈んでいく。


「……童師?」


「何でもない」


 礼は目を開けた。


「続けろ」


「……はい」


 朝食が再開される。


 礼もパンを口へ運んだ。



     ◇



「童師様!」


 朝食の後、共同の建物へ向かう途中で呼び止められた。


「なんだ」


「昨日言ってた薪なんですけど、こっちに積んでもいいですか?」


「ああ」


「雨降ったら濡れません?」


「布を掛けろ」


「足りますかね」


「知らない」


「じゃあ見てもらっても――」


 その時だった。


 礼が立ち止まった。


「童師様?」


「…………」


 まただ。


 先ほどとは違う。


 今度は重い。


 全身を巡ることに慣れた童力。


 腕。


 肩。


 背中。


 脚。


 身体そのものを包み、支えるような流れ。


 礼はしばらく動かなかった。


「どうしました?」


「いや」


「具合でも?」


「違う」


 礼は自分の胸へ手を当てた。


 二つ。


「……童師様?」


「薪はそこへ置け」


「はい」


「雨が降りそうなら中へ入れろ」


「分かりました」


 礼は歩き出した。


 先ほどより少しだけ、足が速くなっていた。



     ◇



「童師」


 共同の建物へ入ると、元童術師の男が頭を下げた。


「レオンさんは奥です。起きています」


「体調は」


「昨日より良さそうです。朝も食べました」


「そうか」


「話を?」


「ああ」


「呼びますか?」


「いや」


 礼は奥へ向かおうとした。


 その瞬間。


 三つ目が来た。


「…………」


 今度は鋭かった。


 童力が、自分ではない何かの感覚を伴って流れ込んでくる。


 武器へ。


 刃へ。


 何度も何度も童力を通してきた痕跡。


 礼の指先が僅かに動く。


「童師?」


「…………」


「どうされました?」


「今朝から」


「はい」


「何人だ」


「え?」


「いや」


 礼は首を振った。


「何でもない」


 だが、奥へは進まなかった。


「レオンには待ってもらえ」


「……分かりました」


 礼はその場にある椅子へ座った。


 元童術師が不思議そうに見ている。


「童師、本当に大丈夫ですか?」


「ああ」


「ですが」


「少し待つ」


「何をです?」


「…………」


 礼は答えなかった。


 窓の外を見る。


 春の村がある。


 畑へ向かう者。


 井戸から水を汲む者。


 子供の声。


 昨日までと変わらない朝だった。


 礼は、ただ待った。



     ◇



 石造りの廊下を、兵士が歩いていた。


「まだ吐かないのか」


「吐くも何も、知らないそうだ」


「全員同じことを言ってる」


「口裏を合わせてるんじゃないのか」


「拘束した場所も時刻も違う。合わせる暇がどこにある」


「なら本当に知らないって?」


「さあな」


 兵士の一人が書類を見る。


「上は?」


「移送しろと」


「どこへ」


「聞かされてない」


「四人とも?」


「ああ」


「逃げた奴は」


「捜索中だ」


「面倒だな」


「俺たちは命令通りやるだけだ」


 廊下の奥で扉が開いた。


 誰かの声がする。


 すぐに閉じた。


 何が起きたのか、廊下を歩く二人には見えなかった。



     ◇



 四つ目が来た。


 礼は椅子に座ったまま、目を閉じた。


 繊細だった。


 自分以外の身体へ童力を流す。


 傷を探し。


 血を止め。


 痛みを和らげる。


 何度も繰り返した者の流れ。


 それが礼の中へ沈んでいく。


「…………」


 礼は目を開けた。


 一つ目。


 脚。


 二つ目。


 身体。


 三つ目。


 武器。


 四つ目。


 他者の傷。


「……四人」


 小さく呟いた。


「童師?」


 近くにいた男が聞き返す。


「レオンを呼んでくれ」


「はい」


 間もなく、奥からレオンが出てきた。


 昨日よりは歩けている。


「童師」


「ああ」


「昨日の続きを……」


「その前に聞きたい」


「はい」


「捕まった四人についてだ」


「……はい」


 礼はレオンを見る。


「どんな童術を使っていた」


「え?」


「一人ずつ教えろ」


 レオンが戸惑う。


「どうして……」


「確認したい」


「…………」


「分かる範囲でいい」


「はい」


 レオンは向かいの椅子へ座った。


「四人のうち、一人は《童駆》が得意でした」


「名前は」


「カイルです」


「他には」


「《童衣》も使えました。でも《童駆》の方がずっと上手かったです」


「何に使っていた」


「仕事で」


「仕事?」


「町の中で荷物や手紙を運んでいました。急ぎの時だけですけど」


「そうか」


 礼は続ける。


「二人目」


「ダンです。《童衣》が得意でした」


「仕事は」


「荷運びです。元々力は強かったんですけど、童術を覚えてからは一人で大きな荷物を運べるようになって……」


「戦うことは」


「ほとんどありません」


「三人目」


「エリック。冒険者です」


「何を使う」


「《童閃》です。剣に童力を纏わせてました」


 礼は何も言わない。


「最後は」


「ノルです」


「何を使う」


「……《童癒》」


 レオンの顔が少しだけ緩んだ。


「上手かったか」


「本人は下手だって言ってました」


「そうか」


「でも、町で怪我した人がいると呼ばれてました。大きな怪我は無理でしたけど、切り傷とか、仕事中の怪我とか……」


「…………」


「子供が転んだ時まで呼ばれてましたよ。そんなの放っとけば治るって、いつも文句言ってましたけど」


 礼は黙って聞いていた。


 一つ目。


 脚。


 二つ目。


 全身。


 三つ目。


 武器。


 四つ目。


 治癒。


 順番まで一致しているとは限らない。


 だが、あまりにも重なる。


「もう一つ」


「はい」


「四人は童貞だったか」


「…………え?」


 レオンが目を瞬いた。


「分かる範囲でいい」


「えっと……」


 突然の質問に困惑しながら、レオンは考えた。


「たぶん……はい」


「たぶん?」


「そういう話をしたことがあるので」


「四人とも?」


「はい。少なくとも、俺が知る限りは」


「そうか」


 礼は背もたれへ身体を預けた。


「童師」


「なんだ」


「何を確認してるんですか」


 礼はすぐには答えなかった。


「今朝」


「はい」


「四人分、還ってきた」


「…………」


 レオンの表情が止まる。


「何が……ですか」


「童力だ」


「…………」


「死んだ童術師の童力が、俺のところへ還ってくることがある」


「何を……」


「今朝、四人分来た」


「…………」


 レオンは礼を見ていた。


 意味を理解するまで、少し時間がかかった。


「……違います」


「…………」


「違いますよ」


 レオンが椅子から立ち上がる。


「四人ですよ?」


「ああ」


「そんな、たまたま――」


「だから確認した」


「…………」


「一つは《童駆》を繰り返し使った痕跡が強かった。一つは全身へ童力を巡らせることに慣れていた」


 礼は淡々と続ける。


「一つは武器へ流す癖がある。最後の一つは、他人の身体へ童力を流すことに慣れていた」


「…………」


「お前が今話した四人と、重なる」


 レオンの顔から血の気が引いていく。


「でも……」


「ああ」


 礼は頷いた。


「断定はできない」


「…………」


「俺に還ってきた童力に、名前が書いてあるわけじゃない」


「なら……」


「別人の可能性もある」


「そうですよ」


「ある」


「だったら」


「だが」


 礼はレオンを見る。


「同じ朝に四人だ」


 レオンが黙る。


「そして、お前の仲間と使い方が重なる」


「…………」


「可能性は高い」


「…………」


 レオンは立ったまま動かなかった。


「そんな……」


 声が小さくなる。


「助けてくれって……」


「…………」


「俺、昨日……」


 礼は何も言わない。


「助けてくれって言ったばかりなのに」


 レオンの手が震える。


「俺がもっと早く――」


「それは違う」


 礼が遮った。


「でも」


「三日歩いたんだろ」


「…………」


「お前が止められたことじゃない」


「分からないじゃないですか」


「ああ」


「もっと早く走ってたら……荷車をもっと早く見つけてたら……」


「それでも昨日だ」


「…………」


「俺が昨日南へ向かっても、間に合ったかは分からない」


「でも!」


「分からないものを、自分のせいにするな」


 レオンは唇を噛んだ。


 礼は立ち上がる。


「一つ聞く」


「…………」


「四人を連れていった連中」


 レオンが顔を上げる。


「何か印を見なかったか」


「印……?」


「紋章でもいい。服、鎧、馬車。何でもいい」


「…………」


 レオンは目を閉じる。


 思い出そうとしている。


「兵士の鎧は……王国軍のものだったと思います」


「思う?」


「町で見る兵士と似てました。でも……」


「でも?」


「一人だけ、違う人がいました」


 礼の目が細くなる。


「どんな奴だ」


「兵士じゃありません。剣も持ってなかった」


「服は」


「灰色の外套です」


「…………」


「胸に……何かありました」


「何だ」


「紋章だと思います」


「形は」


 レオンが指で卓をなぞる。


「輪みたいな……その中に、縦に線が三本」


「見たことは」


「ありません」


「そうか」


 礼は覚えた。


「他には」


「分かりません」


「十分だ」


「童師」


「なんだ」


「行くんですか」


 礼は答えなかった。


「南へ」


「まだ行かない」


「…………」


「お前の話だけでは足りない」


「でも四人が!」


「だからだ」


 レオンが止まる。


「四人死んだ可能性が高い」


 礼の声は変わらない。


「相手が誰なのか。誰の命令なのか。どこへ連れていこうとしていたのか。何も分からない」


「…………」


「何も分からないまま動けば、次も同じになる」


「じゃあ……どうするんですか」


「調べる」


 短い答えだった。


「どうやって」


「俺だけでやる必要はない」


 礼は戸へ向かった。



     ◇



 昼過ぎ。


 十三人の童術師が、共同の建物に集まっていた。


 元童術師の男もいる。


 ガルドと村長もいた。


 礼はレオンから聞いたことだけを話した。


 捕まった四人。


 今朝、還ってきた四つの童力。


 それぞれに残っていた使い方の痕跡。


 灰色の外套。


 見覚えのない紋章。


「童師」


 一人が口を開いた。


「俺たちが見てきます」


 礼は男を見る。


「何を」


「ベルグです」


「…………」


「町にまだ何か残っているかもしれません。四人を連れていった者についても聞けるかもしれない」


「危険だぞ」


「分かっています」


「童術を使うなと言われたら?」


「必要がなければ使いません」


「捕まりそうになったら」


「逃げます」


「追われたら」


「戦う前に逃げます」


 礼は黙っている。


「童師」


 別の男も口を開いた。


「俺も行きます」


「二人か」


「もう一人いた方がいいかと」


「増やせば目立つ」


「……確かに」


「二人で行け」


 二人の顔が引き締まった。


「はい」


「目的は四人を助けることじゃない」


「…………」


「死んだと決めることでもない」


「はい」


「何が起きたかを見る。それだけだ」


「分かりました」


「ベルグで兵士と争うな」


「はい」


「捕まった童術師がまだいたとしても、勝手に手を出すな」


 一人が僅かに迷った。


「……助けられそうでもですか」


「状況を見ろ」


「…………」


「助けるために全員捕まったら意味がない」


「はい」


「戻って報告しろ」


 二人が頷く。


「いつ出ますか」


「明日の朝」


「分かりました」


 話はそれで終わった。


 村長が礼を見る。


「お前は残るのか」


「ああ」


「そうか」


「何だ」


「いや」


 村長はそれ以上言わなかった。



     ◇



 夕方。


 礼は共同の建物の前にいた。


 中では、村の三人が童術の練習をしている。


「もっとゆっくり!」


「やってる!」


「壁!」


「分かってる!」


「分かってないから言ってるんです!」


 直後。


 鈍い音がした。


「…………」


 礼は戸を開けた。


 全員が止まる。


 壁際で、村の男が尻餅をついていた。


「壊したか」


「……壊してません」


「本当か」


「たぶん」


「見ろ」


「はい」


 元童術師が壁を確認する。


「大丈夫です」


「そうか」


「童師様」


 尻餅をついた男が立ち上がる。


「何だ」


「もう一回やっていいですか」


「ああ」


「今度は止まります」


「昨日も聞いた」


「今度こそです」


「ならやれ」


 男が元の位置へ戻る。


 足へ童力を集める。


 礼には、その流れが見えた。


 まだ粗い。


 無駄が多い。


 それでも、確かにそこにある。


「行きます!」


 男が駆けた。


「速い!」


「止まれ!」


「止まってる!」


「止まってない!」


 また騒がしくなる。


 礼は戸口に立ったまま、その様子を見ていた。


 朝、自分へ還ってきた四つの童力を思い出す。


 どれも知らないものだった。


 知らない場所で。


 知らない誰かから教わり。


 知らない誰かを助けたり、働いたり、戦ったりしていた力。


 そして今、目の前では新しい童力が、何度も壁へぶつかりそうになりながら使われている。


「童師?」


「なんだ」


「そこにいると危ないですよ」


「お前が止まればいい」


「止まります!」


「ならやれ」


「はい!」


 男が再び構えた。


 礼はそこを動かなかった。

ここまでお読みいただき、ありがとうございます!

少しでも「面白かった!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、ぜひ評価や感想をいただけると嬉しいです!

皆様からの評価や感想は、今後の執筆活動の大きな励みになります。

これからも『童貞にして最強』をよろしくお願いいたします!

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