第百三話 作るもの
翌朝、礼が村長の家へ呼ばれると、卓の上には昨日と同じ村の見取り図が広げられていた。
「また畑か」
「違う」
「柵」
「それも違う」
「保存小屋」
「昨日決めただろうが」
「じゃあ何だ」
村長は答えず、見取り図の中央を指で叩いた。
村の中央には、古い石造りの井戸がある。その傍らには大きな木が立ち、冬の間は葉をすべて落としていた枝にも、今は小さな若葉が増え始めている。
村長が指したのは、その少し北側だった。
「ここに一つ、建物を作る」
「何のために」
「皆で使う」
「皆?」
「ああ」
礼は見取り図へ目を落とした。
「何に使う」
「まだ決めとらん」
「…………」
「そんな顔をするな」
「何も決めてないのに建てるのか」
「何も、とは言っとらん」
村長は椅子へ座り直した。
「冬の間、何か話し合うたびに、わしの家に何人入ったと思っとる」
「知らない」
「狭いんだ」
「そうか」
「お前さんらの家も同じだろう」
「ああ」
十四人で使っていた家は、元々それほど大きなものではない。
一人が別の家で暮らすようになり、今は少し余裕ができた。それでも十三人が集まって食事をすれば、決して広いとは言えなかった。
「それに」
村長が続ける。
「村の者に童術を教える場所もない」
「外でやってる」
「晴れているうちはな」
「雨なら休めばいい」
「毎回か?」
「…………」
「怪我人が出た時に寝かせる場所も欲しい。冬に皆で集まれる場所もあれば便利だ。旅人が来た時にも使える」
「宿にするのか」
「そこまでは知らん」
「知らないことが多いな」
「使い道なんぞ、後から増える」
村長は見取り図を指で押した。
「とにかく、一つあると便利だ」
「分かった」
「手伝うか」
「ああ」
「そうか」
村長が頷く。
「では頼む」
「いつまでに作る」
礼が尋ねると、村長は口を開きかけた。
だが、何も言わない。
「どうした」
「いや」
老人は礼の顔をしばらく眺めてから、見取り図へ視線を戻した。
「できるまででいい」
「…………」
「急ぐものでもない」
「そうか」
「ああ」
礼は頷いた。
「じゃあ、今日からやる」
「そうしてくれ」
◇
「で、なんで俺がいるんだ」
ガルドが言った。
「暇だからだろ」
「暇じゃねえ」
「何か予定があったのか」
「…………」
「ないんだろ」
「お前、昔より口悪くなったな」
「そうか?」
「そうだよ」
村の中央では、朝から人が集まっていた。
村長が皆で使える建物を作ると言い出したことは、すぐに村中へ広まったらしい。何人もの村人が道具を持って現れ、童術師たちも仕事のない者から順に手伝いへ回っている。
建物を作る場所には、すでに縄が張られていた。
大きくはない。
村長の家より少し広い程度だ。
「まず地面だ」
村の大工仕事に詳しい男が言った。
「石をどかすぞ。柱を立てる場所も掘る」
「石なら運びます」
童術師の一人が前へ出る。
「頼む。ただし畑側に置くなよ」
「どこへ?」
「向こうだ」
「分かりました」
男が第三童式《童衣》を使う。
全身へ童力を巡らせ、大きな石を抱え上げた。
「おお……」
何度見ても慣れないのか、近くの村人から声が上がる。
「それ、一人で持てるのか」
「はい」
「腰やらんのか?」
「《童衣》を使っている間なら大丈夫です」
「便利だなあ」
「でも使いすぎると疲れますよ」
「そうなのか」
「童力にも限りがありますから」
「何でもできるわけじゃねえんだな」
「はい」
そんな会話をしながら、石が次々と運ばれていく。
その横を、ものすごい勢いで男が駆け抜けた。
「縄、持ってきました!」
「速えな!」
村で《童駆》を覚えた男だった。
手にした縄を渡す。
「他には?」
「今はない」
「じゃあ俺も石を――」
「待て」
元童術師の男が止める。
「何だよ、先生」
「先生はやめてください」
「じゃあ何だよ」
「今まで通りでいいでしょう」
「分かった、先生」
「聞いてました?」
周囲から笑い声が上がった。
「それより、今は《童駆》の練習中でしょう」
「使えたぞ」
「使えることと、使いこなせることは違います」
「ちゃんと止まれた」
「井戸の横で転びかけていました」
「見てたのかよ」
「見ていました」
「じゃあ、どうすればいい」
「走る前に止まる場所を決めてください。そこへ着いてから止まろうとするから遅れるんです」
「なるほど」
「もう一度やりますか?」
「やる」
「では、今度は――」
「おい」
大工の男が二人へ声を掛けた。
「練習は後にしてくれ。今は人手が欲しい」
「はい」
「先生も」
「だから先生ではありません」
「いいからそこの板を押さえてくれ」
「……はい」
元童術師は板の端を押さえた。
童力はない。
それでも、仕事はあった。
◇
「礼」
「なんだ」
「釘打てるか」
「打てる」
「本当か?」
「馬鹿にしてるのか」
「確認してんだよ」
ガルドが顎で柱を示す。
「ここの板、仮止めしてくれ」
「ああ」
礼は金槌を受け取った。
板へ釘を当てる。
一度。
二度。
三度。
釘が斜めになった。
「…………」
「…………」
ガルドが見ている。
「何だ」
「いや」
「言いたいことがあるなら言え」
「曲がってるぞ」
「まだ途中だ」
「途中でも曲がってる」
礼はもう一度金槌を振った。
釘はさらに斜めになった。
「礼」
「なんだ」
「貸せ」
「片腕だろ」
「片腕でもお前よりマシだ」
「…………」
「貸せ」
礼は金槌を渡した。
ガルドは柱へ板を当て直すと、残った右手だけで器用に釘を打ち込んだ。
乾いた音が何度か響く。
釘は真っ直ぐ入った。
「…………」
「こうやるんだよ」
「同じことをした」
「どこがだ」
「叩いた」
「そこしか同じじゃねえ」
後ろから、小さな笑い声が聞こえた。
礼が振り返る。
ガルドの子供が立っていた。
「何だ」
「童師様、へた」
「こら!」
少し離れたところから母親の声が飛んでくる。
「童師様にそんなこと言わないの!」
「でも曲がってた」
「それでも!」
礼は自分が打った釘を見る。
「……曲がっただけだ」
ガルドが吹き出した。
「それを下手って言うんだよ」
「うるさい」
「童術はあんなに器用なのにな」
「関係ない」
「《童眼》使えばいいんじゃねえか?」
礼がガルドを見る。
「釘一本に使うのか」
「真っ直ぐ打てるぞ」
「使わない」
「じゃあ練習しろ」
ガルドが金槌を返す。
「次」
「まだやるのか」
「逃げんな」
「逃げてない」
「じゃあ打て」
礼は別の釘を手に取った。
今度は少し慎重に位置を合わせる。
一度目。
二度目。
「お」
ガルドが言う。
「今度は真っ直ぐだ」
「当たり前だ」
三度目。
僅かに曲がった。
「…………」
「…………」
「地面が傾いてる」
「釘に地面関係ねえよ」
子供がまた笑った。
◇
昼になる頃には、建物の輪郭が見え始めていた。
まだ柱が数本立っただけだったが、それでも朝には何もなかった場所に、人の手で形が生まれている。
大木の下へ昼食が運ばれた。
パンとスープ、それから昨日行商人と交換しなかった燻製肉。
村人も童術師も、それぞれ適当な場所へ腰を下ろす。
「また肉か」
誰かが言った。
「嫌なら俺が食うぞ」
「嫌とは言ってない」
「じゃあ食え」
「食ってる」
「冬は肉が足りないって言ってたのにな」
「今年だけだ」
「来年も獲ればいい」
「簡単に言うな」
そんな会話があちこちから聞こえる。
礼は木の根元に座って、スープを飲んでいた。
「童師様」
村の女が声を掛ける。
「なんだ」
「この建物、冬にも使えるようにするんですよね?」
「俺に聞くな。村長に聞け」
「村長は使うって言ってました」
「なら使うんだろ」
「暖炉はどうするんでしょう」
「知らない」
「必要ですよね」
「冬ならな」
「じゃあ作ります?」
「俺に聞くな」
「でも童師様も使うでしょう?」
「…………」
礼の手が止まった。
女は特に気にした様子もなく続ける。
「十四人……じゃなくて、十三人もいるんですから。冬に皆さんが集まるなら暖炉は大きい方がいいですよね」
「…………」
「童師様?」
「いや」
礼はスープを飲む。
「村長と相談しろ」
「はい」
女は別の村人のところへ向かった。
隣に座っていたガルドが礼を見る。
「何だ」
「別に」
「なら見るな」
「見てねえよ」
「見てる」
「お前がこっち見たんだろ」
礼は答えず、パンを齧った。
少し離れたところでは、童術師の一人が村人と話している。
「夏はこの辺り、雨が多いんですか?」
「春よりは降るな」
「では屋根はしっかり作った方がいいですね」
「そうだな。風もある」
「この辺りの夏は初めてなので」
「ああ。冬よりはずっと楽だぞ」
「それは助かります」
会話はそこで終わった。
誰も、夏までいるのかとは聞かなかった。
童術師自身も、自分の言葉を気にしていない。
礼も何も言わなかった。
「童師!」
別の場所から呼ばれる。
「なんだ」
「午後、木を取りに行くんですが、何人連れていきますか?」
「必要な数を連れていけ」
「三人ほどで」
「ああ」
「《童衣》を使える者を?」
「一人でいい。残りは普通に運べ」
「分かりました」
昼食が終わる。
皆がまた立ち上がった。
◇
午後には、さらに人が増えた。
畑仕事を終えた者。
狩りから早く戻った者。
子供たちまで周囲をうろついている。
「危ないから近づくな!」
「見てるだけ!」
「そこにいると板が倒れるぞ!」
「じゃあこっち!」
「そっちも駄目だ!」
追い払っても、少しすると戻ってくる。
「童師様!」
ガルドの子供が礼のところへ走ってきた。
「なんだ」
「これ!」
小さな木片を差し出される。
「何だ」
「椅子!」
「…………」
どう見ても木片だった。
「椅子か」
「うん!」
「小さくないか」
「子供用!」
「お前でも座れないだろ」
「まだ途中!」
「そうか」
「ここに置く!」
建てかけの建物を指差す。
「好きにしろ」
「やった!」
子供は木片を抱えて走っていった。
その先で母親に捕まる。
「だから邪魔しちゃ駄目って言ったでしょう!」
「椅子作るの!」
「後で!」
「今!」
「後で!」
礼はそのやり取りを見ていた。
「礼」
ガルドの声がする。
「手ぇ止まってるぞ」
「ああ」
「次、そっちの柱立てる」
「分かった」
数人が集まる。
太い柱を持ち上げる。
「《童衣》を使いますか?」
「いや」
大工の男が首を振った。
「人数いるんだから、皆で上げるぞ」
「分かりました」
「せーの!」
柱が持ち上がる。
礼も手を添えた。
童術師も。
村人も。
元童術師も。
ガルドは片腕で縄を引いている。
「もう少し!」
「そっち押せ!」
「傾いてる!」
「誰だ引っ張ってんの!」
「俺じゃない!」
「童師、そっちです!」
「分かってる」
「礼! 押しすぎだ!」
「お前が引けと言っただろ」
「少しだ!」
「どのくらいだ」
「少しは少しだ!」
「分からん」
「お前戦ってる時もっと器用だろ!」
「柱と敵は違う」
「当たり前だ!」
声が飛び交う。
何度かやり直して、ようやく柱が立った。
「そのまま!」
杭を打ち、縄で固定する。
大工の男が離れて確認した。
「よし」
皆が一斉に手を離す。
「……立ったな」
「立ちましたね」
「最初からこうすりゃよかった」
「最初からこうしてた」
「二回倒しただろ」
「あれは地面が悪い」
「礼、お前最近何でも地面のせいにするな」
「事実だ」
笑い声が上がった。
◇
夕方。
「今日はここまでだ!」
大工の声で作業が終わった。
道具が片付けられ、余った木材には布が掛けられる。
朝には縄しかなかった場所に、今は柱が並んでいた。
まだ壁はない。
屋根もない。
窓も、戸もない。
建物と呼ぶには早い。
礼は少し離れたところから、それを眺めた。
「明日で終わるか」
「無理だ」
大工の男が即答した。
「何日だ」
「そうだな……」
建てかけの骨組みを見る。
「三日」
「三日?」
「いや、四日は欲しい」
「分かった」
「雨が降ったらもっとかかるぞ」
「その時はその時だ」
「ああ」
大工は道具を担いで帰っていった。
「三日か」
ガルドが隣へ来る。
「ああ」
「懐かしいな」
「何が」
「最初、お前らがこの村にいる予定も三日だったろ」
「…………」
礼は骨組みを見る。
「そうだったな」
「三日だけのはずだったのにな」
「ああ」
「で、今は三日後もここで柱立ててるらしい」
「四日かもしれない」
「そこじゃねえよ」
「じゃあどこだ」
「分からんならいい」
「何だそれは」
ガルドが笑う。
「帰るぞ」
「ああ」
二人は歩き出した。
「礼」
「なんだ」
「待て」
ガルドが足を止める。
振り返り、建物を見る。
「…………」
「どうした」
「あそこ」
指を差す。
「お前が立てた柱」
「どれだ」
「右から二本目」
礼が見る。
「……何だ」
「曲がってるぞ」
「曲がってない」
「曲がってる」
「地面だ」
「柱だ」
「地面が傾いてる」
「だから柱を真っ直ぐにするんだよ」
「…………」
「明日直せ」
「今でもいい」
「もう飯だ」
「なら明日だ」
「ああ」
ガルドが歩き出す。
礼もその隣を歩く。
背後には、まだ柱しかない建物が残っていた。
明日になれば、続きを作る。
その次の日も。
完成するまで。
「礼、今日の飯なんだと思う?」
「肉」
「俺もそう思う」
「たぶん鹿だ」
「昨日も鹿だったぞ」
「なら猪」
「結局肉じゃねえか」
二人の声が、夕暮れの村へ遠ざかっていった。
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