第九歩 帰りたい
ダスキンさんの話を聞いた。あの日から、ずっと考えていた。
話すべきか。わたしが日本から来たこと。
ここがわたしにとっては「異世界」だということ。
そして、元の世界に帰りたいと思っていること。
何度も話そうとして、そのたびにやめた。
もし信じてもらえなかったら。
もし変な人だと思われたら。
もし、今までみたいに一緒に笑えなくなったら。
「……よし」
今日こそ言おう。
そう決めて、朝から何度も頭の中で言葉を考えていた。
『実はわたし、日本から来たんです』
……いや、堅すぎる。
『わたしの住んでたところは、この世界とは違う世界なんだ』
……これも変。
どう言えば伝わるんだろう。
そんなことを考えているうちに、気づけばリオネルの隣に座っていた。
「……リオネル」
「ん?」
「話したいことがあるんだけど」
「なに?」
「ちょっと、変な話なんだけどね」
「ひまりが変なのは今さらじゃん」
「ひどい!」
いつもの調子で笑うリオネルを見て、少しだけ緊張がほぐれた。
「……わたし、日本ってところから来たの」
「…………」
リオネルの動きが止まった。
「にほん?」
「うん」
「それって、ひまりが前に言ってた場所?」
「そう。わたしがいた世界にある国」
「世界?」
「うん。ここからすごく遠い場所……っていうか、たぶんこの世界にはない場所」
リオネルはしばらく黙ってわたしの顔を見ていた。
「……やっぱ変なとこから来たんだな」
「信じるの?」
「嘘ついてるようには見えねぇし」
「もっと驚かないの?」
「だって、魔法知らないし文字も読めないし、変な乗り物の話するし。今さら『実は別の世界から来ました』って言われてもなぁ」
「……そっか」
なんだか拍子抜けしてしまった。
「それで?」
「それで?」
「帰りたいんだろ?」
「……うん」
その言葉を口にすると、胸の奥が少しだけ痛んだ。
「この前ダスキンさんから昔の転移者の話を聞いたの。だから、他にもそういう人がいたのかなって」
「じゃあ調べてみようぜ」
「え?」
「転移者ってやつ。昔の話が残ってるなら、本とかに書いてあんじゃね?」
こうして、わたしたちは街の小さな図書室へ向かった。
「うわ……」
本棚を眺めていると、思っていたよりもずっとたくさんの本が並んでいた。
「こんなにあるんだ」
「ひまり、読めないじゃん」
「……リオネルが読んでよ」
「はいはい」
リオネルは棚から一冊の本を取り出すと、適当にページをめくった。
「えーっと……『遠き地より来たりし旅人』?」
「転移者?」
「たぶんそう。違う国から来た人の話だって」
「どんな人?」
「なんか、珍しい服を着てて、見たことのない道具を持ってたらしい」
「……」
自分のことみたいだった。
リオネルは次の本を手に取る。
「こっちは……『空より現れた少女』」
「空?」
「そう。空から落ちてきたんだって」
「ふふっ。なんかすごいね」
その後も、リオネルはいくつもの本を読んでくれた。
遠い国から来た商人。
海の向こうから来た旅人。
魔法のない世界から来た少年。
言葉も文化も何もかも違う世界から来た人。
中には、地面も空も海も、わたしの世界とは違う世界から来たという人までいた。
「……本当に、いっぱいいるんだね」
「みたいだな」
「じゃあ……」
喉の奥が詰まる。
「この人たちは、帰れたのかな」
リオネルがページをめくる手を止めた。
「……書いてない人も多いな」
「そっか」
最初は、少し安心していた。
自分だけじゃない。
自分と同じように、突然知らない世界に来た人がいる。
そう思えたから。
でも、たくさんの話を聞けば聞くほど、胸の中に別の気持ちが広がっていった。
「……リオネル」
「ん?」
「わたし……帰りたい」
「うん」
「お父さんに会いたい」
「うん」
「……ぽかぽかにも帰りたい」
声が震える。
「でも……」
涙が一粒、膝に落ちた。
「もし帰れなかったら、どうしよう」
「……」
「この人たちみたいに、わたしもいつか昔の話になっちゃったら……」
言葉が続かなかった。
リオネルは何も言わず、隣に座っていた。
しばらくして、リオネルが本棚の方へ立ち上がる。彼の目線は一冊の本に注がれていた。
「……なぁ、ひまり」
「なに?」
「これ、なんか違う本みたいだけど」
リオネルが一冊の分厚い本を持ってきた。
「何て書いてあるの?」
「法律の本だと思う」
「法律?」
「うん」
表紙をじっと見つめて、リオネルが読み上げる。
「……『転移者保護法』」
「…………え?」
わたしは涙を拭うことも忘れて、その本を見つめた。




