第三十二話 司書
「司殿、こちらの本の確認をお願いしたいのだが……」
「はい。少々お待ちください」
そう答えながら、僕は本を受け取った。
僕は現在、王城の図書館司書として働いている。
エレオノーラがあの後すぐに父親であるサマセット公爵を呼び、僕の話をすると、公爵は驚くほど早く推薦状を書いてくれた。いったいどのように説明したのか。
そのまま二日ほどサマセット家に滞在させてもらい、その間は簡単な仕事を手伝った。
公爵家に置いてもらうこと自体が、転移者保護法に反するのではないか。
そう思った僕に、エレオノーラは一つ忠告してくれた。
『司さんが転移者であることは、できるだけ知られない方がいいと思います』
だから僕は、ただの一ノ瀬司として王城に入った。
転移者としてではなく。
そして、僕が情報を得るために選んだ場所は、王城の図書館だった。ここには、この国に存在する膨大な量の本が集められている。転移者について調べるなら、これ以上ない場所だ。
――ただし、一つ問題があった。
文字が読めない。
不思議なことに、この世界の人間が話す言葉は自然と理解できた。
けれど、文字は別だった。
当然だ。
僕の頭の中にあるのは日本語であって、この世界の文字ではない。初日は司書として働くどころか、一日中子供向けの絵本を読んでいた。文字が読めなきゃ仕事にすらならないからだ。
もちろん、内容を読んでいたわけではない。
文字の形を覚えるためだ。
「……これは『あ』に近い形で……」
一人でぶつぶつ言いながら絵本を眺める僕を、周囲の司書たちは不思議そうに見ていた。
気まずい。
王城の図書館司書が、朝から晩まで子供向けの本を読んでいる。
早く文字を覚えよう。
そう思いながら、仕事の合間を縫って転移者に関する本を探した。
けれど、ここでも問題があった。
「……見つからない」
本が多すぎる。
一冊探すだけで時間がかかりすぎるのだ。
そこで僕は気づいた。
この世界の人たちは、整理整頓が苦手らしい。
本棚には分類らしきものはある。
けれど、その分類が曖昧だ。
これでは必要な本を探すだけで一日が終わってしまう。
「……非効率だな」
僕は本を一冊取り出した。
そして、もう一冊。
それから棚の前に座り込んだ。まずは本棚を整理する。
転移者について調べるのは、それからだ。
そうして数日。僕は本棚の整理にすっかり夢中になっていた。
「司殿は本当に几帳面だな。いや、仕事も早いし文句ではないがね」
「いえ。普通だと思いますが」
「これだけの本を全部分類し直すのが普通なのか?」
「……」
どうやら普通ではないらしい。
そんな日々を過ごしていると、いつからか妙な視線を感じるようになった。
ふと顔を上げる。
誰もいない。
本棚の向こう。
……いや。
いた。
物陰からこちらを覗いている人がいる。
目が合った。
慌てて隠れる。
「……?」
次の日もいた。
その次の日も。
僕が本を整理していると、少し離れた場所からこちらを見ている。何をしているんだろう。声をかけようかとも思った。けれど、こちらから近づくと逃げてしまう。僕はしばらく様子を見ることにした。
そして、ある日。
いつものように本棚を整理していると、背後から声がした。
「一ノ瀬司」
「はい?」
振り返る。
そこに立っていたのは、これまで何度も図書館で見かけた人物だった。
その人は僕を真っ直ぐ見つめていた。
そして、静かに言った。
「私の側近にならないか?」
「……」
突然の申し出に、僕は言葉を失った。
側近。
どうして僕が?
そもそも、この人は――
「……あなたは、一体?」
その人は少しだけ笑った。
「私か?」
「私はこの国の王太子、ユリウスだ」
「お、王太子?」
そして彼は僕の耳元に顔を近づけこそっと囁いた。
「私は君が転移者であることを知っている。」




