第二十一歩 孵化前
王都の外れ。
街の中心から少し離れた場所に、一軒の教会が建っていた。
朝の澄んだ空気の中、教会の門の前を一人のシスターが掃除している。
「……今日もいい天気ですね」
シスターメルティナは、ほうきを動かしながら空を見上げた。
いつもと変わらない朝。
そんなときだった。
「……あの……」
小さな声が聞こえた。
メルティナが顔を上げる。
教会の門の前に、一人の少女が立っていた。見慣れない服。
不安そうに辺りを見回し、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「どうしましたか?」
メルティナが優しく声をかける。
少女はびくっと肩を震わせた。
「……ここ、どこですか……?」
声が震えている。
「……えっと……」
何かを伝えようとしているようだが、言葉が続かない。
そして――。
「……ここ、どこですか……?」
今度は涙を浮かべながら、もう一度尋ねた。
メルティナはほうきを置いた。
「大丈夫ですよ」
ゆっくりと少女へ近づく。
「ここは王都の外れにある教会です。あなたは……一人でここまで?」
少女は小さく頷いた。
「……分からないです」
「分からない?」
「気がついたら……ここにいて……」
少女の目から涙がこぼれる。
「家に……帰りたい……」
メルティナは何も急かさなかった。
ただ、泣いている少女の目線に合わせるようにしゃがみ込む。
「怖かったですね」
少女は何度も頷いた。
「大丈夫です。ここには私がいます」
その言葉を聞いて、少女は堪えていたものが切れたように泣き出した。
こうして少女――葉月は、教会に保護されることになった。
それから数日。
「……よいしょ」
葉月は教会の廊下を掃除していた。
「……これ、意外と難しい……」
ほうきを動かすたびに、思ったようにゴミが集まらない。
何度も同じ場所を掃いていると、メルティナが通りかかった。
「葉月、頑張っていますね」
「……はい!」
葉月は慌てて背筋を伸ばす。
「でも、無理はしなくていいのですよ」
「大丈夫です。私も何かしたいので……」
そう言って、また掃除を始める。まだ慣れないことばかりだった。それでも、葉月は少しずつこの場所で生活を始めていた。
そんなある日のこと。
教会に、一組の親子が訪れた。
母親らしき女が小さな子供を抱いている。
「……どうか、許してください」
声を震わせながら、女は何度も頭を下げる。
やがて女は子供を教会の入り口に残して去っていった。
「…………」
その様子を、少し離れた場所から葉月が見ていた。
「……あ、」
葉月は捨てられた子を抱えメルティナの元へ急いだ。
「この子……」
メルティナは静かに子供に視線を落とす。
「置いていかれてしまったのですね……」
葉月は悲しそうに子供を見る。
「……かわいそう」
メルティナは子供を抱き上げる。その表情には悲しみが浮かんでいた。けれど、その瞳は優しかった。
「この子が、愛されて育ちますように」
そう呟く。
そして、教会の隣に建つ建物へ向かって歩き始めた。
そこには、小さな孤児院があった。
扉を開ける。
「こんにちは、メルティナさん!」
中から子供たちの声が響く。
その声に混ざって、一人の少女がこちらへ駆け寄ってきた。
「メルティナさん、その子……?」
「あら、アイリ。ちょうどよかったです」
少女――アイリは、メルティナの腕の中にいる子供を見つめる。
「……新しい子?」
「ええ。今日から、ここで暮らすことになります」
「そっか……」
アイリは小さく頷くと、子供の顔を覗き込んだ。
そして、優しく微笑む。
「大丈夫だよ」
その声は、とても穏やかだった。
「ここには、みんないるからね」
葉月は少し離れたところから、その様子を見ていた。
教会の隣にある、小さな孤児院。
そこには、葉月よりもずっと前から、この世界で暮らしている少女がいた。そのことを葉月が知るのはもっと先の話。




