初めての温もり
11月のある木曜日、体育の授業があった。
僕は体育が本当に苦手だ。球技は怖いし、走るのは遅い。
準備運動のときから少し憂鬱になる。
更衣室で体操服に着替えるとき、鏡を見ないようにしている。自分の体が好きじゃない。
唯一マシなのは水泳だ。得意とかじゃなくて、熱い中水に入るのは涼しいからだ。あと宮田のきれいな体を拝める。でも水泳は夏だけだ。
その日の授業はペアでやるやつだった。
先生が「ペアになれ」と言って、僕は固まった。
クラスの男子は偶数だから、全員ペアになれるはずなのに、健吾はなぜかもう別の男子と組んでいた。
健吾は一瞬僕のほうを見て、両手でグッドサインを出した
「中島、お前宮田と組んでくれ。」
先生の声に、宮田が振り向いた。
「あ、中島。よろしくな」
よろしく
それだけの言葉だったのに、僕は3秒くらい返事ができなかった。
最初に馬跳びをやった。
一人が馬になって、もう一人が跳び越える。それを交互にやる。
宮田が最初に馬になった。
背中が丸まって、首の後ろが見えた。
体操服の生地が張っていた。宮田の背中は広かった。
当たり前なのかもしれないけど、こんなに近くで見るのは初めてで、僕は一瞬だけ固まった。
僕は踏み込んで、宮田の背中に手をついて、飛んだ。
その瞬間、体の下に宮田のあたたかさがあった。
背中の感触。
筋肉。
手のひらに伝わるものが、布越しでも密度を持っていた。
着地して、振り返った。
宮田が立ち上がって「おー、うまいじゃん」と言った。
うまくなんかなかった。着地も危なっかしかった。宮田はそう言った。
次は、担ぐやつだった。
先生が「肩車の基礎、相手を担いでバランスをとる練習」と説明した。
宮田が「じゃあ俺から」と言って、しゃがんだ。
宮田の手が僕の脚に触れた。
ゆっくりと持ち上げられた。宮田の肩に乗る形で、僕は視界が高くなった。
体育館の天井が見えた。
宮田の肩の上にいた。
夢じゃなかった。
体が熱くなった。耳が熱かった。
胸の中で何かが跳ね上がって、飛んでいきそうだった。
思わず「わーー」と叫んでしまった。
恥ずかしくなり、声を抑える。
宮田の手が僕の足首に当たっていた。温かかった。
「どうだ、高いか」と宮田が聞いた。
「……高い」
それしか言えなかった。声が震えてなかったか、今でもわからない。
ゆっくり降ろされた。
ゆっくり降ろされた。そのとき、バランスが崩れた。
脚が宮田の肩からずれて、体が斜めに傾いた。
あ、と思ったときには重心がもう戻らなくて、落ちる、と思った。
でも落ちなかった。
宮田の腕が、横から僕の体を抱え込んだ。
一瞬だった。
宮田の片腕が背中に回って、もう片方が膝の裏に入って、僕は宮田に抱えられた格好になっていた。
体育館の床が遠かった。宮田の顔が近かった。
「っと、大丈夫か」
宮田が言った。平然としていた。僕は何も言えなかった。
宮田の顔がすぐそこにあった。息がかかる距離だった。
体操服から首のあたりまで、宮田の汗の匂いがした。石鹸とか、そういうものより先に来る、体温のある匂いだった。
足が地面についた。でも頭はまだ追いついていなかった。
体の奥の方で、何かがじわりと熱を持った。
意識したくなかったけど、意識しないわけにはいかなかった。
僕は他のことを考えようとした。深呼吸した。冷たい空気を吸った。
「ありがとう」とだけ言った。声が変じゃなかったか、わからない。
次は僕が宮田を担ぐ番だった。
しゃがんで、宮田の体に手を回して、持ち上げようとした。
持ち上がらなかった。
宮田は僕より少し背が高くて、体重もあって、そりゃそうだった。
でも頭ではわかっていても、いざ担げないと情けなかった。
「あー、ごめん。重いよな俺」
宮田はそう言って笑った。責める感じじゃなく、本当にただ笑っていた。
そのとき、宮田が体操服をめくり、汗を拭こうとした。
宮田のおなかが見えていた。
うっすら腹筋が見えていた。
きれいな肌だった。
宮田の首筋に汗が光っていた。
なんでもない動作だった。なんでもないはずだった。
僕はまた壁の方を向いた。
深呼吸した。もう一回した。
「いや、僕が弱いだけ」
「そんなことないって。蒼って、英語うまいんだろ。教えてくれよ、授業わかんねえとき」
名前を呼ばれた。蒼、と。
僕はまた3秒くらい固まった。
「……うん」
それだけ言えた。それで十分だった。




