誰かのものになる君
6月の終わり、宮田が誰かを好きだという噂が流れた。
最初に聞いたのは木村からだった。
昼休み、3人で廊下の端に座っていたとき、木村が声を落として「宮田くんって誰か好きな人いるらしいよ」と言った。
健吾が「マジで?誰?」と前のめりになった。僕は黙ってパンの袋を折りたたんでいた。
3年の先輩らしい、と最初は聞いた。次に、同じクラスの女子らしい、に変わって、最終的に「よくわからん」という結論になった。
噂というのはそういうものだ。広がるたびに形が変わって、最後には元の話がどこにあったのかわからなくなる。
でも、宮田が誰かを好きだという事実は変わらないらしく、それを聞いてから僕は少し胃のあたりが重くなった。
胃が重い理由は、わかっていた。わかっていたけど、考えたくなかった。
7月になって、宮田は3年生の高木先輩に告白したと噂で聞いた。高木先輩は空手の県大会女子部門で何度も優勝しており、宮田と同じくらい目立つ存在だった。
廊下ですれ違うとき、背筋が真っすぐで、視線が静かだった。宮田が好きになるのはわかる気がした。わかりたくなかったけど。
結果は、振られたらしい。
授業中、宮田の横顔を見た。いつもと変わらなかった。笑っていた。周りに話しかけられたら、ちゃんと返していた。
どうしてそんなに平気でいられるんだろう、と思った。そしてすぐに、平気じゃないのかもしれない、とも思った。
人前で崩れないやつが、一人のときどんな顔をしているか、僕には知る術がない。
木村が宮田に気があることは、たぶん僕だけが知っていた。健吾は気づいていないと思う。
木村は宮田の話をするとき、普段よりほんの少し声が小さくなる。宮田の名前を口にするとき、一瞬だけ視線が宙に浮く。
そういう細かいことが、僕にはわかった。たぶん、自分も似たようなことをしているから。
木村と目が合ったとき、お互いに何かを知っているような気がした。でも何も言わなかった。言えるわけがない。
「宮田くんのこと、好きなの?」とは聞けなかった。聞けるわけがない。
聞いたとして、どうなるんだろう。木村が「うん」と言ったら、僕は何と返す。「そっか」とだけ言って、また3人でコンビニのパンを食べるんだろうか。たぶんそうなる。それしかない。
木村が宮田を見るとき、僕が宮田を見るとき、きっと表情は似ていると思う。
でも意味は違うかもしれないし、同じかもしれない。そういうことを考えながら、3人で昼食を食べた。
健吾はそういう空気を読まずに「てか昨日さ、チャリでずっこけてさー」と言った。それで少し楽になった。健吾はそういうやつだ。たぶん本人は気づいていない。
10月になって、宮田は今度は同じクラスの田村と付き合い始めたと聞いた。
田村はおとなしくて、絵が上手な子だった。
授業中にノートの端に小さな動物の絵を描いていて、それが可愛かった。宮田とはタイプが違うように見えたけど、なんとなく合いそうだとも思った。
2人が廊下を並んで歩いているのを一度だけ見た。宮田が何か言って、田村が少し笑った。田村の笑い方は静かで、口元だけが動く感じだった。宮田はそれを見て満足そうにしていた。
僕はそれを見て、教室に戻った。
自分がどんな顔をしていたか、わからない。わかりたくなかった。
2週間くらいで別れたらしい。理由は聞かなかった。
健吾は「宮田が振ったのかなー」と言った。
僕は「どうだろ、わかんない」と答えた。
木村は何も言わなかった。昼食を食べながら、窓の外を少し見ていた。
そのとき僕は、木村のことが少しだけわかった気がした。何も言えないのは、言葉にすると本物になるからだ。
曖昧なままにしておけば、まだ何かが守られている。そういう感覚を、木村もたぶん持っている。
僕も同じだった。
宮田が誰かと付き合っているとき、胃の重さが増す。別れたと聞くと、重さが少し引く。その繰り返しが続いた。
自分が嫌だと思った。でも止められなかった。




